そこには『王の記憶の石板』が在った。
(戻ってきたのか…)
頭を軽く振り零れていた涙を拭って、藍神は石板から手を離す。
「あ、れ…?」
足元で何かが滑った。
しゃがんで見つけたそれは、M&Wのカード。
石版に触れる前には無かったはずのそれらを何気なく表に返して、言葉を失った。
「ヴィジャム…?」
キューブと共に失ったはずの、方界獣モンスターのカード。
次の1枚を裏返す。
…次も、その次も。
どれもこれも、藍神が海馬瀬人と武藤遊戯に対した決闘で使用したもの。
ーーお前たちの方界モンスターと、デュエルもしてみたい。
なんてことだろう!
「あなたは、どこまでも…!」
拭ったはずの涙が止まらない。
「兄さん」
呼ばれ、振り向いたそこにはセラが居た。
セラの手にも、藍神と同じように数枚のカードが大事そうに抱えられている。
彼女の目許は赤く、恥ずかしそうにはにかんで。
「行こう、兄さん」
石版の部屋を出ると、マリクが待っていた。
「やあ。君も無事戻ってきたね」
元来た方向へと歩いて行く彼に着いて、2人は再びイシズの待つ考古局の一室へ戻った。
藍神は何とか、他の誰にも会わない内に涙を止めることに成功する。
「おかえりなさい。会いたかった方には会えましたか?」
勧められた席に着いてテーブルを見れば、何種類かのコナーファにティーセット。
セラがきらきらと目を輝かせた。
「美味しそう!」
「どうぞ、召し上がれ」
「良いんですか?!」
「ええ」
いつもどこか大人びた…そうならざるを得なかったセラが、歳相応にはしゃぐ姿を久々に見た気がする。
どこかへ行っていたリシドが戻り、マリクの隣の席へ着いた。
ティーカップに注がれているカルカデは、そういえば日本ではほとんど見掛けなかった気がする。
大喜びでコナーファを口にするセラと、カップの水面をじっと見下ろす藍神。
どちらも憑物が落ちたように、顔色が明るかった。
(まるで、ファラオと闘った後のボクみたいだ)
マリクは1年と少し前のことを思い出し、内心で苦笑する。
「…あの、イシズさん」
「はい」
「海馬コーポレーションは、今何をしていますか?」
幾分問い難そうに紡がれた藍神の言葉は、イシズの予想を少しだけ外していた。
「そうですね…。次世代デュエルディスクの発表会の後、一般販売に向けた宣伝を始めています。
KCが主催するデュエル大会上位常連者や、KCにとって重要な取引相手には無償で提供しているとか」
かくいう我々も、と後出しするのは、彼女の持つビジネススキルなのだろう。
カルカデに砂糖を入れつつも思案気味の藍神へ、イシズはこちらから問い掛けることにした。
「瀬人に対して、何か蟠(わだかま)りが?」
蟠り、そうなのだろう。
(いや…何も無くなった僕の、今持つ唯一の目的)
「『キューブ』を、取り返さないと」
「キューブ?」
「『プラナ』を新たな次元へ転移させる、8つ目の千年アイテムと言える遺物です。以前はシャーディー様がお持ちでした」
(シャーディー…あの男か)
何とも厄介な存在だった、とリシドが懐古する。
「王が…アテム様が一刻といえども現世へ戻ったことで、キューブは力を失いました。それはたぶん、」
コナーファを飲み込んだセラが、言葉の後を継ぐ。
「『王が復活せざるを得ない世界は、プラナの次元上昇には早過ぎる』。…きっと、そういうことなんです」
『キューブ』が力を取り戻す日が来るのか、それは分からない。
分からないが。
「僕には不相応な代物だとしても…、あいつの手元に置いておく訳にはいかない」
7つの千年アイテムと併せて存在したなら、千年アイテム同様に本来の持ち主の元へ還すべきだ。
(王の証、千年パズルの元へ)
ーーあの方の元へ。
イシズは弟を見た。
彼は姉の目線に、茶目っ気を込めてウィンクを返した。
「ディーヴァ。セラ。私たちと共に働く気はありませんか?」
「えっ?」
唐突な誘いに、藍神とセラは目を丸くする。
「瀬人から『キューブ』を取り返すにしても、武器が無ければどうにもなりません。この場合の武器とは、取引の材料という意味です」
事実、今の藍神とセラは何も持っていない。
在るとすれば、ディエル・リンクスにおいて秩序を破壊できる程度の自我か。
「古代遺跡郡の発掘には、危険が付きものです。次世代デュエルディスクの普及と共に、犯罪の形も変わるでしょう」
人材が足りない、それは事実だ。
「現地の言葉が分かること。デュエルに強いこと。最低条件はすでに満たしています」
「でも…」
藍神とセラは面食らうしかない。
そんなに重く考えないで、とマリクが助け舟を出した。
「割の良いバイトが見つかったとでも思ってくれたら良いよ。今は無理だけど、採用試験にパスすれば政府職員にもなれるし」
決め兼ねた眼差しを向けてくる藍神に、イシズは微笑む。
「…それに、あなた方はご存知ですから」
M&Wの始まりが、古代エジプトの1人の王と密接に関わっていることを。
千年アイテムの因果と、現代における決着を。
マリクも笑みを向けた。
「それに、君たちもボクたちも、あの方に救われたんだ。ここならきっと、守ることが出来る」
「守る…」
藍神たちに救いの手を差し伸べた王…アテムが、確かに存在していたことを。
その遺物を、闘いを、誇りを…守る。
セラは兄がどのような道を選ぼうとも、それに着いて行くと決めていた。
ゆえに藍神が…ディーヴァが立ち上がったときは共にソファから立ち上がり、イシュタールの民へ頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「兄ともども、よろしくお願いします」
*
「兄サマっ!!」
目を開いた海馬の視界に、泣きそうな顔のモクバが映った。
「モク、バ…?」
安心したように満面の笑みへ変わったモクバが、誰かに声を投げる。
「起きたよ、兄サマが起きた! 意識もはっきりしてる!」
ゆっくりと身体を起こすと、鉛を抱えたように重たい。
(戻って、これたか…)
デュエルディスクにセットされていた、青眼の究極竜を取り出す。
意識を現世へ引き下げる…妙な表現だが…のに、かなりの体力と精神力を要した。
行き先が冥界だけに、デュエル・リンクスの密度を上げなければ2度目はさすがに厳しいか。
滅多なことでは揺らがない、海馬瀬人という人間をもってしても。
行きはよいよい、帰りは怖い。
死んだ者は蘇らない。
生者が高次元へ至れたとき、初めて死者と語らうことが許される。
(…待っていろ、アテム)
次は、必ず。
「モクバ、俺はどれだけの時間をリンクしていた?」
「ちょっと待って。…えっと、11分19秒だ」
「11分だと…?」
結構な時間が、"あちら"で経っていたはずだが。
(時の流れが違う? いや、高次元に時間の概念が無い可能性も…)
「兄サマ」
芯の通った強い声が、海馬の思考を中断させた。
「兄サマ、こんな無茶はもうこれっきりにしてよ」
モクバは両手をギュッと握り締める。
「駄目なんだよ、兄サマじゃなきゃ! オレも、KCで働いてる人たちも、みんな兄サマの目指す世界が見たいから、だから一緒に居るんだ!
なのに兄サマが居なくなってどうするんだよ!!」
滲み出した涙を堪え、モクバは叫んだ。
「オレは…っ、オレはヤだからな! こんなワケ分かんないまま大事な家族と、兄サマと会えなくなるのはっ!!」
ーーこれ以上、モクバに心配を掛けるな。
(ああ、そうだな。これっきりにしよう)
ついに泣き出してしまった弟を抱き寄せ、海馬は宥めるようにその頭を撫でた。
「…済まなかった。モクバ」
もっと成功確率を上げて、デュエル・リンクスを進化させて。
そしてもう一度、会いに行くのだ。
(今度こそ、決着をつける)
見果てぬ闘いのロード、その先へ。
ーー安心しろ。俺はここで待っているから。
(それまでは精々、語り続けておいてやろう)
数多の決闘者たちと共に、『神』を束ねし伝説の決闘者(デュエリスト)の話を。
End.
2016.5.15
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