行っておいで、可愛い息子

そうして、巡り巡って帰っておいで
  一.  昼の邂逅
「あれ?」
「ん?」

奴良リクオと及川氷麗(つらら)は、同時に疑問符を上げた。
「…つらら、見た?」
「み、見ました…!」
未だ深い森の残る、奴良家の広大な領地。
その南には、海へと繋がる川の根元である、決して小さくはない湖が在った。
リクオと雪女は(つらら、というのは人に化けたときの名前だ)ちょうどその湖を、森の入り口から遠くに眺めている。

「人が、居たよね…?」

湖を遠くに指差せば、いいえ! と氷麗は勢いよく首を横に振った。
「人間なはずはありませんよ、リクオ様!
ここに足を踏み入れられるのは、人間ならばリクオ様と若菜様だけです。…って、リクオ様?!」
氷麗が話す間に、リクオは森へと足を踏み入れていた。
「だったら、確かめなきゃ。人じゃなきゃ妖怪でしょ?」
「なおさら危険です!」
「大丈夫だって。氷麗が居るんだから」
「うっ…」
護衛であり側近であると自他共に認める氷麗は、口を噤んだ。
「…分かりました。せめて、わたしの後ろを歩いてください」
「大丈夫だってば」
「大丈夫じゃありません!」
言い合いながら、獣道を進む。
リクオは未だ文句を呟く氷麗を斜め前に、先ほど見た光景を考えた。
(湖に、人が居た。人な訳がない…と思う)

なぜなら目撃した人影は、『湖の上』に在ったのだ。

「リクオ様!」
「!」
押し殺した氷麗の声にハッと顔を上げれば、また人影が樹々の間に見えた。
2人揃って駆け出せば、土のぬかるむ湖の淵へ出る。

シャンッ、と神楽鈴によく似た音が聴こえた。

「「あ…!」」

目の前の光景に、揃って声を上げる。
ふわり、ふわりと水面を飛ぶ(この表現が合うのかは不明だ)、人の姿。
遠目ではあるが、その動作が彼(か)の姿と釣り合っていないことに目を見開く。

「リクオ様…。あの者、水面に触れてないですよ…?」

氷麗の惚けたような声に、更なる説明は不要だろう。
シャンッ、という音は、彼(か)の姿が水面に触れるような着地(地でもないが)の瞬間に聴こえる。
どうすべきか、リクオは氷麗と顔を見合わせた。
ややすると、不意に鈴の音が止まる。

こちらを見た蒼い眼と、視線が合った。

「うわっ?!」
突然、氷麗がリクオの手を掴み森へ駆け戻る。
「ちょ、ちょっとつらら?!」
氷麗は主の声には耳を貸さず、ただ走り続けた。
「危険です! ここは出直すしかありません!」
戻ることを諦め、しかしリクオは言い返す。
「でも悪い『気』は持ってないよ?」
「だから、出直して確かめるんです!」

なんだか矛盾しているような気がしたが、リクオは口にはしなかった。



>>   二.  夜の邂逅



09.11.8

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