二.  夜の邂逅

今宵の月も、なかなかに見事。

「おいジジィ」
「なんじゃ、リクオ。薮から棒に」

縁側で月見と洒落ていた己の祖父へ、リクオはぞんざいに声を掛ける。
再度出向く前に、訊いておこうと思ったのだ。

「南の湖を根城にしてる組、居るか?」

はて、と祖父ぬらりひょんは首を傾けた。
「さてのぅ…。ん? 南の湖じゃと?」
何かを思い出したらしく、祖父は驚いたようにこちらを見返す。
「あそこは何も寄り付かんぞ。何せ、昔の客人の名残で寄り付けんからなぁ」
「昔の客人?」
「おお。儂の全盛期の頃のな。聞くか? ちぃと長いが」
「いらん。ちょっと出てくる」
にべもない返答を寄越すなり、リクオはさっさと部屋を後にした。
可愛げのない孫の姿に、やれやれとぬらりひょんは苦笑する。
「若さは勢いじゃのぅ…」
懐かしいものだ。
かつてを思い返していると、リクオと幾つかの気配が屋敷から出て行く。
「南の湖か…」
もしや、何かが寄り付いたのだろうか。



「若。その湖で見た者は、妖怪ではないのですか?」
首無の問いに、リクオは曖昧に返す。
「…そうとも分からねぇ。『陰』の気はなかった。ああ、そういえば首無」
「はい」
「お前、『湖に昔来た客』っての、ジジイに聞いたことねぇか? 親父でも良い」
「いえ…存じませんね」
すると、いつものように後方を飛んでいた(今回は偵察も兼ねている)黒羽丸が鸚鵡返しにした。
「湖の客…ですか?」
「黒羽丸、知っているのか?」
「いえ、私ではなく。父がそんな言葉を使っていたことがあります」
「ふぅん…鴉天狗か」
とにかく! と氷麗(つらら)が気合いを入れた。
「妙なところから、奴良組の盤石を揺らがせる訳にはいきません!」
「おっ、さすがは若の側近。言うことが違う」
「当然です!」

妖怪とは思えぬ、しかし人間ではない。
いったい、何だろうか?



湖の淵へ辿り着き、各々が散らばり目を凝らす。
「何も居ないようですが…」
「確かに。見る限りでは」
それぞれが首を捻る中、リクオは湖のある一点から突然に波紋が浮いたのを捉えた。
(なんだ…?)
ひとつ、ふたつ、みっつ。
一定の間隔を置いて、何かが舞い降りたような波紋が散る。

シャンッ、と神楽鈴のように透き通る鈴の音が、響いた。

「?!」
リクオのちょうど正面、やはりそこは湖の上。
あの、人の姿をした者が現れた。
「「若っ!!」」
氷麗たちは血相を変え、リクオの前へ出る。

蒼い眼に、月明かりを返す銀の髪。
纏われた衣服は着流しや着物ではなく、どことなく花開院(けいかいん)の式服を思わせる。

その姿はまるで、燐光に縁取られているかのよう。
これは妖怪ではないと、リクオは本能で悟った。
(何だ? こいつは)
白足袋の足は、やはり水面に触れていない。

驚きに声を出せぬ面々を他所に、その存在は邪気無く笑った。
「良かったよ、戻って来てくれて。せっかくものを尋ねようとしたのに、突然逃げて行ったから」
逃げてない! と言い返そうとした氷麗の口を、リクオは己の手で塞ぐ。
「?!」
「ちぃと黙ってろ」
彼女が大人しくなった頃合いを見計らって手を離し、リクオは改めて目の前の存在を見据えた。

「オレは関東妖怪総元締・奴良家の若頭、奴良リクオ。お前さん、誰だい?」

声の高さと容姿から見て、おそらくは男だろう。
ただ美しい顔立ちをしているので、本人へ尋ねない限りは分からない。
「奴良? じゃあ、君に訊けば良いのかな…?」
「は?」
相手は首を傾げ、釣られるようにこちらも首を傾げた。
「ここ、先客が居ないからさ。しばらく居させてもらおうと思ったんだけど。
そしたらここらの子が、『ここは奴良組のシマだから、そっちに訊かないと駄目だ』って言ってて」
「…はあ?」
「そういうの、オレ分かんなくて。誰か詳しい人に訊こうと思ったけど、君で良さそうだよね。
若頭って、頭の次くらいだろ?」
「……」
なんだろう。
どうも、会話が噛み合っていないような気がする。
リクオは一度考えて、再度告げた。
「オレは名乗った。まずはお前さんも名乗るのが礼儀ってもんだろう?」
あ、そうか、と呟いたので、どうやら他意は無いらしい。
またシャンッ、と鈴の音が鳴った。


「オレは。西方祭神がひとつ、龍神の子。
訳あって、この湖にしばらく滞在させて貰いたいんだけど」


揃って目が点になった。
あまりの驚きに、しばらくは声も出なかった。
「今、なんつった…?」
「え?『しばらく滞在させて貰いたいんだけど』…?」
それははたして、素で言ったのだろうか。
「違ぇよ! …お前、『龍』って」
「それがどうかした? もしかして、妖怪じゃないと駄目とか?」
素だ。
これは明らかに、素で言っている。

リクオを除き、誰もがぱくぱくと酸欠の金魚のような状態であった。
とりあえず、状態を打破することにする。
「黒羽丸! ジジイと鴉天狗呼んでこい!」
「はっ、はいっっっ!!」
弾かれたようにひっくり返った声を上げ、三羽烏の長男はあっという間に飛び去った。
事の元凶は、深い溜め息をついたリクオを不思議そうに見つめている。

(『妖怪じゃないと駄目』だと? こいつ、本当に…)


まさか、『神』に出会う日が来るとは思いもしなかった。



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09.11.8

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