信じられる話ではない。
だが現に、"黒い蝶"は存在している。
イザークは黙ったままのレイとアウルへ問い掛けた。
「もう一度聞くぞ。黒い蝶を、どこで見た?」
「大丈夫、口外はしません。それにこれは、天使と悪魔全体に関わることなんです」
真剣な眼差しに、レイとアウルは顔を見合わせた。
アウルが重い口を開く。
「この前、オーベルジーンの難民が来たのは知ってる?」
「ああ」
「確か…代表と、付き人と、それから国民と、"力ある者"が1人…でしたね」
「うん。僕とレイが見つけたのが、"力ある者"だったんだ」
シンって名前なんだけど。
アウルの言葉に、イザークとニコルは頷いた。
「シンの左手の甲に…あったんだ。黒い蝶」
2人は言葉を失った。
レイがアウルの先を続ける。
「本人には見えないようです。けれど俺がそれに触れると、激痛が走ったと」
本人には見えない、"黒い蝶"を象った火傷のような傷跡。
他人が触れると、それを拒絶する。
何のために・・・?
シンは、フレイと共に城へやって来ていた。
この先どうするのかを考えるために。
「俺…どうしよう…?」
フレイは城の職員として働くことが決まった。
だが、シンは勧められたことに返答出来ないでいる。
力ある者は、己の国を守るために。
シンはオーベルジーンという国を守っていた。
しかし今その国は亡く、今いる国はアプサント。
自分の力が役に立つことは分かっていても、どこかで躊躇している。
「ここが食堂。お昼時なら大抵の捜し人が見つかるわ」
ミーアが大きな広間を指差して言った。
2人は、彼女に城の中を案内してもらっていた。
城で働くことになったフレイは一生懸命聞いているが、シンはどこか上の空。
「大丈夫?」
フレイが心配そうにシンの顔を覗き込んだ。
シンは慌てて、何でもないと頭を振る。
「そう?じゃあ次はもう1つ下の階ね♪」
赤いハロと一緒に、ミーアはテンポ良く階段を下りる。
フレイが続き、シンはその後を。
その階段の踊り場に、全身が映る立て鏡が掛かっていた。
何ともなしにそれを見つめて通り過ぎようとしたシンは、踏み出そうとした足を止める。
『ココロが真っ白になるくらいに絶望すると、そうなるよね。
何をやっても無駄なんじゃないか、って思うんだ』
耳に聞こえてきた声。
"あのとき"、鏡を覗いたときに聞いた声と同じ。
シンは鏡を真正面から見据えた。
そこに映るのは自分と、少し後ろに同じ年頃らしい少年の姿。
映る自分や、周りの景色は変わらない。
しかし少し後ろ…鏡の奥は薄暗く、少年の顔は見えなかった。
もちろん、現実にシンの後ろには誰も立っていない。
鏡の少年は笑って言った。
『大丈夫。君にしか僕の声は聞こえないし、見えないよ』
そういう問題ではない。
シンはその少年の姿を睨みつけた。
「あんた…」
「シン?どうしたの?」
誰だ、と聞く前にフレイの声がそれを遮った。
なかなか下りて来ないシンが不思議だったのだろう。
それを幸いと、シンは鏡から視線を外して止まっていた足を動かした。
『言ったでしょう?僕は"破滅"。黒い天使の翼を持つ者』
鏡を見ていないのに、頭の中でそんな声が響いた。