ミーアから許可証を受け取り、シンはザッフィロ大学へやって来た。

「すごい建物…」

いろんな意味で、そう言える建物だった。
受付で考古学研究所の場所を聞き、南塔へ向かう。
古く見える外観と違って中は最新設備が整っており、エレベーターもあった。
ボタンを押し、降りてくるエレベーターを待つ。

「俺は何で…?」

何故、ここへやって来たのだろう?
レイとアウルに会いたいのは確かだが、何かが違う。
何が違うのかは、分からないけれど。



最上階で降りて、目当ての扉をノックする。
どうぞ、と声が返って来たので、シンは扉を開けた。
…が。
固まるしかなかった。
本の山が目の前に広がり、どうやって部屋に入れば良いのか分からない。
呆然としてる間に、また本の向こうから声が聞こえた。

「すみません。そのままで良いですから、お名前とご用件をお願い出来ますか?」

本に話しかけているようで気が引けるが、シンは口を開いた。

「あ、俺シン・アスカです。ここにレイとアウルがいるってミーアに聞いて…」

「「シン・アスカ?!」」
「「シン?!」」

驚く声が二重に返って来て、シンは目を丸くした。
本の山の向こうが慌ただしくなる。

「噂をすれば影…ですね。ほらアウル、手伝って下さい」
「ちょっ…何で僕?!レイもいるのに!」
「貴方が一番近くにいたからに決まってるでしょう?ほら、そっちの本を向こうに…」
「…何か理不尽だ」
「なんとでも言って下さい。ほら早く!」
「ちぇ〜…」

入り口を塞いでいた本の山の一角が動き、悪魔の少年の姿が現れた。
その少年は呆然とするシンへにこりと笑い、手招きする。

「さ、どうぞ」
「…はあ」

本の山に触れないように注意して通り抜ける。
通り抜けた後で横を見ると、アウルが小さな本の山に体重を預けて、大きなため息をついていた。

「ニコルって人使い荒い…」
「そうですか?」
「そうですか?じゃなくて、そうだから」
「そうですか」
「そう!」

ニコルはシンへ向き直る。

「僕はニコル・アマルフィです。初めまして、シン・アスカさん」
「あ、こちらこそ」

差し出された手に慌てて手を差し出した。
奥へ視線を移すと、いつの間にか移動したらしいアウルがレイに何か文句を言っていた。
そしてその横の机では、銀髪の少年が本を読んでいる。

「彼がイザーク・ジュール。僕と彼とで古代学研究をしています」
「え?たった2人だけ…?」

聞き返したシンに頷き、ニコルは彼を奥へと促した。
レイと目が合い、シンは少し曖昧に微笑む。

「俺、軍に入ることにしたよ」
「…そうか。彼女は?」
「うん。ちゃんと帰って来るなら文句ないって」
「あ、すっげえな。フレイさんらしい」
「確かにな」

レイも、それを聞いていたアウルも笑った。
ふと視線を動かすと、今度はレイとは少し違うアイスブルーの眼がこちらを見つめていた。

「お前がシン・アスカ…か」
「はい。あの…?」

首を傾げるが、彼の視線は少し下へ移動していた。
シンの左手へ。

「…その包帯は?」
「あ、これは…」

左手にずっと巻かれたままの包帯。
問われたシンはレイを見た。
するとレイはイザークを見、そしてニコルを見る。

「術が…掛かってますね」
「え?術?」

シンの左手を取ったニコルは、巻かれた包帯に僅かだが表情を険しくする。
読んでいた本を閉じ、イザークもシンの傍へ寄った。

「掛けたのはレイか?」
「はい」
「「……」」

訳が分からず、シンはただ首を傾げていた。
そういえば、最初にレイやアウルと会ったときも…こんな感じだったような。

「あの…何かあるんですか?俺の左手に」

溢れる疑問に耐え切れず、シンはそう尋ねた。
イザークが視線を上げる。

「らしいな。"黒い蝶"の紋様が」
「"黒い蝶"…?」

シンはレイを見て確認を取ると、巻かれた包帯を解いていった。
はらり、と包帯が解け、シンは久々に自分の左手を見た。
怪我も何もしていないのに包帯を巻く理由が、シンには分からない。
対して、包帯のないシンの左手を見たイザークとニコルは、ハッと息を呑んだ。

黒い蝶。

それはまるで、火傷か凍傷の痕のように痛々しくあった。
2人は思わずシンを見返すが、当の本人は首を傾げている。

「一体…何があるんですか?俺の左手に」

言葉に苛立ちが籠っている。

「レイもアウルも、それにあなた方も。
怪我もしてないのに包帯は巻くし、何もないのに驚くし…」
「「……」」

本当に、彼には見えないのだ。
この黒い紋様が。
小さくため息をつき、イザークは机の上に置きっぱなしだった資料を取る。
それは、少し前にレイとアウルに見せたもの。

「これと同じものが、お前の左手に刻まれてるんだ。
…どうやらお前には見えないようだがな」
「これ…が?」

何かの遺跡の写真。
そこに映る黒い蝶のような紋様が、左手にある?
シンは自分の左手をまじまじと見つめた。

いくら見ても、ないものは無い。

「この印はどうやら、前の時代の天使や悪魔を滅ぼした存在の証らしい」
「前の時代…?」
「信じる信じないは勝手だ。この遺跡の推定年代は、6500万年前だからな」
「…どれくらい前ですか?それ」
「あ、それ僕も分かんない。こう…ピンと来ないというか」

呟いたシンにアウルも同意の声を上げる。
ニコルがため息をついた。

「まあ…そうでしょうね。過去に戻れるわけでもないですし。
ただ、確信を持って言えることが2つだけあります」
「え?」

ニコルはシンの目をまっすぐに見つめる。

「貴方には見えなくても、貴方の左手には"黒い蝶"の紋様が刻まれている。
そして、"黒い蝶"の名は"破滅"。それだけは事実です」
「破滅…?」

その2文字の言葉が、シンの頭の中で反芻された。


ドコデ聞イタ…?
誰ガ言ッタ…?


「…っ?!」

ズキリと頭に激痛が走った。
反射的に両手で頭を抑えるが痛みは収まらず、逆に増す。

「シン?!」

倒れるシンをレイが咄嗟に支える。
しかしもう、シンにはそれすらも認識出来なかった。

意識が、消える。


「シン!!」


自分の名を呼んだレイの声が、遠くに聞こえただけだった。