デュランダルの要請を受け、イザークとニコルも国境の警備にあたっていた。
ただし、南ではなく北側の。


「本当に来ましたね…」

何も遮るもののない雪原に目を凝らして、ニコルが声を低くした。
雪の色に混じって分かりにくいが、それは相手も同じ。

アラバストロの軍隊だ。

思ったほど数は多くない。
それでも1個大隊はいるだろう。
偵察から戻ってきた部下の1人が、それを証明した。

「数は1個大隊に相当すると思われます。パルーデ軍にはまだ気付いていない模様」
「…気付いてない?」
「司令官がよっぽど馬鹿なんでしょうか?」

2人とも好き放題言っている。
しかしまあ、当然と言えば当然か。
イザークは少し考え込んだ。

「アラバストロの矛先を、何とかパルーデに向けられれば…」

それが出来れば大国同士、勝手に戦ってくれる。
両国とも他者廃絶論を唱えているため、アプサントからすれば一番良い方法だ。
ニコルも考え込む。

「悪魔がアラバストロ軍に攻撃を加えて、パルーデ軍の方角に逃げれば良いんですよね。
でも、僕1人ではちょっと不安が残りますよ」

ニコルも見た目に似合わず、隊長を任される程の実力の持ち主だ。
だがさすがに、奇襲を掛けるのに1人は無理がある。


「イザークさん!ニコルさん!」


聞き覚えのある声に振り向くと、シンが飛んできた。
レイは南側の警備だったか。
軍に入ったばかりのシンは、まだ正確な所属が決まっていない。
彼は2人の傍へ降りると雪原を見た。

「…アラバストロが来るっていうのは、本当だったんですね」

赤い眼が、いつにも増して赤く燃えていた。
家族を殺され、国を滅ぼされた憎しみの火が。
イザークとニコルは顔を見合わせ、ニコルが言った。

「シン、手伝って下さい」
「え?」
「誘導作戦です。僕と貴方でアラバストロ軍に奇襲を掛けて、パルーデ軍に気付かせるんですよ」

シンはもう一度雪原に目を凝らす。
しかし答えを出す前にシンはニコルに腕を引っ張られ、国境を越えていた。

「えっ?!ちょっとニコルさん?!」
「イザーク、こっちは頼みます!」
「ああ。2人ともやりすぎるなよ!」

半ば強引ではあるが、シンは奇襲作戦に加担することとなった。



シンもニコルも悪魔で、特にシンは雪の上では非常に目立つ。
そのため、かなり遠回りをして南側からアラバストロ軍に近づいた。
わずかにある木立に身を隠し、そっと様子を伺う。

だが、シンに抑えろと言うのも、無理な話だった。

「あいつらのせいで…!」
「シン?!」

ニコルの制止も虚しく、それを振り払ったシンは左手を掲げた。
赤い光が集まり、それは天に向かって一筋に伸びる。
それに気付いたアラバストロの天使たちが、臨戦態勢を取り始めた。

シンは左手を横に振り、それと同じく光の刃が横に一閃した。

レイやアウルを助けたときのように、その光は天使たちを薙ぎ払う。
鋭い爆音を伴った次の瞬間には、解けた雪が蒸発して辺りは真っ白だった。


ニコルは唖然として、それを見ていた。

(あり得ない…こんな力は、僕たちには無い)

あり得ない程の強大さ。
彼の能力値は、レイやアウルたちと同程度だったはず。
それがここまでの力を発するのは、明らかにおかしい。
しかし考えることを一時的に放棄して、ニコルはシンの腕を掴むと南へと猛スピードで飛んだ。
そのまま南の国境近くまで飛び、パルーデ軍がいるであろう箇所を掠めてアプサント国内へ逃げ込む。

後はもう、こちらがどうこうする必要はない。

城壁の目前まで飛び続けてようやく、ニコルは地面に降りるとため息をついた。
シンの行動は、いくら何でも無茶苦茶だ。

「シン、あれはさすがにやりすぎですよ」

掴んでいた彼の手を離す。
そういえばシンは、ここに来るまでずっと大人しかった。
感情の起伏が激しい彼にしては珍しいと思う。
振り返れば、シンは顔を伏せていた。
シンはふと思い出したように頭を振って目にかかる髪を手で払うと、口を開く。


「せっかく面白いところだったのに、何で邪魔するの?」


ニコルは身体を強張らせた。
驚きと恐れが同時にわき上がり、それぞれが動こうとする身体を拘束する。

自分の目の前にいるのは、シンであってシンではない。
赤いはずの眼は、鮮やかなアメジスト色だった。

「あ〜あ。この子の身体、結構使いやすかったのに…」

どこかで見たように、彼は自分の身体を見回す。
ニコルは嫌でも思い出した。
彼は・・・


「"破滅"…。なぜ、貴方がいるんですか…?」


ようやく分かった。
先ほど見た、シンのあの強大すぎる力。
強大にしていたのは、この"破滅"の影響だ。
以前ザッフィロ大学で否応無しに遭ったときも、"破滅"はシンの存在のまま話していた。
そして、自分たちを動けないほどに圧倒した。

では、なぜ眼の色が違う?

「ねえ、あの金髪の子はどこ?」

その問いにニコルは答えなかった。
シンであってシンではない"破滅"は冷笑を浮かべる。

「ふぅん…まあいいけどね。じゃあ代わりに、僕が賢い学者さんに良いこと教えてあげる」

"破滅"は手で自分の、正確にはシンの心臓の辺りを指差した。


「この子ね、シンって言うんだっけ?この子はもう、僕を受け入れてしまっているよ」


ニコルは咄嗟に声も出ない。
"破滅"の言葉は、誰が聞いても言葉を失うものばかりだ。
くすくすと笑って、彼はなおも問うた。

「ねえ、あの金髪の子はどこ?」
「……随分と、レイにご執心のようですね」

何とか声帯を動かして、ニコルは声を出す。
すると"破滅"は驚いたような顔をした。
すべてが演技なのかもしれないが。

「あれ?知らないの?」
「…何がです?」
「あ、ホントに知らないんだ。へえ〜凄いんだね、あの子」
「それは…どういう意味ですか?」

聞き返すが、"破滅"は含みのある笑みを浮かべるだけだった。

「じゃ、この子をちゃんと金髪の子のトコまで連れてってあげてね」

そう言った"破滅"は目を閉じ、支えをなくして倒れるシンの身体をニコルは慌てて支えた。
以前のときと同じく、彼は完全に意識を失っている。
どうしたものかと思案しているところへ、話題に上っていたレイが飛んできた。

「シン?!」

どちらにせよ自分だけでは彼を運べなかったので、ニコルは安堵の息をつく。
シンはレイに任せ、城へ戻ることにした。


気になることは、減るどころか増える一方だ。