静かに響き渡る二重奏。
パルーデを滅ぼしアプサントへやって来た【キラ】は、はてと首を傾げた。
「ねえ、これ聞いたことない?」
問われた【カナード】も頷く。
「…ある気がするな」
「うん。ずっと前の歴史のときかな?音律が同じ歌も他にあったし」
違う種族。
違う歴史。
それでも生まれる場所は、同じ"世界"。
「あの子たちは…国の外か」
一度支配した"器"との繋がりは、"器"が消えない限り消えない。
おそらく、今自分たちが見ているものは、彼らにも見えている。
【キラ】は明るい雲を見上げ、眩しげな笑みを浮かべた。
「そろそろ消えるね。あのレイって子が…」
【カナード】へ微笑むと、【キラ】はその場から姿を消した。
その目的が分かっている【カナード】は、ただ黙ってアプサントを見つめる。
"大気"が、その呼び声に答えた。
何もない雪原。
そこに踞る人影を見つけた【キラ】は微笑む。
「見たくないんだね。この国が…"世界"が滅ぶ様を」
シンはレイに縋るように、抱く腕に力を込めた。
そして【キラ】を見据える。
「そうやって滅ぼしていって、なんで笑える?!何が楽しいんだよ?!」
叫ぶシンに、【キラ】は目を細めた。
「人聞きの悪いこと言わないでくれる?」
「なに…」
バサリと羽ばたいて、【キラ】はシンを見下ろす。
「僕とカナードは"世界"によって呼び出され、役目を終えれば眠りにつく。
"世界"が瀕死の重傷を負う前に、再生が可能なうちにそれを行うだけの存在」
「……」
「分かる?僕らに"感情"なんてものはない。
あるのは互いに対する"意識"と、役目を果たすだけの"興味"と"力"と"知識"だけ」
「感情が、ない…?」
呆然と呟いたシンに、【キラ】は嗤う。
「とてもそうは見えないって?昔っからそう言う人ばっかりだったけど」
「昔…?」
「"世界"を再生させること。新たに生まれるイノチを見届けること。
そして"すべての過去"をカタチに遺すこと。それが僕らの役目」
「アンタたちの…役目…?」
【キラ】は底知れない笑みに言葉を乗せる。
「そうだよ。君たちは寿命が短すぎて、"自分が生まれた理由"なんて知らないんだろうけど」
「…自分が生まれた、理由……?」
そんなものは、知らない。
シンは【キラ】の宝石のような目を見つめる。
空を仰いだ【キラ】は言った。
「"世界"はね、イノチを生み出し続けたいんだ。だから、瀕死の重傷を負うわけにはいかない。
…イノチを育む"世界"。その"世界"は、イノチを育むことで生きる」
命と世界。
片方でも消えれば、全てが無に帰す。
「"世界"…」
その話は、シンに理解出来る範疇を越えていた。
【キラ】は緩やかに流れる風を見送る。
「シン・アスカ。君の役目は、まだ終わっていない」
「え…?」
顔を上げたシンへ向けられたのは、何を問うことも許さない綺麗な笑み。
…"絶対者"は告げた。
シン・アスカという存在へ与えた役目を、ただ簡潔に。
「君がレイ・ザ・バレルに追いつくのはずっと先の話。
僕たちの領域に入った君は、"これからの歴史"を綴ることになる」
歴史を綴る生無き者。
ゆえに『死者の書』。
生者は歴史を織りなす者。
ゆえに滅ぶ。
他ならぬ、"世界"によって。
【キラ】が去った後。
シンは言われた言葉をひたすら反芻していた。
「歴史を、綴る…」
とんでもないことを告げられたものだ。
レイを見ると、彼は苦笑していた。
「大層なことを…押し付けられたな…」
パキパキ、と何かが凍る音が聞こえ始めた。
それは断続的に響き続ける。
まだ、シンとレイには聞こえない。
シンは困惑しながらも笑みを浮かべた。
「うん…。でも俺、思い出したよ。オーベルジーンが滅んだとき、俺は確かにあの2人に会ったんだ」
「…どこで?」
「分からない。あの2人しかいない、真っ白な場所だった。それで言われた。
"君は世界が生まれて初めての、生き証人になる"って。
あと、こうも言われた。"君は一度死んだも同然だ"って…」
なぜ今になって思い出したのか。
忘れたはずなのに。
「たぶん、今まで誰も居なかったんだ。実体化する前の"破滅"に会った人は」
「…そうか」
関わった記憶は、消えたはずなのに。
それとも、これも与えられた"役目"のうちなのか。
「うん。ごめん、レイ…」
「…なにが?」
シンはすぐには答えなかった。
ただ、パキパキと凍りついていく音だけが聞こえる。
それは2人のすぐ足元にまで来ていた。
命が凍り、消える音が。
「すぐレイに追いつけるって思ってたから。…だから、ごめん。
いつ終わるか分かんない役目なんか渡されてさ。どーしよ…」
涙が一雫、シンの頬を流れた。
それはきっと、最後の。
レイはその涙を拭ってやると、両手でその頬を包み込んだ。
見上げてくる蒼い目を、シンはじっと見つめ返す。
「レイ…?」
「心配しなくても、ちゃんと待っててやる」
「え…?」
レイはふっと微笑んだ。
「俺が先なんだから、そんなものは当たり前だろう…?」
この微笑みを見るのも、これが最後で。
少なくとも、渡された"役目"を終えるその時までは。
シンも微笑んだ。
儚く、けれど幸せに満ちた笑みで。
「ありがと…レイ……」
もう自分の体温すら感じない。
静かに重ねた唇は、互いの最後の温もりだ。
別れと再会の、約束を。
木が、雪が、大地が、凍りの静寂に呑み込まれていく。
大気が形を変えた風が、絶対零度の静けさを運ぶ。
アプサントは誰も気付かぬまま、その静けさに包まれていった。
町を行き交う天使。
笑いあう悪魔。
町も、城も、何もかも。
凍りの中で、歌だけは消えず遺った。
天使と悪魔の静かな二重奏。
奏でる子守唄は、"世界"をしばしの眠りへと誘う。
「レイ…ありがとう」
凍りの眠りについた彼にもう一度口付け、シンは己を包み始めた静寂を見つめる。
足はすでに凍り付いた。
翼も凍ってしまって動かない。
「俺は、どこに行くのかな…?」
霞む視界で、"黒い蝶"が舞ったような気がした。