「レイ…お前も見たよな?」
「ああ…」

気を失ったシンを再びベッドへ寝かせ、レイとアウルは深く考え込む。
彼の左手。
彼は何もないと言う。
けれど自分たちには、見える。

『黒い蝶の紋様』が。

「何もないって言ってたけど、じゃあ何で痛がったりしたんだろ?」
「……」
「それに、気失う前に"だれ?"って言った」
「……」
「…なんか言えってば」
「言えないから黙っている」
「……」

2人は黙り込んだ。

あの『蝶』は、何なのだろうか。
シンには見えない、奇怪な黒い傷跡。
今の時点で分かることは、あの黒い傷が誰かの手によって付けられたということ。

レイはため息をついた。

「…仕方ない。出るついでに聞いてみるか」
「あ、もうそんな時間か…。1人で残して大丈夫かな?」
「そう思うしかないだろう」
「だよな〜…。ついでに誰か頼める人探そうぜ。名前もさっき調べて来たし」
「そうだな」

パタンと扉が閉まり、部屋の中には眠るシンの他に誰もいなくなった。





「……?」

目を覚ませばすでに部屋の中は暗く、シンは自分がどこにいるのか理解するのに時間が掛かった。

レイの姿もアウルの姿もない。
けれど、別に不安にはならない。
たとえ不本意でも、独りでいることに慣れてしまっている。
ベッドから降りて部屋の中を改めて見回すと、鏡を見つけた。
今の自分は、どんな顔をしているのか。
ふいに浮かんだその疑問に釣られて、シンは鏡を見た。

「…?!」

後ろを振り返る。
もちろん、誰もいない。
それなのに、誰かの笑い声が聞こえる。


『そんなに怯えないでよ。怯えるほどのことじゃないと思うけど?』


後ろからの声に驚き、鏡へ向き直る。
鏡の中に映る自分の隣に、誰かが立っていた。
左手にズキリと激痛が走る。

「だ、れ?」

右手で左手を抑え激痛を堪えながら、シンは鏡に映る誰かに尋ねた。
暗くて相手の顔は見えない。
その誰かは、またクスクスと笑う。

『あ、そっか。僕ら名乗ってなかったね。でもまだ名前はいらないんだ。
だってまだ、"世界"は僕らを必要とするほど差し迫っていないから』

何を言っているのか、理解出来ない。
いや、理解したくない。
シンは鏡から視線を外そうとしたが、まるで金縛りにあったかのように動けない。

『でも僕らがここにいるってことはもう、"世界"は君たちを己を滅ぼすものと定義したってコト。
滅びの道は君たちの傍に』

手が、伸びてきた。
鏡の中から。
左手を抑える右手に触れたその手は、驚くほどに冷たかった。
反射的に右手を離してしまい、鏡からの手は痛む左手に伸びる。


『黒い蝶。それは僕らが過去にも遺した足跡。
それに気づいた人なら、何か知ってるかもしれないよ?』


黒い蝶?

冷たい手がスッと左手の甲をなぞった。
すると嘘のように痛みが消え去る。
そしてその手は、鏡の中にするりと戻っていった。
また楽しそうな声が響く。



『君の目。君の声。そう、君という存在。僕が借り受けるよ』