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「立派なもんだな…」

ボギャブラリーが貧相なことは百も承知で、ネオは目の前の屋敷を見上げた。
彼に続いて車を降りたスピネルは、軽く肩を竦めただけ。
アズラエル家の屋敷は、庭部分も含めるとかなりの広さだった。
そう、『豪邸』と呼ぶのが相応しい。
ネオが運転手に何事か告げているのを横目に、スピネルは門の前に立つ。

(2年…いや、もっと帰って来てないか…)

初めてこの門を潜ったのは5年前。
スピネルには、その日を含んだ1年間の記憶が無い。

門の前に立てば即座にセキュリティが起動し、カメラの音が聞こえた。
それを確認してから取っ手に手を掛ければ、カシャンという音と共に外門がゆっくりと開く。
後ろを振り返ると、ちょうど車が走り去るところだった。
訝しげなスピネルの視線に気付いたネオは、軽くため息をついてみせる。
「やはり軍の人間だったな」
「……」
スピネルは何もリアクションを返さなかったが、おそらく予想はしていただろう。
"今の"連合軍は、彼にとって味方ではない。

彼にとって問題なのは、ネオが仮面を付けていないことだった。
…ネオ・ロアノークという人間は、戦友であった故ムウ・ラ・フラガに瓜二つなのだ。
スピネルの中で小さくはない存在であったフラガは、前大戦終盤に死んだ。
あろうことか、スピネルの目の前で。

何とも為しに見ていると目が合ってしまい、スピネルは不自然だと分かっていて顔を背けた。
この屋敷に居る間、ずっとこうなのだろうか。
(息が詰まりそうだ)
自分に非はない。
かといって、ネオに非があるわけでもない。

非が在るならばそれは、『偶然』という産物だ。

久々に足を踏み入れた前庭は、記憶に残るものと相違なかった。
外門から屋敷の玄関まで、少なく見積もって20m。
懐かしさに、幾度かスピネルの足が止まる。
「!」
芝を掛ける足音がいくつも聞こえてきた。
(…屋敷に犬ってのは、お約束なのか?)
スピネルへ飛び掛からんばかりに戯れついたのは、3匹の大型犬だ。
ネオは低く唸りこちらを警戒する犬たちに、さすがに賢いな、と感心する。
屋敷の玄関扉が勢い良く開く音がした。


「スピネル様…っ?!」


メイド服の少女の声が、悲鳴のように響いた。
続いて執事であろう初老の男性や、メイド頭らしい女性、警備の人間や他の使用人たちが出てくる。
少女ーーソウカーーはスピネルへ駆け寄った。
「スピネル様…本当に、本当に、生きて…!!」
メイド頭であるマリーや執事のクーロンも、衝撃のまま駆け寄った。
「よく…ご無事で…」
犬たちを撫でるのを止めて、彼女たちが待ちわびていた主は立ち上がる。
ふわりと穏やかな笑みを浮かべ、音にはならなかったが、彼は確かに言ったのだ。

【ただいま】

と。



心配ばかり掛けていた。
謝りたくとも言葉という形には出来ない。
スピネルは泣き出してしまったソウカが泣き止むのを待って、ポケットからメモ用紙とペンを取り出す。
「スピネル様…?」
何も言わないスピネルに対し、クーロンはすぐに疑問を感じたようだ。
彼らは示されたメモ用紙に、文字通り言葉を失った。

【ごめん。声、出ないから】

驚愕した彼らに、スピネルは後ろを振り返りネオを見る。
そこで初めて、マリーたちはもう1人の存在に気が付いた。
犬たちの威嚇から解放されたネオは、やれやれと内心で息をつく。
屋敷の住人たちへ一礼してから、事情を話し始めた。
「ネオ・ロアノークという者です。大西洋連邦所属の軍人だが…今回はただの護衛役で付いています」
「メイド頭のマリーと申します。失礼ですが、護衛…というと?」
軍人であることに驚かない彼らは、突発自体に慣れているのだろう。
ネオは頷き、スピネルを示す。

「この少年の周りは、静かではありませんから」

それだけで察してくれたようだ。
マリーはクーロンへ頷き、使用人たちは屋敷への道を開けた。

「とんだ応対で、失礼致しました。続きは中で」



アズラエル邸は、マリーたちの予測以上に大騒ぎになった。
何しろ完全に音信不通であった1年を加えて、2年以上も主に会っていない者がほとんどだ。
…記憶力は悪くないスピネルは、すべての使用人の顔と名前を覚えている。
その中で、たった1人だけ知らない人間が居た。
クーロンを見ると、彼は察しよく頷く。
「夜間警備に付いていた者が患いまして、新たに雇ったのです」
とりあえず顔と名前を覚えて、スピネルはリビングへ行くことにした。
自室へ戻るよりも先に、いろいろと聞くべきことがある。

(話せないって、意外と不便だな…)

今までは、ほんの数人との付き合いで済んでいた。
だがこうして元居た場所に戻ると、字を書くタイムロスが響いてくる。
しばらくの間は、聞き役に徹した。
ネオが足りない部分を尋ねてくれるので、有り難い。
…さすがに彼は、声の無いスピネルとのやり取りに慣れている。

「スピネル様。明日にでも、奥様と懇意にしていた弁護士を呼びましょう。
状況はあまり…芳しくないのです」
【任せる。法律については分からないから】
「畏まりました。…また、出掛ける予定がお有りですか?」
【たぶん、ないと思う】

そこで横に座るネオを見た。
スピネルの退院日が決まってから、幾度となく話題にされてきたものだ。

ネオは大西洋連邦に所属する人間であるが、『特殊』と名のつく部隊に属している。
…諜報や工作を専門とする『Phantom Pain(地球連合軍独立機動群』。
連合軍という枠の中で独自の組織性を持つ彼らは、つまり軍の暗部を意味する。
ネオの上司は、連合でもっとも力のある女諜報員だ。
このスピネル・フォーカスという人物の生存を、居場所を、最初に発見した。
彼という存在を保護する重要性に、逸早く気がついたのも彼女であろう。
…利害というものは、常に紙一重だ。
大きな力は利用価値が高く、故にその力に脅かされる者も多い。
(まあ、彼女も利を見たに違いない。そのうち足元を掬われるが)
人を利用することが大好きなあの女性は、スピネルをとことん利用するつもりだろう。
知っていて利用されてやっている、この少年もどうかと思うが。
ネオは軽く肩を竦め、言った。

「様子見…というより、四方八方の動きを待つことが重要です」

連合軍に限らず、戦争を産業にしている企業や、話題を求めるメディアの各方面。
ブルーコスモスや、もしかするとプラント側も関わって来る。
…物は言い様だ。
常に戦火の中に居た子供が、自分の家でゆっくりしてもバチは当たらない。
どんな目的があるにせよ、スピネルに動きが無いことを喜ばない連中は、居ないのだから。

彼が精神的にも落ち着ければと、ネオは半ば本気で願っていた。