2- 8

アスランは海岸沿いに立つ孤児院へやって来た。
子どもたちに案内されて、奥の部屋へと赴く。
「ラクス…?」
こちらを振り向いた彼女は、慌てて目を擦った。
「まあ、アスラン。カガリさんの護衛は大丈夫ですの?」
「…ええ。彼女の頼みでもあったので」
泣いていたのであろう理由を、アスランは敢えて尋ねなかった。
勧められた椅子に腰を下ろしてから、さてどう切り出そうかと悩む。

「…ラクス。今のプラントの情勢を知っているか?」

ハッと目を見開いた彼女の様子を見なかったことにして、続ける。
「つい先刻、政務庁で首長会議があったんだ。やはりというか、どうも先行きが怪しくて…」
「プラントを許せない、ということですのね」
「そうだ。大西洋連邦と条約を結ぶという話が進んでいて…」
途切れた彼の言葉に首を傾げると、アスランは軽く頭を振った。
「いや、違うんだ。プラントについての話は、それじゃないんだ」
「え?」
アスランは持っていたノートパソコンの電源を入れると、ラクスが使っていたデスクに置く。
椅子ごとそちらへ移動して、映る画面を切り替えた。

「これがどういうことか、分かるか…?」

ラクスは示された画面に息を呑む。
「これ、は…これは、どういうことですか…?なぜ、私が…?」
慰霊碑で告げられた言葉が、甦ってくる。


『じゃあアンタは、偽物?』


配信時刻は、今より20分前。
画面に映っていたのは、雑誌記者のインタビューに答える"ラクス・クライン"だった。
「そんな…どうして……?私は、ずっとここに…」
驚愕に混乱する彼女へ、アスランは自身の推測を告げる。
「貴女のことは、俺とカガリが一番良く知っています。だから、この"ラクス・クライン"は…偽物」
「!」
「しかし、プラントの人々は本物だと思っているでしょう。地球の人々も。
なぜなら、貴女が亡命したことを知るのが、ほんの一握りの関係者だけだから」
アスランは一度言葉を切る。
「…デュランダル議長も、知らないのかもしれない。"ラクス"がどこに居るのか。
カナーバ前議長とは、そういう約束でしたから。それに…」
だからと言って、自分たちに何か出来るわけではない。
亡命している身では、表立って声を上げることも、抗議することも。
ラクスは両手を握り締め、視線を足元へ落とした。
(何かが、起きている。ユニウスセブン崩壊も何もかも、『世界』という枠で)

『世界』の中の、『ラクス・クライン』。

"名前"という単語の、なんと恐ろしいことか。
ラクスは極力静かに、言葉を吐き出す。
「…アスラン。ここからずっと東へ行った海岸に、慰霊碑が建っているのをご存知ですか?」
「慰霊碑?いえ…」
「今日、花を手向けに行ったのです。そこで、16歳くらいの男の子に出会いました。
あの場所で、ご家族を亡くされたと。あの大戦で」
「……」
アスランは黙って、ラクスの言葉に耳を傾けた。
ラクスは視線を上げないまま、自分の両手を見つめる。

「『力を持っているのに、与えられているのに、なぜ使わないのか』と、怒鳴られました。
『プラントを捨てたのか』と、『アンタは偽物なのか』とも」

彼女が慰霊碑で出会った少年は、ラクスが『ラクス・クライン』であると知っていたのだろうか。
"偽物"という言葉からして、プラントにも『ラクス』が居ることを知っていたのか。
それともただ、瓜二つの人物に驚いたのか。
ラクスは開いていた両手をぐっと握り、声を震わせた。

「恐ろしかった。私が考えたくなかったことを、あの子は全部暴きました。
あの子は私が『逃げた』と言った。…その通りです。
私は亡命という形で、プラントから逃げました。戦場から…政治の世界から、すべてから。
『逃げたお前を許さない』
あの子が言いたかったのは、間違いなくそれでしょう。
第三勢力を率いた者としての責任を放棄した私を、許さないと」

握り締めた両手に、ぽたぽたと雫が落ちる。
「私…私は、間違っていたのでしょうか?歌い続けることを止めた、私は。
…"彼ら"を返してくれなかった世界に望みを失くした、わたくしは」
誰が、その正否を判断出来るというのだろう。
アスランはそっとラクスを抱き寄せ、何も言わず彼女の泣くに任せた。

(言えるわけが、ない)

ジェネシスが崩壊した、あの日。
キラとカナードの帰還を誰よりも強く望んでいたのは、ラクスだった。
…24時間経っても戻って来ないと知った、彼女の表情を。
宿る光が一気に砕け散ったような、一瞬にして鮮やかさを失った彼女の眼を。

アスランは今でも、忘れることが出来ない。





「次は大西洋連邦の出方を待つ、かな?」

ヘッドホンを外し、キラは大きく伸びをした。
情勢が動くのは、少なくとも夜中だろう。
そんな軽めの予想をしておいて、キラは機械の詰まる部屋を出た。
(ん〜、なんか食べるものなかったかなあ…?)
キラがこの部屋での寝泊まりを始めて、数日が経つ。
昔も今も自分に縁のない調度品ばかりで、未だに物の場所も使い方も慣れない。
「あった、冷蔵庫。へえ、結構品揃え良いね。補充してくれたのかな?」
適当に見繕って、今度はポットを探す。
…そこへノック音がした。

「お茶をお持ちしましたが、よろしいですか?」

ソウカの声だ。
ナイスタイミング、と呟いて鍵を開けに行く。
「監視カメラとか付いてるわけじゃない…んだよね?」
「はい。付けても無意味だとロンド様が」
「ふぅん…」
ソファに腰を下ろし、キラは冷蔵庫から取り出したチョコレートの袋を開けた。
目の前のテーブルでは、綺麗な琥珀色をした紅茶が入れられている。
「ねえソウカさん。前も聞いたけど…」
「はい」
ティーカップを受け取り、湯気の向こうに彼女の目を捉える。

「本当に、1年前に雇われたばっかり?」

ヨーロッパ系の青い眼が、そっと伏せられる。
「…ロンド様にお声をかけて頂いたのは、1年前です。
ですが、お屋敷にお仕えするのは初めてではございません」
彼女の言う"屋敷"は、普通に言い表される"資産家の屋敷"ではなさそうだ。
キラという"特殊な部外者"に対する接し方や、あらゆる仕草に慣れがある。
なんと切り替えそうかと迷ったキラへ、ソウカが話し掛けた。
「シャヘル様。私は"GARMR&D"のお2人に会えたら、どうしてもお伺いしたことがございました。
私の過去と等価に出来るものなら、どうかお答え頂きたいのです」
「え?」
背の低いテーブルに会わせて膝をついたまま、ソウカはキラを真っ直ぐに見上げた。
それを見返して、キラは首を傾げつつ頷く。
「僕に答えられるものなら、構わないけど。時間はあるし、君の時間が許すなら」
礼と共に頭を下げたソウカに、向かいのソファへ座るよう即した。
彼女は幾度か渋ったが、根負けする形でキラの向かいに腰を下ろす。
…目を伏せて逡巡し、長い沈黙を挟んで。
ソウカは震える声で懇願した。

「スピネル・フォーカスという方を、貴方が知るスピネル様のことを、教えて下さい。
あの方がAAに居た間だけでも構わない…!」

キラは目を丸くした。
「スピネル…?」
互いにMSを認識しただけで、確証はない。
…ただ、あれは彼だろうと。
"ストライク"という名前を扱えるのは彼だけだろうと、確信を持ったことは本当だ。
「なぜ君が、スピネルのことを知りたいの?」
堪え切れずに流れた涙が、ソウカの頬を濡らした。
「私が以前お仕えしていたのは、ムルタ・アズラエル様の屋敷です」
「アズラエル?ブルーコスモスの盟主だった、あの?」
「はい」
彼女は頷き、流れる涙を拭った。
(ムルタ・アズラエル。確か、ドミニオンに乗っていた。スピネルと同じ…同じ?)
「スピネル様は、ムルタ様…旦那様のご養子です」
「え?!」
本気で驚いた。

「6年前、スピネル様はテロでご両親を亡くされました。彼を引き取られたのが、旦那様です…」





このまま仮眠を取ってしまおうかと考えた、ちょうどそのとき。
『カナード。依頼主から緊急ダイヤルです』
ほぼ副艦長と同等の位置に居る、特務時代からの同僚の音声が響いた。
たった今電源を落とそうとライトに伸ばした手を、そのまま通信機へ伸ばす。
「…そっちでの応対は不可能なのか?」
『宛名がオルテュギアではありませんから。繋ぎますよ?』
「分かった」
ベッドから身を起こし、カナードは面倒だという表情を隠さずモニターの電源を入れた。

『こんな時間に悪いわね。情勢が、思ったよりも速く動いてしまって』

女言葉を話されることにも、だいぶ慣れて来た。
モニターに映るマティアスという男に、カナードはそんなことを考える。
…インドシナ海に面した海岸。
そこに停泊している戦艦は、"オルテュギア"という名の傭兵部隊の本拠でもある。
かつてキラとカナードが属していたユーラシア連邦特務部隊の、現在の姿。
"GARMR&D"と、もっとも多く共同戦を張っている部隊だ。
カナードはそのオルテュギアの一室で、今回の依頼主へ問う。

「あんたがそうやって笑うくらい、大きな動きがあったのか?」

マティアスと呼ばれた男は、苦笑した。
『察しが良くて助かるわ。任務遂行予定日を、2日ほど早めてもらいたいの』
「なぜ?」
『貴方に渡したルート。最初に指定した期日では、"獲物"が出荷されてしまう可能性がある』
「…何があった?」
大本を質す言葉に、マティアスは笑みを消した。


『つい5分前。開戦と同時に、プラントへの核攻撃があったわ』