カタギリもマネキンも、身体の中を光が通り抜けたような不思議な感覚を覚えた。
「これは…」
気づけば、周囲の景色が光の中に消えている。
上も下も、右も左も、ない。
「これは…これが、意識を共有する空間なのか」
呆然としたマネキンの声に、ティエリアが首肯した。
「そうだ。刹那の力は誰よりも強い。
機体の補助無しでも、この程度の範囲であれば意識を繋げることが可能だ」
何よりここには、意思を媒介する粒子が満ちている。

…声が、聴こえた。
細く、高い声が。

【コッチニ来ナイデ】
【私ヲ見ナイデ】

悲しみと孤独に木霊する、張り裂けそうな声が。

白く光る霞の向こうに、人影が揺れる。
刹那はそちらへと1歩足を進めた。
【こないで!】
甲高い声が、飛ぶ。
声に逆らわず刹那は足を止め、霞む人影を見つめた。
【どうしてここにいるの? どうしてわたしのなかにはいってくるの?】
これは、あの少女の声だろう。
眠り続けている少女は、目覚めている意識の中で泣いている。

【わたしはいやなの。みられたくないの。いやなの、いや! みないでよっ!!】

目に見えぬ波が、襲いかかってきた。
カタギリは足元がよろめき、同じくぐらりと傾いだマネキンを慌てて支えた。
「顧問、大丈夫ですか?」
支えにホッと息を吐き、マネキンは頷く。
「ああ、ありがとう。博士、今のは…」
「…ええ。彼女の脳量子波でしょう。我々に敵対し、押し返そうとしている」
イノベイターではない自分たちには、十分な脅威だ。
(だが彼らにとっては…そよ風か)
遥か彼方、異星まで旅をしてきた刹那とティエリアには。
動じない2人に恐れを覚えたのは、どうやら少女も同じであったようだ。
人影が振り返り、声を震わせた。
【どうして…】
怯えの混じる声音に、ティエリアはあっさりと告げる。
「君を待っている人が居るから、僕たちは君を連れ戻しにきた。それだけだ」
マネキンやカタギリにしてみれば、もう少し優しく言えないものかと苦い思いが湧く。
しかし刹那にしてみれば、それが常のティエリアだ。
人影は1歩こちらから離れ、激しく首を横に振る。
【いや、ぜったいにいや!】
「なぜ?」
【あなたもわたしをみたんでしょう? わたしはにんげんじゃない! にんげんじゃなくなった!
へんなものにとりつかれて、にんげんじゃなくなっちゃったの!】
ティエリアが相槌を打たずにいると、甲高い声が溢れてくる。

【どうしてわたしなの? わたしはなにもわるいことなんてしてない!
わたしはなにもわるくない! わるくないのに、どうしてわたしが…っ】

ああ、その通りだ。
声に出せず、マネキンは霞の向こうに隠れる少女を哀れんだ。
(そう、彼女は正しく被害者だった)
けれど今、彼女は生きている。
取り憑いた直後、『ELS(エルス)』が活動を停止したおかげで。

【わたしはもうにんげんじゃない…。とうさんもかあさんも、ぜったいにきみわるがる。こわがる。
にんげんじゃなくなったこどもなんて、いらないよ】

それは違う、とカタギリは声を上げようとした。
彼女の両親は、彼女が目覚めるのをただ願っている。
彼女の姿を、気味が悪いなんて言ったことも無い。
ただ目覚めてほしい、もう一度会いたいと、願っているだけなのだ。
しかしカタギリが言葉を発する前に、ティエリアの声が響いた。
「君が目覚めないのは君の勝手だ」
カタギリもマネキンも、思わず彼を見た。
先ほどと言っていることが矛盾している。
【だったら…】
「しかし、君はあまりにも勝手過ぎる」
義務的であった彼の声に、明確な怒りが乗った。
少女の声が、険に圧されて押し黙る。

「君が『自分は人間じゃない』と言う度に、僕は僕の大切な人を『人間じゃない』と言われているんだ。
…実に不快だ。不愉快極まりない」

【え…?】
初めて、人影がこちらをしっかりと目に留めた。
結晶化した金属が、霞の向こうでキラキラと乱反射する。
左半身を金属の結晶で覆われた少女は、揺らめく金の右目を丸くしてティエリアを見つめていた。
問い掛けの視線を受けたティエリアは、ふっと息を吐く。
彼の視線は、沈黙を守る刹那へと向けられた。
外された視線を追った少女の瞳が、刹那の姿を見つけて釘付けになる。
【あなた、は…】
刹那はまだ、何も言わない。
今はティエリアが、語る。

「長い旅の、話をしようか」



光を携えた若者へ、


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10.9.25

これが僕らの辿った道。


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