〜プロイセンの皇子 IV
彼らは礼を解き、カナードが口を開いた。
「エリア21・22共に、権限は新政府への委譲を終えております。
新政府はエリア以前の政府要人に、こちらの人間を加える形で収まりました。
ブリタニア駐留軍と現地軍の融和も円滑に進み、治安警戒レベルは平均水準と同じく」
どよめいたのは、他のエリアで総督や副総督に就いている者たちだ。
帝国の属領となった国々では、平均して3年は治安が安定しない。
テロリズムの燻りやブリタニアからの植民の滞り、名誉制度の破綻等々。
理由はいくら上げてもキリがない。
しかし、これはどうだ。
…エリア21(現シリアとレバノン)、エリア22(現ヨルダンとイスラエル)。
それぞれが、6ヶ月前と3ヶ月前に成立したばかりだというのに。
第2皇妃ヴィアが長男、カナード・イーグ・ブリタニア。
第9皇子にして皇位継承権は第8位、しかし継承順位は1位と2位を行き来する。
…順位を争う相手は、言わずと知れた第2皇子シュナイゼル。
彼らは帝国の後継者論争を二分し、その波は国外でも例に漏れない。
チェスにおいて『キング』であるカナードを、『クイーン』の如く絶妙な形で補佐するのが実弟だ。
ヴィアの次男、第10皇子にして第9位皇位継承者である、キラ・イーグ・ブリタニア。
争いを好まないというブリタニア皇族には珍しい性格も伴い、妥協や仲裁も得意分野に入っている。
政治面でも戦闘面でも総じて事を動かすのはカナードだが、一般に顔を知られているのはキラの方だ。
つまり彼ら2人を言い表すなら、『対照的』という一言に尽きる。
雛壇から降りて来た第2皇妃と言葉を交わす彼らを、誰もが注視していた。
ヴィアが頷いたのを見て、皇帝は満足げに嗤う。
「相変わらず見事な手腕だな、お前の息子たちは。
カナード。お前には引き続き、東欧・中東平定を任せよう」
「…御意」
肯定と礼を返したカナードとキラが、皇族の並ぶ列に退く。
皇帝は玉座から立ち上がり、天へと拳を掲げた。
「さあ皆の者。今宵、我らが神聖ブリタニア帝国のさらなる発展を誓おうではないか!」
「「「Yes,your Majesty!!」」」
再びオーケストラの伴奏が始まり、舞踏会の華やかさが会場を包む。
ホッと息をついたルルーシュの耳に、記憶からほとんど変わっていない声が届いた。
「ルルーシュ!!」
その明るい声は、とてもよく響いた。
声の主は目を剥いている他の皇族など欠片も気に掛けず、シュナイゼルの隣に居たルルーシュへと駆け寄る。
「…キラ、兄さん」
一番仲の良かった異母兄。
ルルーシュは嬉しそうに笑った彼に、数週間前とは別の安堵を覚えた。
(変わらないものも、本当にあるのか…)
言葉を呑み込んでしまったルルーシュの手を取り、キラは目を細める。
「もう、気付いたら10年も経っちゃったよ。ルルーシュにしては、ちょっと時間食い過ぎたんじゃない?」
いきなりそう来るか。
自分の力をそれだけ評価してくれていたのだろうが、無茶を言われている。
なので、ルルーシュは言い返した。
「…これでもかなり頑張ったのですが」
「確かに、年齢もあるから5年以上は掛かると思ってたけど。でもそれにしたって…。
おかげで僕たちは、5年もハンデを背負うハメになった」
「え?」
何のことかとキラを見返したルルーシュは、同じアメジストに悪戯な光を見つける。
「だって、ルルーシュが言ったじゃない」
第2皇子であるシュナイゼルを、自分の力で助けるのだと。
「それなら僕は、カナードと一緒に母様の願いを叶えるって」
…思い出したのは、幼き日の記憶。
幼いながらに決意したことを、この兄に告げた日。
それを自分のことのように喜んだキラは、その後に言ったのだ。
『じゃあ僕は、兄上とルルーシュに負けないように、カナードを助けるよ』
この人は、あのまま大人になったのだろうか。
穏やかな笑顔はそのままに、中身は油断のならない猛禽のように。
だからルルーシュも、『ゼロ』を思い起こさせる笑みを口元に乗せた。
「負けるつもりなんて、ありませんよ?」
日本という国を取り戻したこの力と、一国の後ろ盾を以て。
シュナイゼルを皇帝に、ブリタニアという巨大な帝国を崩壊させる為に。
「帰国早々、物騒な話をしてんじゃねーよ」
ぞんざいな口調と共に、誰かの手がキラの頭を軽く小突く。
「コーネリアが近々、トルコ辺りを落としに出向くそうだ。少しは休ませろ」
「だって!せっかくルルーシュが帰って来たんだから」
「尚更だ。ルルーシュの方も、まだ地盤は固まってないだろうが」
会話の中に、必要な主語が抜けている気がする。
唖然としているルルーシュに、もう1人の異母兄はにやりと笑った。
「華々しい帰還をしたそうじゃないか。ルルーシュ」
己が好んで黒を着ているという自覚はある。
しかし目の前の人物ほどに黒を従えることが出来るかと言えば、NOだ。
キラの場合とは違い、ルルーシュは敬意を持って軽く頭を下げた。
「お久しぶりです。カナード兄上」
いや、半分ほどは理由がすり替わっているだろう。
シュナイゼルに注意されたばかりだというのに、カナードの持つ存在感に呑まれてしまっている。
「お前、『ゼロ』になってから何年目だ?」
けれど会話の内容を除けば、まだ母が生きていた頃のような感覚に陥る。
「もうすぐ4年…ですね」
「余力を残したままの降伏とはいえ、一度は完全に制圧された国だ。
右腕には申し分無いな、シュナイゼル」
話題を寄越されたシュナイゼルは、呆れたように微笑を浮かべた。
「やれやれ、その好戦的な性格は治らないのかい?」
「好戦的で結構。しかし…ランスロットはさすがだな。紅蓮弐式ってのも相当なものだ」
回って来た給仕の手から、キラとカナードはそれぞれにグラスを受け取る。
「紅蓮弐式はルルーシュのKMFだ。ラクシャータ・チャウラーの技術さ」
「へえ、あいつ日本に居たのか」
2人の兄の会話を横に聞きながら、キラはルルーシュへ尋ねる。
「ねえルルーシュ。ナナリーは?」
「元気ですよ。優秀な騎士たちが付いてますから、大丈夫です」
咲世子は実際、とても優秀な騎士だ。
C.C.とマオという、一部人外だが頼りになる者たちも傍に居る。
「そっか、なら良かった。相当なダメージを受けていたから、気になってて。
10年も経っちゃったけどね。また会える機会が出来たら良いな〜」
彼は心底ホッとしたようで、ルルーシュも知らず柔らかな笑みを浮かべていた。
キラもカナードも、こちらの事情をおおよそ把握した上で言葉を発している。
…ルルーシュが確実に不利になる事柄を、意図的に避けて。
そうとは簡単に気付かせない辺り、やはりさすがだと思う。
(いつか、会える機会があれば)
決して廃されない優しい世界を創れたならば、そのときはナナリーと共に。
ルルーシュの姿を中心に据えながら、スザクとカレンは大広間の人間たちを観察する。
ステップを踏む人間も、談笑に花を咲かせる人間も。
ほんの少しの危惧を抱きながら、豪華な食事へ手を伸ばす人間も。
誰もの意識が、同じ場所に向いている。
「(私たちも例に漏れないわね)」
「(ああ、確かに。でも、これでよく分かったよ)」
「(何が?)」
何かに納得したらしいスザクに、カレンは僅かに眉を寄せた。
名誉ブリタニア人として長いスザクの方が、内情を素早く察せられるようだ。
「(ルルーシュに対する意識が、両極端な理由)」
カレンも納得する。
「(そうね…。あらゆる意味で、私たちの主は渦中に居るもの)」
会場の誰もの意識を攫う2人の人物、第2皇子シュナイゼルと第9皇子カナード。
言う迄もなく、彼らは次期皇位を争う最有力候補だろう。
そんな者たちの覚えも目出度いルルーシュに、嫉妬や憎悪を向けるなという方が無理だ。
シュナイゼルに関してはルルーシュの意志もあり、諦めがついている。
…自分たちの主よりも、格が上であると。
(本当は、認めたくない。『ゼロ』であるルルーシュが、負けているだなんて)
けれど今日、初めて見た第9皇子に対しても、負けを認めなくてはならなかった。
(シュナイゼル殿下は、確かに皇帝の器。
もしも現皇帝が次期継承者に彼を指名したとして、誰が反論するだろう?)
武器も何もなくとも、その存在だけでルルーシュを護れるのだから。
その隣で対等に並び立とうとすれば、相応の存在感と技量を併せ持っていなくてはならない。
(ああもう、どうして!)
こんなにも短い時間で、再び負けを認めなくてはならないのか。
カレンは知らず拳を握る。
「(カレン!)」
「!」
スザクの強い呼び掛けで我に返ると、自分たちのすぐ傍で足を止めた女性が居た。
なんとか動揺を押し込め、略式の礼を取る。
顔を上げれば、そこに立っていたのは自分たちと同じ"日本人"だった。
「『紅の騎士』と『白の騎士』とお見受けしますが」
神楽鈴のように透き通った、それでいて凛と響く声。
(巫女服が似合いそうだな…)
実家が神社を持っていたこともあり、スザクは見当違いな感想を胸の内で呟く。
だが腰に差されているのは、西洋の剣のようだ。
女性は朧月を思わせる笑みで、2人へ笑いかける。
「初めまして。わたくしはヴィア皇妃殿下の筆頭騎士、リル・カスガと申します。
僭越ながら、カナード殿下とキラ殿下をお護りする、親衛隊の隊長も務めております」
以後お見知りおきを、と締めた彼女は、とても騎士のようには見えない。
うっかり見惚れて、返答が遅れた。
「ルルーシュ殿下の筆頭騎士、スザク・クルルギです。
シュナイゼル殿下の元で、ランスロットのデヴァイサーを務めております」
「同じく、カレン・紅月・シュタットフェルト。紅蓮弐式のパイロットです」
こちらが見蕩れていたことなど、お見通しだったのだろう。
リルはクスクスと可笑しそうに笑う。
「いずれまた、お会いしましょう。そのときはどうぞよしなに」
皇妃の元へと去った彼女に、カレンはほぅと息を吐く。
「…素敵。私も頑張ろう」
スザクは思わず笑みを零した。
このとき第11皇子の『紅白の騎士』も、騎士たちの間で確かな存在感を示していた。