〜プロイセンの皇子 III
ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアへ向けられている視線は、3種類に分けることが出来る。
1つは、彼の母が騎士候の出であり身分が低いための、侮蔑。
もう1つは、帝国を揺るがせる『ゼロ』であるがための、恐怖。
最後の1つは、上位皇位継承者に目を掛けられているための、嫉妬。
それらの半分ほどは、コーネリアやクロヴィスが存在そのもので打ち消している。
だが残りの半分は、遮られることなくルルーシュへ届く。
公の場で自身を取り繕うことは特技の1つだが、それにしたって誰しも限界があるのだ。
(…この場で命じてしまいたい)
左眼に宿る力が、消してしまいたくば消してしまえと誘ってくる。
ルルーシュはとても甘い誘惑に、まだ時ではないのだと必死に言い聞かせていた。
(こいつらは、なんて醜い)
誰かを蹴落とし己の保身と欲しか考えない、貴族と皇族。
惚れた弱みということもあろうが、母を殺した兄の所業の方がずっと潔く美しいと思う。
思ってしまってから、自らも皇族の血に毒されていることを自覚した。
…だがルルーシュは、日本に居た頃ほどそれを悲観してはいない。
打ち寄せる波が引くように、場が変わる。
ルルーシュは肩に入れていた力を抜き、ようやく笑みらしい笑みを浮かべた。
「シュナイゼル兄上」
この広い場を変えられる人間など、彼以外に思い当たらない。
あちらこちらで談笑していた貴族や皇族の視線が、異様なほどに集まった。
コーネリアはシュナイゼルの姿を認め、やれやれと首を振る。
「まったく…ルルーシュに一言も告げないとは、一体どういう了見ですか」
「なに。クロヴィスならちゃんとやってくれると思ってね」
シュナイゼルは、さり気なくルルーシュを自身の後ろへ庇う。
その動作には何の違和感もない。
彼らを遠巻きに見る人間たちには、彼がルルーシュを庇っているという認識さえなかった。
毒々しい視線の槍から解放され、ルルーシュはひっそりと息をつく。
が、次のコーネリアの発言にぽかんと彼女を見返した。
「私とユフィに頼んでくれれば、もっと美しく仕立て上げたというのに」
ルルーシュが口を開く前に、クロヴィスが横から言い返す。
「…コーネリア姉上。私の仕立てが気に入らないとでも?」
「そうは言っていないが、どうも…」
「どうも?」
「華が足りない」
「ああ、なるほど」
これで突っ込まない人間がいようか。
「納得しないで下さい兄さん。それに姉上、俺は着せ替え人形じゃありません」
「まあそう言うな、ルルーシュ」
「なにか減るものでもないぞ?」
「俺の精神力が減ります」
一向に堪える様子のないコーネリアとクロヴィスに、ルルーシュはシュナイゼルへ視線で訴えた。
訴えたところで当の本人が笑っており、期待はしていなかったが。
「両手を塞いでしまう歳月は、簡単には埋められませんでしょう?ルルーシュ殿下」
ふわり、と薫風の如き声が、新たに流れ込んで来た。
コーネリア、クロヴィス、そしてシュナイゼルが、声の主へ雅を感じさせる会釈をする。
ルルーシュは彼らに数歩分遅れ、深々と頭を垂れた。
「…ご無沙汰、致しております。ヴィア皇妃殿下」
挨拶を柔和な笑みで受け取ったのは、第2皇妃ヴィア・イーグ・ブリタニアだった。
肩口で流れるブラウンゴールドの髪には、白と黒の対照的な色を持ったライン状の髪留め。
シックなドレスは紅から黄へのグラデーションが、胸元から裾へと斜めに描かれている。
どうやら、天鵞絨1枚で織られたものらしい。
華美に着飾った婦人たちの中では非常に控えめな装いも、彼女の存在を知らしめるには十分過ぎるもの。
母マリアンヌの親しい友人でもあった、第2皇妃ヴィア。
ルルーシュの記憶に残る10年前の彼女の姿と、今目の前にいる彼女の姿に、ほとんど相違はない。
(こういうのを童顔と言うんだろうか…)
不躾に観察するなどという愚行は冒さず、ルルーシュはただ、懐かしさに周りの喧噪を忘れた。
「顔を上げて下さいな。ルルーシュ殿下」
応じて正面から彼女を見たルルーシュへ、ヴィアは扇子を持っていない方の手を伸ばす。
彼女の次の行動に目を丸くしたのは、何も彼だけではない。
手袋に包まれた女性らしい華奢な手は、ルルーシュの頭をそっと撫でた。
それは紛うことなく、子へ対する母の慈愛を持って。
「お帰りなさい、ルルーシュ。真に私の友であったマリアンヌ様の、可愛い忘れ形見」
彼女に向けられた微笑みに、ルルーシュは場所を忘れて泣きたくなった。
ヴィアは彼が落ち着くのを待ってから、そっと尋ねる。
「白い服は、嫌いになりましたか?」
ハッとしたルルーシュの返事を待つことなく、ヴィアは彼らに背を向け玉座に近い場所へ立つ。
彼女の動作に催促されたように皇妃たちが並び、ルルーシュたちを含めた皇族も意識を正す。
程なくして、皇帝が場へ姿を現した。
表向きは舞踏会。
しかしその実体は、皇位継承権を持った皇族を焚き付けることにある。
そうでなければ、エリアを任せた人間まで強制的に帰国させることなどあり得ない。
弱肉強食を奨励する国政は、特に現皇帝となってから顕著になった。
成る程。
それに適った皇帝の弁論は、この場に集う者たちを『勝者』と断言している。
「では、各エリアの状況を報告してもらおう」
遠くに自分たちの主の姿を捉えながら、スザクとカレンは帝国の属国の様子を聞き齧る。
騎士という身分の者たちに与えられている定位置は、壁際だ。
2人は庭園を望むテラスを背にして立っている。
「(エリアの数、分かる?)」
「(…たぶん22じゃないかな)」
「(騎士団が出来た頃は、確か18だったわ)」
「(そう…)」
隣に居てもほとんど聞こえないくらいの声量で、2人は囁き合う。
『エリア11』の名はもちろんなかったが、苦いものが込み上げて来るのは止められない。
「(スザク、あの人)」
カレンの声に玉座へ目をやると、先ほどルルーシュに話しかけていた皇妃が皇帝へ何事か告げていた。
「(うん、第2皇妃殿下だね。ルルーシュをよく知ってるみたいだった)」
シュナイゼルやコーネリアといった表立った皇族の報告が終わり、呼ばれるエリアの数字は20を越えた。
彼女の口元は軽く開かれた扇子に隠され、何を言ったのかは分からない。
だがエリアの報告は、20が終わったところで中断された。
その不自然さに、ざわりと空気が浮つく。
簡単には収まらない浮つきを宥めるかのように、参加者たちへシャンパングラスが配られた。
スザクとカレンは、それが給仕の手で1つ1つ配られたことにハッと息を呑む。
…特定の人間を殺害するには、うってつけの方法だ。
プライマリーイエローの揺れるグラスをじっと見つめて、ルルーシュは呆れ混じりに笑った。
(俺も舐められたもんだ)
歪みを持たないまっすぐな視線を感じて後ろを振り返れば、己の騎士たちが何か問いたげだ。
ひらりと手を振って問題ないと伝えるが、彼らが信用するかどうかは微妙なところである。
(体力が無い=耐性が無い、ではないんだがな)
スザクやカレンといった戦闘のエキスパートに囲まれていると、ルルーシュは運動神経が一般以下だと思われがちだ。
確かに、持久力は決定的に不足していると自覚している。
けれど反射神経は良い部類に入る(3年前、スザクに再会した時が良い例だ)。
腕力もそれなりにある(妹は当然のこと、共犯者であるC.C.も楽に抱き上げられる)。
つまりルルーシュの行動に関する欠点は、総合的な体力の欠如。
「ルルーシュ、」
コーネリアが些か渋い顔で、こちらを見つめた。
騎士たち同様、彼女も同じ心配を寄せてくれているのだろう。
ルルーシュは態とらしく肩を竦めてみせ、唇の微かな動きだけで伝える。
「大丈夫です、(毒は効きませんから)」
効かない=平気、という式は残念ながら成り立たないのだが。
皇帝がグラスを掲げ音頭をとり、会話はそこで途切れた。
それが終わればまた、貴族と皇族のご機嫌取りだ。
(…不味い)
シャンパンに口を付けて、ルルーシュは僅かに眉を顰める。
せっかくの1級品ワインが、混ぜられた毒のおかげで台無しだ。
表情の変化はほとんど見えないものであったが、さすがにシュナイゼルには気付かれた。
ルルーシュの様子を見て、彼は苦笑したようだ。
「成人したばかりのお前に判別出来るなら、大した人間ではないな」
「…そうでしょうね。ただの麻痺毒みたいですし」
本当に殺したいのなら、致死毒を一定以上に混ぜてしまえば良い。
警告のつもりなのかもしれないが、その段階は不必要。
蹴落とされることを厭うなら、躊躇している暇はないだろうに。
「犯人探しは必要か?」
尋ねて来たシュナイゼルへ、ルルーシュは笑みを返してみせた。
「…楽しそうですね。兄上」
「ああ、楽しみだよ。ここへ戻って来たお前が、どのような手を使うのか」
声を掛けてくる貴族たちを躱しながら笑う兄に、この人も変わってないなと懐かしむ。
優秀であることと人の上に立てることは、簡単にはイコールで結ばれない。
ルルーシュは戸惑いなくシャンパンを飲み干して、ぺろりと唇を舐めた。
「犯人探しは必要ありませんよ。離宮の手配が済んでから、改めて礼をしますので」
"第2皇子に取り入った第11皇子"と思い込みたがる輩には、思わせておけば良い。
離宮の手配が済んだ頃には、高爵位を持つ貴族の後ろ盾も揃うのだから。
(精々、笑っていればいいさ)
そのとき彼が浮かべた笑みを目撃した人間は、目前に迫った牙を認識し冷や汗を掻いたことだろう。
シュナイゼルの隣に居たのは"第11皇子"という記号ではなく、確かな凶事なのだ。
途中でユーフェミアが話し掛けて来たため、話題は当たり障りのないものへ転換される。
彼女から不在の間の本国の様子を欠片ながら聞いていると、また空気が浮つき始めた。
そろそろ、宴もたけなわといったところか。
オーケストラの伴奏に乗って、ステップを踏む人間も多い。
周りをよく見回してみると、ざわつきは会場の入り口付近から。
末席である入り口周辺の人間たちが、何かに驚き慌てて玉座に通じる通路を空けた。
彼らの動作はそのまま水の流れのように、広間全体へ広がる。
(…なんだ?)
周りを見る暇がなかったルルーシュは、コーネリアとクロヴィスがクスリと笑みを漏らしたことが気になった。
「ルルーシュ」
シュナイゼルの声に顔を上げれば、彼はこちらを見ることなく一言だけ。
その横顔は、随分と楽しそうで。
「呑まれるなよ」
ようやく思い出した。
(そうか。まだ来てなかった…!)
ガタリと開く重い扉を、誰もが注視する。
現れたのは、2人の皇族と3人の騎士。
中でも最初に入室した皇族の青年は、その存在感だけで瞬時に場を支配した。
…シュナイゼルが引き波ならば、こちらは押し波。
相応の存在感を保つ人間でないなら、呑まれるしかない程の力。
ルルーシュはシュナイゼルの言った意味を理解し、思わず笑みを零していた。
もはや、笑うしかなかった。
今まで『ゼロ』として多くの人間を率いて来たが、上には上が居ることを殊のほか痛感する。
(ハハッ、格が違う…)
けれど悲観すべき事柄ではない。
慕っていた兄たちもやはり、変わっていないのだと確信を持てるから。
皇帝の御許で3人の騎士は跪き、2人の皇族はすいと美しい動作で腰を折った。
「ご無沙汰致しております、父上。第9皇子カナード・イーグ・ブリタニア、帰還致しました」
長い黒髪に、眼は母親譲りのアメジスト。
存在感を助長させるのは、黒を基調に紅を混ぜ、銀をアクセントにした皇族服。
黒を従えた姿は隙のない身のこなしをも飾り立て、誰もが黒豹を連想する。
天は二物を与えないと言うが、母親譲りは秀美も才知も同様であるらしかった。
続いて口を開いたのは、彼の左に立っていた皇族の青年。
鳶色の髪は短く、同じアメジストの眼は見る人間へ穏やかな印象を与える。
「同じく第10皇子キラ・イーグ・ブリタニア、帰還致しました」
穏やかな雰囲気を醸すのは、白を基調に黒を混ぜ、金をアクセントにした装いもあろう。
兄弟でありながら、彼らの姿はチェスの駒のように正反対。
争いごとを好まず最初に交渉で解決を試みようとする第10皇子は、皇族の中でも稀な存在だ。
カレンは2人の皇族の後ろに控える騎士を見て、目を剥くほどに驚いた。
「(スザク、あの騎士…!)」
思わず隣へ言葉を投げたが、スザクもまた驚愕の最中だ。
第9皇子の右後ろに跪いているのは、毛先が黒く長い銀髪の騎士。
第10皇子の左後ろに跪いているのは、肩ほどの長さの薄茶の髪をした騎士。
そして彼らの中央で跪いていたのは、長い黒髪の…"日本人"の女性騎士。
(クロヴィス殿下が仰ったのは、これか…!)
昼間に訪れた第3皇子は言った。
『日本人だからという理由は、随分前から通用しなくなった』と。
女性騎士だけでなく他の2人の騎士も、ブリタニア人ではなかった。
「さて。エリア21及び22の現状を、報告してもらおう」
皇帝は到着の遅れを咎めることなく、2人の皇子へそう命じた。