22、tabla rasa(=何も書き込まれていない板)
『選べ』
『ここで死ぬか、』
『忘れるか』
その日駆け込んで来た客の姿に、ライアーは目を丸くした。
「C.C.様…?」
息せき切って、という表現が相応しい。
駆け込んで来たC.C.は廊下の壁に半身を預け、乱れた呼吸に大きく肩を上下させている。
「ここの主は居るか?!」
「は?」
呼吸が整うことを待たず、C.C.はライアーへ問いかける。
問われた女性は面食らったようで、もう一度同じ問いを投げた。
「カナード・イーグは居るか、と訊いている!」
もう、ほとんど怒鳴り声だ。
…時間がない。
彼女の様子にただならぬ事態を察したか、ライアーはすぐに階上を示した。
「居られます。2階、左手にある最初の部屋へ」
みなまで待たず、女性の立つすぐ隣の階段を駆け上がった。
(上って左、1つ目)
返事を待つ時間さえ惜しく、C.C.はノックもそこそこに扉を勢いよく開ける。
「っ!」
永い間に培って来た反射神経を、久々に褒めたくなった。
…扉を開けた刹那に視界を横切った、白い光。
それが抜き身の刃だと理解したのは、危うくその白刃が首筋に触れる寸前。
本能的にC.C.が身体を静止させていなければ、致命傷は免れなかっただろう。
「ははっ!凄ぇ反射神経だな、アンタ」
心底驚いた、と言わんばかりに笑ったのは、シュヴァーンだ。
扉の設置されている壁は、外からは完璧な死角。
(金糸雀といいシュヴァーンといい、この私が…!)
また、気付けなかった。
焦っていたはずの心は、そんな怒りに流される。
…キンッと涼しい音を立てて、C.C.の喉元に寸止めされていた刃が収められた。
「1年に数回の割合で、行き過ぎた客が来る。だから、さっきみたいな行動は排除対象だぜ」
有名劇団というのも、大変らしい。
普段なら、そんな皮肉の1つでも吐いてやるところだ。
しかし今のC.C.には、時間という大事な猶予がない。
「余計な世話だ。お前と争う暇もない」
たった二言だけ投げつけて、C.C.は目的の人間へと視線を移した。
「自分を『魔女』と言った人間も、焦ることがあるんだな」
楽しげに目を細め、カナードはC.C.の普段の様子を揶揄して笑う。
売り言葉に買い言葉としたくなるのを、ぐっと堪えた。
「お前に頼みがある。『黒翼』である、お前に」
「…へえ。要注意だと印を付けた相手に頼むほど、切羽詰まってるのか」
残念ながら、事実だ。
C.C.にとって『黒の騎士団』は仲間ではない。
ルルーシュが自らの手で引き込んだ者、という点では、カナードと同様だ。
だが秤に掛けて問うてみると、信頼出来るのは…確実に後者。
何よりカナードは、『ゼロ』の事情と"ギアス"を少なからず知っている。
だからこそ、C.C.はここへ来た。
「私はこれからクロヴィスランドへ行く。会う相手は、ルルーシュの前に契約を交わした人間だ。
名はマオ。中華連邦の男で、年齢は17。背が高くて、サングラスにヘッドホンをしている。
アイツは"心を読むギアス"の能力者。だから、ルルーシュは危うく敗北するところだった」
「心を読む…?そのマオとやらの目的は?」
「…私を捜しに。もしくは、連れ戻しに。私はアイツを、10年ほど育てたから」
「ふ〜ん…。で、お前の目的は?」
「清算だ。ルルーシュの邪魔をさせるわけには、いかない」
だから、頼む。
私が戻れなかったら、ルルーシュを。
開け放されたままの扉に手を掛け、カナードは階下へと声を投げる。
「ライアー、クレーエとレルヒェを呼んでくれ。アードラーにも、手が空いたら連絡を寄越せと」
「分かりました」
主の出した指示に、シュヴァーンは首を傾げた。
「何する気だ?クレーエはともかく、レルヒェは戦闘向きじゃないだろ」
カナードは不敵に笑う。
「だからだよ。"裏側"の人間だけじゃ、表を動けない」
…レルヒェは40代半ばの女性。
役者として舞台に立つこともあるが、彼女の仕事は主に諜報。
あるときは子連れの母親を装い、あるときは未亡人を演じ。
何も知らない一般市民の何気ない言葉は、ときに非常に重要な鍵となるのだ。
…対して、クレーエはルルーシュよりも年下の少年。
黒髪に赤い眼という少し変わった容姿で、年齢に似合わず裏仕事のスペシャリストだった。
シュヴァーンはそれを踏まえて、再度問う。
「目的地は、クロヴィスランドか?」
返る答えはなくとも、浮かべられた笑みが答えだった。
ルルーシュはクラブハウスの自室で、C.C.の言葉を反芻する。
(あの、馬鹿が!)
それぞれにマオを捜し、結局行き着いた答えは互いを利用すること。
思った直後にルルーシュの携帯電話に入った、マオからの着信。
何を言われたのか、自分に背を向けたC.C.。
その彼女が残して行った、言葉。
『私は今まで、ただの一度もお前に嘘をつかなかったよ。だが、それも今日で終わり』
『…さよならだ、ルルーシュ』
マオの声は受話器を通しても大きく、行き先だけは分かる。
(クロヴィスランド…。人が入らず半径500mよりも圧倒的に広い。ヤツには好都合だ)
否応無く人の心が読めてしまう、ルルーシュとは違うギアス。
騎士団についても考えたいことが山ほど在るが、まずは。
(まずはあの馬鹿に、山ほど文句を言ってやる)
手早く必要な機材を纏め、ルルーシュは部屋を出る。
するとまた、携帯に着信があった。
一瞬身構えたが、着信元は非日常とは無関係である人物。
「何ですか?こんな時間に」
『あはっ、ごめんねルルちゃん。見合い話を蹴飛ばすのに時間掛かっちゃって』
「…忙しいので、用件があるなら手短にお願いします」
『もう、ノリが悪いわねえ…』
電話の主は、生徒会長であるミレイだった。
彼女はにべもないルルーシュの言葉に、口を尖らせたようだ。
が、気を取り直したのか用件を切り出す。
『明日、学校来る?』
「学生ですから。なぜです?」
『だって、確認しないとルルちゃんサボるんだもの』
「…否定はしませんけどね」
『でしょ?来るなら良いわ。明日の朝イチで、生徒会室に来てくれる?』
「……まさかまた書類…」
『失礼な子ね〜。ミレイ様の能力を見くびってもらっちゃ困るわよ?』
「はいはい。直接、生徒会室に行けば良いんですか?」
『そうよ。担当教師には私から言っとくから。じゃ、よろしくね』
このときのルルーシュは、ミレイの用件が何なのか深く考える余裕もなかった。
暗闇に紛れる、数々のアトラクション。
大きなイベント用スクリーンの前には、メリーゴーラウンドが設置されている。
C.C.がくるりと辺りを見回すと、不意に明かりが灯った。
スクリーンが照らし出され、メリーゴーラウンドが賑やかな音と共に回り始める。
「…マオ」
回る木馬の1つに乗ってはしゃいでいたマオが、C.C.へ手を振る。
「やっぱり来てくれたね!やっぱりC.C.は、ルルーシュなんかよりボクの方が好きなんだ!」
「……」
子供を育てる上での責任のようなものが、C.C.を締め付けた。
(マオには私しか居なかった。心が読めるようになってしまったから、人の中では暮らせなかった)
山奥で、2人で暮らしていた。
大人の手本となれるのはC.C.だけで、人という存在もC.C.だけだった。
(それでは駄目だと、分かっていた。だが、マオにギアスを与えたのは私。私が自分の願いを叶える為に)
あれやこれやと喋るマオに、C.C.は隠し持っていた銃を向けた。
初めてマオの顔色が変わる。
「…C.C.?」
「最初から、こうすべきだった。中華連邦を離れるときに」
「C.C.?どうしたの?」
向けた銃口に、迷いはなかった。
「私はお前を捨ててこの国へ来た。まだ子供だったから、何も出来ないだろうと思って殺さなかった。
だがそのせいで、私はただでさえ危ういルルーシュを危険に晒した」
ルルーシュという名前に、マオはあからさまな嫌悪を示す。
「なんでルルーシュが出て来るの?C.C.!」
「…これは私の問題。私の責任。ルルーシュを巻き込むわけにはいかない」
「なんだよ、ルルーシュルルーシュって!あの泥棒猫みたいに!!」
パンッ!
マオが突然に向けた銃口は、C.C.の左肩を撃ち抜いた。
「…っ!」
「駄目だよ。C.C.はボクが好きなんだから、ボクと一緒じゃないと」
続けざまに放たれた銃弾は四肢をすべて撃ち抜き、C.C.はドサリと地面に崩れ落ちた。
(っ、迂闊だった…!)
マオはC.C.が動けなくなったことを確認して、スクリーン横の階段の影へ歩き出す。
「聞いてC.C.!ボクさ、オーストラリアに別荘を買ったんだ。凄いでしょ!
白くて可愛い、綺麗な家なんだ!そこでC.C.と2人だけで住むんだよ!でも…」
ああ、本当に駄目かもしれない。
マオが大きな鞄から取り出した物を見て、C.C.は最悪の覚悟を固める。
…嫌な音を上げた、大型のチェーンソー。
「オーストラリアに行くには、飛行機に乗らなくちゃならないんだ。
でもC.C.はそのままじゃ乗れないでしょ?だから…」
唸りを上げて高速回転する刃は、軽々と街灯を両断した。
切れ味に満足の笑みを浮かべ、マオは無邪気にC.C.へ告げる。
「C.C.をコンパクトに切り刻んで、鞄に入るようにしなくちゃ!」
どこでどう間違えたのか、C.C.には分からない。
「…罰だと言うのか。お前を捨てた、私への」
「罰?違う違う。ボクはC.C.が大好きだから、ボクを大好きなC.C.を連れに来ただけだよ」
「……」
マオはC.C.の心を読めない。
読めないから、自分と同じ考えであると思い込む。
やはり無理だろうかとC.C.が諦めかけたとき、マオの顔色が変わった。
【あ、本当にガキだ。コイツ】
誰も居ないはずなのに、声が聴こえた。
「誰だっ?!」
マオにだけ聴こえる、誰かの心の声。
彼が辺りを見回そうとしたとき、消えているはずのモニターにノイズが走った。
『やはり考え方がお子様だな、マオ』
「!!」
スクリーンに映ったのは、ルルーシュの姿だった。
(ルルーシュ…?)
まだ動けない身体で、C.C.もスクリーンを見上げる。
『お前が心を読める範囲は、半径500m。ここではさすがに読めないだろ?』
ルルーシュの後ろには、東京タワーが見えていた。
「…ふん。ボクが心を読めなくても、お前だって同じじゃないか。
そこからどうやって、C.C.を取り戻すの?」
『関係ないな。C.C.はお前の物じゃない。少なくとも、"C.C."が本当の名だと思っているお前には』
「なに…?!本当なの?C.C.!」
振り返ったマオを、C.C.はただ見上げるだけだ。
『C.C.の心を読めないお前は、C.C.が自分と同じだと思い込む。お子様の為せる技だな』
「うるさいっ!!」
チェーンソーを手に、マオはスクリーンへ斬り掛かった。
滅多切りに画面を切り裂いてから、またも突然聴こえて来た人の声にギクリと振り返る。
「警察…?!」
大勢の人間の声が脳に直接流れ込み、マオは頭を抑えた。
「うるさいうるさいうるさい…っ!!」
こちらを囲み銃を構えるのは、ブリタニア人の警官隊だ。
【だから言ったろう?お子様だと】
明らかに意図を持った声が聴こえた。
ハッと警官隊を見ると、そのバリケードの向こうでC.C.を抱き上げる警官が居た。
「…ルルーシュ」
呟いたC.C.に、警官を装ったルルーシュは皮肉に笑う。
「一人でやろうとするからだ。馬鹿が」
C.C.はムッと眉を寄せた。
マオが叫ぶ。
「なんでお前がここに居るんだ!東京タワーに居たはずなのに…!」
【お前がお子様だからさ。子供の思考なんて、大方読める】
「…っ!!ふざけるな!C.C.を返せ!!ここでお前の正体をばらせば、お前はお終いなんだっ!!」
【やってみろ。それがお前の最後だ】
心の内で思うだけで、マオには伝わる。
別の意味で便利だと考えながら、ルルーシュはC.C.を抱きかかえて出口へ向かう。
その後ろで、拳銃が一斉に火を噴く音を聞いた。
静けさを取り戻したクロヴィスランド。
つい先ほど銃撃の嵐に見舞われて倒れ伏した男に、近づく影があった。
「まったく、無茶苦茶だ。"何も考えるな"って」
「本当にねえ。クレーエ、お前さん危なかったろう?」
「レルヒェこそ」
「あたしはルルーシュ様の映像が入って来てからさ。あの方も凄い方だこと」
広がる血を踏まないように注意を払い、クレーエと呼ばれた少年は倒れた男の傍らにしゃがみ込む。
「…まだ息がある。悪運の強いヤツだな」
「おやおや。殿下の楽しみがまた増えたねえ」
滅茶苦茶に切り裂かれたスクリーンの前には、血溜まりだけが遺っていた。
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書き込まれてゆく、世界。
2008.3.16