碧き翼竜の背に突き立つは
1.
レイラ・マルカルは、壁の花を決め込むつもりであった。
ナルヴァ撤退作戦成功の祝賀パーティと言うが、どこに直接関係する輩が居ると言うのか。
護衛である日向アキトはまた、"我々が居るでしょう"と言うのだろう。
それは答えとしても、皮肉としても適切な表現だと頷かざるを得ない。
飲み物でも取りに行ったのか、彼の姿は隣から消えている。
(まるで、風のような人)
フワリ、と蝋燭の火を掻き消すような。
兵法を記した本をもう一度開き、レイラは黙読を再開する。
が、残念ながら、瞬く間に邪魔が入った。
本来であれば、アキトの言った通り声が掛けづらいはずなのだが。
「まさか、このような場所で兵法を読む方が居るとは思いませんでしたよ」
若い、男の声だった。
それは布に染みこむ水滴のように、極自然にレイラの気を向けさせた。
仕事に関わるので、と振り返り答えようとした彼女の口は、不自然に開かれたまま言葉を失くす。
美しい、少年だった。
紺地を基調とした正装は、他の参加者に比べれば非常に控えめなものだ。
しかし彼を惹き立てるには十分と見え、しかも佇まいすら相当に洗練されている。
(いったい、何者…)
彼には絶えず視線が投げかけられており、その一部がレイラにチクチクと刺さる。
どこの貴族か、有力者か。
その容姿もさることながら、この場に居ること自体がステータスの一葉を示す。
お近づきになりたい者は、いくらでも居るのだろう。
見上げたまま何も発さないレイラに何を思ったか、彼は苦笑を浮かべやや首を傾けた。
「これは失礼。突然話し掛けてしまって」
ようやく、レイラの内で驚きが消化された。
「…いえ、問題ありません」
するとホッとしたのか、少年は目元を和らげる。
「それは良かった。実はパーティーの主役を捜していたのですが…」
貴女以外に見当たらなかったもので。
せっかく消化した驚きが、またも詰め込まれた。
今度は喉を塞がぬよう奥に収めて、レイラは本を閉じる。
「レイラ・マルカル中佐です。今回のナルヴァ撤退作戦の指揮を務めていました」
少年の眼が、ゆっくりと瞬かれた。
(紫…。あまり見ない色だわ)
日の下であれば深く、月の下であれば鮮やかに彩られるのだろう。
(なぜ…)
このような俗人たちの集う場が、彼にはまったく相応しくないように思う。
次に細められた紫の眼は、確かにレイラに対する賞賛を湛えて。
「なるほど。私とほとんど歳は変わらないように思いますが、相当な実力をお持ちのようだ」
続いて彼は名を名乗ろうとしたはずで、それは図らずもレイラの身内に遮られてしまって。
(タイミングの悪い)
驚くほど違和感なく、彼はレイラの傍を離れてしまった。
ゆえに義兄弟たちは、少年を目に留める前にレイラへと会話の矛先を向ける。
いつの間にか戻ってきていたアキトを見つけるが、レイラにはそのタイミングが良いのかすら解らない。
マルカル家の兄弟は、総じて無能らしい。
3番目の兄に絡まれるレイラに、さてどうしようかとアキトは考えた。
戻ってくる直前に、彼女が歳のそう離れていない男と会話をしていたのを見た。
良い雰囲気…この場合は恋愛の意味ではなく…だったので、アキトは声を掛けることを止めたのだ。
(あの男はどこに…)
遠目に見ても、美しい人間だった。
アキトでさえ目を惹かれたのだから、他の人間だって目を惹かれるはず。
そう判じて悪い状況にある目の前を通り越した、会場のパーティー参加者たちへ視線を流す。
(…あ、)
居た。
やけに偏った視線の集中線、果たして目当ての姿に行き当たった。
彼の傍らには、連れであろうさらに年若い少年の姿もある。
ふと。
件の男がこちらを微かに振り返った。
アキトに気づき明確に合わせられた眼差しが、笑う。
わずか一瞬の、それ。
即座にアキトから外れた視線は先刻までの話し相手に戻り、彼はバルコニー側へ足を向けた。
もう1人の少年も、彼に伴われパーティーの輪を外れる。
手にしたシャンパングラスを見下ろして、アキトは再び考えた。
(…そうだな)
この場に留まるよりも、そちらの可能性に懸けてみよう。
呼ばれた、のだと。
THE WYVERN ARRIVES
壊れた世界で、僕らは夢を見るーーー
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12.8.5