碧き竜の背に突き立つは


2.







ガラス1枚隔てただけ。
たったそれだけのことが、喧噪も、顕示欲に塗れた熱気さえも遮断した。
アキトに手を引かれるまま会場を出てしまったレイラだが、ホッと息を吐いた事実は隠せない。
彼の笑う気配を感じ、些か気まずさを覚える。
掴まれた腕を離されて、レイラは立ち止まった。

この国は、大丈夫なのだろうか?

離れたアキトの姿を探せば、バルコニーを迷うこと無く横切っていく背がある。
彼は広大な庭へ付き出した一角で足を止め、誰かへと軽い会釈を送った。
アキトの後を追い掛けたレイラは、据えられたティーテーブルに座る人物に軽く目を見開く。
「貴方は…」
このパーティーには異質な程、高潔さが滲み出ている少年と、もう1人。
黒髪にアメジストの眼をした少年が、苦笑を向けてきた。
「先ほどは名乗りもせず、失礼しました。マルカル中佐」
謝罪の言葉を告げられ、レイラは慌てて首を横へ振る。
「いいえ、謝るのはこちらの方です」
他と話していることに気付かず…気付こうとせず、が正確か…割って入った兄たちが悪いのだ。
向かいの席を勧められ、レイラはアキト共々腰を下ろす。
その所作が終わることを待って、穏やかな笑みで少年が口を開く。
「私はルルーシュ・ランペルージ、こちらは弟のロロです」
ロロという名の少年が、軽く頭を下げた。
レイラもまた言葉を返す。
「改めまして、レイラ・マルカル中佐です。こちらは護衛のアキト・ヒュウガ中尉」
軽く手で示したアキトへ目を遣り、ルルーシュの眼差しが僅かに驚きを示した。
「ああ、やはり日本人の方でしたか」
続いて驚いたのは、レイラとアキトの両名だ。
驚きの表情は明らかに隠せておらず、ルルーシュの笑みを誘った。
「失礼。エリア11となる前から、訳あってあの国に住んでいたので」
先回りで寄越された回答に、納得する。
「そうでしたか」
ブリタニア側の呼称を使わぬ彼に、レイラの印象が上向いた。
果実の香りを醸すシャンパンに口を付け、己の喉が乾いていたことを自覚する。
一方のルルーシュはバルコニーを巡回に来たウェイターを眼差しで呼び寄せ、ドリンクを手にした。
1つをロロへ手渡し、もう1つは自分に。
まるで当然のように行われた、その一連の動作。
(人を遣うことに慣れてる…)
立場上、会談と併せパーティーに参加することの多いレイラだ。
上の立場に立つ者を多く見てきた彼女から見ても、あまりに馴染んだそれは。
…このルルーシュという人物は、一体何者なのだろう。
疑問を疑問としておくには、惜しかった。
「あの、ランペルージさん」
「はい?」
名を呼び掛けたことで交差した視線からは、何も読み取れない。

「ランペルージさんは、なぜこのパーティーへ?」

尋ねたレイラを見返して、ルルーシュの口元は笑みに変わる。
「敵情視察、といったところでしょうか」
「え?」
軽く目を見開いたレイラとアキトに、冗談ですよと彼はまた笑った。
「E.U.には友人が居ないので、訪れる機会が無かったんです。
ここの政治形態はブリタニアとも中華とも、日本とも違う。なのでとても興味深い」
まあ、頭の中が残念な人間ばかりが集まっているようですが。
ルルーシュはパーティー会場たる屋敷の中へ視線を向け、すぐに興味が失せたように眼差しを逸らす。
(スマイラス将軍が居れば、もっといろいろな話が出来たのかしら?)
レイラはちらりとルルーシュを見、そんなことを思った。
一方のアキトは手元のシャンパングラスを弄びながら、ひたすらにルルーシュを見つめていた。
…矛盾。
その一言に尽きる。
何とも拭えぬ違和感、それを覆うような吸引力。
時折過(よぎ)る、作られていない表情が纏う空気さえも変える。
(…もっと、聞いてみたい)
美しさは罪だ、と大昔に誰かが言った。
ともすれば国さえ滅ぼす、存在だけで有史を左右するもの。
アキトは漠然と、目の前に座るルルーシュをそう感じる。
「E.U.軍の実情は芳しくなさそうですね。軍の宣伝クリップを見ましたが、あれではアラブの二の舞だ」
皇族がただの一人も置かれていないというのに。
ルルーシュの言葉に、レイラの眉根が寄った。
(その通り、だから)
彼の言葉は、歌うように容赦がない。
「ブリタニアの第二皇子辺りが配されれば、一週間以内に白旗を上げることになるでしょうね」
「そんなこと…っ!」
思わず声を張り上げてしまい、レイラはハッと我に返った。
「…申し訳ありません。取り乱してしまって」
「いいえ。E.U.軍を担う方の前でする話ではありませんでしたね」
そんなことはない。
状況を見極める第三者の視点は、時として重要な鍵となる。
「…変わった人ですね、貴方は」
思わずアキトの口を突いた言葉は、ルルーシュの目を丸くさせた。
「貴方は、このような場所に居るべき人ではないでしょう。
私の勘でしかありませんが、貴方には『大局』が見えている」
大局を見据えることの出来る人間は、限られている。
例え政治家でも、司令部に関わる軍人でも、いち企業の役員であろうと例外ではない。
その地位に居るからといって、その素質を持っているとは限らないのが世の中だ。
(この男は、きっと違う。それこそ、もっと『上』に)
シャンパングラスをテーブルへことりと置いて、アキトはルルーシュへもう一度告げる。

「貴方はこのような場所に居るべきじゃない。この場"が"、貴方"に"相応しくない」

分不相応なのは彼ではなく、パーティーそれ自体の方だ。
アキトの言葉に、こちらに興味を示す気配もなかった彼の弟が目を見張る。
続いて、ルルーシュが軽く吹き出した。
心底可笑しそうに…それでいて愉しげに笑うものだから、レイラが逆に焦ってしまう。
「も、申し訳ありません、ランペルージさん。ヒュウガ中尉が失礼を…!」
慌てて頭を下げようとする彼女を、ルルーシュは片手を上げて制した。
まだ、笑みは収まらない。
「構いませんよ、マルカル中佐。おかげで、このパーティーに参加して良かったと思った」
「え?」
戸惑うレイラを余所に、彼は立ち上がる。
「失礼。そろそろ、撒いてきた護衛が騒ぎ出しそうです。名残惜しいのですが、戻らなければ」
ルルーシュは自分に続き立ち上がったロロに、携帯端末を出すように言った。
そうして戻る、というこちらを見送るためにやはり立ち上がったレイラとアキトへ、提案する。
「お二人とも軍の方ですから、そうそう時間が空きはしないでしょう。
ですが私も当分の間ユーロピアに滞在しますので、もう一度会っても良いと仰るなら」
レイラもアキトも、彼と連絡先を交わすことに否の言葉など無い。
なぜロロの端末に連絡を入れるのかと問えば、護衛が神経質で許可を出さないのだと言う。
(余程の有力者なのかしら?)
"ランペルージ"という名前に聞き覚えはなかった。
だがレイラとて、そこまで財界に詳しいわけでもない。
「ではマルカル中佐、ヒュウガ中尉。またいつか」
美しい辞儀をくれ、ルルーシュとロロはバルコニーからパーティー会場へと戻って行った。
歩く後ろ姿さえ隙無く洗練されているルルーシュに、レイラはほうと息をつく。
「うちのお兄様方に見習って欲しい…」
ぽつりと零された一少女としての呟きに、アキトはそっと口の端を上げた。
(ルルーシュ・ランペルージ…)
もう少し、話してみたい。

見上げた夜空には、濁りなき月の輝きが在った。





ヴァイスヴォルフ城は、その名が示す通り白い霧に守られている。
まだ朝も早い時刻。
城内の広大な庭の端、森と繋がるその場所で、レイラはアキトに出会った。
何十年も昔のものであろう墓地の前で、石を積む彼に。

「私は一度、死んでいるんですよ」

レイラが去った後も、アキトはじっと墓場に佇んでいた。
積まれた石は、死んだ仲間の数。
ふと、草を踏む音と野鳥が啼いた。

ーーーひとつ積んでは父のため、ふたつ積んでは母のため。

墓石を見つめる視線を後ろへ向ければ、ゆらりと人影が霧を揺らす。
涼やかな声は、女のものだ。

ーーーみっつ積んではふるさとの、兄弟我が身と回向して。

人の動きで晴れた霧。
薄靄の森から現れたのは、明らかにwZERO部隊の関係者ではない。
ライトグリーンの髪をした、猫のような雰囲気を纏う少女だった。
「石を積み、死者を悼むか。…だが」
面白そうに少女の口の端が釣り上がり、まるで童話の猫のように印象が強まる。

「お前、死んだ人間が見えるのか」

信じているのか否か、判断は不可能。
アキト自身も、他者にその事実を信用されるか否かはどうでも良い。
ただ、断定するような少女の物言いが気に掛かる。
彼女はゆったりとした足取りで近づいてきた。
「すでに一度死んでいる、とさっきの女に言っていたな。ならば、ここに居るお前は足のある亡霊か?」
なるほど、良い例えだ。
「そうかもしれない」
クククッ、と忍び笑いが返る。
「死ぬために戦い、生きるために殺す。とんでもない亡霊だ」
琥珀に見紛う色の瞳が、ニィと嘲笑った。
「お前のような死にたがりの死神を、他にも知っている。とんだ矛盾を平気で正論にする男だ」
少女はアキトのすぐ隣までやって来て、しゃがみ込んだ。
白い指先がその辺に転がっていた石を掴み、アキトの積んだ石の隣に置く。
「お前はどうだ? 生きたがりの死にたがりの思考を、お前はどうする?」
どこぞの死神のように撒き散らすか?
もう一つ、指先が石を掴んだ。
「別に、何も」
古い墓石へ視線を戻し、アキトは答える。
かつん、と音がして、少女の手がアキトの積んだ石の隣にさらに石を積んだ。

「俺は俺の目的のために生きて、死ぬだけだ」

かつん、と再び石が積まれる。
ひとつ、またひとつ。
石を探し、石を積み、小さな石の塔はアキトが積んだものと同じ数を重ねた。
「良い答えだな。ならもうひとつ、問おう」
少女の琥珀が、アキトの姿を映し込む。

「死に場所へ行けという作戦を告げられたら、お前はどうする?」

彼女と視線を合わせること無く、アキトは墓標を見つめる。
しかしその口元は、皮肉と歓びを彩る笑みを象った。
間違えても、墓場で浮かべるような表情ではない。

「行きますよ。それが命令ならば」

行くのか、逝くのか、それとも。
少女はアキトの笑みに驚く様子もなく、寧ろ愉しげに笑む。
「どうやら、面白い人間らしいな」
そこで初めて、アキトはまともに少女の顔を見た。
…なぜか、先日言葉を交わしたルルーシュ・ランペルージを思い出す。
「あんたは…」
問う言葉など、初めから持ち合わせていなかった。
けれど少女はその目を弓なりに細め、アキトへ背を向ける。
「お前が自軍以外の者に会いに行ったとき、そこに私も居るだろう」
再会が愉しみだな。
立ち上がった少女はひらりと片手を振り、元来た方向へと歩いていく。
ざくざくと草を踏む音が遠ざかり、やがて森の静寂が戻った。

アキトの他には、誰も居ない。

「自軍、以外…」
少女の気配すら消えてしまった中で、アキトは無意識に呟く。
気づけば胸ポケットから携帯端末を取り出し、画面に連絡先の一覧を表示していた。

『Rolo Lamperouge』

あの日出会った、"彼"の弟。
この連絡先へ通信を入れれば、会うことが可能な日時と場所が返ってくるのだろう。
(…ルルーシュ。ルルーシュ・ランペルージ)
あの2人からは、"血の匂い"がした。
レイラからはしない。
あの、自らの手で人間の身体を死に至らしめた者特有の、ニオイが。
(切り捨てることが出来る。自分と、それ以外を切り離すことが出来る)
そういう人種だ。
たった一度出会い言葉を交わしただけの相手に、そんな確信だけを持っている。
(もう少し、話してみたい)
漠然とした期待と得体の知れぬ恐怖が、勝手にアキトを動かそうとする。
(恐い? そんなこと、感じたのは一体いつ以来だ)
意識の外で、口元が緩む。

(会ってみよう。もう一度)

城へと踵を返したアキトの後ろ。
朽ちた墓標の前にはふたつ積まれた供養の塔が、ただ静かにそこに在った。
地に立つ

生きたがりの死にたがり

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13.9.23