1.




この城でもっとも高く見晴らしの良い場所には、ブリタニアとは違えど皇帝の宮がある。
もっとも、その言葉は1年前から削がれてきた真実でもあった。

黎星刻(リー・シンクー)は皇帝の宮の隣、同じ高さであり棟続きでもあるもう1つの宮へ向かう。
本来なら、皇帝が婿(現在の皇帝は女帝だ)を取れば、その伴侶の住まいとなる宮である。
だが今日の皇帝は、ブリタニア帝国に匹敵する規模を持つ中華連邦を治めるには、あまりに幼過ぎた。
…15歳にも満たない少女が、今の皇帝。
だからこそ、皇帝を補佐する役人である大宦官たちが権力を握り蔓延っている。
彼らが互いに権力を奪い合うものだから、中華連邦という王国はまったくもって纏まりが無い。
(しかし、変わってきた。今はまだ見えないが、確実に)
星刻が強く感じるその答えが、向かう宮にある。
目当ての扉をノックしようとすると、扉の向こう側から近づいてくる気配がした。
脇へ避けると、やはり扉が向こうから開く。

「星刻? …そうか、そなたも会いに来たのだな」

ほんの少し拙い、けれど板についている言葉遣い。
宮から出て来たのは、供を2人連れた現中華連邦元首たる少女、天子。
『天子』とはこの国で『皇帝』を意味し、それは彼女の本名ではない。
威厳を持たせる言葉遣いに反して表情はとても幼く、余程はしゃいでいたのか頬もうっすらと上気している。
星刻は膝を付き、天子と目線を合わせた。
「これは天子様。お姿がないと侍女たちが騒いでおりましたが、こちらでしたか」
「今日はかんがんたちの集まりなのだろう? わらわがいてはうまく尻尾を出さない、と助言をいただいたのだ」
「成る程…。して、こちらでは?」
「ていおう学と医りょうの基礎を。それから、EUやブリタニア帝国のことを。
本当に、わらわが知らぬことばかりだ。興味もつきぬ」
今度は自分の宮で復習をするのだと、天子は皇帝という立場も忘れて駆けて行った。
慌てて彼女を追い掛ける供たちも、どうやら随分と楽しげだ。
それに苦笑を漏らして、星刻は目当ての宮へと足を踏み入れる。

この、本来ならば空白である宮が主を迎えたのは、ちょうど半年前。
どんな手を使ったのか大宦官の1人を従えていたその人物は、ブリタニア人の少年だった。

『悔しいのだろう? 正したいのだろう? ならば、私がお前の主君を"皇帝"にしてやる』

いかに幼帝であれ、皇帝が形骸化している己の祖国。
己の疑問と思いに強く働きかけた、言葉。
なぜそんなにも自信があるのかと少年に問おうとして、星刻は止めた。
それを今は、褒め讃えたいと思う。
部屋の奥へ進むと、柱の影からライトグリーンが覘いた。

「来たか。まったく、高亥(ガオハイ)の貸し渋りにも困ったものだな」

等しく高みからの嘲りでもって、ライトグリーンは上機嫌に笑む。
「まあ、寄越したのだから許してやるとしよう」
言葉の内容を1人で完結させ、ライトグリーンの髪をした少女は顎で奥を示した。
「私はこれから1ヶ月ほど留守にする。その間、頼むぞ」
こちらの返答も待たず出て行こうとする少女へ、星刻はため息をつく。
「相変わらず、人の意見を聞く気はないようだな」
少女は振り向かない。

「私を誰だと思ってる? 王に仕える魔女の役目は、クイーンに決まっているだろう」

そんな言葉を残して、自らを魔女と呼んだ少女は出て行った。
星刻は錠の締まる音を確かめてから、宮の最奥部へと足を進めた。

天子の住まう宮とほぼ同じ造りをしているこの部屋は、大きな窓と天蓋のある寝台で成り立っている。
寝台には乱雑に本が散らばり、その間に少年が仰向けに寝そべっていた。
こちらに気づき、彼はぱちりと目を瞬かせる。
「星刻…? C.C.はどうした?」
「1ヶ月ほど留守にする、と出て行きましたが」
「…ああ、そうだったな」
彼の手招きに応じると、すいと優美な動作で手を差し出された。
星刻がその、男にしては細く白い手を取り引き起こすと、何が可笑しいのか微かな笑みが相手から漏れた。

「惜しいな。お前は宦官ごときに使われる人間ではないのに」

美しさは罪だ、と誰かが昔言った。
何を馬鹿な、とそれを嗤う人間は、今自分が手を取ったこの少年に会ってみれば良い。
美しいだけならばともかく、人を従える『王』としての才を併せ持っているのだから、始末に負えない。
…かくいう自分も、この少年に出会うまではそうだった。
己の忠誠心の在処は、確かに中華連邦皇帝たる天子(かのじょ)にあったはずなのだ。

「今ここに来たということは、天子に会っただろう?
どうだ? お前から見て、彼女の様子は」

中華において特に尊いとされる、鮮やかな紫を持つ眼。
それがブリタニア帝国を成す皇族特有の色だと知ったのは、いつであったろうか。
少なくとも、彼の持つ『王』としての存在感に、完全に呑まれた後だった。
ドラグゥンはを育てる

中華の黒龍は魔王に魅入られ、天龍もまた見込まれた。

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08.4.26/改訂11.7.20