48.
混沌と、している。
このブラックコーヒーのように。
「『ゼロ』の正体を知っているかって…?」
コーヒーを混ぜる手を止め、ラクシャータは渦巻く液体を見つめた。
カレンの問いの真意が、見えない。
何より、格納庫で交わした会話と、一体何の関係があるのか。
ラクシャータはゆっくりと息を吸い、もう1つのカップへ湯を注ぐ。
「…あんたは知ってるってこと?」
2つのマグカップを手にソファへ戻ると、片方をカレンへ差し出した。
礼と共にカップを受け取り、カレンはブラックコーヒーへ視線を落とす。
「私は、…私が『ゼロ』の正体を知ったのは、1年前です。
ブラックリベリオンの日、神根島で」
以前にも、幾度となく聞いた地名だ。
(いったい何があるっての?)
ラクシャータは逸れ兼ねない思考を固めるべく、正面からカレンを見つめた。
「あんたがアタシに何を求めてるのか、さっぱり分からないけど。
『ゼロ』の正体を知ってるかっていう話なら…」
カレンは置かれた間に唾を呑み込む。
「知ってるわ。あの方が、どこの誰なのか」
残念ながら、なぜ『ゼロ』なのかは解らないけど。
「…あの方?」
返された疑問符に、ラクシャータは眉を寄せた。
「なに? もしかして、アンタの思ってる人と違う?」
自分もカレンも、決して暇ではない。
だからラクシャータは、方針を変えることにした。
「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。それが、アタシの知ってる『ゼロ』」
かつて見(まみ)えた、"閃光"の息子。
皇族として尊敬した皇妃と、将来が楽しみだと感じた皇子。
あの素顔を目にしてしまえば、ラクシャータの行動は自然に当時のものとなっていた。
それだけ、あの頃に受けた印象が強かったのだろう。
…彼は、ブリタニア帝国の皇太子であると。
"あの方"という三人称に疑問を覚えた理由を、カレンは即座に理解する。
「そっか。ナナリーも皇族だから、当たり前か」
イメージが沸かないのだ。
ナナリーが皇族であり総督である事実さえ、未だ飲み込めていないカレンには。
「そんな名前だったんですね、ルルーシュは。
でも私が知っているのはルルーシュ・ランペルージで、皇族だなんて思いもしなかった」
「それは…アッシュフォード学園で?」
「そうです」
ようやく、確たる事実と想像が繋がった。
やはりあの家は、無関係ではない。
「で? 紅蓮を改造してくれた人間が何なわけ?」
元はそういう話であったはずだ。
カレンは数秒口ごもり、言うべき言葉を探した。
「その…紅蓮を改造した科学者って。
青っぽい銀髪で、眼鏡を掛けてて、アイスブルーの眼ですか?」
虚を突かれ、反応が遅れた。
「えっ?」
やはりそうか、とカレンは己の中で確信を持つ。
一方のラクシャータは、ますます問いの意味が解せない。
(どういうこと?)
紅蓮弐式を改造したのは、あのプリン伯爵とセシルに間違いない。
彼らは紅蓮を造ったのが己であることを、知っている。
…研究も開発も個性が出るので、解ったというべきか。
カレンとの面識も、捕虜となったデヴァイサーが気になったのかということで、納得できる。
(でも…)
それが『ゼロ』の正体と、どう組み合わさるというのか。
「名前は分かりませんけど」
続けられた声に、ハッと意識を戻す。
「その男は、私が紅蓮に乗れるように手回ししました。
紅蓮が置いてある場所までのルートを教えて、パイロットスーツまで渡して」
「はあ?」
そういえばラクシャータは、パイロットスーツを潜入部隊に渡していなかった。
だが、カレンは着ていたのだ。
(ブリタニア製のパイロットスーツを!)
捜索隊の成果は、芳しくない。
少なくとも、これ以上の捜索は無意味であると誰もが結論づけていた。
『黒の騎士団』幹部に会議室への招集が掛けられたが、ラクシャータは紅蓮の調整を理由に断る。
催促に来た千葉へ、イライラと言葉を投げた。
「なに、紅蓮に爆弾仕掛けられてても良いわけ?」
それは当然のシナリオだ。
敵方に渡っていた味方機が帰ってくるということは、罠であると。
ラクシャータの苛立ちはそんなものが理由ではないのだが、戻ってゆく千葉に、ロロの気持ちが分かった気がした。
(ほんと、慣れ合うのは有り得ないわ)
『ゼロ』さえ居なければ、そもそも騎士団に合流などしなかった。
(さて、と)
手塩に掛けたKMFを見上げ、ラクシャータは目を細める。
(どこに仕掛けた? アタシがやるとしたら…)
仕掛けられたのは、爆弾ではない。
ラクシャータは紅蓮に乗り込み、ハッチを閉める。
OSを起動すると、ディスプレイに意味の掴めぬキャラクターがにゅっと顔を出した。
(これはセシルの。でも、セシルは知らない可能性がある)
用心深くて捻くれて、蛇とまではいかないが中々に狡猾だった男。
吐く言葉の3割は心にも無い。
(だから、世渡りの上手いヤツだった)
ラクシャータはOS画面を思いつくままに操作する。
「…アタリ」
紅蓮の起動画面ではない、明らかに自分の与り知らぬ画面が現れた。
タイプ待ちのキーに続いて、文字が打ち出される。
(パスワード、ね)
画面には3つの文章が並び、最下部に入力キーが表示された。
ー『閃光の住処の獣』
ーー『第3世代』
ーーー『好物』
ふむ、とラクシャータは右手を顎に添えた。
(マリアンヌ様が住まわれていたのは…、えーっと?)
確か黄道十二宮の名称の1つで、"アリエスの離宮"だったような。
(第3世代ってのは、明らかにガニメデのことで)
しかし。
(好物?)
好きな食べ物のことで良いのか?
(…誰の)
この見知らぬ画面を勝手に入れ込んだ男の大好物なら、プリンである。
でなければ、"プリン伯爵"と罵る言葉は生まれない。
「……」
馬鹿らしくて、考えることを止めた。
ー『ram』
ーー『Ganymede』
ーーー『pudding』
入力した文字は瞬く間に消え、画面は真っ暗になる。
(Ariesだと"牡羊座"だから、ramで合ってると思うんだけど)
そんなことをぼんやり思えば、白いカーソルが画面に浮かび上がった。
ー『Wait three minutes...』
打ち出された文面に、脱力する。
「あーはいはい、待てば良いんでしょ?」
カップラーメンじゃあるまいし!
待っている間に紅蓮の内部を攫ってみたが、特に不備はなさそうだ。
(ま、腐っても開発者ってことねえ)
どうせ改造するなら、相手が悔しがるものを。
開発者にとって、クオリティの追求は相手への最大の賛辞でもある。
ピピッと鳴った電子音に、顔を上げた。
黒の画面の右下には、"Sound Only"と"Screen On"のスイッチパネル。
一呼吸置き、ラクシャータは"Screen On"をタッチした。
『ひっさしぶりだねえ! 気づいてくれて助かったよ、ラクシャータ』
にんまりと浮かべられた、笑み。
決して笑ってはいない、アイスブルー。
愚か者を気取る口調に込められた、確たる裏。
「…ロイド」
モニター越し、かつての研究仲間を見据えた視線に、知らず険が篭った。
「あんたに言いたいことは山程あるんだけどさあ。とりあえず、聞いても良いかしら?」
何を差し置いても、はっきりさせたいことがある。
ラクシャータの問いに、相手は肩を竦めた。
『内容に寄るけど、ドウゾ?』
相変わらずの道化ぶりだ。
だからこそ、"秤"を間違えてはいけない。
(言葉を間違えれば、二度と答えは得られない)
期待値を外れたそのときから、関わる理由無き存在へと格下げする。
少なくとも、ラクシャータは他者をそうして生きてきた。
躊躇いを挟み、選んだ言葉を紡ぐ。
「…あんたの"主"は、無事なの?」
薄暗い画面、アイスブルーがつと細められた。
声音が下がる。
『一時は昏睡状態だったらしいけどね。本人から無事の便りが来たよ』
「…そう」
なら、良い。
懸念の1つが拭い去れた。
(殿下が無事なら…まだ)
ほぅと長い息を吐き、ラクシャータは肩に入っていた力を抜く。
画面から目を離した彼女は、次への対処を明らかに怠っていた。
『じゃあラクシャータ、僕からも質問〜』
間伸びた声が聞こえた瞬間、指先に緊張が走った。
予感ではなく、確信の。
『君がこれからどうするつもりか、聞いても良いかなあ?』
生体医学から完全に手を引くと決めた、切っ掛け。
あれもそもそもは、ロイドからの問いだったのだ。
ーーーこのままだと頓挫しちゃうねえ、君の研究。
ーーー言われなくても分かってるっての。
ーーーブリタニアじゃなければ、出来るんじゃない?
ーーーこのプリン伯爵が。無理なの分かってて聞くわけ?
ーーーあっは〜。君のことだから、実は妙案持ってるかもとか思ってさあ。
ーーーで、どうするの? ラクシャータ。
ーーーアタシは、
井戸の上の風見鶏
風なんて見えないでしょう?
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11.11.20