47.




『こちら××××、認識番号××××-××、着陸許可を』
『・・・…着陸を許可します。B滑走路、のちH-A待機場へ』
『了解。着陸態勢へ入ります』

静寂を破る、パイロットたちの声。
閉じていた目を開け、朝比奈は携帯電話を取り出した。
(電波入るのかな)
幸運にも、圏外ではなかった。
GPS機能をONにし、現在位置を確認する。
(…東南アジア? この位置はタイ…じゃなくて、カンボジアか?)
なんだって、こんなところに。
身体に重力が掛かり、シャトルがどんどん降下している様を感じた。

薄暗い貨物室は、雑多に物が積まれている。
朝比奈はその内の1つに背を預け、眠っているように見えるもう1人を盗み見た。
(こいつはいつも、『ゼロ』を"兄さん"と呼んでいる。本当に兄弟なのか?)
だとしたら、『ゼロ』は成人していないのではなかろうか。
(『ゼロ』がブリタニア人だってことは、桐原翁が言っていたな)
結局、あの人を助けることは叶わなかった。
それから。
(あの感覚、なんなんだ…?)
この貨物室へ入る過程を、朝比奈は見ていない。
目の前で刃を突きつけられるまでの過程も、分からない。
それはまるで、魔法のように霧掛かって。

ふ、と。
ロロが薄らと瞼を開いた。
「…大丈夫か?」
純粋に心配を声にすれば、相手は鬱陶しげにこちらを見返しただけだった。
(ガキのくせに)
朝比奈は皮肉で口を開くことを止め、大人の対応に切り替える。
「もうすぐシャトルが着陸する。現在位置はカンボジアらしい」
「…カンボジア?」
なんだってそんなところに?
小さな呟きは、返答を期待したものではない。
朝比奈とて聞きたいところだ。
「!」
着陸の衝撃で船体が大きく揺れ、危うく転げ落ちた箱を避けた。
地面を高速で滑る車輪音が、ダイレクトに床へ響いてくる。
ややあってブレーキ音が収まると、規則的なエンジン音に変わった。
無事、着陸したらしい。
ロロが身を起こし、朝比奈も緩めていた緊張の糸を張り直す。
「ここの荷物、全部ではないでしょうけど外へ運び出すはずです。そのときに出ます。
あなたはここに居てください」
「は? ここにって、それじゃ閉じ込められるだろ」
朝比奈の尤もな反論に、当たり前だとロロは表情を変えない。
「見つかって捕まって、情報を吐かされて殺されるよりはマシでしょう」
あっさりと言ってくれる。
ロロは応酬の出鼻を挫くように、続けた。
「あなたが、誰にも気づかれずに外へ出て、身を隠せるなら良いですけど」
それだ。
総督府からずっと、朝比奈が感じてきた違和感は。

シャトルはまだ、移動を止めてはいない。
猶予はあるだろう。
「総督府でお前がナイフを向けてきたのも、この貨物室に入ったのも、僕には全く覚えがない。
いったい何なんだ? まるで魔法でも使ったみたいじゃないか」
朝比奈自身が呆けていたとか、気を逸らしていただとか、そういうレベルではなかった。
なぜなら総督府は周り全てが敵であり、作戦には日本の奪還が懸かっていたのだ。
…気を抜くなど、有り得ない。
ロロは強い視線を寄越す相手を、ただ見つめ返した。
その口元が、暗がりでふと笑う。
「言い得て妙、ですね」
「え?」
シャトルの振動が徐々に弱まり、"移動している"という感覚が無くなる。
ガタガタと前方で音がし、タラップを降ろしているのだろうと予測をつけた。
ロロの発した言葉の意味を、朝比奈は巧く掴めない。
「どういう意味だ? それは…」
返答はなく、沈黙だけが残る。
それが何分間の出来事だったのか、計りもない。
不意にこちらから視線を外したロロに釣られて彼の見遣る方向を見れば、ガチャリと重い金属音。
続いてガタン、とほぼ真正面の暗闇から。
(貨物庫の扉か!)
不味い、と朝比奈が腰を浮かしかけた刹那。

「世界には、魔法としか言い様のないこともあるんですよ」

声、だけが。
確かに声を聞いたのに、もはや朝比奈の前からロロの姿は消えていた。
今の今まで、彼を見ていたというのに!



潜んだ先は、シャトルの空(から)の客室。
操縦室に程近い座席の間に片膝で腰を降ろし、ロロは必要な要項を脳内に反芻させる。
(ここはどこか。何故ここに来たのか。誰の命令か。…ナナリーは、どこか)
地理が分かるものも必要だ。
建物があったので見取り図も欲しいが、手には入り難い。
…それから。
(戦闘がどうなったのか)
10分ほど経っただろうか。
客室と操縦席を隔てる扉の向こうで、ガタガタと音がした。
聞き取れないが、話し声も聞こえる。

ロロは右手を伸ばし、扉をノックした。
コンコン、という静かで異質な音に、扉の向こうの気配がサッと緊張する。
微かな話し声が途切れ、扉が開く瞬間に足を踏み込んだ。
(1人目)
ギアスを展開し、客室へ入ろうとした操縦士の鳩尾に拳を1発。
倒れこもうとする身体を横へと傾け、座席の下に転がす。
秒数に直せば、約3秒。
ギアスを解除する直前に、もう一度別の座席の間に身を隠した。
…前に居たはずの操縦士が、忽然と消えた。
不可解な事態に慌てたもう1人が客室へ入り、その背後で扉が閉まる。
辺りを見回し床に転がっている仲間を見つけ、声を掛けようと壁の無い方向へと背を向ける。

その好機を、逃さず。

「動かず騒がず、僕の質問に答えてくれれば、命までは取りません」
首筋にナイフを突きつけ、告げる。
「ここはエリア11ではありませんよね。どこですか?」
「…っ、カンボジアだ」
「どこの施設?」
「と、トロモ機関だ」
「トロモ機関?」
ロロには聞き覚えの無い組織だった。
「なぜそんなところへ? 誰の命令ですか?」
「『黒の騎士団』を欺く為にと、シュナイゼル殿下が…」
問いに答えることで、幾分頭が回ってきたのだろう。
操縦士が隙を探し始める。
「お、まえ、主義者か? このような場所からは逃げられんぞ」
ロロは口角を上げ、ナイフではなく相手を羽交い締めにしていた腕を解く。
ポケットからあるものを取り出し、役に立つ日が来るとはと自嘲した。
「僕が主義者ですって? 馬鹿も休み休み言ってください」
相手に見せるように開いたそれは、機密情報局発行の諜報員証書。

皇帝直属、一般軍人では預かれぬ権限を持つ、証。

息を呑んだ操縦士へ、畳み掛けた。
「あなた、どこの所属ですか? どこであろうと、エリア11ならばトップはナナリー総督、引いては皇帝陛下でしょう?
それを勝手にシュナイゼル殿下の命に従い、トップたるナナリー総督の身柄を移したと?」
「げ、現場指揮はシュナイゼル殿下が…」
「では、シュナイゼル殿下の方が皇帝陛下よりも上であると?」
「なっ…まさか!」
ぱたり、と証書ケースを閉じ、ナイフを構え直す。
「では答えてください。ここはどこで、何をしていて、なぜこのような場所へ来たのか」

操縦室のモニターに映し出された、シャトル周辺の景色。
そして、周辺の地図。
建物の中までは分からないが、相当に有り難い情報量だった。
5分間で可能な限り叩き込み、それらを表示させた操縦士へと礼を述べる。
「…助かりました。もう結構です」
もう覚えたのか? と言わんばかりの視線に、わざわざ向けてやる表情など無い。
呼び動作無しに首へと叩き込んだ手刀は、考える暇すら与えず相手の意識を昏倒させた。
(ここは駐機場。それなりに時間は稼げるはず…)
出来れば帰りの足にもなって貰いたいが、それはそのときに考えよう。
ロロはギアスを展開させシャトルの外へ出ると、駐機場から繋がる建物の扉へと走った。





ここは、どこだろう?
日射しが強く、空気もトウキョウより湿気ている。
…ああでも、日本の夏と似ている。
それが、シャトルを降りたナナリーが最初に感じたものだ。
「いったい、どこに着いたのですか? ここは日本ではありませんよね」
タラップ横に並ぶ誰かに向けて、問い掛けた。
微かな驚きの気配の後、答えが返る。
「お察しの通りです、ナナリー殿下。ここはカンボジア、東南アジアです」
「カンボジア…。なぜ、そのようなところに」
「シュナイゼル殿下のお考え全ては分かり兼ねますが、『ゼロ』と『黒の騎士団』を欺く為かと」
「…そうですか」
こちらです、と即され、歩き始めた案内役の後に続く。
(トウキョウは、どうなったのでしょう…)
エリア11総督であるというのに、これでは職務を放棄したに等しいではないか。
(確かに私は、足手纏いにしかならないけれど)
自動扉の開閉音がし、日射しの元から建物内部の空気が肌に触れた。
ひんやりとした石の気配がする。
床だけでなく、壁も石造りなのかもしれない。

「では、こちらでお待ちください」
ホールのような空間に出ると、案内役がそう告げてきた。
了承を返して、ナナリーは1人取り残される。
(…お兄様)
1人で居ることの心細さが、胸を刺した。
何も知らない場所に、誰も居ない場所に居ることがあまりに久しく、忘れかけていた。
兄ルルーシュを捜すという目的は、未だ果たせぬまま。
(お兄様は、アッシュフォード学園に居られるのではないのですか?)
囚人となったカレンと話したところでは、何ら情報は得られなかった。
アッシュフォード学園へ短期留学していたジノとアーニャにも、今まで詳しく尋ねる暇はなく。
ただ、
(生徒会の写真に、私が居なかった…)
誰もナナリーの名を出さず、また、意図的に隠している素振りも無かったと。
不思議そうに言っていたジノを思い出す。
そもそも、なぜ自分だけがブリタニア皇室へ戻ったのか。
(私が居ると分かったなら、お兄様もどこかに居ると分かっていたはずなのに)
1人きりの状態に置かれることで、思考が堂々巡りを始める。

人の気配を感じ、ナナリーは弾かれたように顔を上げた。
(これ、は…)
足音が少しずつ大きくなり、気配がはっきりと捉えられるようになる。
この、気配は。
「お兄様…っ?」
囁くように口にしてから、違う、と自分で頭(かぶり)を振った。
よく似ているが、兄とは異なる。
「どなたですか…?」
尋ねながら、皇族やその騎士に近しいのではないかと考えた。
(…そう。お兄様に良く似た、美しい所作の音)
相手はナナリーから数m離れた位置で立ち止まり、軽い辞儀を寄越したようだ。
「初めまして、ナナリー殿下。長の旅、お疲れ様でした。
ここでは僕が、貴女の補佐を務めさせて頂きます」
シュナイゼル殿下は、当分こちらへは来られないので。
明朗、かつ玲瓏な声も、ルルーシュに良く似た。
名を問えば、曖昧な笑みに変わる。

「名は…そうですね。『ライ』とでもお呼び下さい」

兄に良く似た人物は、そう優しく微笑んだ。
止まらぬ

風標(かざじるし):風の吹く方向を知る道具

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11.9.11