1.  


イギリス・ロンドン郊外に位置するクロスフィールド学園は、世界各地の秀才が通うことで知られる。
全寮制の学園は一種の隔離空間であり、内と外の違いは入った者にしか解らない。
自ら希望して入学試験を受け、晴れて『天才』の仲間入りを果たす者。
学園関係者のスカウト、もしくは姉妹校学校長の推薦により入学する、特待生。
今まで1番であった者が、入学してみれば末席ということもよくある話だ。
学年を上がる度にクラスは編成し直され、年を追う毎に上位と下位の差がはっきりと見えてくる。
同レベルの者が机を並べれば、更なる競争が生まれる。
と来れば、他の学校と変わらずクロスフィールド学園でも、妬み羨みによる諍いが絶えなかった。

大門カイトは大規模な編成を受けた新クラス表を見上げ、軽く溜め息を吐いた。
(…また上がっちまった)
今期から中等部生となるカイトは、初等部2年の頃からこの学園の生徒だ。
亡くなった両親に代わる後見人により、編入させられたという説明が正しいだろうか。
初めは不満だらけであったが(なんせ言語が違う!)、今となっては感謝の念の方が大きい。
ただ、感謝の念を大きくさせた親友と別離して以来、カイトの日常は鮮やかさに欠けている。

溜め息を吐いた原因であるクラス表。
カイトの名は『A-III』と表記されたクラスに連なっていた。

クロスフィールド学園のクラス割は単純なもので、アルファベットが上である程、数字が大きい程、優秀とされた。
下からD・C・B・A、その後ろにI・II・IIIの数字が付いてくる。
ゆえに、カイトは今期から最上位クラスの生徒となるわけだ。
(…めんどくせーなー)
両親共々、古今東西あらゆるパズルを解き、遊び、稀に創ってもきた。
この学園はパズルを軸とした英才教育を誇るため、カイトの気質に合っていることは間違いない。
また、パズルを解くには知識と応用力が必要。
こうして必要と目的が合致していることを鑑みれば、彼が成績優秀であることも道理。
問題が出るとすれば、それは周囲の人間によるものだった。

イギリスにあるという事実に沿い、この学園の生徒は西洋人が大多数を占める。
東洋人など、1クラスに1人以下の割合だ。
最近はアジア系の才能発掘に勤しんでいるらしいが、カイトの周りは未だ変化なし。

母数が極端に少ないために、カイトは編入当初から否応なしに目立ってしまっていた。
辿々しい英語しか話せないわ、人種は違うわで格好の獲物だったろう。
それでもカイトには、周囲を黙らせる力があった。

クロスフィールド学園の心臓たる、『パズル』が。

誰よりもパズルが解けた。
勉強も嫌いではないから(最初は知らない単語ばかりで散々だったが)、成績も良い。
すると教鞭を振るう講師たちの覚えも目出度くなり、時間外だというのに英語を教えてくれたりと厚遇となった。
こうしてカイトは、徐々にイギリスの空気に馴染んだ。
しかし、人間環境は一向に馴染む気配がなかった。
(…ここまで来ちまえば、これ以上ってのはないだろうけど)
"妬み"が大罪に挙げられることは、正しいのかもしれない。
成績が良いことも、講師たちの覚えが良いことも、パズルが解けることも、すべてがやっかみに変わった。
これは本当に厄介なもので、カイトに好意を持っている者すら、飛び火を恐れて近づかない。
カイトがいわゆる"友達"という関係となった同級生は、それこそ別れた親友だけだ。
…『孤独』は『友』とは言わない。
運が良かったのは、ちょうどインターネットが爆発的に普及し成熟期に入っていたことだろう。
それなりの話し相手も、難易度の高いパズルも、パソコン上で手に入るようになった。

希薄な人間関係に、心が直接の温もりを渇望していても。
カイトはそれを心の奥底に押し遣り、知らん顔して生きて来た。



A-IIIクラスへ足を踏み入れれば、すでに教室内にいた生徒たちの視線が一瞬集まり、すぐに離れた。
カイトは黒板に書かれた座席表を認め、窓際の前から3列目と確認。
前後には誰も座っていなかったが、そのうち埋まるだろう。
荷物を置き腰を落ち着けて、カイトはそっと教室内を窺った。

カイトのような繰り上がりの生徒と、以前からA-IIIであった生徒の違いは明らかだ。
どことなくそわそわしていて、独りぽつんと座っているのが前者。
気心の知れているらしい会話を交わす者たちが、後者。
やけに落ち着き払って座っている生徒は、どちらか判別が付かない。
以前からA-IIIであった生徒から見れば、誰が落ちて誰が新参なのかすぐに見分けが付くだろう。
中から視線を外し、窓の外を見遣る。
見える景色は違うが、視界にあるものは変わらない。
広い平原、森、古めかしい建物。
クロスフィールド学園の敷地がどこからどこまでなのか、広すぎて解らない。
(アイツは元気かなあ…)
この景色にはない古い教会を思い返し、転校してしまった親友を思った。



けれど、変化は意外と早く訪れた。



「君、大門カイトくんだよね?」
オリエンテーションと初めの授業が終わった休み時間。
出し抜けに声を掛けられ、カイトは驚いた。
恒例のクラス内自己紹介で、名前は覚えられているだろう(東洋人は名前の音が違うので記憶に残りやすい)。
しかしわざわざ声を掛けてくるとは、とんだ物好きだ。
「そうだけど…」
相手を振り仰げば、これまた自己紹介のときに印象に残った生徒だった。
ふわふわとした白に近い金髪で、眼の青は空の色に似ている。
どこか線が細く色白で、声を聴くまでは女だと勘違いしていた。
「え…っと、フリーセル?」
そう、名前もトランプゲームの一種と同じだったので、印象的だった。
名を問い返せば、相手の顔がパッと輝く。
「そうだよ。覚えてくれたんだね」
カイトの前の席の生徒は席を外しており、彼はそちらを無断拝借する。
「実は、君に見て欲しいものがあるんだ」
そう言った彼がポケットから取り出したのは、綺麗に四つ折りされた羊皮紙だった。
(今時珍しいな…)
四つ折りを丁寧に広げた彼は、開いた羊皮紙をカイトへ差し出す。
カイトは差し出された羊皮紙を見、目を丸くした。
「これ…!」
書かれていたのは、非常に古典的なパターンをなぞる魔方陣。
違うのはその難易度と、完成度。
「すごい…」
カイトが今まで見てきたパズルの中で、一二を争うかもしれない。
ただの感嘆詞だけを零したカイトに、フリーセルは目を細めなおも問う。
「どこがどう凄い?」
変わったことを聞いてくるなと思いつつ、カイトは素直に返した。
「うーん、全部って言ったらあれだけど。例えば…」
ヒントとなる数字の並びに規則性があるとか、見た目はそのままに難易度を上げているテクニックだとか。
パズルは関係ないが、額に入れて飾りたくなるくらいの装飾性だとか。
「これ創った人、理知的なんだろうな…。全然無駄がないし、数字の並びが綺麗で」
それから、とカイトが口篭ったのは、真っ先に感じたもので。

「…父さんと母さんが創ったパズルみたいに、あったかい」

パズルに込められた想いというものは、千差万別だ。
"他者を出し抜きたい"やら"蹴落としたい"やら、投稿型パズル雑誌は最たるもの。
偶に混ざる"解いて欲しい"、"楽しんで欲しい"というのは、アクセントだろうか。
先の評価もそうだが、カイトがそんなことを言えば大抵馬鹿にされた。
パズルに想いがあるなんて、と。
ならばなぜ絵に込められたものを考えるのか、答えてもらいたいものだと常々思う。

羊皮紙のパズルに気を取られたカイトは、気づかなかった。
彼の最後の評価に、フリーセルが喜色を浮かべたことを。

授業開始のチャイムが鳴り、顔を上げる。
返された羊皮紙をまた元通り丁寧に畳み、フリーセルは去り際に尋ねた。
「ねえ。昼休み、予定がないなら僕と一緒に食べない?」
カイトが否やを言うはずがなかった。
「え? 良いのか?」
「駄目だったら聞かないよ」
それもそうだ。
「じゃ、よろしく」
「うん。また後でね」
自席に戻る彼を見送って、カイトは窓の外へ視線を放った。

今日だけ、かもしれない。
それでもカイトの日常は、この日少しだけ色づいた。
〜邂逅


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12.5.20

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