35.  

すぐにでも雨が降り出しそうだ。
玄関を出たノノハは片手に傘を、片手に作りたてのクッキーを持ち空を見上げる。
腕時計を確認すれば、午後18時すぎ。
冬であればもう真っ暗だろうが、幸いにもまだ夕方と言っても構わない明るさだ。
雨は、いつ降りだしてもおかしくない。
だがノノハは、無意識に早足になりそうな歩幅を抑えつけ、のんびりと歩いた。
(あんまり遅くなると居なくなっちゃうかもしれないし、これがギリギリだよね)
急いではいけない。
急いだ振りをするなら、公園に入ってからでも遅くない。
そうしていつものように大通りに出て、電話を1本。

「あっ、もしもしノノハ? ケータイのGPSはONにした?」
ノノハからの電話を受け、キュービックは研究室でモニター画面を切り替えた。
彼女の携帯電話の位置が点滅を始め、現在位置が表示される。
「公園に向かうのかな?」
同じくモニター画面を見守るソウジは、数分前に掛かって来た電話を思い返す。
「解道学園長も監禁を解かれたみたいだけど、何なんだろうね…」
ここに来て、あちらこちらで同時に事が動いた。
響いていたキーボード音が止まる。
「…認めたくはないけど、たぶんルーク・盤城・クロスフィールドの思い通りの展開なんだ」
先日覗き見た、POG幹部たちの会議。
その日は内容で受けた衝撃が強すぎて、気づけなかった。
(あんなあっさりと解けるパズルで、会議を保護してるなんて)
有り得ない。
(POGは過去からこんな組織だったのか、なんて…)
掴めない、あのルークという人間のことが。
『ねえ、キューちゃん』
話中の電話から、ノノハの声が問い掛けた。
常の彼女には稀な抑揚の抑えられた声に、ソウジもおやと首を傾げる。
通話口の向こうで、横断歩道の郭公(カッコウ)の音色が聴こえた。

『私、きっとカイトに置いて行かれちゃう』

信号を渡り、公園の入口で立ち止まる。
驚きに沈黙してしまった通話向こうへ、ノノハは続けた。
さんがね、言ってたんだ。私はカイトにとって、"遠ざけることで守るもの"なんだって」
ならばは?
「カイトにとって、さんは"隣に居ても守れる人"だったんだ」
彼は強い。
カイトだけでなく、ノノハたちをもその手で掬うことが出来るくらいに。
『"だった"って、じゃあ今は…?』
ポツポツと雨粒が顔に当たった。
ノノハは手にした傘を差し掛けて、クッキーの袋を雨から避ける。
キュービックの問いに、また泣きたくなった。
「きっと、こう思ってるよ。"遠ざけないといけない"って」
カイトがクロスフィールド学園に居た頃のことは分からない。
だが、伊達に幼馴染ではないのだ。
彼のことなら、彼の考え方なら、他の誰よりも解るとノノハは自負している。
…自分が誰かとパズルで戦う度にくすんでゆく、あの美しい眼。
それを間近にして、カイトは何を思っただろう?
俯き、足元を見つめた。
「…でもさ、さんはそうじゃないんだよ」
だからノノハは決めたのだ。
(私だってさんを助けたいんだよ、カイト)

『俺はお前の傍にいるよ、カイト。ちゃんとその手の届く場所に』

の言葉が、真実であるように。
その為に、自分に出来ることをしようと。



雨が横殴りに降り始めた。
それでも強いというわけではなく、雨粒だけで言えばまだ弱い。
「カイト!」
公園の北口へ走れば、茂った樹木の下で雨宿りをしているカイトの姿があった。
片手を上げた彼にノノハも同じ木の下へ駆け込むと、傘を閉じ雨粒を払う。
「急に降ってきたね。やっぱり降られちゃった」
不自然にならぬよう注意を払い、ノノハはクッキーを手渡した。
「はい、お手製クッキー」
「お、サンキュ」
何に使うの? と聞こうとする前に、驚愕した。
(?!)
取り出したクッキーをパクリと食べたカイトに。
「…ちょっ、カイト?!」
いや、食べてほしくないのかと言われればもちろん食べてほしいに決まっているが…。
唖然とノノハが見ている前でクッキーを飲み込み、カイトはにかりと笑った。
「へえ、改めて食ってみると結構美味いな」
ノノハは顎が外れるかと思った。
(しょ、正気? よね…?)
疑ってしまうのは仕方がない。
「カイト…?」
恐る恐る名前を呼べば、真っ直ぐな目が向けられる。
「いつもありがとな、ノノハ」
オレ、ちょっと行ってくるから。
(行くって、どこに?)
戸惑うノノハに構うことなく、カイトはどこか別の方角を見つめた。
「これはオレが…いや、"オレたち"がやらなくちゃいけない」
カッと横から強い光に照らされ、思わず腕で顔を覆う。
「な、何?」
目の前で駆け出す気配がし、ノノハは視界が不明瞭なまま反射でカイトの腕の辺りを掴んだ。
ほんの服の端ではあったが、立ち止まらせることは出来た。
「待ってよカイト! 一体どこへ行くの?!」
何をする気なの?!
酷い騒音と風がぶつかり、声が通らない。
視界も正常に戻らない。
「ねえカイト! 何をする気なの?!」
答えも返ってこない。
それでもノノハは問い続けた。

「どうしてさんを置いていくの…っ!」

触れた服の先から、動揺が伝わってきた。
ノノハはなおも叫んだ。
さん、言ってたじゃない! カイトの手の届く場所に居るって!
なのにどうして置いて行こうとしちゃうの?!」
思い切り腕を振り払われ、反動で後ずさる。
逆光に照らされ、カイトの姿が浮かび上がった。
…あれは、ヘリだ。
雨の降りしきる中、カイトの向こうにヘリが降りてきている。
騒音はプロペラの音だったのか。
「…これ以上、アイツに戦いを見せるわけにはいかねえ」
やはり彼は、戦いに行くのだ。
(っ、ダメ、私じゃもう…)
カイトを止められない。

「ーーーさん、はやくっ!」

何処かへ叫んだノノハに、カイトは目を見開いた。
彼女は今、
…に、)


『 Lord of INFERNAL ROAD -Edge Cell-Lv3』


突然に、目の前で幾箇所もの土が跳ね上がった。
ヘリの乗降口でカイトを待っていたルークは、戦場に居るかのような錯覚に陥る。
…カイトとヘリの間の空間で、"何か"が直線上に撃ち込まれた光景。
まるで、武装ヘリの機関銃掃射のような。
「っ、カイト! 早く!」
呼んだ傍、カシン、と頭上で金属の音が聴こえた。

『DrAgon-HoWL / Cell_Down』

何かが圧し掛かるように、風が吹き下ろす。
風圧はそのまま重力となり、身に掛かる圧力で息が詰まった。
「管理官、駄目です! この風で飛び立つのは…!」
パイロットの声が焦りに満ちている。
ヘッドライトに照らされたカイトの表情が、不意に驚愕に塗り替えられた。

「止めとけ。飛び立った途端に機体がバラバラになるぜ」

頭上から降った声に、ルークはハッとしてヘリを振り仰いだ。
…降り続く雨の中、暗い空の下で異に浮かぶ緋の刺繍。
下方からの照り返しに光る銀のA.T(エア・トレック)が、鈍色に見えた。
、さん?」
ヘリのローターへ降り立った、赤。
ルークとカイトの間を閉ざすように、真っ赤な"龍"が蜷局を巻き嘶いた。
蒼ではない、鮮烈なまでの緋色。
カイトは唇を引き結ぶ。
夕刻から夜へ向かう時間帯、本来ならば彼は目覚めていないはずで。
(ノノハが、呼んだのか)
彼女を責めることは出来ない。
おそらく、が目覚めるかどうかは賭けだったはずだ。
(絶対に起きてない時間を選んだ…つもりだったのに)
ふと無風になり、顔を上げた。
ゴーグルに隠された両眼がこちらを射抜いていることに、気づかない訳がない。

「クロスフィールド。俺とノノハも連れてけ」

頭上からの言葉は、『命令』だ。
事実、彼がヘリに"止まっている"限り、飛び立てはしない。
…危険だから、という意味ではない。
この一帯の風を、が『支配』しているのだ。
ルークがカイトを見遣れば、彼は酷く苦い顔をしてこちらを見ていた。
(…だよね)
彼と同じくを関わらせたくなかった身としては、結構な精神的ダメージだ。
だが、こうなってしまっては仕方がない。
「……仕方ないね。どうぞ」
ルークが奥へ引っ込むと同時に、がヘリから飛び降りる。
押し黙ったままのカイトへ、ノノハはそっと呟いた。
「…ごめんね、カイト」
雨音の中、その声は聞こえていたようで。
「……いい。ノノハのせいじゃねえ」
少しだけ、笑みが零れた。
「そっか」

ヘリが、飛び立つ。
Red repaint the Blue.


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13.3.17

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