09.  

訳が分からない。
それはカイトを助けるために行動を共にしたノノハも、彼らを出迎えることとなったギャモンたちも。
そして、裏から余裕の笑みを浮かべいたはずの者さえ。
虹色に輝く腕輪を満足気に見遣り、フリーセルはその左手を天へ掲げた。

「もういいよ。いろいろ解っちゃったから」

歪められた記憶は、修正。
必要以上に過剰化された自信も、修正。
そして自分の周囲に居た者たちについても、1人を除いて…修正を。
ああ、なんて滑稽な話だろう!

「ま、て、フリ…セル…」

意識を取り戻したらしいカイトの声に、振り向く。
「なぁに? カイト」
彼の笑顔に重なった、カイトの脳裏にある記憶。

(やっぱり…『約束』は、実在してる)

次の言葉を探すカイトに、フリーセルは逆に問い掛けた。
「もしかしてリングの心配? それなら大丈夫だよ。
これはレプリカだけど、本物が示すデータならすでに存在してる」
「は?」
唖然と声を上げたのはギャモンだ。
「おい待て、どういう意味だ?」
フリーセルが付けているのは、レプリカリングらしい。
だが、言っている意味が明らかに矛盾している。
するとフリーセルはギャモンのさらに向こうを見た。

「ねえ、カメラの位置、どこかな?」

キュービックはカイトを支えるノノハと顔を見合わせた。
「カメラ…? 何を言っているんだ?」
ノノハもまた、フリーセルの言っている言葉が理解できない。
しかし背後でジャリッと瓦礫を踏みつける音が響き、ギョッと振り返った。
初めの言葉が失せたのは、彼女だけではなく。

「なっ、さん…っ?!」

なぜ、ここに。
姿を現したのは、だった。
「お前…アメリカに居るんじゃ」
彼は数日前から、本国へ帰国していたはずだ。
ギャモンの問いには答えず、視線さえも向けず、は笑った。

「カメラはお前の30度左上。あと60度右後ろにもある」

それは、フリーセルの疑問に対する回答で。
ありがとうと笑みを返したフリーセルは、彼の言った位置を見上げる。
「ホイスト、どうせ見てるんだろう?」
ハッと息を呑んだのは、画面越しに彼と目が合ったホイストとメランコリィだった。

はゆっくりと足を進め、意識の無いヘルベルトを足元に見下ろす。
「…ふぅん。コイツの視界に入るな、ってことだったわけか」
フリーセルの精神安定剤的な役割を担っていたとき、この屋敷の中で階下へ降りるなという条件を持たされたことがあった。
その理由が、どうやらこの男らしい。
(ま、どうでも良いや)
すでにクロンダイクの『駒』から転げ落ちた人間、他のメンバー以上の重要度はないだろう。
カメラの位置へと、フリーセルは楽しげに告げた。

「計画、壊しちゃってゴメンネ? この出来損ない、"本物"にしちゃった」

それは、いつだったかソウジが言っていたことだ。
『レプリカは本物のファイ・ブレインを求める』と。
キュービックはフリーセルの左手首を凝視した。
「まさか…まさか、あのリングは」
また、が足を進める。
彼はやはり√学園の面々に視線を与えず、すぐ脇を通り過ぎた彼をカイトはぼんやりと見上げていた。
、さん…?」
はそのままフリーセルへと近づく。
「腕輪、見せて」
どうぞ、と差し出された左手を取り、虹色に輝くオルペウス・リングを眺めた。

「レプリカでも侮れないもんだな。俺のは本物だったけど、こうはならなかった」

今、なんと。
聞き間違いかと、疑いたかった。
さん…今、なんて」
呆然とこちらを見上げるノノハへ、彼は天気の話でもするように。
「言ってなかったっけ? 俺もオルペウス・リングの契約者だったんだよ。"本物"のな。
けどカイトと同じで、リングが俺の能力について行けなくなって壊れた」
過去、カイトの腕輪は砕け散った。
それと同じだと、言っているのだろうか。
の視線は、再びフリーセルへ戻る。
「で? お前、これからどーすんの?」
そうだなあと小首を傾げる様子は、大して考えているようには見受けられない。
は?」
案の定、問いを問いで返してきた。
別に構わないが。
「俺? 俺は一度本国に戻るよ」
なぜかフリーセルが苦笑する。
もイギリス人なのに、4年くらいしか居ないアメリカが"本国"なんだね」
確かに、は生まれも育ちもイギリスで、つい4年前まではクロスフィールド学園の生徒だった。
けれど彼の基準は、そこに無い。
「俺にはあっちの方が暮らしやすい」
面白いものが多いし、面白いヤツも多い。
何より、縛られない。

そこまでが、限界だった。

耐え切れず、ノノハが叫ぶ。
さんっ!!」
とフリーセルの視線が、ようやく彼らの元へ戻された。
「何?」
まるで何でもないように、彼はいつものようにノノハたちを見遣った。
あの美しいオッドアイにも、陰りなど見当たらない。
次の言葉を躊躇した彼女に変わり、アナは衣服の裾を叩いて立ち上がる。

さんは、オルペウス・オーダー?」

ぱちり、と色違いの彩が瞬かれた。
「…見ての通り? まあ、俺はほとんど真面目に動いちゃいないけど」
あっさりと告げられた事実は、それが彼にとってあまり重要でないと示しているようなもの。
いつだかのように、ギャモンは毒気を抜かれた。
「チッ、マジで唯我独尊を地で行くみてーなヤツだな…。
どうせ裏切ったの何だの、そんな考えはまったくねえんだろ?」
怒りよりも呆れの強い眼差しでを睨めば、彼の口元には薄い笑みが浮かぶ。
「俺には敵も味方も居ないよ。初めからな」
ハ、と乾いた笑いがカイトの口から漏れた。
息を吐く度に骨が痛んだが、そんなことはどうでも良かった。
「そう、だな。お前、初めから言ってたもんな…」
面白いことが好き。
楽しいことが好き。
飽きないものが好き。
だから彼は√学園へ転入して、カイトたちと行動を共にした。
だから、今目の前で親しげなフリーセルや、彼の仲間たちと対戦さえした。
正解とばかりに美しい笑みが向けられ、場所さえ違ったならと場違いな考えが過(よ)ぎる。

「初めは期待してなかったんだぜ? カイト。
だってクロスフィールド学園で見たお前は、あんまりにもツマラナイ顔だったから」

パズルを解く腕は一流だった。
けれど、それだけ。
ゆえには、他の生徒と違ってカイトに声を掛ける気さえ起きなかった。
(返す言葉もねーや…)
当時の自分を省みて、カイトは笑うしかない。
確かにカイトは周りに興味がなかったし、だからこそこんなにも目立つに気づくこともなかった。
彼が避けていたというなら、尚の事。
「あ、ここケータイ通じねえ。結構吹き抜けたから行けると思ったのに」
の意識は、すでに別の方向へ回っている。
同じく頭上を振り仰いだフリーセルは、1階の床が微かに見えることを捉えた。
これなら電波が届いてもおかしくはない…気がする。
「どこに電話したかったの?」
「本部の8番」
何気なく訊いて、返った言葉に目を瞬いた。
「なんでそんなところに?」
考えてみれば、オルペウス・オーダーの本部など電話しようと思ったこともない。
「手配全般請け負ってる部署だよ」
不意にが携帯電話を投げ渡して来たので、さらに首を傾げた。
「先に上戻って、明日のニューヨーク行きの便手配してもらって」
紛うことなく命令形なのだが、彼が言うと命令に聞こえ難いのはなぜだろうか。
別に良いけど、と呟いて、フリーセルは顔を上げる。
「それ、僕も行って良い?」
鮮やかな2色の双眼は、驚いた様子もなかった。
「良いよ。俺が一緒なら、クロンダイクも文句言わねーし」

ーーークロンダイク。
オルペウス・オーダーの、首謀らしき人物の名前。
「クロンダイクって、ピノクルの言ってた…?」
霞みそうになる思考を気力で留め、カイトは去ろうとするフリーセルを呼ぼうと口を開く。
「カイト」
しかし当の本人に先手を打たれ、言葉が掻き消える。
「僕に勝てば、この腕輪は壊れるよ。でも…」
カイトだけを見つめたフリーセルの目は、笑ってはいない。

「今の君じゃ、僕に勝てない。分かるよね?」

腕輪が開放するのは、潜在能力だ。
カイトがそうであったように、フリーセルもまた能力を開花させつつある。
じゃあ先に行くねとへ声を掛け、彼は出口へと踵を返した。
『ペンダントも約束も、もう要らないや』
そう言った彼の真意を、誰が図れるのか。
カイトたちの視界に残る人物は、のみとなる。
何かを、あらゆることを、訊かなければならない。
(けど…)
何を問えば良いのか。
誰もが考え倦ねる間に、の姿はすぐ目の前にあった。

「カイト」

あまりに近くで名を呼ばれ、カイトは慌てて視線を上げた。
気づけばカイトとノノハの目の前にしゃがんでいた彼は、ややの沈黙の後に言葉を発する。
「あいつを負かすだけなら、俺にだって出来る」
それはそうだろう。
彼のソルヴァーとしての能力は、おそらくギャモンよりも上だ。
「けど俺に出来るのは、精々あいつの"心"を繕うくらい。治せるわけじゃない」
「え?」
思わず疑問符を返せば、の笑みが初めて苦笑に変わった。

「セルのやつ、ほんとお前に憧れてたんだよ。カイト。
あいつの家の事情も併せて、お前の存在は確かにあいつの"光"だったんだ」

まだオルペウス・オーダーの勧誘もなかった頃に、はフリーセルと出会った。
がいつも授業をサボる場所へ偶然にもフリーセルがやって来たのだが、物珍しくて声を掛けたのだ。
(他のメンバーは、俺とセルがオーダーに入ってから出会ったと思ってる)
それ以上は口を噤むことにして、は立ち上がる。

「お前の覚悟が決まったら連絡しろよ。セル連れてきてやるから」

返答も待たず背を向け歩き出そうとした彼を、カイトよりも先にギャモンが呼び止めた。
「待てよ、。てめぇの目的は何なんだよ?」
フリーセル…ひいてはオルペウス・オーダーとの再戦は、避けられない。
けれどのことは、まったく別の問題だった。
(何も納得できちゃいねえ!)
だがこちらを肩越しに振り返った彼の笑みは、誰もの背筋をゾッと凍らせた。

「俺の目的…?」

この廃墟同然となった場所で、冴え冴えとしたナイフの切っ先のように。
彼の笑みに縫い止められたように、視線を外せない。
ククッと笑みが漏れ聞こえた。
「ルーク・盤城・クロスフィールドがお前たちと知り合いで助かった。
おかげで、もうすぐ目的が達せられる」
(ルーク…?)
なぜ、ここで彼の名前が出てくるのだろう?
笑みが、失せる。

「俺は自分の創ったパズルを、『愚者のパズル』にされた」

返せる言葉など、どこにも。
(なに、を…)
今しがた聞いた言葉を、信じられずに。
「だから、」
形だけの笑みは、彼の内に閉じ込められた激情そのものだ。


「POGなんて、大っ嫌いだよ」


美しい彼の感情を伴わぬ笑顔は、恐怖さえも抱かせた。
Where is truth? Where are you?


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12.8.18

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