(暇だなあ)
PROUDER HORSE JAPANでの一戦以来、屋敷から出られない。
いや、出られないことは、無い。
ただちょっと、面倒くさいだけで。
(負けたんだから、仕方ないけど)
勝てないことはなかったと、思う。
ただ向こうが勝つのとこちらが勝つこと、どちらの程度が軽かったかの問題だ。
(自分で言った台詞だけど、"一生実験台"なんてゾッとしない…)
例えばこちらが勝って、そうなっていたとして。
一緒にいられるか? 遊べるか?
(…無理)
かつての、ファイ・ブレインとなり得る子供を"教育"していたPOGと同じように。

取り留めもない思考を友に、何の面白みもない天井を眺めながらうだうだとしていた。
それから数分、フリーセルは寝転がっていたベッドから、反動をつけて上半身を起こす。
「偶には我侭貫いたって良いよね?」
ねえ、ーーー?





ざわざわざわ。
待ち合わせスポットは、その名の通り誰かを待つ人々でいっぱいだ。
(大丈夫なのか? あいつ…)
手にした携帯電話を見下ろして、カイトは3日前に届いたメールを再度開く。

『 3日後のAM11:00に、PROUDER HORSE JAPANのからくり時計の前で 』

非常に簡潔な文面だが人のことは言えないし、要件がきっちり書いてあるので問題ない。
問題は、このビルの屋上で行った一戦だった。
あれだけ規模の大きなバトルを仕掛けてきて、負けたペナルティが軽いとは思えない。
その無事の確認も含めて、逢えるのならば他の予定をキャンセルしたって構わなかった。
(どうせ荷物持ちだったしな)
こちらから迂闊に連絡は取れない上に、向こうの居場所は分からない。
解らなくて良いことは詮索しない主義だが、日本に居ないかもしれないと思うと逢いたくなる。
それを行動に移そうとしたタイミングが図らずも同じだったので、互いに相変わらずだなあと苦笑が滲み出た。
携帯電話が着信を知らせる。
相手は待ち人だ。

『I'm behind you.』

流暢な英語で告げられて、カイトは背を預けていた柱を振り返った。
向こう側からひょいと顔を覗かせて、電話の主は悪戯な笑みを浮かべた。
「気づかなかったでしょう?」
呆れ半分に笑みを返して、問い掛ける。
「いつから居たんだ?」
紺地のキャスケットの上からぽんと頭を撫でれば、笑みが擽ったそうなものに変わる。
「2、3分前かな?」
カイトが気づかずにいたことが嬉しいのか、フリーセルは上機嫌だった。
答えた彼を改めて見遣って、ああこれは気付けないか、とカイトは得心する。
…被るキャスケット以外の服装が、普段の彼とはまるで違う。
細身のスキニージーンズに、赤と白のスニーカー。
やや淡いスカーレットのインナーシャツの上に、大きなスカイブルーのボーダーの入ったパーカー。
寒色を好む彼を知っているだけに、意外性が大きい。
(それに…)
口にしそうになった言葉は、何とか呑み込んだ。
しかし、フリーセルは目敏く気づいたようだった。
「今なんて思ったか、当ててあげようか?」
「え?」
浮かべられていた悪戯な笑みが、深まる。
「女の子みたいって思ったでしょう?」
否定は出来そうに無かった。
「…ごめん」
苦笑いで謝れば、カイトがそう思うなら大丈夫、と理解に苦しむ言葉が返る。
「どういう意味だ?」
元々が中性的な顔立ちで、色の白いフリーセルだ。
加えてここは日本であるから、西洋人の彼を女性と見間違える人間が大半だろう。
素直に尋ねてみれば、フリーセルはキャスケットを斜めに深く被り直した。
「誰に会うか分からないだろ? だから、ちょっとメランコリィ脅して手伝わせた」
(脅したって…)
服の調達先のことだろうか。
とりあえず、深く聞くことは止めておく。
「あ、そうそう」
忘れてた、とフリーセルはカイトの左手を取り、己の右手と指先を絡める。
その行動に目を見開いたカイトへ、彼は笑った。
「Speak in English from now on.(これから英語で喋るからね)」
幾重にも張り巡らせる、予防線。
この用意周到さは、少し見習った方が良いのかもしれない。
思いながら、カイトは繋がれた彼の右手を握り返した。
「OK. well, let 's go.(OK。じゃあ行こうぜ)」
フリーセルの巡らせた予防線が効果を発揮することを、カイトはすでに予感していた。



PROUDER HORSE JAPANの待ち合わせスポット、からくり時計の下。
ノノハは時計を確認し、昨日の昼休みを思い出す。
「イギリスの友達、かぁ…」
そんなことを言われたら、諦めるしかないじゃないか。

昨日の昼休み、いつものように皆が天才テラスに集まっていた。
食後には珍しくソウジとタマキ、それにアイリもやって来て、随分と賑やかだった。
そこでアイリが、手持ちの雑誌を見せてきたのだ。
『ノノハ先輩。明日のご予定、空いてたりしませんか?』
『ん? ん〜っと、大丈夫。助っ人の依頼は無いから。どうしたの?』
『やった! じゃあ、PROUDER HORSEに一緒に行きませんか?
明日に新しいショップが幾つかオープンするんです!』
渡された雑誌には、カフェも含めたテナントがずらりと紹介されていた。
どれもこれも、可愛い。
そうしてアイリの提案に乗ったのはノノハとタマキで、他の面々はパス、と首を横に振った。

ソウジは人が多いところは苦手なんだと言い(本当だろうか?)、
キュービックはヨシオくんのメンテナンスの日なんだと言い(そうなんだと返すしかない)、
アナは写生に行くのだと言い(裏山へ行くとか言っていた気がする)、
荷物持ちとして期待していたギャモンは、POGに顔出しに行くという話だった。
ならばカイトは、と最後に確認すれば、彼もまた首を横に振った。

『クロスフィールド学園の友達が会いに来るんだ。だから、一緒には行けない』

そのときのカイトは、とても穏やかな表情で笑っていて。
ルークと再会したときの弾けるような笑顔でないことが、酷く印象に残った。
(…なんか、)
モヤモヤとした予感が、あの笑顔を見てから消えないでいる。
何の予感なのか、さっぱり分からないけれど。
「あっ、ノノハせんぱーい!」
呼ばれ顔を上げると、アイリが大きく手を振り駆け寄ってきた。
彼女の後ろから、タマキも足早にやって来る。
「早いのね、井藤さん」
時計を確認すれば、待ち合わせ時間ジャスト。
タマキらしいなあと思わず笑みが漏れた。
「5分前に来たばっかりです。よし、じゃあアイリちゃん、どこから行こうか?」
問われたアイリはからくり時計と併設された、案内板を見上げる。
「私、このオモチャ屋さんに行きたいんです! 可愛いぬいぐるみがいっぱいあるんですよ〜」
彼女が示した店は、4階だ。
次にタマキが2階を指差した。
「私はまず、この文具店に行きたいかな。それから、こっちのファッションブランドの」
もう1つは5階だ。
「ノノハ先輩は?」
案内板を見上げ、ノノハも目的の店舗を指差す。
「私も5階にあるこっちのブランドと、あと8階フロアかな」
「8階…ああ、雑貨店のフロアね」
「そうです! あと7階の食器も…」
見ているだけで楽しいのだから、それぞれの目的が散らばるのもまた当然で。
それぞれの行きたい場所をフロア図で眺め、タマキが微笑む。
「レストラン街は上の方だから、下から順に行きましょうか」
もちろん、否やの声は上がらない。



PROUDER HORSE JAPANは20階建て、内上の3フロアはゲストスイートとなっており、一般人は立ち入れない。
17階はラウンジやバーが、15階と16階にはレストランが。
以前にカイトたちがリンクスライダーで戦ったのは、屋上階。
ゆえに下階を回るのも、大勢の客で賑わうショッピングモール自体も、初めてだ。
「[思ってたよりデカイんだな、ここ]」
外から見ればビルが1つなのだが、敷地面積がまず広い。
カイトの口からは、感心したような呆れたような感想が出る。
「[日本には初上陸だからね。気を抜くわけには行かないんだってさ]」
日本人以外の姿も思っていた以上に多く、フリーセルが目立つということもない。
「[どっか行きたい店があるのか?]」
カイトはフリーセルが軽く手を引くそのままに歩いている。
かと言って、各店舗の情報はまったく仕入れていないので、行きたい店があるかと問われても答えられない。
目深に被ったキャスケットで隠れていない、右の空色がカイトを見上げた。
「[3つ、あるよ。でもまずは、ちょっと3階に上がろう]」

エスカレーターを2度上れば、店舗ではなくパブリック・ビューイングが広がった。
幾つもの巨大なモニターが、ぐるりと3階の壁際を取り囲む。
なるほど、これならばこの階へやってきた客は必ず足を止める。
フードコートが併設されているのも巧い。
カイトの視線は、内2つのモニターに吸い寄せられた。
「[すっげえ、何だあれ?]」
映し出されているのは、どこかで行われている対戦型パズルの実況中継。
フリーセルも同じモニターを見上げた。
「[これがPROUDER HORSEの売りだよ]」
PROUDER HORSEにしか無い、呼び物。
それが、JAPANの場合は11階に設けられている特別なゲームセンターだ。
街中にも無数にあるゲームセンターは、4階を筆頭にジャンルごとに各階へ併設されている。

11階のゲームセンターはパズルゲームのみが設置され、景品が存在しない。
パズルは一定のラインをクリアすると、すべてのゲーム台で上級者用のパズルを遊ぶことが可能となる。
その難易度は相当なものであるらしく、世界25都市にあるPROUDER HORSEの統計でも、すべてをクリアした者は居ない。
もっとも、1ヶ月の周期でパズル内容が総入れ替えされるという話なので、時間的にクリアは無理だろう。
「[…POGが提供してる気がするの、気のせいか?]」
思い浮かんだことを口にしてみれば、そうかもねと笑みが返った。
「[調べてみれば、POGが後ろにいる企業が株主だったりすると思うよ]」
これも深く考えるのは止めておこう。
カイトは改めて対戦パズルの実況モニターを指し示した。
「[あれ、誰でも出来るのか?]」
もう10分はこの画面を見上げているが、対戦パズルが終わる、もしくは人が入れ替わる気配はない。
案の定、フリーセルは首を横に振った。
「[限られた招待客だけかな。30分は掛かるし]」
「[招待客?]」
聞き返せば、彼は自分の携帯電話を取り出した。
「[カイト、ケータイ出して]」
「[あ? ああ]」
「[今メール送ったんだけど、届いてる?]」
「[おう。このURLにアクセスすれば良いのか?]」
「[うん]」
画面の指示に従うと、程なくして"Special Invitation"と表示された。
その下には、"特設ステージC・2人用"と書かれている。
「[これであのパズルに挑戦できるのか?]」
「[ううん。今映ってるのはステージAで、対戦だけ。Cは協力プレイ専用。
カイトと一緒に行きたい場所の1つはこれなんだ]」
12時からだけどね、と続いたので、結構な競争率なんだろうと当たりを付けた。
フリーセルは続ける。
「[このゲームセンターを取り仕切るマスター、僕の知り合いでさ。
"ステージCの難易度AAAを解きたい"って言ったら招待状くれたんだ]」
上級者用パズルは、A(シングル)・AA(ダブルエー)・AAA(トリプルエー)の3つにランク分けされている。
中でもAAAは、PROUDER HORSE JAPANにおいては未だクリアされていないと言う。

「[へえ、面白そうだな…]」

ソルヴァーとしての笑みを閃かせたカイトに、フリーセルはこっそりと思う。
(パズルを前にしたカイトが、一番格好良いな)
オルペウス・オーダーとして立っているときには、見せてくれない笑みだけど。
「[これが行きたいとこの1つ目か。他の2つは?]」
今度は素直に答えることにした。
「[2つの内1つは、さっき言ったパズルをクリア出来たら入れて貰えるんだ]」
「[…なんか、ゲームの隠し部屋みたいだな]」
「[ふふっ、それで間違いないよ。PROUDER HORSE本店にもあるからね]」
「[じゃあ、もう1つは?]」
秘密、と人差し指を唇に当て、微笑んだ。
「お店は14階だし、物を引き取るだけだから]」
だから最後で良いんだと言ったフリーセルに、カイトは再度問うことをしない。
「[分かった。んじゃ、12時まではお前が行きたいとこ、回ろうぜ]」
「[え?]」
思わぬ言葉を聞いたとばかりに、空色がぱちりと瞬かれる。
その様子にまた笑みが浮かんでしまい、カイトは誤魔化すようにキャスケット越しの頭をぽんと撫でた。
「[だって、今の3つはオレと行きたい場所だろ?
ここイギリスのブランドも結構入ってるみてーだし、お前が好きな店も入ってんじゃないかと思って]」
その通りだ。
その通りなのだが、如何せん驚いた。
「[え、けど…良いの?]」
フリーセルも何度か経験があるが、誰かの買い物に付き合うというのは非常に疲れる行為の1つだ。
自分の興味のない場所へ行くだけでも、かなりのストレスになる。
素直に告げれば、何言ってんだと繋いだ手を握り直された。
心無しか、先刻までよりも強く。

「[セルが楽しそうにしてんの見てるだけで、十分だよ]」

甘く細められた目に見つめられ、顔の熱が一気に上がる。
「[…っ、カイトってほんと、不意打ち]」
「[え? 何が?]」
普段から会えない分、その言動を過剰に受け取ってしまう。
(どれだけカイトのことが好きなんだろうなあ、僕は)
彼に心底惚れているのだと、自覚する。

天地が逆さになったって、嫌いになるなんて出来ないけれど。
Voie à suivre pour demain(明日の道行き)
→ 中編


12.8.26

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