「このスコーン、美味しいですね〜」
「ほんと。今度作ってみようっと」
「ノノハさんは料理が得意だから、きっと美味しいのが出来るわ」
「お店のより美味しくなりそうです!」
わいわい。
きゃいきゃい。
12階のオープンスペースには、多種多様なカフェが並んでいる。
レストラン街へ上る前にノノハたちが足を止めてしまったのは、よくある話だろう。
せっかくなので昼ご飯も兼ねることにして、一角の丸テーブルを囲んだ。
紅茶とサンドウィッチ、スコーンのセットをそれぞれ手にして、他愛もない話で盛り上がる。

「あっ、パズルやってますー。どこでやってるんだろう?」
ふと周りを見回したアイリが、設置されていた大型モニターに気がつく。
3階のパブリック・ビューイングに比べれば小さな規模だが、視線が吸い寄せられる程には目立った。
いつの間に手に入れていたのか、タマキが全体フロア図を手にしている。
「11階みたいね。古今東西のパズルゲームが集まるゲームフロア、って書いてあるわ」
「あっ、そういえば下の階、すっごい人集まってましたよね」
つい15分前に通りすぎた下階を思い出し、ノノハも声を上げる。
自分の鞄をがさごそやって、アイリは小さなフライヤーを取り出した。
「ありました! これです、これ! 世界中のPROUDER HORSEでも1番人気の!」
ノノハとタマキも、差し出されたフライヤーを覗き込む。
「"実況中継は午前に2回、午後に4回、コーナーA〜Cにて"」
「なるほど。だから物凄い盛り上がりなのね」
たまに下階から響いてくる歓声はモニターに映る様子とシンクロし、実況がさらなる盛り上がりを生む。
アイリが再度フライヤーに視線を落とした。
「えーっと、"11時〜特設ステージB・2on2パズルバトル"」
「あっ、何か表示されたよ!」
ノノハの声にハッと顔を上げると画面に勝敗が表示され、参加者たちが握手を交わす様が映った。
画面下部には黒字に白の字幕で、『12時〜特設ステージC・協力プレイパズル』とある。
興奮冷めやらぬ様子のモニター向こうで、DJ風の実況者が声を張り上げた。

『さあ12時からは本日最大の目玉、ステージC!
PROUDER HORSE JAPANで未開放の最高難易度、AAAへの挑戦者が現れたぁあ!』

観戦者たちの期待の雄叫びが、熱気とともに12階まで上ってきた。
「ほぇえ、凄いですっ! あのパズルのAAA(トリプルエー)!!」
下階の興奮が伝染したのか、アイリが感嘆の声を上げる。
「水谷さん、AAAってそんなに難しいの?」
尋ねたタマキに、彼女は大きく頷いた。
「1つのパズルを互いに解いたり、同時に解いたり、とにかく元々が難しいんです。
しかも日本ではまだ、AAAは1問しか解かれていないんですよ!」
「1問だけ…それは凄いわね…」
アイスティーを一口啜り、ノノハは呟く。
「誰が挑戦するんだろう?」
幼馴染が喜んで挑戦しそうだ、なんて思いながら。



11階、実況中継中の特設ステージBは、とにかく人と熱気がひしめき合っていた。
「うわっ、すげー人だなあ」
カイトが図らずも足を止めると、繋いでいる左手がくいと引かれた。
「こっちだよ」
手を引くフリーセルに逆らわず足を進める。
特設ステージの並ぶ一角とゲーム台の並ぶ一角を通り過ぎ、人がやや疎らな壁際へ。
ここからステージや実況モニターは見えないので、当然か。
「セル?」
フリーセルが繋いでいた手を離し、ポケットから何かのカードを取り出した。
そして"STAFF ONLY"と書かれた扉のセキュリティ装置へ、そのカードを翳す。

なぜか目の前にバー・カウンターが広がり、カイトは目を瞬いた。
あのゲームコーナーと壁1つ隔てただけとは思えない、まったく違う空間だ。
カウンター沿いに進んでいたフリーセルが誰かを見つけたようで、彼の声がふわりと跳ねた。
「Hello, Master.」
その声に振り向いたのは、カイトの持つバーのマスターのイメージからは程遠い青年だった。
どことなく、ビショップと似た雰囲気をしている。
「おや…これはフリーセル様。お久しぶりでございます」
見違えましたね、と続けた彼に、フリーセルが小首を傾げる。
「[やっぱり女の子に見える?]」
マスターは朗らかに笑った。
「それもございますが、やはり成長期の3年は大きいですよ」
どうやら、以前からフリーセルを知っているらしい。
「…ところでフリーセル様、日本語出来ましたよね?」
「[出来るよ。でも今日は英語で過ごすんだ]」
「なるほど、では私も合わせましょうか。[そちらが今回のパートナーの?]」
「[あ、大門カイトです]」
カイトはペコリと頭を下げる。
するとマスターが心無しか身を乗り出した。
「[君があの大門カイト君ですか…。お目に掛かれて光栄ですよ]」
「え?」
カイトの疑問に、フリーセルが苦笑しながら答える。
「[マスター、3年前までクロスフィールド学園で臨時講師やってたんだ。
けどカイトのクラスの担当は、一度もなかったんだって]」
僕のクラスは何度かあったんだけど、と彼の視線はやや遠くを見ていた。
す、とカウンター越しにコースターを差し出され、カイトは反射的に受け取る。
「[お近づきの印に、どうぞ1問]」
コルクで造られた丸いコースターに、刻印のようにパズルが焼き入れられていた。
同心円状に書かれたアルファベットの中から、特定の文字列を捜すパズルだ。
コースターを見下ろし、カイトは笑みを浮かべた。

「[へえ、良いパズルだな。Mr.Philippe.]」

記されていたのは、マスターの名前。
まさか数秒で解かれるとは思っていなかったようで、彼は言葉を失くした。
フリーセルがクスクスと笑い声を上げる。
「[だから言ったでしょ? カイトは凄いんだって]」
さすが大人と言うべきか、マスターはすぐに平静を取り戻した。
「[いやあ、驚きました…。今日のステージCは大いに期待出来そうで、何よりですよ]」
どうぞこちらへ、と奥を示され、マスターの後を付いて店の奥へと進む。
木製の扉を1つ過ぎると、わっと歓声が2人を出迎えた。
「[ここ、ステージの真裏か!]」
先ほどまで見ていた特設ステージを、ちょうど反対側から見る位置に出てきたようだ。
大きな嵌め込み硝子で仕切られた、特別観客席のように。
プレイされているパズルも、実況者や観客の様子もよく見える。
「[…? 何で誰もこっちに気づかないんだ?]」
硝子の向こう側の不特定多数の誰とも目が合わず、不思議に思う。
「[マジックミラーですよ。向こう側からは、ここはただの壁面に見えています]」
ちなみにこの場所とバー・カウンターは、とマスターの話は続く。
「[出演者とスタッフのみが出入り可能で、PROUDER HORSEの重役といった方のみが利用出来ます]」
「[ふぅん…VIP専用ってことか]」
次にこちらへ、と示された位置へやって来ると、モニター端末がある。
「[まず言語の選択、その後プレイヤー名を入力して頂きます。
今回は協力プレイですので、チーム名でも構いません]」
「[…だってさ。どうする?]」
「[じゃあ、これで良いんじゃない?]」
フリーセルがタッチパネルを操作し、文字が入力される。

Language: English...
Player: SOLVER K&F...

特に捻りはない。
「[どうせ画面には映ってしまうし、今の僕をオーダーの僕とは考えないんじゃない?]」
改めてフリーセルを見遣ったカイトは、またも返答に困り苦笑する。
(オレが気づかなかったくらいだもんな…)
不自然な沈黙の間にも、フリーセルは勝手に操作画面を進めていく。
「[ねえマスター。"解答手順の相談は禁止"ってあるけど、どの程度ならOKなの?
例えば、1手目とか最後の1手の確認とかは?]」
「[そうですね。それは"相談"ではなく"確認"ですので、構いません。
ただしこちらがアウトと判断した場合、即座にパズルが切り替わります]」
特設ステージではすべての中継画面がステージCと表示され、ギャラリーが増え始めていた。
その様子を見たマスターは愉快げだ。
「[さすがのAAA、集客力は抜群ですね]」
実況者やスタッフと打ち合わせなのか、彼はステージ側の扉を潜っていった。



階下から軽快なメロディが流れてきたので、ノノハは手摺から身を乗り出す。
「あっ! やっぱりあのからくり時計だよ!」
PROUDER HORSE JAPANの顔たるからくり時計が、12時の鐘を鳴らしていた。
どんな仕掛けなのか上からではまったく見えず、悔やまれる。
スピーカーが連動しているのかからくり時計の音はそのまま12階でも流れ、1分ほどでメロディが終わりを告げる。
瞬間、真下から期待の歓声が響いた。

『さあ、特設ステージC・協力プレイパズルの実況を始めるぜぇ!
今回で99組目の挑戦者、それも難易度は最高のAAA!!』

正直言って、ノノハは興味がない。
(だって、パズル見ても解んないし)
しかしアイリとタマキが中継を見たいと言い出したので、別のドリンクを注文してまたテーブルへ戻る。
『これはPROUDER HORSE JAPANの歴史に残る一戦だ。挑戦者はこの2人!!』
実況に合わせて、ステージの向こう側からプレイヤーが入って来る。
ノノハは手にしたカップを危うく取り落としかけた。
「か、カイト?!!」
「えっ、カイト先輩?!」
「大門くん?!」
三者三様に驚愕の声を上げ、画面を食い入るように見上げた。

画面に向かって右に立つのは、見間違い様もなくカイトだ。
彼の隣には、日本人でないことが一見して分かる少女。
明るい色合いで纏められた服装が、何ともスタイリッシュに映る。
『チーム名は"SOLVER K&F"…これ名前かな? どっちがK?』
『あ、それオレの方。こっちがF』
『おー、なるほど。彼女の方は、イギリスから遊びに来てるんだって?』
『そう。本店のパズルやったらしくて、日本のはどんなのかって』
『おっと、これは結果が期待できそうなコメントが出たぞ! じゃあ彼女の方も一言!』
マイクを向けられ、少女の方は困ったように微笑む。
おい困ってんぞー、実況そろそろ引っ込めー、と観客側から笑い混じりの野次が飛んだ。
『OK、OK、それじゃあ始めるぜ! "SOLVER K&F"のパネルは英語表記だが、実況画面は日本語訳も出るから安心しろよー』
「良かったあ、全部英語だったら読めなかったです〜」
実況者の言葉をなぞった声が上がり、ノノハは苦笑する。
気づいたアイリが、罰悪そうに頭を掻いた。
「私、ちょっと英語苦手で」
「まあ、全部英語だったら私もさすがに…」
ただ、これはパズルだ。
説明文が読めなくても、意外と分かるのではないだろうか。
「あっ、始まるわよ」
タマキの言葉に、ノノハもアイリも画面を見上げた。

互いに向かい合う形に、32インチ近いタッチパネルボード。
2つのパネルの接する位置には、向こう側の手元が見えない程度に敷居が立っている。
『パズルは全部、それぞれの画面に出るからな! そして"確認"はOKだが"相談"は禁止だ。
まあ、ダメだったらブザーが鳴るからその辺は気にしなくて大丈夫だ』
タッチパネルの前に立つと、操作テスト用の画面が映っている。
画面の指示通りに何度か操作し、画面が『Ready?』と表示され停止した。
顔を上げ向かいのフリーセルを見ると、ちょうど目が合う。
「[ワクワクするね]」
カイトも笑みを返す。
「[ああ]」
一緒にパズルを解く。
そんな簡単なことが、何年も出来なかった。
彼も同じことを思っていたから、この特設パズルに参加出来るよう手を回してくれたのだろう。
何よりもそれが、嬉しい。
そして楽しくて仕方がない。
「[さあ、パズルタイムの始まりだ!]」

すでにこのコーナーで聞き慣れた、華やかなファンファーレが鳴る。

Puzzle-No.1と数字が表示され、その下にスライドパズルと表示された。
『始めは小手調べだ! スライドパズルを同時にクリアするのが開放条件だぜ!』
モザイクが掛かり詳細の見えないパズルの上で、数字がカウントを始めた。
実況と観客が一緒になって数字を数え始め、その声だけで空気がビリビリと震えそうだ。
『Start!!』
表示されたスライドパズルには、PROUDER HORSEのシンボルマークとJAPANの飾り文字が描かれている。

同時にクリアするという条件の性質上、どうしてもスタート直後は時間を取られてしまう。
そこをどう考慮したタイム設定か、初めてここへ来たカイトには分からない。
「[セル、行けるか?]」
向かい側へ視線を上げれば、空色が同じように細められた。
「[ノンストップで行けるよ]」
3、2、1…とフリーセルの唇がカウントを刻み、ただ純粋に楽しいという気持ちだけが内側から湧いてくる。
「「Go!」」

それはあまりにも、鮮やかな手並みだった。
実況を差し挟むことさえ、必要ないくらいに。

スライドパズルが川のように淀みなく流れ、その淀みの無さに誰もが飲み込まれた。
2人の挑戦者は互いに相手を見ているわけでもないのに、1順1手が鏡のようにシンクロして。
最後の1手だけはほんの僅かだけ手が止まり、もしもプレイヤーを見ていた観客が居たなら、視線を交わした様が見えただろう。
「「Finish!」」
ナイトの駒と飾り文字が、完成を示すようにネオンとなる。
しん、と静まり返ったギャラリーが、一瞬後には滝のように歓声を上げた。
『やべぇよ、こいつはやべぇよ…この2人なら最後まで行ける! 俺は今、確信した!!』

ぽかん、と画面を見上げていたノノハたちも、ハイテンションな実況の復活で我に返る。
「す、…すっごいですね…」
アイリが手にしているカップのカプチーノは、模様が消えてしまっていた。
未だ画面から目を離せない彼女は、そのことに気づけない。
「大門くんが凄いのはいつものことだけど…あの子も、凄いわ」
タマキの視線はカイトのパートナーである、青い目の少女へ向いている。
今回のスライドパズルであれば、ギャモンも同じように一挙手一投足カイトと変わらぬ能力を見せるだろう。
何だかんだと息の合う彼らは、先刻の光景を変わらず見せてくれるはずだ。
しかし。
(あんな表情はしないでしょうね)
快活な笑顔ではなく、ふわふわと綿菓子の甘さが感じられる笑みなど。

新たなパズルが始まる。

またも淀みない展開を見せる画面から、ノノハは視線を外せない。
視線の先はパズルではなく、終始カイトと向かいの少女に固定されていた。
(あの子のこと、なんだ…)

『クロスフィールド学園の友達が会いに来るんだ。だから、一緒には行けない』

思えば今日の予定を聞いたときに、カイトはちゃんと答えていたのだ。
"行けない"のではなく、"一緒には"行けないのだと。
(私の…ううん、私たちの知らないカイトが、あそこにいる)
ノノハの知るカイトは、いつだかアナが比喩したような太陽、もしくは向日葵のような笑顔が印象的なもので。
イギリスから戻って天才テラスの面々と出会うまで、ノノハの知るその笑顔は表に出ることがなく。
パズルの出来ない自分では無理なのかと、心が沈んだ時期もあった。
ルークと初めに再会したときの笑顔が一番近く、それでさえ両親を亡くす前とは違っていて。
寂寥が過ぎったのも、少し懐かしい。
(カイトって、あんな顔も出来るんだ…)
自他共にお目付け役であることを自覚しているので、立場が違うのかもしれない。
(私はカイトにとって、家族に近いのかな。まあ、私もカイトは手の掛かる弟〜って感じだし)
でも、あの子はそうじゃない。
家族じゃないし、兄妹でもない。
先輩や後輩でもなく、友人とも少し違う。

友人よりも近くて、でも友人という枠からは外れる…その名前は。

「ねえアイリちゃん、タマキ先輩」
声を掛ければ、幸いなことにアイリもタマキもノノハへ視線を移してくれた。
「このパズル、終わったら下に行きません?」
会ってみよう、あの少女に。
(違うか。会ってみたいんだ、あの子に)
カイトにあのような笑みを浮かべさせる人に。
彼の笑みの理由にはきっと、パズルなんてそう深くは関係なくて。

(そんな幸せそうに笑うカイト、初めて見たよ)
Voie à suivre pour demain(明日の道行き)
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12.8.26

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