結狂夢ノ零銀

一.壱之鳥居



*     *     *



昔々のそのまた昔。
この地には、それは美しい狐が棲もうておりました。
狐はこの地を愛し育み、この地もまた狐を愛し育み、此処は一等美しい地でございました。

狐は、永きを生き神格を得た産土神(うぶすなかみ)です。
ゆえにこの地を羽休めに訪う鳥獣たちは、狐をこの地の主と敬いました。
けれど狐が余りに美しく、近づく者はとんと現れません。
もちろん、狐には大した問題ではありませんでした。
狐はこの地で、穏やかに過ごせれば満足でしたので。


ある時、狐の愛する地に狼の群れがやって来ました。
彼らは流浪に身を任せる一族で、此処は偶々通りがかったのだと雉が教えてくれました。
狐と同じく神格を賜っていた彼らですが、やはり産土神という位に興味はないようです。
狐はちょうど森の奥へ用があったので、まだ彼らには会っておりません。
何となく、わざわざ会いにゆくものでもないと思いましたので。


狼たちは、上手く森へ溶け込んだようです。
文句は何れからも聴こえません。

流浪の狼一族の長は、朝靄に包まれた森を眼下に一声、大きく吼えました。
朝陽の輝きを一身に受けるその姿に、誰かが言います。

『あんなにも美しい狼は、初めてだ』

森の中から狼の姿を見つけた狐は、吼える姿に言葉もなく見惚れました。
狼の長くを駆ける四肢はほっそりとしながらも逞しく、無駄なものなどありません。
森の先を静かに見つめる眼差しは、朝陽を取り込み煌めいているようにさえ思えます。
凛と美しい狼は、大地に愛されておりました。

狐は未だ、狼たちに姿を見せてはおりません。
軽い足音で地面をひと蹴り、樹木と岩肌を足場に狼の居る岩場へと登ります。
獣の気配に振り向いた狼一族の長が、驚いたように目を丸くしました。
その様は何処か可愛らしく、狐はこれ以上驚かさぬよう、ゆっくりと狼へ歩み寄ります。

…狐がこの地に根差して、幾百の年月が過ぎております。
けれど狐が獲物を狩る他に別の獣へ近づいたのは、これが初めてでした。



流浪の狼一族がこの地へ根を下ろすことを決めたのは、それから7日後のことでした。



 ∞



「こっくりさん、こっくりさん。いらっしゃいましたら『はい』へお進みください」

放課後の教室。
電気も消され夕陽だけが照らすそこから、ひっそりと声が聴こえてくる。
声の主は1人でも、居るのはおそらく4人だろう。
「またやってんのか」
隣のクラスを一瞥し、エレンは呆れたように息を吐く。
「流行ってるよね。他の学校でも流行りみたいだし」
その隣で、鞄を担ぎ直したアルミンが思い出したように言った。

『こっくりさん』
動物霊に願いを聞いてもらう、降霊術の一種。
手順は幾つか存在するが、そんなに難しいものではないらしい。
言い伝えから漫画に始まりアニメやドラマにまで取り上げられ、今や知らない人間は居ないだろう。

「何でそんな曖昧なもんに頼るんだ?」
エレンの真っ当な問いに、ミカサが答える。
「人の心は覗けない、から。勇気がないから、それで安心しようとしている」
「勇気?」
「告白のこと」
「ふーん…」
じゃあ、テスト範囲聞いたりしてるヤツは?
「それはたぶん、藁にもすがりたいってやつじゃないかな?」
アルミンは苦笑を滲ませた。
「…よくわかんねえ」
「分からないのが、きっと正解」
ミカサの言は端的ながらも正論で、それ以上の論議をする気は誰も持っていない。
「帰ろうか。僕、本屋に寄りたいんだけど良いかな?」
「おう、何か新刊出たのか?」
3人で階段を降りる影が、夕方へ向かう日の中にするると伸びる。

「こっくりさん、こっくりさん。**********?」

問いかける声は、まだ微かに聴こえていた。


*     *     *


エレンの通う中学校は、4階建ての校舎を持っている。
1階は職員室や保健室、多目的ホールや食堂といった全員が共有する施設。
2階は3年生の教室と、図書室や理科室。
3階は2年生の教室と、家庭科室に美術室。
4階は1年生の教室と、音楽室に倉庫。
エレンたちは3年生なので、教室は2階にある。
「…何だ?」
バタバタと、慌ただしい音が廊下を行き来している。
教室中央列一番後ろのエレンは頬杖を付きながら呟いた。
「誰か倒れたのか?」
隣の席で、アルミンもエレンと同じく廊下を見遣る。

エレンとアルミンとミカサは幼馴染で、ここまでずっと学校も一緒だ。
そして今は同じクラス。
ミカサの席は、廊下側の前から3番目だった。
慌ただしい音が過ぎた後、コツコツと規則正しい音がこの教室へ向かってくる。
(あ、先生来た)
慌ただしかった廊下の様子は、チャイムが鳴り教科担任がやって来たことで判明した。
「事故?!」
「ああ。2年の生徒がな」
古典教科担当でありエレンのクラスの担任でもあるリヴァイが、気怠げな息を吐いた。
「お前らにも散々注意してるがな、事故現場は例の国道交差点だ」
エレンは隣のアルミンと顔を見合わせる。

例の国道交差点、別名『魔の交差点』。
程度に関わらず、3日に1度は必ず事故の起きる交差点だ。
戦前から存在する街道であっただけに交通量は国内有数、主要駅や各学校に繋がる大通りでもあるため、横断利用者も多い。
ゆえにしっかりとした横断システムが存在し、にも関わらず事故は減らない。
言うなれば、『交通ルールを守っても事故が起こる』ような地点だった。

「その人の容態は…?」
クラスの学級委員をしているマルコの問いに、リヴァイはひらりと手を揺らす。
「命に別状はねぇらしい。足は折れてるが」
生きているなら何とでもなる、と言わんばかりだ。
「おら、授業始めんぞ」
普段よりやや乱暴に教本を開くリヴァイに、生徒たちは黙って教科書を開いた。



放課後、図書委員をしているアルミンを待ちつつ図書室で本を読むのは、エレンの日課だ。
エレンは今学期何の委員会にも属しておらず、また部活もしていない。
身体を動かすことの好きなエレンには珍しいことだが、保護者がやたらと心配してくるので仕方がない。
以前、仮入部時に帰り道が1人になってしまい、そのときに運悪く事故に遭いかけたせいだ。
(心配し過ぎなんだよ…)
だから、帰りは必ずミカサとアルミンが一緒だ。
2人の帰り道の途中にエレンの自宅があるので、彼らはきちんと見届けることが出来るのだと言って。

静かに本を読むエレンを、アルミンは書架の整理や貸し出しカード作成の合間に眺めている。
(ほんとは外で遊びたいよね…)
でも、駄目だ。
エレンは覚えていないのかもしれないが、彼が事故に遭いかけたのはあの1件だけではない。
(今のままで居たいけど…)
それはおそらく、叶わぬ夢だ。



『こっくりさん、こっくりさん。いらっしゃいましたら"はい"へお進みください』
『こっくりさん、こっくりさん。xxx君の好きな人は誰ですか?』
『…わたしに振り向いてもらえるでしょうか?』
『xxx君の好きな人を、事故に遭わせられますか?』

『…ふふ。ありがとうございます、こっくりさん。どうぞお帰りください』
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2015.5.23(むすびきょうむのこぼれぎん)

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