黄金絡繰夢紡
(鬼に魅入られた男の末路)
ーーーむかしむかし、金の眼をした鬼が居た。
彼は戦好きでも争い好きでもなく、余計な食欲を持つでもなく、ふらりふらりと彷徨(ぶらつ)いていた。
ある時は人の町に、城下に。
ある時は戦場に、荒れ地に。
人が"妖異"と括る分類である彼は、人に興味はないが同じく"妖異"と呼ばれる者との争いが多かった。
大抵、妖異たちは同種で集合体を造る。
それは人で云う村や町のようなもので、集まれば種の存続確率が上がることは周知の通り。
金眼の彼もまた複数種が存在する"鬼"族であったが、彼は独りで存在していた。
所謂『はぐれもの』である。
先程述べた通り、集団の生存率は上がる。
他方、個々で生きる場合の生存率は著しく低下する。
しかし彼は、はぐれものの鬼の中では随分と長く生きていた。
ひとつ処に留まるわけではなく、人に混じり暮らすでもなく。
人が敵将を獲ると武勲と言われ位を賜るのと同じく、妖異もまた格上の者を倒し喰えば"格"が上がる。
はぐれものの妖異は、他の妖異には体の良い獲物だ。
ゆえに彼が狙われるのは道理であり、彼が生き残る為に戦うのもまた、道理である。
そうして戦い続け生き残り続ければ、嫌が応にも格は上がった。
そんなわけで、彼は彼が望む望むまいに関わらず、名が知れている。
だが強い者とて怪我はするし、危うく喰われそうになることだって珍しくはない。
同種を喰う習慣のない人には理解出来ないであろうが、"妖異"の世界はそんなものだ。
今回はそんな危うく命を危ぶむ事態となったので、彼は隙を見て逃げ出した。
片腕を喰われてしまったが、こんなものは直ぐに直せる。
肩から豪快に喰い千切られた左腕は千切れた箇所から蒸気が昇り、生えはせずとも肉の露出と出血は早々に止まっている。
「あー、どっかで調達しねえと」
彼は出血が止まっていることを確かめるや、何処かへと歩き出した。
意図的に見つからぬよう歩いて幾ら経ったか、血と煙の臭いが漂ってきた。
臭いの感じからすると、時間はそう経ってはいまい。
彼は目を輝かせ、口角を上げた。
「やった!」
これで腕が調達出来る!
山間より見下ろした平原には、それなりに大きな戦の痕があった。
嬉々として山を降りた彼は、汚臭の漂う戦場を歩む。
素足は相乗して汚れてゆくが、そんな些事には頓着しない。
足元に転がる死体を見下ろし時に軽く足先でつつき、ゆるゆると彼は歩き回った。
「あれはダメ、これもダメ」
彼が探しているのは、彼にとって具合の良い"死んだ左腕"だ。
生きているのは駄目、腐り始めたものも駄目。
具合の良い左腕を見つけたなら、もぎ取って自分の喰われた左腕としてくっつけてしまう。
そうして丸2日もすれば、彼は自らの左腕を取り戻せるのである。
「ん?」
ちらりと認めた視界の端、とても具合の良さそうな腕が見えた。
ひょひょい、と他の死体を飛び越えて、彼は見つけた腕へ近づく。
「お、良い感じ」
まだ腐っていないし、似通った形をしているので腕として繋がるのも早そうだ。
中腰になり、他の死体と焼けたガラクタに埋もれる腕へ右手を伸ばす。
そうして落ちている左腕を掴んだ彼は、途端に眉を顰めた。
「なんだ、生きてんのかよ」
ほとんど生き物の温度を無くしていた"腕"であったが、それは生者のものである。
…生きた身体は、使えない。
途端に興味が失せた彼は掴んでいた腕を離し、さっさと次の死体へ目を遣った。
非効率ではあるが、わざわざ殺生をするのも面倒なのである。
彼が掴み捨てた腕の元、焼けたガラクタと折り重なった死体の間。
生きている"目"が、確かに"彼"を見ていた。
ーーーそれは強烈な、驚くほどに根深く刻まれた記憶であった。
もはや幾日経った上での幾度目か、自らの腕の包帯が丁寧に取り替えられる様を無感動に眺め、少年は思い出す。
昨日のことのように、なんて生温い。
今しも眼前に在ったかのように、少年はその場面を思い出せる。
格の違いは判っておろうに、敗けを認めぬ愚かな領主の愚行に少年は巻き込まれた。
有り合わせの武具で放り込まれた、お粗末な戦場。
大して稽古も付けられず、死ねとばかりに刃ひとつで蹴り落とされて。
…戦は酷いものだ。
少年が居た陣営はあっという間に劣勢も劣勢、歩兵ばかりのこちらに対し、あちらは騎馬軍の強いこと。
馬上から斬られや射られ、馬が駆けた後には火が着けられてそれは惨状。
一目散に逃げ出したであろうあの領主も、どこかで野晒しに死体が転がっているだろう。
射掛けられた矢は2本、斬られた箇所は1箇所、それ以外の怪我はそこかしこ。
煙に巻かれ火に追われた者たちの逃げ騒ぐ中、一度蹴躓けば結果は言わずもがな。
少年も例に漏れず地面へ倒れ、その上から踏まれたり倒れられたりとやはり酷いもの。
そうして飛んでしまった意識がふっと呼び戻された、その原因が。
(金の眼をした、あの男)
やたらと熱い手が左腕を掴んで来て、こう言った。
『なんだ、生きてんのかよ』
それが余りに残念そうで、生きていて悪かったなと胸の内で悪態を吐いたものだ。
掴んで来た手が熱かったのは、きっと自分が死人のように冷たかった為だろう。
残念そうだったのは、まだ死んでいなかったからだろう。
(もう一度、見たい)
少年が金色なんて色を見たのは、随分昔に村から見目の良い女が買われていったとき以来。
"あれ"はあのときに見た小判の色より、ずっと輝く色をしていた。
(もう一度)
少年は腕の包帯を巻き直す相手に問い掛けた。
「なあ、金の眼をした男を見なかったか?」
ピタ、と淀みない手付きが止まり、またすぐに再開される。
「さあ。少なくとも、私が見たのは君と貧民くらいだよ」
きゅ、と包帯の端が結ばれ、もう動かせるよと腕を解放された。
「見てはいないが、心当たりがありそうな反応だな」
相手は眼鏡の奥の目を細め、笑う。
「察しの良い子だねえ。でも君、聞いたらすぐにでも飛び出しそうだから、まだ教えない」
くふふ、と悪戯に笑うので、蹴ってやろうかと脚に力を入れた。
するとビシッ、と右の掌を眼前に突き出され、呆気に取られる。
「駄目だって言ったでしょう? 治りが遅くなったら、その捜し人を捜すのが益々遅くなるよ」
「…チッ」
少年は渋々と座り直した。
闇医者だと自らを名乗った相手は、軽く指を振る。
「君は良い骨格をしているから、鍛えれば鍛える程筋力は付くだろうね」
そこら辺も教えて上げても良いけど。
「どれも治ってから。変な方向に筋が繋がったら、目も充てられない!」
まあ、正論であるが。
目の前の…おそらく女であろう…相手は、腑に落ちない。
「てめえ、一体何考えて俺を拾った?」
ただ金を食うだけの、それも軽くはない怪我を負った餓鬼なんぞ拾って。
言ってから、少年は自分で気が付いた。
「…女衒か」
見目が良ければ、性別なぞ関係ない。
少年の容姿が他と比べて整っていることは、自らも知るところだ。
少年が顔を顰めた様を、相手は目を弓なりに細めて見つめた。
「ひろーい意味で、ね。但し、相手は下世話な連中じゃあないよ」
意味が分からず眉を寄せた少年の、その向こう側。
縁側の先を闇医者は指差した。
「ねえ。動けるなら、あの井戸から水を汲んできてくれない?」
荒れ地とそのまま地続きの庭、縁側から見て右手の奥に井戸がある。
少年は井戸をその瞳に映すなり、盛大な舌打ちをかましてやった。
「誰がやるか」
弓なりの目が、深まる。
「どうして?」
「薄気味悪ぃのが座ってやがる。井戸を使いてぇなら自分でやれ」
そこで闇医者を振り返った少年は、満足げに笑う相手に目を見開いた。
「…てめえ、見えてんのか」
少年には、井戸の縁に"居る"黒くもやもやとしたものが見える。
「ふむ。君はまだ、はっきりとは視認出来ないんだね」
他方、闇医者の目には、井戸の縁にとぐろを巻く黒い蛇の姿が見えている。
闇医者は治療道具を手に立ち上がった。
「君の怪我が治ったら、私は君を私の友人の処へ連れていく。
私の友人は、君のような人材を求めていたんだ」
そうして、庭先の井戸を指差した。
「君は強くなるだろうね。だから私は、君の未来を見込もうか」
常にふざけた空気を醸し出していた眼差しが、真剣と見紛う光を宿す。
「あの井戸に"棲み憑いてる"ものを両断出来るようになったら、またおいで」
そのときは君の捜し人について、私の知っていることを教えよう。
少年は産まれて初めて、興奮に背筋が震えた。
「…上等だ」
にぃ、と吊り上げられた口許は、獣染みた少年の本性を如実に顕していた。
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