Dance with Wolves

(狼と話せるひとりぼっち)




私の名はリコ・プレツェンスカ。
ここに、私の弟のことを記しておこうと思う。



*     *     *



リコと彼は血が繋がっていない。
彼に出会ったのは8年前、ウォール・マリア南方突出地区・シガンシナが超大型巨人に突破された年だ。
あのとき、ウォール・マリア内部への巨人の侵攻は何とか阻止されたが、被害は甚大だった。

超大型巨人襲撃の日から、およそ1ヶ月後。
駐屯兵であるリコは、班員と共にシガンシナ近辺の見回りと『壁』の調査に来ていた。
シガンシナに続く扉は、すでに塗り固められている。
リコは相棒の狼犬(ウルフドッグ)『リリィ』、他の班員と彼らの相棒たちと共に壁近くを哨戒する。

ふと、リリィが顔を上げた。
次いで班長であるイアンの相棒も顔を上げ、リリィと同じ方向を見る。
 ウォーン!
細く、高い遠吠えが聴こえた。
シガンシナ地区への門があった箇所から西、巨大樹と呼ばれる30mを越える樹木が生い茂る森から。
リリィがリコを見上げ、行こうと即する。
「行ってみよう」
班長であるイアンの声に否やはなく、馬を走らせた。



巨大樹の森、樹の陰からひょこりと小さな姿が覗いている。
追うように森へ入り見失った、と思ったら、また奥の樹の陰から尖った耳と顔がこちらを見る。
「あれは狼犬の子どもか…?」
狼、にしては犬に顔つきが似ていた。
その子犬はある程度こちらから距離を空けると、必ずどこかで立ち止まる。
まるで、連れて行きたい場所があるかのように。

子犬の姿が脇に逸れる。
巨大樹のひしめき合う中は、馬で通るには狭すぎた。
今度は徒歩で、イアンとリコは子犬の後を追いかける。
もちろん手には超硬質ブレードと、信号弾を構えて。
…どれだけ歩いただろうか。
不意に森の中が拓け、小さな空間が現れた。
そして薄暗い中、闖入者を注視する幾つもの目が2人に据えられる。
「…っ?!」
思わず、背筋が強張った。

追いかけていた子犬が、先へと駆けて別の1頭の足へじゃれついた。
じゃれつく子犬を褒めるように、大きな1頭が鼻先で子犬を柔く啄く。
「おい、イアン…。あれは"本物の狼"か?」
全部で7頭、狼か狼犬か判別はつかないが、肉食獣の群れであった。
イアンはリコの問いに視線をくべること無く、口を開く。
「おそらく、としか言えないな。俺たちは『狼語』も『犬語』も分からんからな」

ーーーかつて人類は、『人語』の他に『動物語』を解していた。
犬、猫、狼、馬、鳥…多種多様な彼らが『人語』を解するように、人類も彼らの言語を解し、共に歩んでいたという。
しかしいつからか、人類は自種族以外の言語を捨て去ってしまった。
気づいたときには『巨人』の脅威にさらされ、巻き添えで幾つかの動植物をも『壁』の中に閉じ込めて。

リコとイアンを見定めるかのようにこちらへ据えられていた視線が、すいと彼らの後ろへ動く。
「!」
そこには、彼らとは明らかに違うものがあった。
森の暗闇に隠れない、白。
それはシャツの色だ。
「子ども…?!」
2人がその姿に気づいたと見るや、大きな1頭が彼らの正面から避けた。
倣うように、他の者たちも脇へ身体を動かす。
だがゆっくりと足を進めた2人の前に、小柄な黒い狼が立ちはだかった。
牙を剥き出し、低い唸り声と共にリコとイアンを見上げている。
2人は顔を見合わせ、ブレードと信号弾を収めた。
ちらりと黒い狼の脇から覗いた子どもは地面に身体を投げ出し、苦しげに息を吐いている。
目は強く閉じられ、何らかの病に倒れていることは明らかだ。

「そこをどけ。その子どもを助けたくて、私たちを呼び寄せたんだろうが」

リコが眼差し険しく黒い狼を見下ろせば、一切の警戒を解かずに彼(彼女?)はゆっくりと道を開けた。
イアンは倒れている子どもへ近づき、跪く。
掌で触れた額はとても熱く、汗の掻き方が尋常ではない。
「…酷い熱だ。リコ、信号弾を」
「ああ」
彼が子どもを抱えたことを認めて、リコは1発の信号弾を放った。

黄色、何らかの事態が発生。

子どもはどうやら少年のようだ。
年の頃は10程度で、おそらくはシガンシナの避難民であろう。
避難の途中ではぐれるなど、大人でも珍しくない。
(しかし…)
リコは子どもを抱えたイアンの騎乗を補助しながら、馬を繋いだ場所まで後を着いてきた狼たちを見返る。
(なぜ、野生の獣が人間の子どもを?)
本来、彼らにとっての人間は敵であり、また彼らの獲物でもある。
人間の子どもなど、牛や羊の子どもと同じだろうに。
…いや、そもそも。
(野生の狼犬が、人里近くに居たのか)
リリィが物言いたげにリコを見るので、彼女は頷き群れを振り返る。

「この子どもが心配なら、付いてくるといい。2頭程度なら何とかなる」

狼たちはそれぞれに顔を見合せ、あの黒く小柄な狼と、リコたちをここまで連れてきた淡いブロンドの子犬がリリィの傍へ寄った。
彼女と挨拶を交わす2頭をよく見れば、これはどちらも子どもだ。
それこそ人間の多い中へ放り込んで大丈夫かと思ったが、彼らの決定に口を挟む気もない。
「リコ、急ぐぞ!」
「分かってる!」
子どもの容態は急を要する。
イアンとリコは早々に馬の腹を蹴った。



疲れやストレス、それから風邪らしきもの。
様々な症状がいっしょくたになって現れている、というのが医者の話だ。
森からもっとも近いウォール・マリアの町で、リコたちは安堵の息を吐いた。
診察のために一度身体を綺麗にされた子どもは思った通り少年で、標準よりも細い身体をしていた。
だが栄養状態が悪いわけではないようで、肌にはちゃんと弾力があった。
薄く開いていた扉を押し開けて、リリィが入ってくる。
その足元をするりと駆け抜けて、黒い仔狼と淡いブロンドの子犬がベッドへ登ろうとした。
「駄目だ。お前たちとこの子は身体の作りが違う」
目を覚ますまでは我慢しろ、と2頭を叱れば、彼らは渋々とベッドの足元へ蹲った。
そんな2頭を宥めるように、リリィが身体を寄せる。
「イアン。ここは私が残る」
「ああ、分かった」
リコが動こうとしても、リリィは動かないだろう。
イアンは苦笑しながら頷いた。

彼が廊下向こうで医者と話す声を遠くに、リコは苦しげに眠る子どもの頭をそっと撫でる。
「…もう大丈夫だ、少年」
すると、ほんの少しだけ彼の強張りが消えたような気がした。
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2014.6.15
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