巨人の影響色濃い時代に逢ったこと。
(1.Two hundred years after)
複数の人の気配。
静寂を破る足音。
「おい! こっちだ!」
「人が倒れてるぞ!」
ああ煩い、睡眠時間が全く以て足りていない。
気配の1つが間合いに入った瞬間、リヴァイは素早く飛び起きブレードを引き抜くと同時に突き付けた。
「うるっせぇんだよ、人間ども…」
仲間の1人の首へ、寸分の狂いなく刃を突きつける男。
場に居合わせた他の者は、あらゆる意味で驚愕した。
…なんという疾さ、なんという殺気。
周囲の木立や樹上からは、バタバタ、ガサガサと多くの物音が怯えて走り去っていく。
こちらを威嚇する男はよく見ると小柄なのだが、半端ない威圧感のお陰でとんでもなく恐ろしい存在に見える。
向けられた刃は薄くしなり、握る柄の形はどうみてもトリガーになっていた。
続いて腰回りには、その刃が仕舞われているのであろう白く長い箱。
上半身は緑の外套で見えないが、下半身には複雑にベルトが絞められている。
「あ、あんたのその道具…」
リヴァイが刃を向けた人間の、さらに向こう側の男。
驚愕冷めやらぬ目が、好奇心を半分満たしながらリヴァイの装備を指差した。
軽く眉を顰めてやれば、男は続きを吐く。
「それ、まさか"あの"第5世代立体機動装置じゃないか?!」
「あ?」
妙な名前でリヴァイの立体機動装置を指した男を見て、ようやく気づいた。
相手の…3人の男の…腰回りにも、何らかの装備がぶら下がっている。
トリガーの形はほぼ同じ、ボックスの長さもあまり変わらない。
色は白、しかしリヴァイが身に付けているものに比べると、随分と省スペースに見えた。
こちらに正面を向いた者しか居ないので、背面は分からない。
「おい、何ちんたらしてんだお前ら!」
リヴァイからは見えない、丘陵下から女のものらしい声が上がった。
同時に聞き慣れた、ビュルッとワイヤーを巻き上げる音。
「た、隊長!」
地面のない空間を挟んださらに向こう、樹上に上がった影を男がそう呼んだ。
「じ、実は遭難者を発見したのですが…」
誰が遭難だ、寝てただけだ。
リヴァイは言い返す面倒を避け、樹上の人物を見遣る。
そこではた、と目を瞬いた。
(見たことのある顔だ)
樹上の人物もまた、リヴァイを凝視し呆けている。
後ろに1つ括りにされた長い黒髪が、吹く風に合わせて靡いた。
記憶からは随分と大人びた容貌になっているが、浅黒い肌にそばかすの散った面(おもて)。
確か調査兵団の、主力として最後まで生き残っていた彼女は。
「リヴァイ、兵長…?」
そんなまさか、とやや低めの女声がリヴァイの名を紡ぐ。
(そうだ、こいつは…)
ようやく思い出した。
エレンと同じく、巨人化出来る人間。
女型巨人たちとは違う派生の、この女は。
「お前、ユミルか」
リヴァイは静かな空間に留まることは不可能と判断し、一緒に街へどうかというユミルの提案に乗ることにした。
「今は何年だ?」
「1046年です。超大型巨人の襲撃から、200年」
たったそれだけかと思うと同時に、目の前の彼女を改めて見遣る。
「お前は本当に、104期生のユミルか?」
ユミルは自身の後ろを歩くリヴァイに、ひょいと肩を竦めてみせた。
「そうですよ。"人類最強のリヴァイ兵長"」
彼女がわざわざ口にした名に、ざわりと彼女の部下たちが色めき立った。
口々に話し始めて喧しい。
「…うるせぇ。無駄口叩く暇があるなら黙れ」
剣呑な気配と共に鋭い一瞥を受けた彼らは、小さく悲鳴を上げ押し黙った。
見れば皆、成人している年齢であろうに情けない。
ユミルは堪えきれずに腹を抱えて笑い出した。
「あっはははは! やばい、兵長こえぇ! 視線で人殺せるんじゃねー?」
ハンジの笑い声ほど癪に障ることはないが、煩いことには変わりない。
獣道から外れ、丘陵を下る。
笑いを納めたユミルが、ふと視線を遠ざけた。
「エレンも最初の内は、あんな感じでビクビクしてたんですか?」
エレン。
リヴァイはユミルから視線を外した。
「…そうだな。初めは意味もなく怯えてやがったな」
そこで、視界の端に異物が映った。
「…!」
やや不規則に響く重い足音は、いつになっても耳に障る。
周りの者も気付き始めた。
「ユミル隊長!」
「15m級が2体! 北西からこちらへ向かってきます!」
リヴァイとユミルは前方の樹木へ飛び上がる。
「おい、ユミル。200年経って、まだ巨人は全滅してねぇのか」
いや、それ以前に。
(こいつらの反応がおかしい)
人間は200年も生きられない、せいぜい長くて100年だ。
だというのに、彼らはリヴァイを"リヴァイ兵士長"としてあっさりと認識した。
…まあ、考えることは後からだって出来るだろう。
リヴァイは巨人の迎撃を指示しようとするユミルを制した。
「こいつは俺だけで良い」
丘陵を登って来ようとする巨人へと飛んでしまったリヴァイに、隊員たちがギョッとした。
1人で15m級に挑むなど、それも2体を相手取るなど無茶苦茶だ。
しかしユミルは彼らを押し留め、彼女の眼差しはリヴァイだけを捉えていた。
「よく見とけ、お前ら。…あれが、"人類最強"だ」
ユミルたちが装備する立体機動装置は、リヴァイの身に着けている物から更に5世代の改良を重ねている。
当時を知る彼女に言わせても、軽い上に身体の動きを制限しない良い造りだ。
ガスもあの頃に比べれば倍以上の時間を維持出来る上、ブレードも折れ難くなった。
(それでも、あんな動きは出来ねえ)
並んでやって来る巨人の、遠い方の樹木へワイヤーを1本。
遮る樹の向こう側から伸びた手を、手前の樹上に打ち込んだアンカーを巻き戻すことで回避。
なおも振られた逆の手を樹木を蹴ることで回避し、遠方のアンカーへと一気にワイヤーを巻き取る。
2体の巨人が一瞬で視界から消えたリヴァイを捜す間に、彼は2体の巨人の背後へ高く飛んでいた。
よくよく見れば、ユミルから見て奥の巨人の肩部にワイヤーが1本。
ギラ、と陽光にブレードの面が反射する。
「…!」
リヴァイの身体が回転し、巨人の後ろから血飛沫が上がった。
かと思えばもう1体の巨人からも血飛沫が上がり、シュゥ、と蒸気の音が聞こえる。
("人類最強"、半端ねえ…)
ユミルがリヴァイの手腕を間近に見るのは、実は今回が初めてだ。
"あの頃"、彼やエレンと同じ位置への展開は終ぞ無かった。
あまりにも静かな隊の面々を振り返れば、誰もが信じられないと表情で物語っていた。
「おい、他に巨人が居ないか確認しろ!」
命じればハッと我に返り、隊員たちは馬を呼んだ。
替え馬の1頭を借り受け、リヴァイはユミルと並走する。
「ヒストリア…あの頃はクリスタと名乗ってましたが、彼女が『壁』の秘密を公にして王政府は崩壊しました。
貴方が街を出て行った、1年後のことです」
「『壁』の巨人はどうした?」
「全兵団の総力戦で殲滅しました。中々に大変でしたよ」
「…そうか」
王政が崩壊してから、調査兵団の拠点に人々が流れてきたこと。
そこからさらに人々が流れ、東に大きな街が出来たこと。
ユミルは話す。
「壁内は壁内で、街として残ってます。移動できない工業区が主ですけど。
巨人は来るときには来るんで、危険度は変わらないし」
憲兵団は巨人の脅威がすべての地で平等となったところで、ようやく健全な治安組織に戻った。
駐屯兵団の者は各々、調査兵団か憲兵団へ移った。
「調査兵団は、相変わらずですよ。遠征調査に夢中です」
それでもまだ、世界の果ては見えない。
楽しげに笑ったユミルに、かつてのエレンの姿が重なる。
非常にざっくりとした世界情勢を飲み込んでから、リヴァイは問うた。
「…ユミル。お前は何故、あの頃から姿が変わっていない?」
直球に切り込んできたリヴァイに対し、ユミルは目を細めた。
「そっくりお返ししたいですね、兵長。でも原因は判ってますんで」
「原因?」
平原を、長距離索敵陣形の要領で人員を広げて疾走する。
「『巨人症(Anima Remora/アニマ・レモラ)』」
謎の単語が返ってきた。
「アニマ・レモラ?」
鸚鵡返しに頷いて、ユミルは当時を思い出すように空を見上げた。
「調査兵団が壁外に拠点を置いた頃から、症例はあったそうです。
アタシらが『海』を見つけた頃には、1万人に1人くらいの割合で」
すべてが不意打ちで襲い掛かってくる病だった。
突然に深い睡魔に襲われ、何日も目覚めない。
突然に筋肉が弛緩し、動けなくなる。
突然に、視覚が暗闇に機能しなくなる。
そのような症状が、じわりじわりと広がっていた。
特に睡魔に襲われたものは重度の冬眠状態となり、1年以上の単位で意識を失う。
その上、なぜか外見上の年齢がまったく進行しなくなる。
後々の研究で、老いていないのは外側だけで内側の細胞は老化していることが判ったが。
「…お前は、どれくらい寝てたんだ?」
ユミルは眼差しを伏せた。
「60年…くらい、ですかね。後もう少し遅かったら、アタシはヒストリアを看取ることも出来なかった」
目覚めたそこに居た彼女は老いてしまい、60年という時間がユミルとそれ以外を隔てた。
あの頃生き残っていた同期たちも、ほとんどがすでに他界していた。
「…あれは、苦しかった」
どうしてそうなったかも判らぬ内から、自分を知る人々が居なくなっていった。
時間を隔絶されたまま遺される苦しみは、心を病ませる。
巨人に遭遇すること無く夜が来て、部隊は水場を見つけて野営を組んだ。
「アタシは『巨人症』の中でも特殊で」
外見ばかりか、内側も老いない。
けれどそれを知る者は、たった今話したリヴァイの他には居ないと言った。
静まり返った野営の端、晴れ渡った夜空の下で彼女は語る。
「他に、お前のことを知る者は居ないのか」
問うたリヴァイの言葉の中には裏がある。
…ユミルが巨人化可能であること、それを含めて。
案の定、彼女は是と答えた。
「『巨人症』の詳しい話は、街に着いてから続けますか」
視線を平地の先へ戻せば、随分と立派であろう街並みが遠くにある。
朝を迎え、けれど巨人を迎えることはなく、部隊は無事街へと辿り着く。
その街並みは記憶からまったく様変わりして、ただ位置だけが同じであることをリヴァイへ伝えた。
…街の名を伝える看板に、瞠目する。
唖然とするリヴァイにユミルは笑った。
「ようこそ、『Eren(エレン)』の街へ」
見違えた、という評価が一番正しいだろうか。
初めて入ったに等しく全貌は見えないが、かつてのシガンシナ区に等しい活気がある。
(あの拠点が、こうもなるのか)
街の仕組みを聞けば、街を囲う8方位1.5km先に兵士たちの屯所があり、巨人の発見と連絡、討伐を担っているという。
「巨人の数はかなり減っているので、街への被害はほとんどありません」
稀に現れる奇行種に手を焼かされる程度だと話しながら、ユミルは馬から降りた。
「厩舎も街の外縁8ヶ所です。中にもありますけど、飼育数はかなり少なめです」
他の隊員には普段通りの指示を出し、ユミルはリヴァイを連れ先に街の内側へと歩き出した。
「行きましょうか。今の調査兵団本部へ」
賑やかな街並みは、巨人に脅かされていることが嘘のようだ。
ユミルを目に留めた人々はみな彼女へ声を掛け、次いでリヴァイを物珍しげに見てから慌てて目を逸らす。
大方、リヴァイの目付きの悪さと威圧感に充てられたのだろう。
ユミルは笑いを噛み殺した。
「どいつもこいつも、珍獣みてえに見てきやがるな」
堪らずリヴァイが吐き捨てれば、ユミルは肩を竦めた。
「それは仕方ないですよ。兵長の立体機動装置、今のとかなり違いますからね」
ここは余所者を歓迎する街だ、と彼女は続ける。
「『巨人症』でアタシみたいに外見が変わらないヤツは、同じ場所に居づらくなるんです。
だから、都市から流れて来る人間も多くて」
リヴァイがここに居た頃、住む者はみな調査兵団の兵士であった。
すべて見知った顔であると同時に、住む土地としての先は見え難かった。
ーーー『街』では、なかったのだ。
「都市?」
聞き慣れぬ単語に聞き返すと、ユミルが一方向を指差した。
「この方角に30km…だったかな。ローゼとシーナ合わせたくらいの、すげえでかい街のことです」
都市という単語が示すのは、偏にその場所のことらしい。
「『巨人症』に限らずいろんなもんが、一番進んでます。落ち着いたら一度行ってみるべきですよ」
あれやこれや、とユミルは的確にリヴァイの知りたい情報を与えてくれる。
…ふと既視感を覚え、リヴァイは足を止めた。
横手に見たそこには大きな円形の花壇が幾重にも並んでおり、花壇の間には水路のせせらぎがあった。
公園だろうか、花壇の周りではしゃぐ子供の姿を見つけ、リヴァイは目を眇める。
「兵長?」
ユミルの呼び声に、リヴァイは何でもないとまた歩き出す。
彼を呼ぶために振り返ったユミルの目には、過去の情景が映し見えた。
(そうか。あそこは…)
ーーーリヴァイの隣を、エレンが歩いている。
幸せそうだった、2人とも。
(あそこは、エレンと兵長の家があったんだ)
不意に込み上げてくるものを誤魔化すように、ユミルは視線を外した。
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2013.11.24
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