巨人の影響色濃い時代に逢ったこと。

(2.都市での邂逅)




東西南北に街を、それらを繋ぐ中央に都市を。
『Eren』から通じる最後の森を抜け眼下に広がった景色は、『壁』の時代からは考えもしないものであった。
都市から繋がる各街の外側には、集落のような小さな拠点らしきものが幾つも見える。
おそらくは、兵団による見張り櫓の役目を担っているのだろう。
(平和そうだな)
環境と併せて、大きく変移したもの。
それが『巨人症(Anima Remora/アニマ・レモラ)』の蔓延だった。

果たして、中央の都市は大きなものであった。
『壁』程ではないが、建物に高さがある。
あの頃は精々5階程度が限界であったが、標準が3階以上となっているように思える。
(まあ、住める人間の数は増えるな)
途中で調査兵団管理地の場所を聞けば、まだ都市の内側へ2km先だという。
ウォール・ローゼとウォール・シーナを合わせたような大きさの都市は、この先も肥大化して行くのだろう。
馬を降り、途中に見つけた店で腹を満たす。
人の疎らになった夕刻へ続く時間帯、店の女将が話しかけてきた。
「この時間に調査兵団の人が来るなんて珍しいねえ。お客さん、どこの街の兵士さん?」
『Eren』から来たと告げれば、彼女は大袈裟な程に喜んだ。
「『Eren』から! 私も一度行ったことがあるんだよ!
食べ物は美味しいし良い人ばかりだし、ほんとに良い街だよ」
遠いことと、巨人に遭遇したりするのが難点だねえ。
店の女将の話に適当に相槌を打ちながら、リヴァイは最後の茶を飲み干した。
「聞きたいんだが」
一呼吸置いて、尋ねる。

「『巨人症』について詳細を知りたいんだが、どこへ行けば聞ける?」

女将はああ、と予想していたとでも言うように笑った。
「『Eren』から来られてるんですもんねえ。あそこも詳しいけど、ここだと総合研究センターかしら」
イェーガー先生もお詳しいんだけど、という呟きの方が、リヴァイには重要だった。
「イェーガー先生?」
リヴァイの表情の変化には気づかぬ様子で、女将は頷く。
「研究センターでも権威のお医者様なんだけどね。奥様と息子さんが『巨人症』で」
ほとんどご自宅でお仕事されているのよ。
どことなく気の毒そうに、けれど尊敬の眼差しも交えて女将は語った。
「ご子息のエレン君も、すっごく良い子なんだよ」
息を呑む。
(『エレン』…!)
支払いと合わせて礼を言い、リヴァイは店を出た。

彼を看取ってから、実に200年近く。
リヴァイ自身としては、ほとんど眠っていたので時間の経過は感じていない。
それでも間近に手掛かりがあることで、見える世界に色が射した。
ーーー無色の世界が、モノクロに変わる。
リヴァイは都市の中心部へ向かって歩き始めた。

以前と違って、随分と電気の恩恵が行き渡っているように思える都市の造り。
馬と馬車が最速の移動手段であることは変わらないが、その内別の乗り物が出てくるような気がする。
立体起動装置を身に付けたままだが、特に咎められることもない。
人と擦れ違う度に好奇の視線が向けられるが、"あの頃"に比べれば微々たるものだ。

都市は中心部から同心円状に幅広の道が延び、伸びた道から枝分かれした道が蜘蛛の巣のように網目を描いている。
あまり秩序立っていたとは言えなかった『壁内』を思い返せば、随分と分かりやすい構造だ。
(イェーガー医師の家はこっちだと言っていたな)
先程聞いたばかりの場所を脳裏に、ひとつ横道へ逸れた。
幅広の通りに挟まれている地区がそれぞれに独立し、都市の中に町を作る。
イェーガー医師は、都市の南部にある地区に住まいがあるということだった。
ひとつ、ふたつと少し狭くなった道を抜ける。
ふと聞き覚えのある声が聞こえた気がして、リヴァイは足を止めた。
…喧騒の匂いだ。
厄介事の足音が人を払っているのか、リヴァイの周囲も人影が無い。
そちらへ足を進めれば、軽い足音が喧騒と共に近づいてくる。
リヴァイは次の曲がり角の一歩手前で、自分は何をしているのかと我に返った。
(馬鹿馬鹿しい)
『エレン』の名前を聞いてしまったせいだ。
本人である確証など、どこにも無いというのに。
「わっ?!」
「!」
ほんの2秒、その場で立ち止まったことが悪かった。
リヴァイの正面にある曲がり角を曲がってきた誰かが、もろにぶつかってきた。
こんな所に突っ立っていたリヴァイがそれなりに悪い。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか?!」
ぶつかったというのに揺らぎもしなかったこちらに驚いた様子で、相手が謝罪の言葉を向けてくる。
かくいうリヴァイは、即座に言葉を返すことが出来ない。
「…エレン?」
ぶつかって来た少年は、金の眼をきょとりとさせてリヴァイを見遣った。

「えっ? あの…どこかでお会いしましたっけ?」

エレン、だった。
人の多い場所へ行けば居るのかもしれない。
夢物語だと言われようがそう思い続けた相手、それが目の前に居る。
…路地の奥から、また物騒な声が聴こえた。
「げっ、やば!」
再度すみませんでした! と謝ったエレンが、リヴァイの横をすり抜け立ち去ろうとする。
リヴァイはその腕を掴んだ。
「おい」
「は、はい?」
「あれはお前に非があるのか?」
あれ、とはエレンを追い掛けているらしい喧騒のことだ。
途端、エレンの眼差しが険を帯びた。
「ありません」
意思の強さが金色に混ざり込み、彼の眼はより一層輝きを増す。
リヴァイが何よりも望んだ、その色。
「そうか」
返すなり、リヴァイは彼の腰を掴んで肩へ担ぎ上げた。
当然だろうが、担ぎ上げられた当人は素っ頓狂な声を上げる。
「ぅわっ?! なっ、ちょっと?!」
「黙ってねえと舌噛むぞ」
立体機動装置のアンカーを発射し、飛び上がる。
『Eren』で最新型のものに取り替えて貰ったが、さすがに使い勝手が良く造りも申し分ない。
「と、都市の居住区での立体機動は、憲兵以外は…っ」
「人助けならあいつらも文句ねぇだろ」
瞬く間に建物の屋上へと辿り着き、下から見上げても見えない奥へと足を進める。
担いでいた身体を降ろしてやると、戸惑いながらも礼を言ってきた。
「えっと…あの、ありがとうございます…」
エレンを追い掛けていた喧騒が、別の方角へと去っていく。
ただただ戸惑う金色を、リヴァイは真っ直ぐに見返した。
「お前は、エレン・イェーガーで間違いないか?」
「? はい」
間違っていない確信はあった。
それでも、本人による確証が欲しかった。

「…見つけた」

本当に小さく溢された言葉は、エレンに届く前に霧散する。
「俺はリヴァイ。見ての通り調査兵団の者だ。
『巨人症』についてお前の父親に話を訊きたいんだが、可能か?」
エレンは幾度かの瞬きで事態を飲み込み、穏やかに首肯した。
「良いですよ。明日の11時頃に、総合研究センターで『グリシャ・イェーガー』の名前を言って下されば」
俺、明日は定期検査でセンターに居るので。
「定期検査?」
どういうことかとリヴァイが鸚鵡返しにすれば、エレンは何とも言えず曖昧な笑みを浮かべた。
「俺と、俺の母さんも、『巨人症』なんです」



*     *     *



炎の水、氷の大地、砂の雪原、そして海。
そう語ったエレンに、炎の水は危険過ぎて無理だろうなと思う。
「俺の名前と同じ名前の街の近くに、"海"があるって。俺、見に行きたいんです」
相変わらず、好奇心に蓋をしない性分らしい。
「お前、訓練兵団は卒団してるんだろうな?」
問い掛けたリヴァイに、エレンは心外だと唇を尖らせた。
「3ヶ月前に卒団しました。これでも都市内順位で5位ですからね」
街の外へ出るには、立体機動装置を使えた方が良い。

エレンは『巨人症』の中でも、『Non-Grow(ノン-グロウ)』と呼ばれるものを発症していた。
この病状には3つの特徴があり、
1.一定の年齢から外見が成長しなくなる。
2.脳や細胞組織は通常と変わらず老いていく。
3.細胞の再生速度の減退、もしくは加速。
となっている。
彼の年齢を17,8程度かと見積もっていたリヴァイは、もう21だというエレンに機嫌を損ねられてしまった。
だがエレンの不機嫌は、原因が深刻でなければ長続きしないことをリヴァイはすでに知っている。
「ねえ、リヴァイさんはいつまでここに滞在するんですか?」
リヴァイが都市へ来てエレンに出会い、2週間が経っていた。
「お前次第だな」
「えっ?」
大通りを歩きながらする話でもない。
リヴァイは周囲を見回し、少し奥まった位置にバーを見つけエレンの手を引いた。
「えっ、ちょっと?!」
「酒は飲めるだろう。うるせぇから騒ぐな」
ひと睨みすれば、たちまちエレンは口を噤んだ。
まだ早い時刻、店内は空(す)いている。
「何でもいけるか?」
「えっと…ワインが良いです」
エレンのリクエストに応え自らもワインを注文し、リヴァイは向かいの金色を見つめた。
「お前の母親に、お前を連れ出してくれと言われた」
彼はハッと息を呑む。

エレンの母は、『巨人症』の中でも重篤なものに数えられる『Non-Tension(ノン-テンション)』の患者であった。
エレンが15歳のときに発症して以来、病状は進行の一手のみを辿っている。
この病は人体を構成する細胞が異常な伸縮を繰り返し、人体組織が本来の構造を保てなくなるもの。
保てなくなるのは人体の内側で、エレンの母の場合は筋肉を形作る仕組みが半分程度しか働かない。
「何で…母さん、リヴァイさんに」
エレンが都市の外へ行きたがっていることは、両親共に知っている。
それがめっきり鳴りを潜めたのは、母の病状が思わしくないからだ。

『巨人症』のすべてには、未だ特効薬がない。

エレンの父は『巨人症』の研究に暇なく…それでもちゃんと家に帰ってくる…、だからこそ死の影の濃さが分かる。
父は、母の病のことを隠さない。
知らぬということは、時としてもっとも酷い致命傷となるからだ。
「お前の母親が、もう長くないことは俺にも分かる」
巨人との戦いで、リヴァイは数え切れぬだけの死相を見てきた。
中には、戦闘で負った傷が元で病に倒れた者も居る。
エレンの母の死相は色濃く、だからこそエレンは迷っているのだと。
(今旅立てば、母親の死に目に会えないとこいつは判っている)
リヴァイに出来ることなど、無いに等しい。
「あと4日だ」
「え?」
脈絡もなく日数を出され、エレンは俯けていた視線を上げた。
待ち構えていたようにリヴァイの銀灰と目が合い、出掛かった言葉を飲み込む。

「4日後に俺は都市を発つ。行くか行かないか、それまでに決めておけ」

その日はバーでリヴァイと別れ、エレンはひとり帰路へ着いた。
自宅が見えてきたところで思い立ち、路地を曲がる。
とあるビルへ向かい外階段を静かに登り、閉じられたドアの向こうへ。
…エレンを出迎えたのは、満天に広がる星空。
美しい深淵の藍色を仰いで、エレンは息をついた。
「4日…」
遮るもののない屋上での視界は、まるでまだ見ぬ世界のように広い。
外側の手摺に肘を乗せ、頭を伏せた。
『精々、悔いの無い方を選べ』
エレンがリヴァイと出会って、まだ2週間だ。
だというのに、彼はエレンに多大な影響を与えつつある。
「…無理ですよ、リヴァイさん」
どちらを選んでも、同じだけ強い後悔に襲われる。
都市の外に詳しい彼と旅に出ることも、母の傍に居続けることも、どちらでも。

自宅へ帰り着けば、リビングから話し声が聴こえる。
ハッと駆け込めば一体何ヵ月ぶりか、母が椅子に座り父と談笑していた。
「っ、母さん!」
驚きのままに母を呼べば、朗らかな笑みが向けられる。
「おかえり、エレン」
軽く広げられたその両腕の中に飛び込んだ。
「母さん…!」
腕の中に飛び込んで来た息子に笑って、カルラはその頭をふわりと撫でた。
「久しぶりにあなたを抱きしめたわ、エレン」
すっかり大きくなったわね、と囁かれ、もう21だとやっぱり唇を尖らせた。
「もう成人してるよ、俺」
「あら、私と父さんの子どもであることはずっと変わらないでしょう?」
ぽんぽん、と宥めるようにエレンの背を叩いていた手が、エレンの頬を撫でる。
「エレン」
エレンは顔を上げ、即されるままに空いている椅子へ座った。
向かいに座る父を見れば、彼もまた穏やかな瞳でエレンを見ている。
(知ってるんだ…)
何も言ってはいないけれど、彼らはもう解っているのだ。
エレンがもう、決めてしまっていることを。
膝の上に置いた両の手を、ぎゅっと握り締めた。
「…父さん、母さん」
覚悟を決めて、顔を上げた。

「俺は、リヴァイさんと外の世界を見に行く」



翌日、エレンは都市の南部にある訓練兵団を訪れた。
大きな掛け声、スチールが風を切る音、アンカーの発射音。
懐かしい喧騒に、エレンはつい口許が緩んだ。
「キース教官!」
宿舎に近い位置で訓練を見守っていた教官へ声を投げる。
振り向いた相手はエレンの顔を覚えていたらしく、珍しくも相好を崩した。
「エレン・イェーガーか! 久しいな」
「はい。キース教官も、お元気そうで何よりです」
すっかりご無沙汰となっていた敬礼を取り、身に染み付いた動作だと他人事のように感じる。
右の拳で触れた心臓が、心無しか速い。
「リヴァイから伝言を預かっているぞ」
「えっ?」
「立体起動装置を装備したら訓練に加わるように、とな」
「…っ、はい!」
立体起動装置は、装備する前の点検が何よりも大事だ。
飛んでいる最中に整備不良など起こしたら、目も充てられない。
自身のストレッチも入念に行い、エレンは久しぶりのトリガーの感触に胸の高揚を覚えた。
「来たか」
立体起動訓練を行う林の前には、すでにリヴァイが待っていた。
彼に対して敬礼すればリヴァイが眩しそうに見つめて来たので、エレンは首を傾げる。
「リヴァイさん?」
呼び掛けに先程までの雰囲気は霧散し、リヴァイの銀灰色の眼がエレンを捉える。
「ここに来たということは、決めたんだな?」
金色は、揺らがない。
いつかに魅入られた狂気の色こそ無いが、それはリヴァイが愛した子どもそのもので。

「行きます。外の世界を、この目で見に」

エレンの決意の裏には、間違いなくリヴァイの存在がある。
その事実はリヴァイの内でほんの僅かな、エレンの両親に対する罪悪感を生んだ。
…夜間、わざわざ兵団宿舎まで訪ねてきたエレンの父に、要件を尋ねる野暮もあるまい。
彼を迎え入れたキースは、黙って食堂を空にしてくれた。
テーブルに置き去りにされた氷とやや値段の張るブランデーは、憎さのある演出だ。

「…貴方はやはり、あの"リヴァイ兵士長"なのでしょう」
互いにグラスを傾けながら、ぽつりぽつりと言葉を交わす。
グリシャはグラスに揺れる氷を見つめ、静かに言の葉を発した。
「ハンジ・ゾエという、名の知れた研究者が居ました。
始めは巨人研究と、巨人化する人間に関する第一人者という意味で」
調査兵団を退役してから、彼女は無視出来ない数の患者が生まれつつあった『巨人症』の研究に挑んだ。
「『Non-Grow』と『Non-Tension』は、彼女が巨人研究の第一人者であったからこそ判明した病状と言えます」
晩年、彼女は手記を遺した。
そこには巨人が大挙していた頃の、激動の時代への回顧があった。

『"人類最強"と言われたひとりと、"人類の希望"と呼ばれたひとりへ。
碌な礼も言えぬまま居なくなってしまったふたりに、この人生を捧げるだけの感謝を』

『巨人症』の発症に個人差や血縁は関係なく、人類全てが発症確率50%である。
ゆえに彼女はこう記した。
『もしかしたら、もしかしたら、片翼を亡くして寄る辺を失った翼が、生きているかもしれない。
それが苦しみだと言うのなら…いや、例え喜びであるとしても、何とかしてやりたいと思う』
随分と、殊勝なことを言うものだ。
(予想がつかねえって意味で、奇行種のままじゃねえか)
晩年に入って落ち着きが訪れたというなら、その姿を見てみたかったとも思う。
「…6回だ」
ウイスキーのグラスを置き、リヴァイはグリシャを正面から見た。

「季節が6回巡り終えるまでに、エレンをここへ送り届ける」

必ず。
エレンの母は、その頃には他界してしまっているだろう。
グリシャとて、病や事故に倒れる可能性がある。
それでもエレンは選んだ。
自らの足で歩き、自らの目で世界を見ることを。
考え耽けて眼差しを落としていたグリシャが、決意を込めるように立ち上がった。
「リヴァイ兵士長」
応えるように、リヴァイも立ち上がる。
見返した眼鏡の奥の瞳は息子を想う親の慈愛を湛え、エレンが愛されているのだとリヴァイへ教えた。
「息子を、よろしくお願いします」
頭を下げた相手に、リヴァイはトン、と右の拳で己が心臓を叩く。
「…この心臓に誓って」

心臓を捧げる敬礼は、かつてエレンを亡くした"あのとき"以来であった。
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2013.11.24
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