果てに続く

(1.『世界』の子ども)




ーーーわたしたちの『世界(こども)』を、よろしくね。



神様なんて、そんなもの。
ただの自分勝手な、狡い大人でしかないんだと教えてやりたい。



*     *     *



産み落とされた『世界』でひとり、『世界』が終わる刻(とき)までを約束されてしまった。
幸いなことに『世界』は広く、隅々まで巡ろうとすれば"時代"が終わる程度には広かった。
「それを聞いてると、あんたも災難だねえ。あたしらからすると、羨ましく思えるけど」
「羨ましい? どうして?」
「だって、あんたは造物主の子どもだろう? 言うなれば、あんたも造物主だ」
「それのどこに羨ましがる点が…」
向こう側の透ける薄羽を背に持ち、2本足で立ち道具を扱い魔法を使役する存在。
"それ"を形容する言葉を持ち合わせていないが、彼らが今、『世界』でもっとも繁栄した種族である。

生きやすい時代だった。
姿形の変わらぬ者は多く、また『世界』について造詣の深い者が少なからず存在した。
話し相手には事欠かなかったし、時間はゆったりと流れて不服もなく。
その内彼らは例外を残さず消えてしまい、ああ、次の種の時代が来るのかと静かな山間で思った。
生は死があるからこそ、栄えるものだから。

次に来たのは、どうにも生き難い時代だった。
早々に"便利"という言葉を覚えてしまったくらいには、何もせずとも何とかなる技術に溢れていたのだけれど。
2本足で動き道具を扱う種族…彼らは自らを"人類"もしくは"人間"と呼んだ…が繁栄している。
人間の中に混ざってすぐ、問題は起きた。

彼らは、歳を取るのがあまりにも速い。

外見年齢の操作がある程度可能とは言え、自分勝手な神様の土産だ。
人間の時間に合わせることには殊の他苦労し、苦労している間に何度も身柄を狙われた。
『不老』であるということは、よほど魅力的であるらしい。
(生き物はみな平等に産まれ、老い、死ぬというのに)
造物主の子ども、なんて。
変われるものなら、その役目共々替わってやりたい。

死んでもいずれ生き返ることが判れば、さらに酷いことになるだろう。
『不老』に『不死』まで付いてしまうなんて、大盤振る舞いにも過ぎる。
病には罹らないが致命傷を終えば一度死んでしまうし、痛覚だってその辺の高等生物と変わりないというのに。
神様というものはつくづく、価値観が歪んでいる。
ゆえに、狙われたら即座に人間の棲む領域から逃げ出すことを学んだ。
人工物でない限り、『世界』はみな味方だ。
そんなことを繰り返しながら、時は流れる。

人間という種族は、何度か絶滅の危機に瀕しながらも、図太く生き残り続けた。

恐ろしいくらいの科学技術が衰退した頃。
まだ当分は人間がこの『世界』の主役だろうと踏んで、ちょっと眠ることにした。
"よろしくね"と言われたとはいえ、『世界』の行く末を見続けるのも結構疲れる。
何がよろしくなものかと胸中で文句を吐き、森の繁みでごろりと寝転がる。
微睡みと睡魔はあっという間に押し寄せた。
(これで、面倒は起きない)

まさか、目を覚ましたら壁に囲まれるような小さな世界だったなんて、夢にも出てきはしなかった。



"人間"をそのまま巨大に醜くした生き物が、人間を喰っている。
自然発生にしては不自然過ぎるそれに、呆気に取られるのも当然であって。
(とりあえず、逃げるか)
多くの人間が目指す先、巨大な"壁"を目指して走り出した。
"壁"は狭く、実りも少なく、駆け込まなければ良かったと即座に後悔した。
人間を喰っていた巨大な生き物は"巨人"と呼ばれ、現在生き残っている人間はこの壁の中の者たちだけと聞く。
(まあ、これは…)
どうせ、自業自得という結論なのだろう。
今までの経験が、そう囁いている。
とりあえず人間たちの間に混ざって何とか過ごしながら、剣を握る職業が生まれてくることを待った。

命が簡単に消える場所は、生き易い。
例え3年5年と見た目が変わらなくとも、誰もそんなことに気づきやしない。
余裕のない周りの生は加速し、入れ替わっていく。
何度か姿を眩ましながら、戦場とそれ以外を行き来して『壁』の中に身を置き続けた。
対する相手は"巨人"、ただ無情なほどに人間が弱者と成り果てる時代。
以前よりは生き易い時代だった。

…だった、はずで。

そんな時代に出会った、『ひとり』が。
たったひとりが、あらゆるものを変えてしまった。
今ひとつ理解の及ばなかった"感情"が幾つも幾つも胸中で綻び、とりどりの花を咲かせて。

優しさを見つけ、
暖かさを知り、
慈しみを覚え、

愛することを、愛されることを識った。

共にする歓びが、
共にする想いが、
共にするすべてが、

喪失を、絶望を、教えた。



"人間"の繁栄が続いて、はや幾星霜。
産み落とされた『世界』でひとり、『世界』の終わりまで『世界』と共に在る。
けれど、巨人の時代に出会ったひとり。
たったひとりの欠落が、今までと同様の"在り方"を奪ってしまった。
(どうすれば良い…?)
生あるものは平等に老い、死ぬ。
己以外は覆されることのない、『世界』そのものである真理。

(俺は今まで、どうやって生きていたんだ?)

今までと同じことが、出来ない。
眠りについても、目覚めても、空虚な"何か"に苛まれる。
死んでしまったものは還らない。
巡る真理は覆らない。
虚ろが内側を蝕み、いっそ死んでしまえたらと初めて自身の存在を呪った。
"人間"であったなら、こんな想いはせずとも済んだのに。

彼らの中に混ざって生きることを選んだのは、自分だ。
後悔はない。
話し相手が居るのならば、それに越したことはない。
今だって、話し相手は幾らでも居る。
だというのに、心が"ひとり"の他を拒む。


ーーー独りが辛いと思う刻が来たら、あなたの願いを叶えましょう。愛しい子。


思い出す、与えられたひとつの言葉を。
理解する、与えられた言葉の意味を。

(そうか、これが)



これが、孤独(ひとり)か。



*     *     *



どれだけの距離を駆けただろう。
馬の呼吸が随分と乱れていることに気付き、駆け足を止めた。
来た方角を振り返ってみても、そこにあるのは知らない景色。

ここは、"今の"人類未開の地だ。

横手に見える森の中へ進路を変える。
ふと聴こえたせせらぎに耳を澄ませそちらへ進めば、やはり川が流れていた。
馬を降り、水を飲ませてやる。
その間に鞍や手綱といった装備、下げていた荷物を取り外した。
連れてきたもう1頭も同じように装備を外してやり、身軽にしてやる。
一頻り喉を潤し満足したらしい愛馬が、どうしたのかと言わんばかりに見返ってきた。
それに笑って、鼻筋を撫でてやる。
「お前は…お前たちはもう、自由だ。これ以上、俺に付き合う必要はない」
ぽんぽん、と彼の首筋を叩いてやれば、黒曜の瞳がこちらをじっと見つめた。
そうして、愛馬は嘶きをひとつ。
主が荷物を手に森の奥へ分け入っても、その場から動くことはなかった。

晴れていて良かった、と思う。
雨ではこう簡単には歩けない。
もちろん、身に付けた立体機動装置を使用すれば移動など楽に済む。
だが、何となく飛ぶ気にはなれなかった。
(思い出してしまう。ただでさえ、思い出して堪らないのに)
丘陵が険しくなり、樹々の緑がなお一層深まってゆく。
稀に現れる木漏れ日が美しい直線を描き、どれだけの年月が経とうと変わらぬ美しさにホッと心が凪いだ。

登る途中に、岩が屋根のように迫り出した箇所があった。
いつかの大地震で地面が隆起し、地層が割れ出てきたのだろう。
周りは体よく背の低い木立も生い茂っており、そうそう見つけられることも無さそうだ。
それに、ここは獣道にある。
(狼…いや、木に登れないと厳しいな。猫系か)
さわり、と樹々が葉音を立てた。
"彼ら"はこちらが頼めば、力を貸してくれる。

可能な限り、見えないように。
見つからないように。

獣たちはこちらを見つけても、近づいて来たとしても、何の危害も加えはしない。
危害を加えてくるのは、ここxxxx年はいつだって"人間"という生き物だけ。
(立体機動装置…は、このままで良いな)
身を守る武器だ、トリガーはブレードにセットしておいた。
雨も凌げるであろう岩の屋根下に、身を横たえる。
立体機動装置も、身に纏う調査兵団の団服も、持ってきた荷物だってそのままに。

静かに目を閉じた。



*     *     *



『あなたがここへ来てくれるのは、初めてね。わたしたちの可愛い子』

"それ"は魔法を使う者達が『造物主』と呼んだ存在。
"それ"は"人間"たちが『神』と呼ぶ存在。

『独りが、辛くなりましたか』

辛い?
これを"辛い"と言うのなら、きっとそうなのだろう。
今まで見てきたすべてのものが、まるで無機質に沈んだような。

(似たようなことを、何年か前に思ったな)

何の変哲もない景色…例えば日の出、夕焼け、森の闇、時にはその辺の野草でさえ…が、あのときは色鮮やかに誇らしげに見えた。
今この目に映る世界は、色鮮やかになる前の世界。
"彼"に出逢う前の、世界。

『愛しい子。あなたは何を願うの?』

違う。
「俺はそんな名前じゃない」
するとこちらを見つめる眼差しが、やわりと笑んだ。

『名を付けて貰ったのですね』

今までにも名はあった。
しかしそれは目の前の存在から貰い受けたものではないし、自分で決めたわけでもない。
"以前からそこに居た"ように周囲へ認識させるのはとても簡単で、ゆえに名前は必要なものだった。
あくまでそれは個体の識別に用いる"記号"であって、心を向ける要素でもなく。
可もなく不可もない"記号"で過ごしてきた。
…巨人の時代の前までは。

「俺の名は"リヴァイ"だ」

誰が呼び始めたかなんて、知らない。
気付けばそう呼ばれていたので、何となくその名前を使って人間の中で生きていた。
何せ、ただの記号だったので。
「…あいつが俺をそう呼んだから、俺は"リヴァイ"だ」
あの瞬間、"記号"は"名前"となって特別な意味を持った。

『では愛しい子、"リヴァイ"。あなたは何を願いに訪れましたか?』

何かを願うこと。
高等生物たちはみな、そんなことをする。
リヴァイがずっと理解出来ずにいたその行為が、今なら痛いほどに解る。


「…エレンに逢いたい」


願うしかない、願わずにはいられない。
だからこそ願うのだと。

『"人間"の生はかくも短きもの。同じ刻を生きることが出来ずとも?』
「構わない」
『否応なく別たれると知っていても?』
「ああ」

ふわり、と何もない白の空間が揺らめいた。
光の先に微笑みが見える。

『あなたはこれから、必ず"エレン"に出逢うでしょう。
いつ出逢うかは分かりません。何度出逢うかも分かりません。
…それでも。その魂の強さが、世界の輪廻に耐えうる限り』

何度でも。

「十分だ」
口角を上げ、リヴァイは白に背を向けた。
その胸に、金細工と銀細工の指輪を大切に抱えて。
>>


2013.12.31
ー 閉じる ー