殺し屋『Leon』

(1.デイ・トゥ・デイ)




暗闇の中、息を殺し、足音を殺して駆け抜ける。
腰のウエストバッグを掌でなぞり、そこに納めた形を確かめた。
溝(どぶ)の臭いは慣れっこだ。
水溜まりを跳ねないように、足元の僅かな色の変化だけを目で追い掛ける。
左手首の時計へ目を向ければ、あと5分。
(あの角の、向こう!)

ドサッ!

「?!」
物音。
足へ急ブレーキを掛け、隠れる。
人の動く気配がないことを確認して、そっと薄暗い先を覗き込んだ。
「!」
男が倒れていた。
仰臥した首には見せつけるようにナイフが突き立ち、絶命しているのは一目瞭然だ。
ふと、死体の向こう側で何かが動く。

「お前、このケダモノの知り合い?」

ギラギラと、焼け付くような彩。
暗闇で輝くそれに、危機感も何もかもが吹っ飛んだ。
(…星みたい)
だがその眼光に獲物へ飛び掛かる寸前の野犬の姿が重なり、慌てて口を開く。
「違う。私のエモノだった」
ギラついた金色が細められた。
「…ふぅん? じゃあ、お前の手柄にしとけば?」
「は?」
死体を一瞥した金色の主は、よく見れば目線の高さが自分とあまり変わらない。
急所だけを突いた手際は、行きずりではなく明確に狙っていたことを思わせる。
「なあ、お前。こいつの仲間知らねえ?」
あともう1人居るはずなんだ。
問われたものの、首を振るしかない。
「…知らない。私が知ってるのは、そいつがこの時間帯にここを通ることだけ」
「どこからここに来るかは?」
少しだけ、考えた。
「はっきりとはしないけど、よく東の賭博に足を運んでるって話だよ」
「へえ…」
また、金色が獲物を見つけたようにギラリと光った。
「ありがとな。そいつは任せるけど?」
反射で頷いてしまい、あっと思ったときには相手は暗闇を駆けた後。
(ま、いいか)
結局、ウエストバッグの得物は仕舞われたままになった。



*     *     *



静かな朝だ。
アニはむくりと身を起こし、手の届く位置にあるカーテンを捲る。
…良い天気だ。
二段ベッドの上に居るアニには、窓の位置関係により日は当たらない。
しかし下の段…それもちょうど枕元…には日が射し込む。
「う……ちょっ、と、アニ、カ…テンしめてよ…」
下の段に寝ている憲兵団における同期、ヒッチ・ドリスから抗議が飛んできた。
もちろん、アニが構うことはない。
「あと15分もすれば起床時間でしょ。起きれば?」
容赦なくカーテンを開け放ち、梯子を下りる。
「……あんた鬼か…」
布団からのそりと起き上がって恨めしげなヒッチの姿など、アニの目には入らない。
驚くほど散らかった部屋の意趣返しだと、彼女が気付く日はきっと来ないのだろうし。

憲兵としてのアニの担当地区は、ウォール・シーナ南部のストヘス区。
ウォール教の大きな支部があり、それ以外は中流で固まっている地区だ。
朝の軽い自主トレを終え、今日の業務内容へ目を通す。
本日の業務は、平たく言って見廻りだ。
2人ひと組での行動が義務付けられている憲兵団において、今日のパートナーはヒッチであった。
「なーんで昼間まであんたと一緒なんだろうねえ」
「さあ?」
見廻りのルートは決まっている。
ライフルを肩に担ぎ、支部の玄関を出た。

たとえ巨人から一番遠い内地でも、繁栄の隣には必ず闇がある。
地下街で育ったアニに馴染みの深いそれは、明るい表通りの路地裏にすぐ広がっていた。
「平和よね〜」
ほんと、内地勤務とかマジついてる。
ひらひらと露店を冷やかすヒッチは、中々に自分に正直に生きていた。
そういう意味では同じアニも、彼女を嫌ってはいない。
「あっ、憲兵さん! ちょうど良いところに!」
慌てた様子の中年男性が、一角獣の紋章目掛けて駆けてきた。
ヒッチは愛想よく応対する。
「はいはーい、どうされました?」
「向こうの市場で殴り合いになってんだ、早く止めてくれ!」
あぁ、めんどくさい。
来た道を戻る男性を追い掛けながら、2人の脳内には同じ言葉が浮かんで消えた。

現場に着くと、目の前にはその通りの光景。
客と店主かそれとも店同士か、男が2人罵り合い殴り合っている。
「アニ、止めてきなよ。ああいうの得意でしょ?」
若干の揶揄を込めて笑ってきたヒッチに、溜め息を吐いてやった。
「報告書はあんたが書きなよ」
「りょーかい」
こう見えて、伊達に内地勤務を謳歌しているヒッチではない。
自分に利がある報告書を書くことに関して、無駄な才能を発揮する。
アニは野次馬を掻き分け、周囲があっと思う間もなく殴り合いの目前へ迫った。

相手へ向けられた拳の手首を掴み、硬直した男の身体を逃さず腹部へ膝打ち。
食らった相手が蹲るのを待たずして、反対側の男の首元へ裏拳を打ち込む。
軽く1mほど吹っ飛んだ相手は、仰向けに倒れ込んだ。
「わお、鮮やかだねぇ」
群衆に混じっていたヒッチが抜け出してきた。
「えっと〜、営業妨害・器物損壊…あとえっと…侮辱罪とか?」
まーとりあえず、詳しい話は憲兵団支部でしましょっか?
彼女は未だ地面と仲良くしている2名の脇に、しゃがんで告げる。
場違いな暢気さを湛えるそれは、ある種の称賛に値した。



今、アニの懐には2通の手紙が入っている。
日影になったベンチでバケットサンドをかじりながら、昨夜目を通した手紙の中身を思い返した。
(場所はどっちも遠くない。地下を通れば足も付かない)
どちらも、とある貴族の暗殺依頼。
惜しむらくは、2件のうち片方しか引き受けられないことだろうか。
(こっちはクネヒト家当主の愛人、こっちはホルツヴァート家の当主)
遠い方から調べよう。
アニは最後のバケットサンドを飲み込み、サボりたいと訴える重い腰を上げた。

憲兵団支部にて、ストヘス区内の住民登記をひと通り漁る。
だが、それらしい名前はない。
(ストヘス区ではない、と)
ウォール・シーナは貴族と王のための街。
面積もまた狭く、住人の数はローゼ、マリアに比べると格段に少ない。
ここは情報屋に頼んで手っ取り早く調べるか、とアニは夜の算段を付ける。
しかし夜を待たずして、思わぬところでその名前を目にすることになった。

「お届け物でーす」
新兵の支部内における業務は、雑用である。
基本的に治安維持を生業とする憲兵団は、驚くほどに雑務が多い。
食事の準備こそ食堂というシステムにより手元から消えたが、市民からの相談や揉め事の管理、調書の作成、他支部との連絡等々。
今までその業務を行っていた先輩はサボる宛が出来たとばかりに、後輩へ教えた後は監督する顔も見せない。
他に誰も居なかったので、アニは嵩張る荷物を受け取った。
(ん?)
差出人の部分が目に留まる。

『Gärtner Holzwarth』

箱を開けてみる。
嵩張るのは当然で、中には小さな鉢植えが並んでいた。
こんなものが支部に送られてきた訳をしばし考えて、ようやく思い当たる。
(応接用の飾りか)
緩衝材と埃避けの布を外すと、可愛らしい花が鈴生りになっていた。
鉢植えが置いてあるのはどの部屋だったか、思い出しながら両手に1鉢ずつ持ち上げる。
「わーお、アニもついに少女趣味に目覚めた?」
揶揄する声に、素直に返す愛想は持っていない。
「ほら、あんたも手伝いなよ」
そのまま声の主であるヒッチへ、手にした鉢植えを押し付ける。
藪蛇だった、と舌を出した彼女は鉢植えをじっくりと眺め、綺麗なもんねえと呟いた。
「へえ、スズラン。もしかして"鈴蘭伯爵"のとこの?」
「…今なんて?」
不可解な単語を聞き返せば、ヒッチは首を傾げる。
「ん? 鈴蘭伯爵?」
あんた知らないの? と呆れた声を出しながら、彼女は勝手に納得した。
「あー、アニはダンスパーティーとか行かないもんねえ」
誰が行くか、あんな無駄な時間。
無表情の下で舌打つアニにヒッチが気づいた様子はなく、2人は手にした鉢を隣の部屋へ移動させる。
「ヴァルター・ホルツヴァートって名前の、若い貴族だよ。王都より北にある地区のね」
「へえ」
窓辺に置いてあった鉢植えと、届いたばかりのスズランを取り替える。
「それが何で"鈴蘭伯爵"なの?」
「そりゃもう、読んで字の如くよ。何年か前に花の流通を始めて、特にスズランはほぼ独占状態」
「…ふぅん」
アニは花にそう興味がない。
暗殺稼業に毒殺は必要手段ではあるが、毒は予備の予備程度の認識だ。
(エレンの方が、余程詳しいだろうね)
彼は人の生死に関わる知識を貪欲に求め、吸収していた。
たとえ自身のポリシーに反してでも、使えるものはすべて使えるようにすると言っていたか。
「あ、そうそう。今度さ、鈴蘭伯爵のお邸(やしき)でパーティーあるらしいよ」
邸も花でいっぱいらしくてさあ、いっぺんくらい見てみようって他の同期とツテ捜してるんだあ。
実に楽しげに話すヒッチは、確かに憲兵であることを謳歌している。
(きっちり休みがあって、しかも給料もそこそこ良い)
調査兵団はおそらく薄給だ。
手厚いのは死亡や怪我の手当てで、彼らには休日もほとんどないだろう。
(ああ、けど支援者が増えたって話をどっかで…)
「なになに、アニもついに社交界デビューしちゃう?」
にやにやと笑うヒッチに、蹴り倒したい気持ちを抑えた。
「…知り合いが、ここに関わってるかもしれないからね」
「へえ?」
「植物に詳しかったから、案外居るかもしれない」
嘘ではない。
が、真実でもない。
ヒッチは身を乗り出す勢いで言葉を重ねてきた。
「えっ、誰? 男?!」
「何であんたにそんなこと答えないと駄目なの」
溜め息を返せば、意地悪げな笑みが現れる。
「別に減るもんじゃないじゃん?」
タダで教えてやるほど、アニはお人好しではない。
「その"鈴蘭伯爵"のパーティー、私の分の招待状も手に入れてくれるならね」
応接室の暖炉の上には、美しい陶器の鉢植えが並んでいる。
そこに植えられた真っ白なスズランは、女性客にはさぞかし受けが良いだろう。
鉢植えを片付けたアニは残りの雑用を体よくヒッチへ押し付け、王都の憲兵団本部へ向かった。



資料室の住民一覧の閲覧許可を求めると、当然だろうが理由を求められた。
いちおうの権限監視は機能しているらしい。
「本日ストヘス区にて暴行・恐喝容疑で逮捕した男が、ストヘス区の居住許可証を持っていませんでした。
そのため、他区の一覧で確認を取る必要があります」
「名前は本名なのか?」
「吐かせました」
「地区は?」
「王都北のxxx区、あるいはその西のxxx区です」
嘘ではない。
とても都合の良いことに。
「…許可する。その地区なら入って左の壁際だ」
「ありがとうございます」
敬礼で捧げるものなど爪の先程も無いが、感謝は本物だった。

早々に嘘ではない方の情報の写しを取り、本命の側を探す。
(ホルツヴァート…h…ho……あった!)

ヴァルター・ホルツヴァート、16歳。
15歳で父の跡を継ぎ、ホルツヴァート伯爵家当主となる。
父ローマンは隠居、母フローラは11歳のときに死去。
ローマンの後妻アメリーは15歳のときに病死。
当主となる以前から、ウォール・ローゼの空き耕地を再利用した商用花の栽培を開始している。
切り花ではなく掌サイズの贈呈用鉢植えにおいて、安定した市場を開拓した。
憲兵団の監視対象外。

(15で当主とか。しかも二親とも死んだ、ってわけじゃなくて?)
どうにも、たった15の息子に当主を譲るのは不可解に思える。
(まあ、貴族の事情なんて知ったことじゃないけど)
住所は王都の北に隣接する区で、ここは庶民街に相当していたと記憶を探る。
(ついでにもう1件…)
今度は王都の南、ストへス区の東にある地区の名簿を探しに行った。

午後は別の憲兵…2年先輩らしい…と見回りだった。
ヒッチのときも同様だが、見回りなんて言葉も甘いくらいに何もやっちゃいない。
その辺の区民が店を冷やかしたり、物珍しげに建物を見上げるのと同レベルだ。
アニの半歩前を歩く憲兵は、通りを渡るごとに暇だなぁと連呼した。
「今日はオレ、この見回り終わったら帰っから。お前も適当に切り上げろよ」
「分かりました」
憲兵の仕事は、はっきり言って惰性だ。
そして新兵が1人でも居ると、先輩格の憲兵は仕事を放棄し押し付けてくる。
その後彼らが何をするのかというと、端的に言えば"遊び"である。
(まあ、おかげでこっちもやりやすい)
押し付けられた仕事を何とかしさえすれば、フリーになるのは新兵も同じ。
だらだらと見回りを続け…もちろん区民には悟られない程度に…、ストヘス区の憲兵団支部へ戻ってくる。
一緒であった憲兵はあっという間に兵舎へ戻り、アニは支部の受付脇の部屋で日誌を広げた。
日誌の下に、本部で調べたものを写したノートを挟み込む。
(邸はあの地区では王都寄りの南。図面はさすがに無かったから、いずれ見に行くとして…)
人の気配を感じ、日誌でノートを覆い隠した。
前日までの日誌に倣って、どうでも良いような内容を記していく。
(ウォール・ローゼに栽培農場か…)
受諾回答の指定期日には、まだ日がある。
農場の場所を記憶し、ノートを上着の内ポケットへ仕舞った。



*     *     *



ウォール・ローゼへの通行許可証を勝手に作成し、アニは支部を出る。
(馬…は、無理か。馬車)
大通りへ佇み、流しの馬車を掴まえた。
「ホルツヴァート栽培園まで」
へえ、と御者は馬を動かす。
「憲兵さんが、何かの事件ですかい?」
「違うよ。どっかのお貴族様が、好みの花を融通しろとうるさいんだ」
「ははっ、そりゃお気の毒に」
「ほんとにね」
通行証を手元に取り出しておいて、アニは目を閉じた。
(そうだ、言い訳考えないと)
憲兵の団服は何かと便利だが、相手を身構えさせるという反作用がある。
それなりに理に叶った理由がある方が良いかもしれない。

「ほい、着きましたぜ」
欠伸混じりに窓の外を見れば、一面が緑だった。
アニの腰辺りまであるだろうか、ゆらゆらと草が揺れている。
「憲兵さん、帰りはどうします?」
代金を払い降りようとしたところへ問われ、アニはパチリと目を瞬いた。
そういえばこの馬車、中々に乗り心地も良かった。
「あんた、良い御者だね」
最近、腹立つ馬車にしか乗ってないから新鮮だったよ。
「2時間後くらいに来てもらえると有難いけど」
御者はアニの誉め言葉が、社交辞令ではないと気づいたのだろう。
照れ隠しのように笑った。
「30分くらい余裕見てくれませんかね」
「いいよ」
ただの安請け合いではないらしいことも加味して、アニは久々に気分が良かった。
「…さて」
ぐるりと頭(こうべ)を回す。
(何もないね)
しかも休憩時間なのか、人も見当たらない。
作業場らしい平屋が見えるので、そちらに向かうことにした。

揺れる一面の緑は、等間隔に細長い水路を挟んでいる。
水の流れを視線で遡れば川があり、上手く水を引き込んでいることが見て取れた。
(何もない…)
視界を遮る建物すら満足になく、平地の遥か遠くにはウォール・ローゼとウォール・マリアを隔てる『壁』がある。

「アニ? あなた、アニじゃない?!」

まさかこのような処で、名前を呼ばれるとは思わない。
思わず足を止め、声の主を捜した。

カタン、カタンと水音を立てて、川の中で水車が回っている。
その脇、籠を片手にして驚きに満ちた顔が。
「あんた…カーリー?」
アニより幾つか年上の彼女は、弾かれたように丸太の橋を渡って駆けてきた。
この様子だけを見ると、とても貴族の淑女とは思えない。
「うわぁ、ほんとにアニだあ…」
目の前までやって来て、彼女はそんな言葉と一緒に笑った。
「しかも憲兵の制服のままだし」
変わらないねえ、なんて言う当人は、アニの知る彼女よりも伸び伸びとして見えた。

カーリー・ストラットマン。
彼女はウォール・シーナ、ストヘス区に居を構える貴族の娘だ。
まだアニがストヘス区へ配属されて間もない頃、彼女の捜索願いが出されたことが切欠で知り合った。
細かい話を省くと結局、事件に巻き込まれていたカーリーは家を出て、単身ウォール・ローゼへ旅立ったのだ。
「それがまさか、農園に居るとはね」
「ふふっ。そこまで意外でもないのよ?」
私、薬学を専攻していたでしょう?
「"流通させる前に、その植物に関する正しい知識を持つ必要がある"って、ホルツヴァート卿がその方面の人材を捜していたの」
「へえ」
まだ16歳という若さで、卿は中々に頭が回るらしい。
カーリーは植物の溜まった籠を持ち直した。

「ところで、アニは何しにここまで来たの?」

アニは彼女が嫌いではない。
人の機敏を察することが出来、また小気味の良い会話をしてくれる。
(依頼を実行すると、カーリーに影響が出るね)
まあでも、彼女ならば他に就職口は引く手数多だろう。
元よりアニは、知り合いに余波が行くからと仕事を選り好みするタイプではなかった。
もっとも、例外はあるのだが。

結局アニが口にしたのは、御者にしたのと同じ言い訳だった。
「どこぞの貴族様が、好みの花をご所望なんだ」
どうやらカーリーは信じたらしい。
「あはっ、新兵ってほんとに仕事押し付けられちゃうんだ」
憐れと思ってくれたか、彼女はアニを平屋へ誘う。
「アニ、ホルツヴァート卿に会ったことは?」
「ないよ」
「見たら驚くくらい、まだ子どもなのよね。私より年下なのにあそこまで出来るなんて、余程の覚悟がなきゃ無理よ」
話を聞いてみれば、卿は過去に誘拐されたことがあるらしく、助けてくれた人物に恥じないようにしているのだと云う。

平屋の中には従業員らしい人間が複数おり、憲兵のアニを見てぎょっと肩を揺らした。
「花の仕入れついでに来ただけですので、お構い無く」
平屋は一般的な生活スペースの他、奥に仮眠スペースもあった。
「職場環境はとても良いのよ。一人暮らしとか訳ありで家の無い人は、キッチンとバストイレが共同だけど寮もあるし」
「へえ」
他に相槌の打ちようもない。
「そういえば、どんな花が良いの?」
「…スズラン以外?」
如何とも言えず適当に答えれば、カーリーは吹き出した。
「絶対適当に言ってるでしょ、アニ」
「花に興味ないから」
「正直ねえ」
良いよ、案内してあげるから見て回ってみる?
彼女のありがたい提案に、アニは思案することもなく頷いた。



夜、兵舎の部屋へ戻ると、ヒッチが待ってましたとばかりにアニを出迎えた。
彼女から差し出されたのは、ぺらっとした封筒。
「何?」
「例の招待状」
受け取ろうと手を伸ばすと、薄っぺらい封筒がひらりと指先を躱した。
「……」
無言でヒッチを見返せば、彼女は大袈裟に肩を竦める。
「怖い顔しないでよ。"お願い"を聞いてくれたら、ちゃんとあげるからさ」
「へえ…いちおう聞いてあげるけど?」
珍しくも口の片端だけを上げて笑ったアニに、ヒッチは嫌な予感を覚えたらしい。
誤魔化すことなく、早々に答えた。
「明日、別の貴族の邸でパーティーあるんだけどさ、それに出てくれない?」
直前になって欠席者出ちゃって、女子が1人足りないんだよね〜。
「それで?」
「あんたを代役に立てたいワケ」
「…それで?」
「まあ、ダンスは踊れなくても大丈夫だし。どうせ人数合わせだし」
「…それで?」
「衣装は私が使ってる貸し衣装屋に連れてってあげるからさ。明日の夜」
「…その明日の夜なんだろ? 代役のパーティー」
「着替えてそのまま行くカンジ」
「……あ、そ」
良いよ、別に。
「鈴蘭伯爵のパーティーも、あんたの案内ならね」
「マジ? やった、じゃあ決まり!」
「もう良い? そろそろ部屋に入りたいんだけど」
あは、ごめんごめん! なんて言いながら、ヒッチは上機嫌で扉の前から避けた。
(面倒が増えたけど)
下見に掛かる手順が減るのだから、良しとしよう。
アニはヒッチの所為で散らかった部屋へ、ようやく足を踏み入れた。
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2014.12.7
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