殺し屋『Leon』

(3.エンカウンター)




アニがホルツヴァート邸へ行くのは、偏に暗殺対象の確認と周囲の把握のためだ。
依頼の返答期日まではまだ間があるが、上手くやればこちらの返答待ちの依頼、2件ともが遂行出来る可能性が高い。
またもヒッチに引き摺られるようにドレスを着て邸を訪れ、アニは驚いた。
(若い…)
カーリーの言ったとおりだ。
(本当に、子ども)
邸の内外に飾られた鈴蘭は可憐で、花に興味のないアニも心が和む。
パーティーも以前に赴いたものよりずっと過ごしやすく、また集まる人間もマシなものが多いような気がした。

以上が、偵察の第一段階を踏んでの感想だ。
パーティー会場を後にし貸衣装屋でヒッチたちと別れると、アニは隠れ家の1つへ足早に身を隠した。
兵団服を脱ぎ、地下街時代から変わらぬ仕事着を着込む。
…目元以外を黒で覆う、闇に溶け込むための姿へ。
服の下、腰に回したベルトとウエストバッグには使い慣れた仕事道具。
その1つ1つを確かめて、アニは人通りのないことを認めると裏通りから邸へ向かった。

裏通りを走り、大小様々な家や邸の塀を駆け抜ける。
まるで猫のように家々の間を飛び、ホルツヴァート邸の裏手へ。
人の気配と影の確認は怠らない。
裏口の上にある庇へ手を掛け、ぐっと上体を持ち上げる。
雨樋と換気口の出っ張りを僅かな足場に、高所移動用のフックを煉瓦の隙間に引っ掛け目星を付けた窓へと向かった。
目的の窓から中を覗き、人影のないことを見て取るとそっとサッシに手を掛ける。
…昼間の内に、完全には締まり切らないように小さな金具を取り付けておいたのだ。
ここは1階への階段にもっとも近く、パーティーのときに近づくことが出来た。
(いけそうなら、)
今日の内に始末したって良い。

静まり返った邸の中に、足音なく滑り込む。
鍵を掛けずに窓を閉めると、アニは街明かりの入らぬ影を拠点に邸内の探索に入った。
(使用人の数が少ないのは、パーティーで分かったけど)
中流貴族、中でもホルツヴァート家は質素な暮らしを好むようだ。
扉に近づくとその前にしゃがみ、扉に耳を当て中の気配を読み取る。
(ここはおそらく、空き部屋)
ならばこの奥…南側にあるのは、当主と前当主の部屋。
さらに邸の奥へと歩を進める。
「!」
アニは足を止め、素早く壁へ寄った。
(今、他の気配が)
鋭く左右の廊下を見通すが、夜目の利くアニの瞳には何も映らない。
(さっさとずらかった方が良さそうだね)
思っていた以上に、用心深い家の可能性もある。
進行方向で、廊下が直角に曲がった。
(この邸の廊下はコの字型。入ってきた位置は、反対側の行き止まり)
となれば、あの曲がった先に目的の部屋がある。

アニは訓練兵団に入るまで、人を殺して生きてきた。
エレンと違って『暗殺』ではなく、本当に相手を殺せば終わりだ。
ただ、そこにはやはり共通点があった。

自身が捕まらぬよう、自身の手掛かりが残らぬよう、細心の注意を払う必要があることだ。

横手にあった気配の皆無な給湯室へ入り、一度息を吐く。
(部屋以外にあるとすると、リネン室だね)
給湯室から出て、アニは右手に仕込むナイフを音もなく取り出した。
向かう先の角は街明かりが反対を向いて、影の方が濃い。
「……」
曲がり角で壁に背を預けて注意深く己の心音を測り、廊下を曲がる。
前方奥には扉がひとつ、その手前にもうひとつ、そして扉のないリネン室らしい真っ黒な壁。
(たぶん、一番奥)
ナイフを構え、さらに進む。
そうしてアニが前に出した足先が、リネン室の入り口に差し掛かった刹那。

「っ?!」

ヒュンッと風の切る音が、アニの前髪を掠めていった。
背後からの僅かな明かりで、キラリと刃が光る様を視界に収める。
咄嗟に上体を逸らしたアニはそのまま後ろへ宙返り、光を捉えた瞬間さらに飛び退いた。
(間合いは広くない、けど…!)
攻撃も軽く見えるが、手数が多い。
後退したアニの後ろは壁、ここは先ほど曲がった廊下だ。

シーツの裾がパタリとはためき、その間から伸びる腕の先に刃。
リネン室に隠れていたことがよく分かる相手だ。
アニは手にしたナイフを、迷いなく相手の顔面であろう箇所へ突き出した。
ナイフはシーツに穴を開け、布が風圧にまたはためく。
相手の動きが僅かに止まり、アニの動きも合わせるように止まった。
「…っ?!」
彼女より低い位置にあった顔が、シーツの端から覗く。
大きな眼が外の明かりを取り込みギラリと光って、だだ漏れの殺気が刺さってくる。

アニが驚いたのは、そんなことではない。
腕の立つ相手が子どもだったなんて、自分が子どもであった過去を思い返せば珍しくない。
外に見える唯一の目を驚愕に見開いたアニの口は、勝手に『それ』を吐き出した。

「……エレン?」

だがそれも、一瞬のこと。
アニは斜め後ろの窓へ駆け、硝子を割って邸の外へ脱出した。
派手な音が響き、砕け散った破片がキラキラと輝く。
危なげなく地面へ降り立ち、振り返ることなく邸の塀を乗り越え街の闇へと姿を隠した。



すでによく知る街の裏道を駆け抜けて、どれだけ経ったか。
どこかの角で足を止めると、アニは呆然と足元を見つめた。
「な、…な、んで?」
それは地下街を渡り歩き憲兵として内地を謳歌する、彼女らしからぬ言動だった。
(だって、だってアイツは)
ほんの1週間程前に、会ったばかりだ。
調査兵団の分隊長にされたと言っていて、あのリヴァイ兵士長と一緒にさっさと貴族のパーティーを後にして。

アニより小さな体躯の相手。
シーツの間から覗いた、大きな目。
色こそ違った。
(違った、けど)
あれは、
(あれは…)
地下の仲間で同業者、地上の同期。

(あれは、エレン…?)

どう思い返しても、エレン・イェーガーの姿をしていたのだ。



*     *     *



「おい、エレンよ」
「はい?」
夜、最後の書類を片付けたリヴァイは、思い出したようにエレンへ問うた。

「以前に内地へ行ったとき、お前、ガキに何を言付けたんだ?」

エレンが、思いがけず同期に会った日のことだ。
リヴァイと共に先に宿屋へ引いたあの日、エレンは宿で書いた1通の手紙を通りすがりの子どもに手渡していた。
それのことかと思いだし、口許を引き上げる。
「あれはただの保険です」
リヴァイが片眉を上げた。
エレンはリヴァイの向こう側、窓向こうに散らばる星を見る。
「大事な資金源が狙われている可能性があったので」
ちょっとした保険を掛けておいたんですよ。
「資金源、な」
「俺がここにいる間は、調査兵団の資金源ですね」
嘯くエレンの笑みは、余裕そのもの。
どうやってその余裕を崩してやろうかと、リヴァイは新しい楽しみを見出した。



*     *     *



「そういえば、ストヘスの北にあるxx区で貴族が殺されたんだってさ」
今日の日誌当番はヒッチだ。
彼女がペンを走らせるのを横目に、アニは残り少ない勤務時間の消費に新聞を捲る。
しかし、さっぱり面白くない。
ヒッチは彼女の反応を気にせず、勝手に続けた。
「なんか、愛人とよろしくやってたとこをざっくりやられたんだって〜」
おお、こわっ!
肩を竦めたヒッチに、怖がっている様子など見当たらない。
呆れを含めて返してやった。
「へえ。その愛人が気の毒だね」
するとヒッチは笑う。
「まーでも、愛人なんて恨まれてなんぼじゃない?」
痴情のもつれなんて、よく聞く話だし?
「そんなもん?」
「そんなもんでしょ」
よし、書き終わった!
小さな歓声を上げてヒッチは立ち上がり、徐にアニを見遣る。
「ねえ、アニ。今度ダンスパーティーあるんだけどさぁ、」
「却下」
みなまで言わせず、アニはぶった切ってやった。
「ええーっ! だって、アニ目当ての男いっぱいいるのに!」
以前のパーティーからこっち、ヒッチは何かとアニを道連れにしようとする。
客寄せパンダなど、やっぱり冗談じゃない。
だからアニは、己より背の高いヒッチを見下ろすような勢いで告げてやった。
「お呼びじゃないの」
ヒッチが盛大に噴き出すと同時に、終業の鐘が鳴った。



胸の内だけで白状しておこう。
ヒッチが言っていた『殺された貴族』の名前はクネヒトで、実際には彼は巻き込まれただけの不運な男だ。
憲兵団支部を出て、アニはひとつ伸びをする。
(私はエレンとは違う)
『Leon』の標的は、クネヒト家当主の愛人だったのだから。

彼らの使う安宿は、そこそこのプライベート性を売りにした庶民街の宿だった。
その街に地下街への入り口があることは周知の事実で、ゆえに治安は良くはない。
治安の悪さと安さはイコールであり、また何かが起きても地下街の人間の所為に出来る。
利用するのは1週間に1度、あるいは2度。
毎回、水曜日か金曜日と決まっていた。
泊まる部屋はいつも奥の部屋で、階数は部屋の埋まり状況に依存。
この宿屋は3階建てで、3階の廊下だけ窓があった。
ゆえに3階に泊まってくれると、侵入者としては有難い造りで。
(ああいう場面に入るのは、気持ち悪いだけだけどね)
性交の現場は人間が一番無防備になる瞬間なので、昔から使う実行タイミングだ。
この先変える予定もなかった。

ちなみに、当主の方まで殺してしまった件については問題ない。
愛人はどこぞの下級貴族の娘で、その貴族の父親は当主と商売で揉めていたそうなので。
(痴情のもつれ、なんてよく聞く話だし)
どうせ今回も、捜査を面倒がる憲兵がそのような判断を下すのだから。

兵舎へ帰るも何となく気が落ち着かず、アニは着替えると街へ出た。
地下の塒に戻るのは、少し面倒だ。
表通りに門を開く酒場へ入り、隅のカウンター席へ座ると酒を注文する。
頼んだシャンパンベースのミモザは程なく出てきて、ツマミのアーモンドを口へ放り込んだ。



クネヒト家当主とその愛人を殺した後、アニは地下で馴染みの金庫番を訪れ『殺し』の残り半分の報酬を受け取った。
基本的に報酬は半分が前金、半分が成功報酬になる。
それから地下で情報収集に使う酒場へ行き、相席になったどこぞの中年が話し掛けてきたのを幸いと話題を振った。
「ところでさ、あんた『Jäger(イェーガー)』って知ってる?」
「おお、知ってるぞぉ。人買いばっか狙う殺し屋だろ!」
程よく酔っている男は濁声を返し、それに眉を潜めながらアニはまた尋ねた。
「私、あいつの顔見たことあるんだけどさあ」
「ほお、姐ちゃんもか。俺も知ってるぞ、地下にゃ勿体無えツラしてやがった!」
「ほんと、どっかで色仕掛けしてやろうって思ってたのに」
「なんだぁ? 手酷く袖にされたか?」
追加のビールを持ってきた女の店員が、ジョッキを置いて口を挟んだ。
「そうそう、アタシもここでたまに見掛けてさあ、声掛けてたよ」
「かーっ! あの野郎、羨ましいヤツだな!」
でもねえ、と彼女は大袈裟に肩を竦める。

「いつだっけね、子どもが来たのよ」

別に、妻子持ちだろうが構いやしないんだけど。
「あの野郎にガキが居るのか」
ありゃあ随分若ぇだろ?
「だって、そっくりだったわよ?」
男なんて、12とか14にもなれば出すもん出すでしょー。
はは、違いねえ!
(くだらない…)
下世話な話は、地下では日常会話の一端だ。
「あの子、人買いに攫われてなきゃ良いんだけど」
可愛い顔してたもの、と眉を下げる彼女に別口からオーダーが投げ掛けられ、女店員はアニのテーブルを離れて行った。
中年男は新しいジョッキをぐいっと煽る。
「あの『Jäger』のガキが、人買いに攫われるタマかあ?」
人買いが食い殺されるに決まってらあ!
(ま、そのとおりだね)
大口を開けて笑う男の話し相手を適当にしてやり、アニは折を見て店を出た。



アーモンドの入った器が空になる。
(エレンに子ども…)
それはない。
なぜならアニが見(まみ)えた子どもは、10歳はあろう外見をしていた。
となると、エレンが8歳の頃に産ませたことになってしまう。
(その頃はまだ、エレンは地下に来ていない)
これは確かだ。
いつ攫われてきたのか、本人にも確かめている。

『お前、このケダモノの知り合い?』

あの日、彼はアニの獲物を先に屠ってしまった。
しかもアニが言った"東の賭場"を手掛かりにして、本当にもう1人を見つけ出して始末して。
『お前のおかげで、ケダモノをぶっ殺せた』
ありがとな、と。
物騒なことをわざわざ言いに来て、物騒なことにわざわざ礼を言って。
(おかしなヤツ)
焼け付くような金色の彩が、本当は星のように輝くことをアニに魅せつけて。
『オレはエレン・イェーガーだ。お前は?』
それに付き合って兵士になってしまうくらいには、テリトリーを預けてしまった。
代金をカウンターに置いて、アニは酒場を後にする。

「…あんたが居なきゃ、面白くない」

唇から零れた呟きは、シーナの街に解けて消えた。
--- 殺し屋『Leon』 end.

<<


2014.12.7
ー 閉じる ー