ピトフーイの尾羽

(1.駐屯兵団南方司令部にて)




ちら、と視線を流してみる。
目を逸らしてからもう一度ちら、と見てみても、状況は変わらなかった。
「…あの、ハンジ分隊長」
「ん? ジャン、どうかしたかい?」
堪らずジャンが手近なハンジへ尋ねてみれば、振り返った彼女はにまにまと笑っている。
本日は第3分隊のメンバーも、調査兵団本部で訓練だ。
「リヴァイ兵長、何とかなりませんか…」
「無理だね!」
即答された。
「ほんっと、エレンが来てからアイツ面白いのなんの…!」
ハンジは場をどうにかする気すらないようだ。
ジャンは溜め息を呑み込む。
(勘弁してくれ…)
エルドとペトラなんて、ずっと半笑いになっているというのに。
「男の嫉妬は見苦しいよなあ」
「ユミル! 聴こえたらどうするの!!」
隠さないユミルの本音に、珍しくクリスタが本気で咎めた。
小声だったので、おそらく当人には聴こえていないはずだが。
「エレンと団長、駐屯兵団本部に行ったんだっけ?」
アルミンの問いにジャンは頷く。
「ああ。ローゼの本部に顔見せだってよ」
内容だけを聞けば、何の変哲もないように思えた。
「…じゃあ、兵長の機嫌の悪さは別の理由?」
意を決したとも言えるアルミンのさらなる問いに、聞き耳を立てているのは同期たち全員な気がする。
「あー…半分は違うな…」
疲れた様子のジャンに代わり、くふふ、とハンジが忍び笑いを漏らし解説した。
「実は南方駐屯兵団と合同訓練の話が上がってるんだけどさ。
エルヴィンがさあ、『ピクシス司令のことだから、"では来週でどうじゃ?"と言い兼ねない。
恩を着せる意味合いも兼ねて、合同演習の内容を決めておいてくれ』って丸投げしたんだよね。リヴァイに!」
「…チッ、煩え」
「ぶはははは!」
ついに当人が盛大な舌打ちをして、ハンジは思い切り噴き出し笑い転げる。
草を生やすという表現が似合いそうだ。
彼女の隣では副官のモブリットが青い顔をしており、ご愁傷様としか言えない。
というか。
「…もしかして、調査兵団の全分隊と南方駐屯兵団の半分以上が参加するんですか?」
「そう」
ハンジはあっけらかんと返事をしてみせたが、考えてもみてくれ。
(調査兵団で200余名、駐屯兵団南方司令本部はうちの倍は居たような…)
アルミンもようやく、エルドたちまで半笑いになっている理由を察した。
(エレンが出掛けたことより、そっちの方が大問題じゃないか…)
駄目だ、リヴァイにもご愁傷様としか言えない。





「…良かったんですか?」
馬車に揺られながら、エレンは真向かいのエルヴィンへ呆れ混じりの目を向ける。
エルヴィンは相も変わらず朗らかに笑った。
「構わないさ。与えられた職務は全うする男だ」
「否定はしませんけど…」
「なに、さすがにすべて出来るとは考えていないよ。概要が確立出来れば万歳だろう」
リヴァイもエルヴィンのこういう思考を読んでいそうなものだが。
「…俺に皺寄せ来ないなら良いです」
エレンは考えることを放棄した。

憲兵団、駐屯兵団、調査兵団とある兵士の所属の内、駐屯兵団は比べるべくもない程所属人数が多い。
訓練兵団卒団時、憲兵団を選べるのは上位10名まで。
残りの百余名は文字通り命を懸ける調査兵団か、壁の保守と憲兵の指揮下で治安維持にあたる駐屯兵団のどちらかを選ばなければならない。
誰しも命は大事にしたいのだから、その内ほぼ9割が駐屯兵団を選ぶのが通例だ。
つまり駐屯兵団は、壁内においてもっとも巨大な組織でもある。

「これから行くのは南方司令本部ですよね?」
「そう。シガンシナから壁外調査に赴く我々が世話になっている駐屯兵団は、みな南方司令部所属だ」
巨人は南から来るとされる。
そのため壁外調査で開閉される門も南であり、南方司令本部は駐屯兵団でもっとも力を持つのだそうだ。
総司令の名はドット・ピクシス。
(…面倒そうだなあ)
エレンにはそんな予感しかしない。

駐屯兵団・南方司令本部へ着くと、すでに出迎えが待っていた。
「お待ちしておりました。エルヴィン団長」
そちらは? という目線がエレンへ向けられ、エレンは敬礼を返す。
「調査兵団第3分隊、分隊長のエレン・イェーガーです」
相手は目を丸くしてから、慌てて名乗りを返してきた。
「これは失礼しました。駐屯兵団ローゼ南方司令本部所属、イアン・ディートリッヒです。
…第3分隊の噂はよく聞いていましたが、思った以上に若い方で驚きました」
正直に言うもので、逆に好感が持てた。
「俺も、驚かない人にはまだ会ったことありませんね」
「ははっ、そうですか。では、中へどうぞ」
イアンに着いて、南方司令本部の中へ。
(ハンネスさんは居ないだろうな…)
シガンシナの開閉門担当であれば、本部との伝達は別の担当者が居るはずだ。
擦れ違う駐屯兵たちはみなエルヴィンへ敬礼していくが、彼の半歩後ろを歩くエレンには好奇の視線が追ってくる。
『調査兵団第3分隊』の存在は知っていても、分隊長を筆頭として誰が所属しているのか他兵団には伝わっていないのだろう。
それこそ、兵団のトップやそれに連なる者以外は。

分厚い両開きの扉の前で立ち止まる。
「ピクシス司令、お連れしました」
「おお、待っておったぞ」
窓辺に立っていたピクシスが、エルヴィンとエレンの姿を認め破顔する。
「久しいな、エルヴィン。第61回壁外調査の成功と無事の帰還、何よりじゃな」
「ありがとうございます」
握手を交わし、エルヴィンも頷いた。
彼の斜め後ろに立っているのは、まだ少年と言っても過言ない青年だ。
「初めまして、エレン・イェーガー分隊長。儂はドット・ピクシス、駐屯兵団南方総司令を勤めておる爺じゃ」
エレンは差し出された手を握り返す。
「お会い出来て光栄です。ピクシス司令」
確かにピクシスは好々爺然とした印象だが、『総司令』と肩書のある人物がそのとおりなわけがない。
「いやあ、若いのう。にも関わらず、すでに5回もの壁外調査から帰還している。驚異の成果じゃ!」
5回、という数字に、ピクシスの副官であろう男女2名がぎょっと上官を見返した。
「訓練兵団を卒団して、どれくらい経つ?」
「…1年くらいじゃないですか?」
今度はエレンにぎょっとした目線が飛んできた。
さすがのピクシスも目を見開いている。
「これはたまげた。エルヴィン、新兵に分隊長なんて重い肩書を持たせたのか」
「そうなりますね」
エレンには『1年』という時間の長さの方が嫌に染みる。
(くそっ、1年経っちまった)
自身が確実に地下街から遠のいていることが分かるだけに、靄々としたものは胸の奥に溜まるばかりだ。
ソファを勧められ、そちらにエルヴィン共々腰を下ろす。
「以前に立ち話をした合同訓練の話、シガンシナ区とトロスト区担当の者たちが随分とそわそわしているのでな。
近いうちにやれんものかと考えておる。今月末にでもどうじゃ? エルヴィン」
ピクシスの出した提案は、馬車で話したそのものだった。
(エルヴィンさんの予測通りだ…)
「そうですね。こちらも編成の再調整で次回の壁外調査をずらす予定ですし、良い時期かと」
ならば訓練場所をどこにするか、と話しだした兵団トップたちの会話を聞きながら、エレンは手持ち無沙汰に部屋を観察する。
(ここ、宿舎ってどうなってんだろ…)
「イアン」
不意にピクシスがイアンを呼んだ。
「確かお前の処の班と、リコの処の班が今日の演習に混じっておったな?」
「はい」
「ふむ、ならばちょうど良い。エレンにも参加してもらうか」
話題はエレンにも飛んできた。
ピクシスはエレンへ視線を戻す。
「調査兵団の…特に新兵であるなら、訓練時間の減少はそのまま生命の危機に繋がるじゃろう」
どうじゃ? と問われて、断る理由はなかった。
「仰る通りですね。エルヴィン団長、俺、ちょっと混ぜてもらってきます」
「ああ、分かった。私も後で行こう」
「うむ。エレン分隊長、お手柔らかに頼むぞ」
最後のピクシスの台詞だけは理解できなかったが、立体機動装置を装備してきた甲斐がありそうだ。

司令室を出て、軽く伸びをする。
「さすが、調査兵団の幹部の方は肝が座っていますね」
イアンが苦笑交じりに言うのを、エレンは首を傾げて続きを即す。
「ミケ分隊長はアンカさんとグスタフさん…あ、さっきの部屋に居た副官の2人ですね。彼らの匂いを嗅いだそうですし。リヴァイ兵士長は表情ひとつ変わらなかったそうですし。
ハンジ分隊長は『巨人の生け捕りに協力してくれ!』とのっけから熱弁を奮ったそうですよ」
容易く想像がついて、エレンも苦笑するしかない。
「はは…あの人たちと比べられても困りますけど。ところでイアンさん、班長なんですか?」
「ええ。私の下に5名、それからリコ・プレツェンスカという女性班長の下に5名。ピクシス司令は『精鋭班』等と呼んでくれます」
純粋に、楽しみだなと思った。



今日は本部の敷地内ではなく、巨大樹の森で訓練を行っているという。
本部で馬を借りて、やや離れた位置にあった巨大樹の森へ。
森の入口には何頭もの馬が繋がれて、見張りの者が3名。
「イアン班長、お疲れ様です!」
「ああ。リコは居るか?」
「もうすぐリコ班長の班も戻ってきます。…あの、そちらは?」
彼らはリヴァイやハンジなら見覚えがあるが、という顔をしていた。
イアンがエレンを振り返る。
「彼は調査兵団第3分隊の、エレン・イェーガー分隊長だ」
「こ、これは失礼しました!」
慌てて敬礼を返され、エレンは笑うしかない。
「初めまして。エレン・イェーガーです。うちの団長とピクシス司令の話が長引きそうなので、訓練に混ぜてもらおうかと」
キュルルッ、とワイヤーを巻き戻す音が複数聴こえ、巨大樹を見上げれば6名の兵士が降りてきた。
「イアン、司令のところはもう良いのか」
白に近い髪をした、ハンジと同じゴーグル型の眼鏡を掛けた女性兵士が降りてきた。
エレンは彼女に見覚えがある。
「あ! 前の壁外調査のとき、シガンシナ南門で支援してくれた方ですね」
他の兵士に指示を出しているように見受けられたので、彼女がイアンの言う『リコ班長』だろう。
「あ、ああ…そうだが……」
まったくその通りなのでリコは頷くしかないのだが、調査兵団の兵士に認識されているとは思わず驚いた。
「申し遅れました。俺はエレン・イェーガー、調査兵団第3分隊の分隊長を勤めています。
うちの団長とピクシス司令の話が終わるまで、訓練に参加させてもらえませんか?」
彼女はイアンを一度見てから頷いた。
「それは構わない。私はリコ・プレツェンスカだ。…失礼ながら、随分と若いようだが」
「そうですね。卒団して1年くらいなので」
「はあ?!」
まだ新兵じゃないか、という言葉を、リコは寸でのところで呑み込んだ。
「リコ、訓練の具合はどうだ?」
イアンに問われ、彼女は巨大樹の森へ視線を返した。
「3つ目が終了したところだ。次は森の中に残っている班にデコイの増設と移動をしてもらって、各自の速さと刃の正確さを確認する」
「個人プレーってことですか?」
「そうだ」
エレンの確認には是が返ったので、やりやすそうだ。
「よし、俺も参加しよう。準備はあとどれくらいだ?」
イアンが口にした矢先、森の中から騎馬の兵士が駆け出てきた。
「リコ班長、準備完了しました!」
よし、とリコが馬の見張りをしていた1人へ空砲の指示を出す。
イアンはボックスからブレードを取り出した。
「エレン分隊長。森の中のデコイの数は、リコたちにも知らされていないはずです。
見つけ次第削いでくれて構いません」
「了解しました」

パァン! と空砲が鳴る。

訓練内容は、デコイの項部分を削ぐこと。
第3分隊の面々が袖口に仕込むナイフの出番はなさそうだ。
ここは普段訓練に使う森とは違うので、エレンには新鮮に映る。
(あった!)
風を切りながら高度を落とし、ブレードを持つ腕を振り被ることで身体に回転を加える。
ザンッ! とデコイの項が削がれたが、どう見ても。
(くっそ、やっぱりミカサより浅い!)
次のデコイを探すため、進行方向を90度転換する。
どれだけ訓練を重ねても、エレンがミカサの速さと斬撃力に勝てた例はない。
斬撃だけなら、ライナーがミカサに並ぶか。
(まあ、昔もミカサの方が力強かったけど)
おそらくは、彼女がリヴァイに次ぐ戦闘力を誇る。
判断や統率の経験が足りないのは、エレンも同様のため仕方がないだろう。
(2体目!)
こちらを向いているデコイを発見し、巨人の視界と仮定される範囲から外れるため樹々の枝葉の中へ迂回する。
デコイとは言え設置した兵士はその場に残っており、彼らが項を削ぎに来る者を視認した場合はデコイの向きを変えてくるためだ。
今度はライナーに教えてもらったように腕を捻り、デコイを狙う。
(あっ、少し深くなった)
壁外調査では、こんなことを考える暇はない。
あまりに低く飛ぶと15m級の巨人の餌食となるため、エレンは再び高度を上げる。

リコは3体目のデコイを発見し、自身の目を疑った。
(またか…っ!)
すでに削がれている。
駐屯兵団南方司令本部所属の精鋭班メンバーは、リコも含め10名。
10名の中で立体機動におけるスピードがもっとも早いのはリコであり、それは自他ともに認めるところでもある。
しかし空砲が鳴った直後に飛び出していったエレンの姿を視認できていたのは、ほんの十秒程度だけだった。
(まだ新兵だという話だったが…)
正直、舐めていた。
(これが壁外調査を生還する者の実力…!)

エレンが数えて4体目のデコイの項を削いで飛んでいった際、4体目のデコイに着いていた駐屯兵2名はぽかんとその後姿を見送っていた。
「おい、誰だあの調査兵…!」
めちゃくちゃ速かったぞ、という相方に、もう1人も頷くしかない。
「もしかしてリヴァイ兵士長か?」
「…いや、リヴァイ兵士長にしては背が高かったぞ」
エレンが聞いていれば、『この生き急ぎ野郎…』と残念な賛辞を送ったに違いなかった。

「あれ、出口…?」
デコイを複数配置する、という点を鑑みて、エレンは一度森を横断している。
合計で4体のデコイを発見しそれぞれに項を削いで、森を縦断し始めると樹々の途切れる先が見えてきてしまった。
「よっ、と」
一番外側の樹木に飛び移り、下を見下ろした。
「すみませーん! 訓練に参加させてもらってるんですけど、デコイって何体設置しました?」
突然見知らぬ大声に問われ、森の反対側に居た駐屯兵たちは驚く。
「は、はい、5体です!」
「…あれ、1体逃したのか。ありがとうございます」
再び森の中へ飛んでいった調査兵が誰だったのか。
彼らはまだ知らない。
「おい、今の誰だ?」
「さあ…」

エレンが森の中へ舞い戻り通っていない方角に向かうと、遠目に駐屯兵が飛んでいるのが見えた。
(5体目はあそこだったのか…)
近づいてみれば、2人の駐屯兵がデコイの背後を取れずに右往左往している。
その飛び方にエレンは眉を寄せた。
(本物の巨人だったら、とっくに捕まって喰われてる…)
よく見れば、イアンとリコの姿もエレンの反対側にある。
デコイを見つけたが先に挑んでいる兵士が居たので、様子を見守っているというところか。
「おい、もっと距離を取れ! 本物の巨人ならとっくに捕まってるぞ!」
「は、はい!」
「訓練どおりに役割を分担して背後に回れ! …ああもう!」
リコとイアンは、調査兵団の支援で何度かシガンシナ南門の巨人討伐を経験している。
ゆえにデコイ相手でも容赦も油断もしないのだが、参加している別の班にはまだ巨人と直接対峙していない者も多い。
「リコ、エレン分隊長も来たぞ」
イアンの言葉にハッと顔を上げると、デコイを挟んだ反対側にエレンの姿がある。
彼の表情が歪んでいるように見えるのは気のせいではないだろうし、そう感じてしまうのもこれではやむを得ない。
(仕方ない)
リコは声を張り上げた。

「エレン分隊長! 手本を頼みたい!」

面倒だな、というのが正直な気持ちだった。
エレンは元来、じろじろと見られることも顔を覚えられることも好きではない。
その気質は暗殺者であるがゆえに身に着いたといえるが、『分隊長』という肩書はそれに真っ向から衝突してくる。
こういうところまで、エルヴィンとリヴァイの思惑は根を張ってきた。
注目されるのはリヴァイやミカサだけで十分だというのに。
(仕方ない)
溜め息を飲み込んで、挑んでいた駐屯兵2人が離れたタイミングを見計らいアンカーを射出した。

エレンはデコイの視界上空をわざとらしく横切る。
(確か、ペトラさんはいつも…)
デコイはギギギ、と軋む音を上げてエレンの方向を追い、次弾のアンカーをその足許を掠めるように反対側の樹木へ撃ち込んだ。
デコイを軸に円を描くように、スピードを上げてその前面を回る。
(デコイ側が追いついていない…!)
イアンが思った直後、エレンの姿はデコイの後方上空にあった。

ザンッ!

それこそ、目を瞬く間の出来事だ。
「くそっ、またミカサより浅い!」
イアンの立つ樹の隣へ降りたエレンは、着地するなり地団駄を踏む勢いで毒づいた。
「浅い…?」
つい問い返すと、エレンは人が居ることを今思い出したとばかりに頬を掻いた。
「へっ? あ、すみませんイアンさん。削いだ角度が浅かったって話です」
やや離れた樹木から降りてデコイを見たリコは、こいつは何を言っているんだと胸の内で思う。
(これだけ削げれば実地でも十分では…)
「私には十分な深さに見えますが」
イアンがなおも問うと、まあそうですけど、とエレンは不満そうだった。
「俺の同期のミカサってヤツとライナーってヤツは俺より深くなりますし、リヴァイ兵長ならデコイの首落ちますし」
「はあ…」
イアンは間の抜けた相槌しか打てない。
リコがデコイに付いていた兵士へ問う。
「デコイの設置数は幾つだ?」
「5体です」
彼女の嫌な予感は当たった。
「…エレン分隊長、このデコイで何体目ですか?」
「5体目ですね」
図らずもコンプリートだ。
居合わせた駐屯兵たちが、驚愕と羨望の眼差しをエレンへ向ける。
「1人で全部削いだのか?!」
「他より先にデコイを発見しないと削げないのに…」
ピクシスが『お手柔らかに』と新兵の括りであるエレンに告げてきた理由が、ようやく解った。
(こんなに差があるのか…)
調査兵団の中では、比べる相手は先輩である兵士と同期しか居ない。
エレンの実力は、調査兵団所属の同期の中で言えば5番目から10番目の間といったところだ。
第3分隊全体を調査兵団という枠で比較すると、比較のべくもなく最下位。
(…まあ、壁から出なくても生きていけるからな)

ザザッ! と木々の間から違う兵士が飛び出してきた。
「エレン分隊長! エルヴィン団長がお呼びです!」
どうやら、訓練はここまでのようだ。
「分かりました。今行きます」
イアンとリコに会釈し初めに来た方角へ飛び去ったエレンを、ほとんどの兵士がただただ見送っていた。
「…イアン」
そんな中、リコが挑むような声でイアンへ問う。
「確か、調査兵団と合同訓練をするという話があったな」
「ああ。今日のエルヴィン団長の訪問は、エレン分隊長の顔見せと合同訓練の話だったそうだ」
パシン、と彼女は己の拳と掌をぶつける。
「…その訓練、私たちの班は絶対に参加するぞ」
イアンはというと、彼女がそう言うであろうことは予測出来ていた。
「安心しろ。俺たち精鋭班はおそらく確定だ。そのために俺を出迎え役に指定したんだろう」
まだ新兵の枠でありながら、エレンの技術はこの場の駐屯兵たちを圧倒した。
しかも彼の物言いからすると、同期で彼を凌ぐ者が複数名所属している。
「年長者として、このままというのは情けないしな」
「当然だ」
ひとまずは訓練の続きをしなければ。
使用したデコイを各々で持ち上げ、彼らは彼らの訓練のために森の出口へ向かった。





エレンが森の入り口へ戻ると、エルヴィンが駐屯兵たちと談笑していた。
彼をここまで案内してきた兵士らしく、エレンが先に出会った兵士ではない。
「エルヴィン団長、お待たせしました」
「やあ、エレン。思ったより早く終わってしまったよ」
訓練には参加できたかい? と言うので、デコイ相手のものをと答える。
駐屯兵たちに礼を言い、ひとまずは帰路へ着いた。

「団長は駐屯兵団の訓練に混ざったこと、あるんですか?」
「何年も前の話になってしまうね。調査兵団の損害率が、まだまだ酷かった頃だよ」
本部前に待たせていた馬車が動き出してから、エルヴィンはようやく本題へ入った。
「エレン。ピクシス司令曰くの精鋭班はどうだったかな?」
どうだったか。
エレンは軽く首を傾げる。
「いつもの訓練どおりにデコイを探しに行って、削いでたんですけど」
兵士として生きてきた年月であれば、イアンたちの方が当然上になる。
しかし立体機動は、生き残るための術で比べれば。
「かなり余裕だったので、俺たちとそう変わらないんじゃないですか?」
エレンの言う『俺たち』は、第3分隊のことに他ならない。
随分と不思議がっているので、エレンには彼らが本気ではなかったように映ったか。
「…ふむ。合同訓練の内容は、少し捻っても良いかもしれないね」
南方司令本部所属の駐屯兵には、壁外調査時の支援をしてもらっている。
彼らの支援はつまり『壁』近くにおける調査兵団の労力を減らすことにも繋がるので、調査兵団のためにも腕を上げてもらうに越したことはない。
「エレンや他の皆は、『壁』近くで巨人を相手にしたことはないね?」
「はい」
「なるほど」
随分と楽しそうに思案するものだ。
今のエレンなら、エルヴィンが『壁』の外側まで使う訓練にすると言っても驚かない。
する、とさり気ない動作で右の手首を撫でる。
(そろそろ使わねえとな…)
手に在るべき武器は、巨人への反撃の刃ではない。
『菓子』の話が、近いうちに来るはずだ。
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2017.1.20
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