ピトフーイの尾羽

(2.調査兵団本部にて)




調査兵団本部へ帰り着くと、げっそりとしたジャンとエルドが2人を出迎えた。
「…………どうした?」
「察しろ………」
敢えて聞いてみせたエレンに、ジャンは反論の気力すらない。
「エルドさんも、大丈夫ですか…?」
「…ああ。ただの気疲れだからな」
気疲れとは。
「エレン。ミカサを労ってやってくれ…本当に」
「は?」
さらにはミカサを労えとは、益々意味が分からない。
一方で、ははあと意味ありげに嘆息したエルヴィンは、何かを察したようだった。
「彼女がリヴァイの八つ当たりに付き合ってくれたのかい」
エルドは苦笑しながら頷く。
「そうですね。ただ、ミカサの方も負けじと八つ当たりしてましたが」
そのミカサがエレンを見つけたようで、ジャンの向こうから駆けてきた。
彼女はエルドとエルヴィンが目に入っていないのか、真っ直ぐにエレンへ向かってくる。
物凄い形相であった。
「エレン!」
「痛っ?!」
そしてエレンの目の前に立つなり、ガッと両肩を掴んでくる。
加減をしていないのか、痛い。

「エレン。あのチビには首輪を付けるべき」

何を言っているんだこいつは。
エレンが率直に思った向かいで、エルドとジャンの顔色が悪くなった。
(チビ…!)
(ミカサ、また兵長をチビって言いやがった…!)
エルヴィンはというと、笑っている。
「いや、お前何言ってんだ?」
ミカサの眼光はエレンから逸れない。
完全に据わっている。
「そのままを言っている。あのチビがエレンに無理強いをする絶倫であることは私も察している。
おまけに訓練で私たちのような新兵に八つ当たりをするなんて、ただの野犬と同じだ。
首輪を付けて完膚なきまでに躾けて、手綱を引かなければ」
彼女を1人の女性として見るならば、その口から放たれてはいけない単語が幾つも飛び出した。
さすがにエルヴィンの口も呆気に取られて開いている。
「落ち着けよ、ミカサ。あと痛ぇから離せ」
下世話な会話は馬耳東風だ。
エレンは肩を掴んでくるミカサの腕を引き剥がした。
「言いたいことは後で聞く。詳しい話も後でアルミンから聞くから」
腕を離され不満げな顔になった彼女の頭を、エレンはぽんぽんと撫でる。

「俺が出掛けてる間、ミカサはよく頑張った。ありがとな」

途端、ぶわりと。
幻覚で花が散る様が見えるほどに、ミカサが花も恥じらう乙女かという表情でエレンを見つめ返した。
(この天然タラシ…!)
ジャンは頭を抱えた。
「エレン…」
先の剣幕が掻き消えたミカサに、エレンは兵舎を示してやる。
訓練場は兵舎の向こう側だ。
「ほら、まだ訓練中だろ? 準備終わったら俺も参加するから」
「…分かった」
くるりと踵を返したミカサは兵舎傍でリヴァイと擦れ違ったが、見向きもしなかった。
彼女がリヴァイに反抗的なのは今に始まったことではないので、気にはしないが。
「全部聞こえてんだよ、クソガキ…」
いや、ミカサのことだ。
聞こえるように言っていたのかもしれない。

「やあ、リヴァイ。合同訓練の話は、ピクシス司令も甚く乗り気のようだったよ」
「そうかよ…」
この狸が、とリヴァイは毒を吐く。
これまた今に始まったことではないので、エルヴィンも気に留めたりはしない。
リヴァイは一度溜め息を吐き、言葉を入れ替えた。
「合同訓練の概要は作った。あとは訓練の主体をどこに据えるか、てめぇが決めりゃ良い」
しばらく書類の類は見せるんじゃねえ、と忌々しげにエルヴィンを睨み上げてから、リヴァイはエレンの腕を掴むと兵舎へと引き摺っていく。
「だから、いちいち掴むの止めてくれません?」
「煩ぇ」

彼らを見送ってから、ジャンはついにしゃがみ込んだ。
「あーもう、勘弁してくれよ…」
こんな気苦労、買いたくもない。
エルドはいろいろと察して苦笑いしか浮かばないし、エルヴィンはいつものように笑うばかりだ。
それに、気づきたくはなかった。
(兵長とミカサ、行動が似過ぎだろ…!)





兵舎内の階段脇。
皆が訓練に出払って人気の無いそこで、リヴァイはエレンの唇へ喰らい付いた。
「…っ?!」
驚いたエレンの声は、くぐもったまま呑み込まれる。
(相変わらず…)
こういった色事への警戒心が薄い。
舌を差し込みエレンの舌を舐ると、噛み付いてくるかと思いきや応えてきた。
ならば、と遠慮なく貪る。
「ぁ、んん…!」
息苦しいのか腕で押し返そうとしてくるが、それも押さえ込んだ。
リヴァイに応えるとは、そういうことだ。
「ふ…ぁ、」
幾ばくかの満足を得たリヴァイがようやく唇を離すと、エレンの頬は上気して薄っすらと朱い。
「珍しいな。てめぇが応えてくるのは」
揶揄してやれば、眼前の金色に不満に近い色が宿った。
「…戻ってくる前、駐屯兵団の訓練に参加したんですけど」

何ですかあれ、生温い。

訓練の内容が、ではなく。
リヴァイは、第3分隊設立までエレンをここに留め置いた最たるものが、ようやく分かった気がした。
「命の遣り取りしかしてねぇてめぇから見りゃ、ガキのままごとだろうよ」
言うなればそれは、自身の命を対象とした『賭け』だ。
自分で気づいているかはともかく、エレンの内に在る獣の本性は『それ』を求めている。
(とんだ化け物だな)
同じ自覚は、リヴァイにもあった。
知らず口角が上がる。

「エレン。ブレードを人に向けたことはあるか?」

その問いの、意図が見えなかった。
「は? 無いですけど」
立体機動装置とブレードは巨人に対する武器で、人に向けるものではない。
もっともなことを返せば、クッとリヴァイの口から笑い声が漏れた。
「そうだ。だが『武器』だ。人も殺せる」
調査兵団の敵は、残念ながら巨人だけではない。
それが過去だけの話ではあるかは、神のみぞ知るというものだろう。
「そのうち教えてやる」
人を殺すのも、巨人を削ぐのも、そこに大きな違いなど無いということを。
リヴァイは釈然としないエレンに背を向け歩き出す。
「明日は全体が休みだ。夜にまた付き合え」
意味するところを悟れないほど、この男との付き合いも短くはない。
「…まあ、良いですけど」
エレンもまた、訓練に参加するためリヴァイの後を追った。
--- ピトフーイの尾羽 end.

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2017.1.20
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