"SITE:argentum"の西、川の分岐点に居たリヴァイは立ち上がった。
足音だ、それも巨人の。
立体機動装置のアンカーを巨木へ打ち込み、飛び上がる。
足音の聴こえた方向へ目を凝らせば、やはり近づいてくる巨人が1体。
髪の色はやや褪せた金色、身体は通常巨人よりも細く、だが鋭敏に動くであろう筋肉繊維が全身に見える。
全体像を確認し、リヴァイは樹から地面へ降り相手を待ち構えた。
左手に右手を被せ何かを大事に抱えている巨人が、リヴァイの眼前へと姿を現す。
女型の、アニ・レオンハートの巨人体だ。
彼女はリヴァイの姿を目に留めると、その前に片膝を付いた。
そして何かを包む両手を差し出し、右手をそっと開く。
「…エレン」
アニの掌に乗せられた水晶、その中で眠る少年。
リヴァイの視線に応じ、彼女はエレンの水晶を傍の樹木の根本へそろりと横たえる。
巨人とは思えぬ繊細さで水晶を撫でた彼女に、リヴァイは声を投げた。
「水晶の状態じゃ何とも言えねえが、」
薄青の眼が、リヴァイを見返す。
まともに彼女へ声を掛けるのは、古城で話し合ったとき以来か。
「エレンの奪還、礼を言う」
ふ、と女型巨人が笑う。
直後、その体は横へとぐらり傾ぎ、鈍い音と共に倒れ伏した。
蒸気を上げる巨体を視界に、リヴァイはブレードを抜く。
…巨人を殲滅したといっても、調査兵団は世界の隅々まで確認したわけではない。
エレンを含め、巨人化する人間の巨人体に他の巨人が群がることも実証済み。
もしも生き残りの巨人が居るとなれば、今まさに蒸気を上げているアニの巨人体へ寄ってくるだろう。
バシャン、と水音が撥ねリヴァイがそちらへ回ると、項から落ちたのかアニが水辺に倒れていた。
呼吸はしているが、完全に意識を失っている。
ウォール・シーナからローゼ、マリア、そして"SITE:argentum"までを走ってきたのだ、無理もない。
エレンは次に目覚めるまで3日は掛かっていたが、彼女はどうだろうか。
やや時間を置けば蒸気の元が完全に蒸発し、アニ本人の身体だけがその場に残った。
巨人の気配は、ない。
リヴァイはブレードを仕舞い、彼女の身体を担ぎ上げ馬車へ運ぶ。
食料やら何やらの荷物はすでに避けてあるので、とりあえず出来ているスペースにアニを寝かせた。
起きればあちこち痛むだろうが、他人に対する気遣いなどリヴァイはエレン以外に持ち合わせていない。
(他の奴らは、まだ掛かるか)
アニを追ってくるはずの者たちは、未だ気配もなかった。
キラキラと時折光を反射する水晶は、ハッとする程に美しい。
けれど、それはどう見ても棺としか思えなかった。
これを創り出した当人は死んではいない、だが生きている確証も持てない。
「エレン」
彼の水晶の傍へ跪き、リヴァイはエレンの名を呼ぶ。
触れた水晶は鉱物の冷たさのみをリヴァイへ伝え、それがどうしたって死を連想させた。
…死者に体温はない。
触れているのはエレンの身体ではなくそれを包む水晶であるのに、言い知れない恐怖が胸を灼く。
「起きろ、エレン」
巨人に対する刃でも、人に対する刃でも。
試してはいないが大砲であろうと、この水晶は砕けないだろう。
「エレン」
海が見たいと言っていた。
幼馴染と一緒に外の世界を冒険して、本の中の世界をこの目で見たいと。
調査兵団に憧れていたのだって、始めは外の世界へ行きたかったからだと。
目を輝かせて未来を語る人間は、調査兵団においても彼くらいしかもはや居ない。
誰もが目前のことに囚われて、先のことから目を逸らす。
エレンの語る夢はエレンの未来そのものであり、彼自身の生きる原動力であった。
"何度"『巡って』出会っても、彼は何も諦めない。
リヴァイとて今でこそ『巡って』しまうから未来を見据えるようになったが、それにしたって彼の語る夢には程遠いだろう。
「エレン」
リヴァイは未来が見たかった。
彼が見たい未来は、エレンが生きていなければ意味がなかった。
…外の世界をその足で踏み締め、未知の世界にその金色をさらに輝かせる。
己の夢を己で叶えるエレンが、見たかった。
「起きろ、エレン!」
ガツン! と水晶を殴った拳が、硬度に負けてじわりと痛む。
物理的な傷みなどどうでも良い。
ただ、じくりと心が膿んでいく。
("何度"『繰り返して』も、そうだった)
リヴァイは一度たりとも諦めやしなかった。
エレンの生を、エレンの未来を、諦めたことなど一度も無かった。
だというのに、何度も何度も何度も何度も。
まるで砂で出来ているかのように、エレンの命はリヴァイの、リヴァイたちの手の内から零れては消えていった。
…この声も、届かないのか?
ようやくここまで来たというのに。
望んだわけでもないのに気が狂うほどの検証を『繰り返し』て、やっとここまで辿り着いて。
(お前の生きる未来は、そんなに難しいことなのか?!)
"次"など、考えるだけで反吐が出る。
やり直しが効くような、そんな人生を歩んだ覚えはない。
やり直しが効くような、そんな軽い命ではない。
もう、やめてくれ。
これ以上失わせないでくれ。
「エレン!!」
神など居やしない。
リヴァイが祈る相手は、いつだってエレンだけだった。
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未来を、