おはよう、おかえり

1.ホライズンブルー



*     *     *



ああ、あんなことがあったな、なんて。
そう思えるくらいには、生温いくらいに平穏な毎日だ。
父親の仕事の都合で引っ越して、季節は夏休みも終わった頃。
これから少なくとも2年はお世話になる、自分には新しい校舎を新しい担任教師に連れられて歩く。
階段をひとつふたつと上り、廊下を曲がって。
今までに自分が描いてきた人生と云う名の白ばかりの地図が、ここからまた違う色になるんだ。

チャイムが鳴った。

新しい制服に身を包んで、新しい教室に足を踏み入れて。
たくさんの目がこちらを向く中で。
目を、見開いた。
「今日から新しくクラスの一員になる……アッカーマン君?」
一点を凝視して止まったこちらに、担任が不思議そうに首を傾げた。
そんなもん、知ったこっちゃない。
視界前方に広がる、クラスの生徒たち。
その中央列、後ろから2つ目。

「ヒストリア…?」

日頃でかいでかいと言われているこの眼だけれど、向こうだって負けてない。
金髪に碧い眼、小柄で華奢な外見。
小学生の女子が挙って夢中になる、アイドルアニメのキャラクターのような。
それが同じくらいに目をかっぴろげて、こっちを見ている。
「エレン…?」
零れ落ちてきた名前に、次の行動は決まった。
手にしていた鞄をその場へ落とし、大股に近づくと容赦なくその襟首を掴み上げる。
突然の暴挙にクラスが騒然となったが、それこそ知ったこっちゃない。
「もし会うようなことがあったら、お前が覚えていようがいまいがぶん殴ってやろうと思ってた」
「…さすがに、校内暴力は呼び出しになるんじゃない?」
少し苦しげにしながらも、『ヒストリア』は抵抗の意思を見せない。
「まあ、たまには親父に父親の仕事やってもらうのもアリだけどな。お前はどうなんだよ? ヒストリア」
かつて『ヒストリア・レイス』の名を持っていた彼女は、ふいと視線を逸らした。

「…良いの。それだけのことをした。あなたに、それだけのことをした。
殺されても文句を言えないくらいのことを、私はした」

あまりに不釣り合いな、こんな変鉄のない学校の、青空の下の朝には不釣り合いな台詞。
その異様さに、唯一の大人である担任教師すら場を見守る選択肢しか選べない。
「殴った満足感欲しいからアッパーでも喰らわせてやりてぇけど、顔面殴ると面倒なんだよな」
「そう、だね。私も誤魔化すのが大変」
まだ夏の日差しと気温の支配するこの時期、教室はグラウンド側も廊下側もすべての窓と扉が開け放たれている。
それを見てとり、襟首を掴んだままその身体を教室の後ろまで引き摺る。
ふと襟首を離され解放感を覚えたヒストリアは、次の瞬間右腕を掴まれ視界がぐるりと回った。

ダァンッ!!

視界は逆さま、背中は痛み、床の隅に溜まっていた埃が舞って埃臭い。
逆さになっていた身体が重力に従って横へ倒れ、廊下の壁へ投げられて叩きつけられたのだと遅れて理解した。
「硝子割れてない、壁凹んでない。1週間くらい背中の筋は痛むだろうけど、そこそこ鍛えてるみてぇだし大丈夫だろ」
指差し確認か。
思わず胸中でツッコミを入れた。
着地に失敗した犬のようにべしゃりと廊下に潰れた身体を、ゆっくりと起こす。
「ばらさないでよ」
「何を?」
「鍛えてること、ユミル以外知らないのに」
ぶん投げてくれた本人はパンパン、と手を払いながら、スッキリとした顔をしていた。
だが既知の名前に、前とは違う翠色の目を瞬く。
「ユミル? あいつも居んのか?」
「うん。後ろ」
振り返った先、窓際最後列の特等席。
そばかすの散った浅黒い肌の彼女は、仕方がなさそうに肩を竦めて笑っていた。
「お前、クリスタ命だったくせに止めなかったのか?」
心底不思議そうな声に、彼女はわざとらしく溜め息を吐く。
「ばーか。止める間もなく2人の世界だったろーが。ま、アタシが口挟めるような話題でもないしな」
こればかりは当人たちの問題だ。
…それに、やりきれない想いというのはこちらにだってある。
(それは後回しにして)
完全に固まっているクラスメイトと担任には、助け船を出してやろう。
「で? お前、名前は?」
名乗りもせずに2人の世界だっただろ、とにやにや笑えば、そうだっけ? と翠の眼をした彼は軽く首を傾げた。
「エレンだ。エレン・アッカーマン」
クラスメイトに、ではなくユミルにそう答えて、捻っていた上体を元に戻す。
廊下側へ。
「お前は? 名前」
服を上から下まで叩(はた)いていたヒストリアは、お終いにふるりと首を振って髪の埃を落とした。
「ヒストリア・レイス」
「ふぅん」
興味は薄そうだが、無視するわけでも無いようだ。
しかしヒストリアは、彼から差し出された手の意味を掴みかねた。
彼が浮かべている笑みは、そう、『訓練兵』のときに。
(ミカサやアルミンと話してるときの)
ヒストリアに対して向けられたのは、ただの一度だけ。

『お前は、普通のやつだよ』

あのとき、だけ。
「やっとモヤッとしたもん飛んだし、どうせ同じクラスらしいし」
よろしくな!
「……うん。よろしく」
何のてらいもなく握手を交わすなんて。
それに泣きそうになったことなんて、絶対に。
(言ってやらない)



学校一の『女神』とまで呼ばれる美少女を投げ飛ばした転校生は、当日の昼にはいろんな意味で全校生徒に名が知れていた。
「お前、あっという間に有名人になったなー」
ほれ、食券。
「サンキュ。有名税でも貰えんのか?」
ユミルに食堂の食券を先に買っておいて貰ったエレンは、彼女とヒストリアの後ろに並ぶ。
「一介の学生に、お布施出来る金なんかねーだろーよ」
「ははっ、確かに」
食堂は定番メニューが12種類、日替わりメニューが3種類、それにサラダバーが付くタイプらしい。
「そういやお前、好き嫌いねーの?」
ユミルがエレンへ問い掛けるのを横目に、ヒストリアはポタージュと白身魚の日替わりメニューを選ぶ。
ユミルも同じものを選んだ。
「嫌いなもんは特にねーかな。アレ覚えてると、どうしても勿体なくて」
敢えて言うなら肉料理が良い!
有言実行とばかりに、エレンは日替わりのチーズハンバーグ定食を迷いなく一択だ。
3人揃ってサラダバーで野菜を取り分けながら、ヒストリアはじっとエレンを見つめた。
「…エレンって」
「ん?」
「ご両親のどちらかが外国の人?」
「あ? あー…うん、俺クォーター。ここ来る前はインターナショナルに通ってた」
何が面白いのか、ユミルが含み笑いをする。
「やべえ、お前モテるんじゃねえ?」
「は?」
彼女の含み笑いが何に掛かるのか、エレンにはさっぱり分からない。
「外人っつったら、お前の方がよっぽどそうだろ」
ヒストリアへ水を向ければ、碧い目がサラダへ移された。
「母が北欧なの。もう死んでしまったけど」
「病気?」
「事故」
「そっか」
悪いことを聞いた、といった雰囲気もなく会話を終わらせたエレンが、ユミルもヒストリアも意外に思えた。

空いている4人掛け席を陣取り、手を合わせる。
「いただきます」
チーズハンバーグはエレンのお気に召したようで、それはもう美味しそうに食べていた。
「あの死に急ぎ野郎が、ここまで変わるもんなのか…」
妙な方向に感慨深げなユミルへ、片眉を上げる。
「お前はあんま変わってなさそうだけどな」
ヒストリアも、と続けると、当人が首を傾げた。
「…変わってない?」
「俺にはそう見えるけど?」
まあ、まだ会って数時間だけどさ。
言われたヒストリアの表情は、ユミルには喜んでいるようにも悲しんでいるようにも思えた。
「ここって弁当も持ち込み出来んの?」
「ああ。まさかお前、弁当男子ってやつか?」
「別に普通だろ? 俺が作るわけじゃないけど」
「へー。…そういやエレン、お前の名前『アッカーマン』だけど」
まさか、と問うユミルに、ヒストリアもエレンを注視する。
エレンは笑って首を横へ振った。
「お前の知ってるヤツは誰も居ねえよ。むしろ、知ってるヤツに会ったのお前らが初めてだし」
「アタシもヒストリアが初めてだったな」
「…私も」
そこでエレンは、ニッと悪戯を企むように笑ってみせた。
「今度うちに遊びに来いよ。特にヒストリアは驚くだろうぜ!」
けらけらと笑う彼は存外、『過去』を引き摺っているわけではないのかもしれない。
ヒストリアとユミルは、互いに胸中で複雑な感情を抱く。
(間違いなく、こいつが一番大変だったろうに)
(あんなに、酷い目にたくさん遭っていたのに)
すべては知らない、けれど知っていた。
あの、残酷な世界の一端を。



クラスメイトたちへ強烈な印象を残してみせたエレンは、授業合間の休憩時間こそ席の隣近所と話す程度だった。
だが放課後になって、帰り支度をしたところをあっと思う間もなく囲まれてしまう。
「アッカーマン、お前運動得意?」
「おう、それなりに」
「前いたとこで部活何やってた?」
わいわいと盛り上がるクラスメイトたちを、ヒストリアとユミルはぼんやりと見遣った。
「…人気だね、エレン」
「昔も目立ってたな、そういえば」
しばらくは律儀に答えていたエレンだが、時計を見上げてぎょっとする。
「わりぃ! 家の手伝い頼まれてんだ!」
また明日な! と言ったかと思うと彼は荷物を引っ掴み、教室を飛び出して行った。
風のように、声を掛ける間も無く。
「おい、あれ…」
窓からグラウンドを見下ろしていたクラスメイトが、不思議そうな声を上げる。
「あれ、アッカーマンだよな?」
帰宅する生徒たちの合間を駆け抜けていく後ろ姿は、つい先程教室を飛び出して行ったエレンだった。
しかし。
「さっき出ていかなかったっけ…?」
同じようにその後ろ姿を見送って、ヒストリアとユミルは顔を見合わせた。



エレン・アッカーマンという名の転校生は、たいてい3人で行動している。
同じクラスの学内一美少女ヒストリア・レイスと、彼女の親友ユミル・ドリスだ。
クラスメイトたちはそれまで半年間、彼女らと同窓として過ごし、合わせて1年と半年を同学として過ごしていたはずだ。
だがエレンが転校してきたことで、2人の思わぬ一面を目の当たりにしている。
この2週間で、だ。

「授業の進み方、どーよ?」
「一通り教科書流し読みしてるけど、日本史以外は大丈夫そう」
「あー…インターナショナル居たなら仕方ねえか。日本史、テスト用の覚え方なら教えられるぜ」
「おっ、マジで!」
「茶の1杯や2杯、奢れよ?」
「紅茶で良いなら淹れてやるけど…」
ユミルは、実は面倒見が良いらしい。

「あ、あの…レイスさん。アッカーマン君に話したいことがある…んだけど、呼んでもらえない、かな?」
「自分で呼ぶ勇気のない人を、なぜ私が手伝わないといけないの?」
ヒストリアは、実は愛らしいお姫様タイプではなかったらしい。

「帰りどっか寄るか?」
「xxx駅の中に、洋書の多い本屋さんがあったよ」
「えっ!」
「どうせエレンは通り道だろ? ヒストリアはそこで乗り換えだし、寄ってくか」
エレンは部活に所属していない。
体育の授業で運動能力が高いことは証明済みだが、家の手伝いがあるのだと言う。
ユミルとヒストリアも部活はやっておらず、彼らが帰りに頭を並べているのはよく見掛ける。
かといって、エレンが他と付き合わないわけではない。
むしろ昼休みと放課後以外は、クラスの男子たちと釣るんでいる。
もちろん女子とも話すし、なんというか…
「エレンって、人気者だね」
「? 別に普通だろ?」
思わず零したヒストリアに、エレンはきょとんとした。
「あ、そーいやお前らさ、今週の金曜って空いてるか?」
「ああ。放課後だよな」
「私も大丈夫」
揃って肯定を返せば、エレンは嬉しそうに笑う。
「ならさ、俺んちに夕飯食いに来いよ!」
俺んち飯屋だから!
そんなことを言われて、ヒストリアとユミルは目を丸くした。
「は?」
「お店やってるの?」
「おう。手伝わないとダメだから、部活は入れねーんだよな」
初耳だ。
「弓道とかあったら入ってみたかったけど」
「確かに、それはないな」
「剣道はあるけどね」
この学校の、エレンたちの学年の今学期、体育の授業は柔道だ。
驚きの事実、エレンは黒帯の有段者で体育教師と一緒になって教える側にいるという。
聞けば合気道やら空手やら、時間が合う限り習っているらしい。
「…お前、何する気?」
「別に? けど面白いし役に立つし」
「役に立つのは認めるけど」
警察官でも目指してるの? とヒストリアが問えば、それはないなとエレンは否定した。
「警察になんてなったら、全然出掛けられねーだろ」
俺は世界を見て回りたいんだ! と空を見上げて告げる彼は、輝いている。
「……眩しいな、お前」
呟いたユミルの声は、聞こえなかったようだ。



金曜日の放課後、きちんと家人の許可を得てエレンの家へやって来たヒストリアとユミルは、目を瞬く。
「…カフェ?」
「バー?」
「んー、両方だな」
1階は店舗、2階と3階は自宅。
エレンの実家は、そんなこじんまりとしたレンガ造りのレトロなアパートだった。
木製の扉に手を掛け、思い出したようにエレンはヒストリアを振り返る。
「ヒストリア。俺の親父、思いっきり殴っていいからな」
にや、と笑ったエレンは、戸惑う彼女に構わず扉を押し開けた。
本日のドアプレートは『CLOSE』。

「ただいまー」
「おう、おかえり!」
1階は木製の家具と調理器具が占めた、対面式のカウンターキッチンが主として存在した。
キッチンの裏に並ぶグラスを磨いていた男が、こちらを振り返りエレンへ返す。
「おっと…女2人ナンパしてくるって訊いてたが、こりゃまた別嬪じゃねえか」
隅に置けねえなあ、倅よ!
カラカラと軽快に笑うエレンの父親だという男を、ヒストリアは唇を戦慄かせ見つめていた。

「ケニー・アッカーマン…」

西部劇に出てきそうな悪役の男が、こんなところで料理屋を営んでいる?
それも、エレンの父親だと?
(『あのとき』、私たちの周りの人を殺しまくったあの男が!)
プツンと何かが切れた音を、ヒストリアは確かに聴いた。
つかつかと彼に近づいていく彼女は、ユミルが止める間もない。
エレンは仕方なさそうな顔をして、場の行方を見守る所存だった。

パンッ!

背伸びをして振り上げた掌はちょうどよくぶち当たり、小気味良い音がした。
涙さえ浮かびそうなくらいに目元に強く力を込めて睨み上げれば、男はイテェなあとそうでもないように呟く。
「…嬢ちゃんも、長い夢を見たってクチかい?」
咄嗟にエレンを振り返れば、彼は小さく頷いた。
(そういう設定に、したんだね)
ならばそれに倣おう。
「…そうよ。永くて悲惨な夢だった。あなたが余計なことをしなければ、もっと…っ!!」
もっと、生きていたかもしれなかった。
もっと、マシな方法を取れたかもしれなかった。
そうすれば、
そうしたら、
(あんな風に、エレンをボロボロになるまで傷つけないで、)
自分が如何に恵まれていたのか、気づけたかもしれなかった。
(違う、これは…)
この男への怒りではない。
(私は、)
これは、
(『あのとき』の自分が、心底憎い…っ!)
自分への、憎悪だった。

ぽろぽろと涙を零し始めた少女に、エレンの父だという男は張られた頬をさすりながらユミルを呼ぶ。
「そっちの嬢ちゃん、この嬢ちゃんをそこに座らせてやってくれ。俺は飯の準備すっからよ」
「あ、おう…」
理不尽に殴られたというのに、彼は客優先とばかりにお絞りをユミルへ手渡す。
そんな男へ、冷凍庫を開けたエレンは保冷剤を投げてやった。
「そいつ結構鍛えてるから、ちゃんと冷やさねえと明日客に冷やかされるぞ?」
「おうおう、痴話喧嘩の相手も居ねえってのになあ」
ぶつぶつ言いながらも、ユミルへ名乗りながら男は好き嫌いを聞く。
エレンは着替えてくると言って2階へ上がっていった。
(なんだ? お人好しの度が過ぎてんのか?)
まだ泣いているヒストリアを宥めつつ、ユミルはケニーと名乗った男とぽつぽつと話す。

「母親失くして、15になった頃だったか。エレンのヤツが突然、親の仇でも見るように俺を見てよ?
思いっきりぶん殴ってきたのさ」

やー、あれは効いた効いた。
からりと笑っているが、当時の彼らにしてみれば笑い事ではなかっただろう。
「『物凄く長くて物凄く酷い、誰かの凄惨な人生の夢を見た』ってよ。その日から毎日、夢の話をしてきた」
「おっさん、それ信じるのか?」
「夢の話だろ? 信じる信じないもねえな」
しかし聴いてると、ほんとに酷ぇ世界の話だったよ。
どこか呆れたように、けれど心配そうにケニーは苦笑した。
…ユミルの記憶に、この男は居ない。
きっと、自分が壁外へ出た後に彼らは出会ったのだろう。
(いつか、話してくれっかな)
ヒストリアの頭を撫でながら、ユミルは静かにそう思った。

ケニーがオーブンを温め食材を切り始めた頃。
階段を下りてくる音が聴こえて、何とか涙を止めたヒストリアはようやく顔を上げた。
エレンはカウンターに手を伸ばし、新しいお絞りをひとつ投げて寄越す。
「腫れるから冷しとけよ」
「…うん」
素直に頷いて、お絞りを広げ目元へ当てる。
エレンは父親の手元を覗き込んだ。
「何作るんだ?」
「前に試作作っただろ? 来週からメニューに入れようと思ってな」
いつも使っている深緑色のギャルソンエプロンを身につけ、エレンは父親と同じようにキッチンへ立った。
「エレン、ジュースブレンド出しな。好きに作って良いから」
「やった!」
パッと顔を輝かせたエレンは、朝の内に作っておいたアイスティーを冷蔵庫から取り出す。
楽しげにキッチンで手を動かす父子を、ヒストリアとユミルはどこか物語の中のような心地で見ていた。
(家では、あんな風に笑うんだ)
そう待たない内に、グラスを2つ持ったエレンが2人のテーブルへやって来る。
「お待たせ」
グラスの中身は同じようだ。
「ただのアイスティー…ってわけじゃ、ないんだな」
ユミルがストローで氷を掻き回すと、エレンはどこか自慢気に笑う。
「飲んでみろよ」
美味いからさ! と告げる彼が作っていた手元を、先刻までユミルもじっと見ていた。
しかしアイスティー以外は薄いラベルが貼ってあるだけの透明なボトルに入っており、何が混ぜられたのか分からない。
一足先に口をつけたヒストリアは、口の中に届いた味に図らずも声を上げた。
「…美味しい」
続いてユミルも同じ言葉を零す。
「ほんとだ。なんだこれ?」
エレンはあっさりと種を明かした。
「アイスティーにサイダーとオレンジジュース入れて、ちょっとシロップ足しただけ」
「マジか! 今度家でやってみる」
聞けば、高校を卒業するまではノンアルコールカクテルも作らせては貰えないらしい。
そこで家の手伝いのとき、手持ち無沙汰にジュースをブレンドしているとか。
「偶に、驚くほどのゲテモノ作りやがるけどな」
「うるさいな!」
ケニーのからかう声に、エレンは唇を尖らせる。
『記憶』の所為か学校ではどこか大人びているエレンが、歳相応に笑って拗ねて。
ユミルは思わずエレンの頭をくしゃくしゃと撫でていた。
「うわっ、何だよ急に?!」
「いや? 可愛いと思ってさー」
「はあ? ユミルのくせに、気味悪ぃこと言うなよな…」
「言ったなコノヤロウ!」
わちゃわちゃと隣で戯れ合うエレンとユミルに、ヒストリアは小さく噴き出した。
「…ふふっ」
途端、ぴたりと戯れ合いが止まる。
「ヒストリア?」
呼び掛ければ、彼女は先ほど泣いた所為で赤い目元のままクスクスと笑った。
「ううん、ごめんね? ただ、楽しそうだなって」
するとエレンとユミルが顔を見合わせ、次いで2人してにやりと悪い顔をした。
そうして不意に手が2つ伸びてきたかと思うと、それはヒストリアの頭をこれでもかと撫ぜる。
「きゃっ?!」
ぐしゃぐしゃと掻き回されて、いつも綺麗に靡いている髪は絡まっていそうだ。
抗議の意も込めてヒストリアが顔を上げれば、そこには驚くほどに優しい顔で笑うエレンが居た。

「お前は、普通のやつだよ」

俺もお前も、特別なんかじゃない。
「そうやって怒って泣いて、笑ってろよ」
その方が、たぶん可愛い。
ヒストリアが言われた意味を咀嚼するよりも早く、ユミルがエレンと彼女をがばりと両腕で抱き込んだ。
「可愛いのはお前らだよ、ばか!」
「ちょっ、ユミル、苦しい!」
「いきなりなんだよ、もう!」
わいわいと盛り上がる息子とその友人たちに、青春だなとケニーは懐古する。
その後ろ。
チン! と良い音で、オーブンが料理の焼き上がりを告げた。
>>next day...

2015.2.22(おはよう、おかえり)

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