おやすみ、あしたも
2.天使みたいにお祝いするから(準備編)
* * *
(どうしよう…)
ヒストリアは悩んでいた。
今月に入ってからずっと、春休みに入ってからは特に、だ。
(何にすれば良いんだろう? エレンの誕生日プレゼント)
アルバイト先の責任者…エレンの実父だが…にも、聞いてはみた。
アッカーマン家の誕生日祝いは、いつもより豪華な飯とケーキ、だそうだ。
店のメニュー以外で甘味を作ることは、それこそエレンの誕生日と亡き母親の誕生日くらいだからと。
(ケーキ…)
いかにもなスイーツを、ヒストリアはまともに作ったことがない。
精々、調理実習のクッキーレベルだ。
(エレンの作ったお菓子の方が、美味しい)
例えばユミルに誕生日プレゼントをあげるなら、こんなにも悩まない。
これがいい、これもいいと、候補で悩むに違いない。
けれど。
(男の子は、何をあげれば喜ぶの?)
ヒストリアの悩みの元であるエレンは、昨日から3泊4日の予定で出掛けている。
何でも、国外のプロチームも含めたパルクール愛好家の集まりがあるらしい。
こちらが当人のことで悩む姿を見せずに済むのは、良いことだが…。
「悩むなあ、お前」
ファッション街の一角。
並んだ髪留めを眺めながら思考を飛ばすヒストリアに、ユミルが苦笑した。
ようやくひとつを手に取り、鏡を見てみる。
「だって、何をあげれば良いのか分からないの。お菓子だってほとんど作ったことがないのに」
「ケーキでも作るのか?」
「マスターに訊いたら、いつもエレンの誕生日にはケーキを作ってるって」
「へえ」
「でも、私ケーキなんて作ったことないし」
だから別のを考えると続けるはずだったヒストリアの言葉は、清々しい程にクリアなユミルの声に掻き消された。
「練習すりゃ良いじゃねえか!」
で、どうしてこうなった。
目の前にある調理器具と材料に、ヒストリアは吐きそうになった溜め息を堪えた。
黒字に猫の刺繍が入ったエプロンは、ここで働くときにいつも身に付けているものだ。
「さぁて、始めるとすっか! 手洗い身支度は万全か? 嬢ちゃんがた」
「おう!」
「はぁ」
ここはヒストリアのバイト先…つまりはエレンの自宅であるカフェ&バー。
本日は夜間のみの開店で、昼間にユミルと2人でやって来たわけだが。
「いやぁ、俺もケーキ作りの指南は数年ぶりだぜ」
ケニーがからからと笑う。
訊いてない。
ヒストリアは何も聞いていない。
すべてはユミルが勝手に仕組んだことだ。
恨めしく彼女を睨んでも、嫌みも何も効きやしない。
「ヒストリア、菓子は作ったことあっか?」
「調理実習のクッキー」
「ほほぅ。ここで働く分には不器用じゃあねぇから、後は慣れだろうな」
「そうなんだよ。おやっさんもそう思うだろ?」
なのにヒストリアのやつ、作れないって言っちまうんだよ。
なぜかユミルが文句を言うので、本当に、意味が分からない。
結構結構、とケニーが大仰に手を広げ宣う。
「まずはスポンジからだ!」
ケーキなど市販の安いものから洋菓子屋の高いものまで食べているが、こんなにも作るのが面倒なものとは思わなかった。
薄力粉を篩にかけておいて、砂糖と卵を湯煎に掛けながら泡立て器で混ぜる。
(…疲れた)
混ぜる材料が重くなる。
「よし、んじゃあ次は薄力粉を投入だな」
ボールの中身がさらに重くなった。
泡立て器でしばらく混ぜてから、ゴムべらに持ち替える。
ひたすらに混ぜる。
ただただ混ぜる。
「おやっさん、引っ越す前も料理屋やってたんだっけ?」
「ああ。人が使ってたもんを上手いこと譲ってもらったんだがな。造りがイマイチ俺の動線に合わなくてよ」
「どうせん? 動きにくい、みたいな?」
「ざっくり言やぁそうだな。ヒストリア、もっと底の方から混ぜろよ。そうそう」
ケニーとユミルはヒストリアを間に挟み、材料を量ったりオーブンを温めたりしている。
しかし、実際の作業はまったく手伝ってはくれない。
(腕が…)
ゴムべらを持つ右手がぷるぷるする。
明日は筋肉痛になるんじゃないだろうか。
「お、重い…」
もう無理。
「もうちょいだな。頑張れ」
応援はいらないから代わってくれ、と言ったところで、この2人はたぶん代わってくれない。
「もう無理…」
「まあこんなもんか。じゃあ次はこっちだ」
まだ混ぜるのか。
隣にある別の小さなボールを指差されて、ヒストリアはげんなりとした。
「はちみつと牛乳、バターをレンジでちょいと温めたやつだ。ほれ、混ぜる混ぜる」
眉を寄せながら混ぜるヒストリアのボールへ、ケニーは先程まで混ぜていた生地のボールから中身を少し移す。
「ユミル、オーブンの予熱入れてくれ」
「何度?」
「160度10分だ。そう、それの横のボタンとダイヤルでな」
ジャカジャカ、とミニサイズの泡立て器が音を立てる。
ケニーの指先が、今ヒストリアの混ぜていたボールから、元の生地のボールへ移動した。
「もういいぞ。その中身を生地のボールに合わせて、満遍なく混ぜるんだ」
(腕が重い)
もはや文句を言うのも疲れたヒストリアは、黙々と生地を混ぜる。
その間にユミルが、ケーキ型にクッキングシートを引いてくれていた。
「よし、型に流し込むぞ。勿体無えから出来るだけ全部だ。終わったら空気を抜く」
「?」
「余計な空気を抜いて、生地の中に気泡が出来ねえようにするんだ。上に持ち上げて…そんくらいだな。で、落とす」
ダン!
響いた音に、ヒストリアの肩がびくりと跳ねる。
「もう1回」
もう一度肩を跳ねさせて、予熱の終わったオーブンを開けた。
型を入れて、扉を閉める。
「10分経ったら一旦オーブンのドアを開けて、蒸気を逃がすんだ。まずはそれまで休憩だ」
ユミルは目の前のテーブルに突っ伏すヒストリアを、何ともなしに観察する。
(日差しにバテた猫みてえ)
そんなことを思ったら、ヘニャリと伏せられた猫耳が見えてきた。
アラ不思議。
ついつい手を伸ばしてしまい、その頭を撫でる。
「………だ」
「うん?」
「ケーキって、こんなに作るの大変だったんだ」
知らなかった…と疲れた声を発する彼女とユミルの前に、アイスティーが置かれる。
「ま、料理ってーのは手間の塊みたいなもんだ。何作ったってな」
ストローを口に加え、考えた。
「じゃあ、失敗もする?」
「おお、失敗しねえ方が珍しいぞ? 実際は『失敗ではないが成功とは言えない』ってのが大半か」
エレンのヤツも昔は、玉子焼き作ろうとしてもスクランブルエッグになっちまってたぞ。
「そうなんだ」
失敗が珍しいことではないのだと、少しだけ気持ちが軽くなる。
アイスティーが空になったところで、オーブンが焼き上がりを告げた。
「ドア開けて蒸気が全部逃げたら、ドアを閉めろ。次は160度20分だ」
「はい」
もう一度オーブンが稼働し始め、今度は焼き上がるのを待つばかり。
「さぁて、スポンジが焼ける間にデコーレーション材料を作っちまうぞ」
「えっ」
結果から言おう。
ヒストリアが初めて作ったケーキは、失敗ではなかったが成功でもなかった。
焼きあがったスポンジが、冷めたら縮んでしまったのだ。
自分で食べる分には問題ないのだが、エレンに『食べてくれ』とは、とても言えない。
クリームもまったく平らに塗れなかったし、苺は同じ幅に薄切り出来ずにケーキの高さが位置で変わってしまった。
ケニー曰く『料理の基本は手早さ』で、それは慣れが成せる技だ。
「エレンの誕生日までまだ時間あるだろ? 上達の余地はある!」
「…でも、作ったら食べ切らないと」
彼女にとっては初めてかつ失敗作のケーキを摘みながら、ユミルが明後日の方向へ視線を向ける。
「んー。じゃあ、次はアタシの家で作って、作ったやつは姉貴の道場に持ってくか?」
「道場?」
そう身近ではない言葉にケニーが首を捻ると、彼女はにかりと笑った。
「おう! アタシの姉貴…つっても、従姉妹のな。空手道場が隣の市にあるんだ」
「ほお、そりゃあ珍しいな」
「おやっさんの料理屋も珍しいって。ちみっこ共も結構集まるし、一時期エレンも来てたから大丈夫だろ」
「ああ、2週間ぐらい帰りが遅かったアレか」
「でも…」
遠慮するヒストリアの肩を、ユミルは軽快にパンッ! と叩いた。
「遠慮すんなって! 材料だけ持ってきてくれりゃ良いよ」
あとはお前の予定が空いてれば良いだけだ。
「予定は、入ってない」
ここでのバイト以外、ヒストリアの予定は空白だ。
学校は休みだし、塾に通っているわけでもないし、何よりエレンが留守なのだから。
「それに、家で作っても1人じゃ食い切れないだろ?」
ユミルの隠し立てしない物言いは、こんなときに効力を発揮する。
なんとなく事を察したケニーは、何も言わない選択をした。
ヒストリアはしばらく逡巡していたが、ようやく頷く。
「…それじゃあ、明日は?」
「ナイスタイミング! 春休み入って時間変わってるから、13時〜15時の稽古時間のはずだ」
稽古後のおやつとか、ちみっこ共が羨ましいなチクショウ。
エレンの誕生日まで、あと5日。
『持ってくるのも大変だろうから、うちで作れば良いさ』
ユミルの従姉妹の名は、イルゼ・ラングナー。
容姿がよく似ていることから、『過去』に彼女も存在したのだろうとユミルは思っている。
「へーえ、エレンのガールフレンドか」
これまたお姫様みたいな子だな、と男勝りの口調で彼女は言った。
「チビたちなら、率直な感想を言ってくれるよ」
怒らないでくれると良い、と笑って、イルゼは道場へと消えた。
ユミルはケニーから貰ったレシピメモを確認しながら、いっぱいいっぱいのヒストリアの手が回らない部分を手伝う。
(昨日の今日だから、手際が良くなってるな)
それでも生クリームは冷却が甘かったのか、飾り付けをしたときには緩くなってしまっていた。
「崩れちゃった…」
螺旋を描いたクリームの上に載せた苺が、クリームが溶けたことでずるずると下がる。
残念そうにケーキを見つめるヒストリアの、何とも庇護欲を注ぐ姿といったら!
「あーもう、可愛いな!!」
「きゃっ?!」
思わず後ろから抱きしめ頭をぐりぐりと撫でてしまい、ユミルはヒストリアに怒られてしまった。
本気で怒ったヒストリアは物凄く恐いので、これはまだまだ序の口だ。
稽古を終えた子どもたちのところへ作ったケーキを持っていけば、こちらが驚くような勢いで喜ばれた。
けれど女の子たちには童話のお姫様みたい! とキラキラした目を向けられ、男の子たちには妙に照れられて、逆に居心地が悪い。
「こーんな美人を拝めるなんて、お前らアタシに感謝しろよ!」
ふふん、と胸を張るユミルに、子どもたちが笑いながら反論する。
「何でユミルねーちゃんにかんしゃしなきゃだめなんだよー」
「ケーキ作ったのはヒストリアおねえさんだよ!」
紙皿と使い捨てフォークを持って道場へ戻ってきたイルゼが、おやおやと肩を竦めてみせる。
「一番感謝すべきはキッチンを貸した私と、ヒストリアの恋人のエレンじゃないか?」
「えっ」
子どもたちが師匠のイルゼを見て、こいびと、と呟き仲間たちと顔を見合わせる。
そして、火の着いたように騒ぎ出した。
「えーっ?!」
「エレン兄ちゃんのこいびと?!」
「うそぉっ」
「ショックー! エレンさんにこいびとがいたなんて!」
「ヒストリアさんじゃかてないよぉ!」
「マジかよ…」
「エレン兄さん、鬼つえーユミル姉さんよりつえぇじゃん…」
はしゃいだり落ち込んだり、忙しいことだ。
(あっ、苺が落ちる!)
本格的に溶け始めたクリームに、ヒストリアは慌てた。
「あの…クリームが溶けちゃうから、早く食べてもらえると嬉しいな」
するとまたパッと皆が騒ぎ出すので、子どもとは不思議な生き物だ。
エレンの誕生日まで、あと4日。
自宅のキッチンで、ヒストリアは小麦粉の分量を量る。
(あ、買ってきた方が良いかも)
一昨日は、ケニーのカフェで材料をすべて揃えてもらった。
昨日は、ここから量った分だけ持っていった。
(勝手に持ち出したから、補充した方が良いよね…)
今日はユミルの家で、材料を半量にして練習する予定だ。
機能美に纏められた大理石のキッチン台の粉を払い、作業台を振り返ったヒストリアはぎょっと心持ち飛び跳ねた。
「アンカ?! 居たなら声を掛けてよ…」
「失礼いたしました、お嬢様。物珍しくて、つい」
胸を撫で下ろし、ヒストリアは気まずく目線を逸らす。
「…勝手に入っていたのは私だから、別に構わないわ」
相手の女性は朗らかに笑った。
「いいえ。ここはお嬢様の家なのですから、ご自由になされて良いのですよ」
確かにそうだが、それで良いわけがない。
「駄目よ。ここを使って食事を作ってくれているのは、貴女たちだから」
広い家だ。
ここにはもうヒストリアと父しか居らず、家を維持してくれているのは彼女を含めた4人の使用人たちだ。
ヒストリアは逸らした目線で調理棚を見つめる。
「今度ね、エレンの誕生日なの。だから、ユミルと一緒にケーキを作る練習をしていて」
アンカと呼ばれた女性は目を丸くした。
「エレン…?」
「私の恋人。女みたいな名前だけど、アルバイト先のマスターの息子なの」
「こい…っ?!」
目を白黒させる彼女に、ヒストリアは悪戯が成功したような気分になった。
(そっか。この家の人には、誰にも言ってなかったっけ)
「ではお嬢様、この家にお招きしてパーティーを…」
皆まで言わせず、首を横に振った。
「ごめんね」
そんな切ない目を向けられて、二の句を告げる者が居るのだろうか。
「貴女たちが、本当にそう思ってくれてることは知ってるの。でも、私は」
呼びたくないのだ。
この家に、彼を。
「こんな寂しい場所に、連れて来たくないの」
「お嬢様…」
出したものを片付け、部屋を出ようとするヒストリアをアンカは呼び止めた。
「お嬢様、当日の材料は確保済みですか?」
「? まだだけど」
「では、当日の材料だけでも私にご用意させて貰えませんか?」
ヒストリアが眉を下げる。
「高いものは駄目」
「ええ。高級品ではなく、いつもよりほんの少し良いものを」
「どういうこと?」
アンカがすっ、と人差し指を唇に当てた。
「レシートを置きっぱなしにするのは、良くないですよ」
それは、悪戯っぽい笑みで。
「あっ!」
そうだ。
昨日のケーキの苺は、イルゼの家に行く道すがらで買っていったのだ。
「…バラすのは駄目」
「もちろんです」
ならば仕方がない。
「じゃあ、お願いするわ」
「はい。行ってらっしゃいませ」
ヒストリアがキッチンを出ていき、次いで自動センサーが彼女の外出を知らせた。
それを確認して、アンカはほう、と息を吐く。
(エレン…エレン・イェーガー、かしら。いえ、ヒストリアが言うならきっと)
彼と彼女には随分な道を歩ませてしまったと、今でもアンカは思う。
でも。
(そうか。ヒストリアだけじゃなくて、エレンも元気なのか)
『過去』の話を、アンカは決して話さない。
かつて『南方総司令』と呼ばれた男の片腕をやっていた、彼女は。
エレンの誕生日まで、あと3日。
「ただいまー!」
エレンが帰ってきた。
アルバイトのためやって来ていたヒストリアは、なんだか荷物が多いなと首を傾げる。
「倅よ、その大荷物は?」
明らかに、出て行ったときよりキャリーケースが1つ多い。
ケニーが問えば、エレンは嬉しそうに笑った。
「みんなからの誕プレ!」
合宿に参加した仲間たち…上は62歳から下は15歳まで…が、こぞって準備していたらしい。
「まさかとは思うが、そのキャリーケース自体もか?」
「へへっ、そのまさか!」
鮮やかなクリームイエローのキャリーの中には、トレーニングウェアとタオルが詰まっていた。
「このボトルも、みんないつの間に確認してたんだよって感じ」
ランナーが好んで使う、ストロー付きタイプの補給ボトルを手で振りながら、エレンは嬉々として報告する。
1ヶ月前に、ヒビが入っているのに気づいて項垂れていたものだ。
「ったく、交友範囲が広ぇんだよなあコイツは」
呆れたような満足したような、そんな笑み混じりの溜め息をケニーは吐いた。
(でも、こんな風に喜んでくれるなら)
贈りたくもなるだろうと、ヒストリアは彼のスポーツ仲間と心情が近い気がした。
「あの、エレン」
「ん?」
そうして、大事なことを問い掛けた。
「3月30日。私も、一緒にお祝いして良い…?」
エレンが大きな目をぱちりと瞬く。
「おう…? ていうか、それ俺が決めるのか?」
そりゃあそうだな、と答えたのは彼の父であるケニーだった。
「なら今年は賑やかにすっか! ヒストリアとユミルも呼んで、華やかにな!」
店の夜間開店時間になると、エレンは2階の自宅に引っ込んだ。
やはり疲れていたらしく、先に寝ると言っていたか。
「そうだ、嬢ちゃん。30日なんだが」
「はい」
客のオーダーが一段落し、洗い終わった食器を拭いていたときだ。
「俺の料理は仕込めば良いし、まあエレンにバレたって別に構やしねえ。しかし嬢ちゃんの方は、サプライズが必要だろう」
「…出来れば」
ヒストリアがケーキを作ったことは、食べてもらうときに告げたい。
「となると、だ。少なくとも午後は、夜までヤツにゃ外出して貰わないといけねえ」
「!」
しまった。
「ほんとだ、バレちゃう…」
でも、昼から夕方までとしても。
「ユミルだけじゃ無理…」
エレンとヒストリアとユミルの3人なら、どこかの繁華街で半日を潰せる。
だが、2人では厳しい。
「後でユミルと相談してみる」
「おう、頼むわ。いざとなりゃ、サプライズだから見るなって鶴の恩返しみてえに言っておけ」
エレンの誕生日まで、あと2日。
ユミルの家で、ケーキ作りの最後のおさらいをする。
「あー…確かに。それはアタシも忘れてたわ」
不味ったなあ、と頭を掻く彼女の心配事は、昨日発覚した当日の予定だ。
ヒストリアがエレンに内緒でケーキを作るには、エレンに午後の外出を頼まなければいけない。
「明日、エレンは特に予定がないの」
「うーん。ここで作って持ってくってのも、リスキーだしなあ」
やはり、その場で作って冷やしておく方が良い。
オーブンの加熱を始め、2人で考える。
「…あ」
ユミルがぱちんと指を鳴らした。
「リヴァイさんに頼もうぜ!」
あからさまに嫌な顔をしたヒストリアに、ユミルは吹き出す。
「ちょっ、そんな嫌そうな顔するなってwww」
「……敵に塩を送るって言うんだっけ」
「いや、まあ、そうだけどさあ。適任じゃねえか」
他に予定が入っていても、絶対に捩じ込んでくれそうだし。
「他にアテもないし、電話してみっか」
「ちょっ…!」
ヒストリアが止める間もなく、テーブルの端に置いていたスマホを手にしてユミルは電話を掛けた。
コール音が3回、4回、…途切れる。
「もしもーし」
『ユミルか。どうした?』
「今、電話大丈夫ですか? 頼みたいことがあるんですケド」
電波の向こうで、リヴァイが考える間があった。
『ものによる』
「はいはーい。んじゃ、電話代わりますね」
『?』
ほれ、とスマホを差し出されて、ヒストリアは2秒の躊躇を挟んで覚悟を決めた。
「……もしもし、ヒストリアです」
『…ヒストリア?』
ユミルの隣に彼女が居ることは珍しくも何ともないが、リヴァイと電話で話すという状態はイレギュラーだろう。
ヒストリアは躊躇を飲み込み本題を告げる。
「明日、エレンの誕生日なんです」
今度の沈黙は、少し長かった。
吐息に近い、笑みを含んだ音が微かに聴こえる。
『…そうか。『前』と同じ日付だったのか』
それで? と問われ、続けた。
「明日の午後。13時から17時くらいまで…エレンを連れ出してくれませんか」
『………お前、正気か?』
「…失礼な人」
正気まで疑われるレベルなのか! とユミルが腹を抱えて笑っている。
ちょっと殴りたい。
「夜、パーティーを開くんです。私とユミルと、エレンのお父さんと」
しばらくは沈黙が返った。
しかし、彼が断らないことをヒストリアは知っている。
『あいつの予定は入ってないんだな?』
「はい」
『…分かった』
プツン、と通話が切れた。
しばらく通話切断の文字を眺めて、スマホを返す。
(不満そうな顔しちゃって)
ぷぅ、と膨れるヒストリアの顔を盗み見て、ユミルは仕方なさそうに笑う。
エレンの誕生日まで、あと1日。
>>next day...
2015.3.30(おやすみ、あしたも)
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