俺の(私の)可愛い弟

(1.私の可愛い弟)




私が『彼』に出会ったのは、7歳の頃。
出会ったと同時に、彼は私の同居人になり、新たな家族になり、義理の兄弟になった。
彼は私と同い年で、たった20日の差で私が妹という枠組みに収まった。
ただ、通う学校も学年も同じなので、ほとんど双子と同じだろう。

私は母の連れ子、彼は新たな父の連れ子。
彼は目付きが悪く、口は悪いし上手くもない。
でも根は良い人だ、たぶん。
口の悪さは彼の父に似てしまったようで、たぶん目付きの悪さもそれだろう。
私は人から愛らしいと言われるけれど、実際は彼と似たり寄ったり。
幸いにも養父は「父と呼ぶ必要はない」と言い、彼も「同居人と思え」と言ったので、私も同じことを言った。

母は寂しがりやだったから、愛する誰かと笑っている姿を見て安心した。
母は私を我が子としてちゃんと愛してくれているが、たぶん、母は自分が愛されることの方が大事な人だ。
自分が愛されることの方が大事だから、家や我が子に縛られるよりも仕事を優先したがった。
どうやら養父も自分の好きに生きてきたタイプのようで、家事の類は完全に『彼』の独壇場だ。
簡単な料理は作れたし、洗濯も掃除も一通り出来た。
私も洗濯と掃除と簡単な裁縫なら出来たが、掃除に関しては細かい要求が多すぎて、完全に丸投げしたのは結構初めの頃。

母も養父も、仕事が好きだった。
母はファッションモデル、養父は何やら海外出張の多い仕事らしい。
お互いに私たちを愛してくれていることは分かるので、私も彼も文句はなかった。
違いといえば、私も料理をせざるを得なくなった程度で。
初等学校の子どもの環境としては些か保護者の関わりが薄いと言われそうだけど、私も彼も不満はない。

名字が変わることもなかったから、私と彼が『きょうだい』であることは暫くの間知られぬまま。
登校は行きも帰りも同じ道、2人揃って通っていたものだから妙な邪推が付いて回った。
その邪推もすぐに鳴りを潜めて、表向きはみんな『複雑な家庭になった子』というステータスを付加した程度で済ませているらしい。

母がファッションモデルをこなせるだけの容姿を持っているので、私も見目はとても良い。
騒がれるのも、余計な心配を受けるのももう慣れっこだ。
一方の彼も、その目付きの悪さから要らぬ喧嘩を吹っ掛けられることが多く、それはそれで心配をされていた。
同じ学年、同じ通学路。
私と彼が毎日一緒に行き帰りするのは何ら不思議ではなく、身を守るという意味でも彼と共に居ることはメリットだった。
何せ彼は強い、中等部の相手ならさくっと伸せた。
大人相手でも「どうすれば逃げられるか」を知っていて、私が自身を守るのにも役立つ知識を教えてくれた。
養父が護身術の教室に、彼と一緒に通わせてくれたのも良かった。
今でも種類を変えて続けている。

そんな風に、家族ではあるけれど他人でしかない私たちが同居を始めて1年が経った頃。
母が身籠った。
両親ともに愛し合っていることは傍目にも分かるものだったので、いつかは通る道だと思っていたけれど。
「思ったより早ぇな…」という彼の呟きは、私の心中そのものだった。

1人目の子どもが女であったので、母は男の子であればと時々言っていた。
『彼』が居るが、それとこれとはまた別だ。
たとえ女の子であっても、私と同じように愛してくれるだろう。
けれどどうせなら、母の願いどおりになってほしいと私は密やかに願っていた。
性別が分かるようになる妊娠5ヶ月頃まで、たぶん私は母と同じような顔で同じように考えていた。

だからだろうか。
性別が分かって母と一緒になって喜んだ私を、養父と彼が意外そうに見ていたのを覚えている。
でもそんなものは気にならなかった。

何といっても、初めての弟だ。
彼にとっても、初めての弟だ。

いつか「お姉ちゃん」と呼んでもらえるのだろうか。
他人でしかなかった私たちは、きっとこれで、本当の『家族』になれる。
そのために出来ることを、考える。

「ねえ、リヴァイ。掃除の仕方教えて」
「ならヒストリア、お前は俺に裁縫を教えろ」

私の名前はヒストリア・レイス・アッカーマン。
彼の名前はリヴァイ・レイス・アッカーマン。

戸籍上だけの家族であった私たちは、このとき初めて、確固たる指針を手に入れたんだ。
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2017.7.21
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