ハロー、xxx

(目の前には、赤い少年と青い少女)




『おっはよーございまーすご主人! …って、あれ?』
今日も今日とて朝も早い5時。
大きな音声で…とりあえずこの部屋いっぱいに響く程度には…声を上げたエネは、目をまん丸にした。
『ご、ご主人?! ご主人まさか自分で起きたんですか?!!』
「あーもう、うっせえよ…。しゃーねーだろ…」
まだ寝癖の付いている頭を振って、如月伸太郎…シンタローと呼ぼう…は彼女を振り返る。
と言っても、エネは所謂"電子世界の住人"であるため、視線の先はデスクトップPCだ。
「エネ、今日は何の日だ?」
『へ? 今日?』
今日…今日? 
(ご主人の好きなアニメは土曜日深夜だし、チェックしてる動画うp主のアップ日じゃないし…)
そこでハッと気づいた。
『ごごご、ご主人!!』
「声がでけぇよ…」
『発売日! 発売日です!』

別マガの!!

別冊少年マガ○ン…略して別マガ。
月刊漫画誌であるこの雑誌には、シンタローとエネが揃ってドン嵌まりしている漫画が連載されている。
そういえばまだ昨日の日付だった頃、2人で"明日は発売日だ!"なんて言い合っていた。
ププッ、とエネは噴き出す。
『まさかご主人…楽しみすぎて目が覚めちゃったんですかぁ?』
「…うっせ」
『図星!!』
やだもー、朝から笑わせないでくださいよぉ!
けらけらと笑い転げるエネに背を向け、シンタローはとりあえず顔を洗いに部屋を出た。

シンタローが飲み物…もちろんコーラ…を手に部屋へ戻ってくると、デスクトップPCはすでに別マガ電子版今月号の表紙になっていた。
基本的に邪魔と脅迫しかして来ないAI(Artificial Intelligence)であるが、こればかりは気が利く。
『ご主人! 早く読みましょう!』
「当たり前だ!」
座椅子に腰掛け、表紙をクリックする。
初めに読むのはもちろん、2人して嵌っている"進撃の巨人"だ。
目次ページから飛び、"進撃の巨人"の1ページ目が現れる。
ゴクリ、と唾を飲んだ。
「よし…捲るぞ、エネ」
『はい!』

ーーー15分経過。

「……」
『……』
「……鬼畜だ」
『……鬼畜ですね』
「あ、あんな場面で来月とか…!」
『そうですよ諫○先生鬼畜です!』
知ってましたけど!!
2人して大きく息を吐き、肩の力を抜く。
「巨人と人類の戦いのはずが、いつの間に人間対人間になっちまったんだよ…」
『ヤバイですよ…調査兵団の人数…』
「相手とその装備のチートっぷりがマジやばい…」
メインキャラ全員がピンチであることは数号前からであるが、今回は別格だ。
『やっとエレンとヒストリアを奪還した! って思ったのに…!』
ほんと鬼畜ですよぅ、とエネが愚痴るのは当然で、シンタローだって嘆きたい。
「あれはねぇよなあ…」

ーーーいつだかと同じ大雨の中、エレンとヒストリアが手を繋いで駆けている。
すでに幾度か交戦した後のようで、2人共が傷だらけで息も上がっていた。
彼らを追う中央憲兵団、さらにその後ろをリヴァイ班が追い掛ける。
雨で視界は塞がれ、何処を走っているのかなんて分からない。
何かにハッとしたエレンが、ヒストリアを横の木立へと思い切り突き飛ばした。
「エレン?!」
尻餅を付いた彼女の声は、鋭い銃声に掻き消された。
銃弾に貫かれたエレンの影が、雨靄の向こうで落ちていく。
落下するエレンの身体へ、追い付いたリヴァイが手を伸ばした。
「エレンーっ!!」

ーーー彼の必死の叫びで、今月号は終わりを告げたのである。

『あぁー! もう、今日からT◯itterとpi◯ivで補完祭りですよっ!』
「お前なあ…」
来月まで黙って待ってられるか! とばかりにエネは意気込み、落ち込んでいたはずの元気さにシンタローは呆れる。
「おい、次どれ読む?」
『はっ、そうでした! 巨中読みましょう巨中!』
「お前の好きなNoNameネタは、先月で終わりだろ?」
『もしかしたらってこともあるじゃないですかっ!』
ほら早く早く!
バカ、急かすんじゃねーよ!
そうやって、朝も早くから2人で賑やかに雑誌鑑賞会をしていたはずだった。

「『え?』」

視界が真っ白に染まる。

酷い雨音に混じって、雷の音。
ばしゃばしゃと水溜まりを跳ねる音は不規則で。
いつかに聞いた銃声よりもっと強い音が、鼓膜を切り裂かんと劈いた。
『エレンーっ!!』

ハッ、とシンタローとエネは目を見開いた。
「えっ、今…?」
『声が…?』

ドサァッ!!

一般家庭に比べると広いシンタローの自室の中央に、何かが落ちた。
咄嗟に天井を見上げるが、嵌められた電灯は落ちてなどいない。
天井だって落ちていなかった。
"何か"が落ちた箇所は土煙と白煙が上がって、舞台のスモークのように見通せない。

「おい、しっかりしろ! エレン!!」

煙の向こうで、怒鳴り声が響いた。
ヒュッ、とシンタローの喉が空気を吸い損ねる。
(今、なんて…?)
大人の男の声だった。
低くて良く通り、それでいて揺らがない声。
『ご、ご主人…』
シンタロー同様呆気に取られているエネが、無意識に言葉を零した直後。
薄くなった煙の向こうで、チャキ、と刃物が構えられる音がした。

「っ?!」
『ご主人っ?!!』

ひたりとシンタローの喉首に据えられた、巨大なカッターナイフの刃。
その手元は銃のトリガーになっていて、握る手指は血と泥に塗れている。
恐る恐る両手を上げて、シンタローは少し低い位置にある人物を見下ろした。

雨でびしょ濡れになった身体、けれど表情は鬼気迫る迫力。
額か頭か怪我をしているようで、流れ落ちる血がその左目を遮っている。
「チッ、民間人か? 妙な格好をしているが…」
ドスの聞いた声は、どんな人間でも震え上がりそうだ。
おまけにこの三白眼、いつものシンタローなら即座に気絶する。
…しかし、"いつも"と言うには状況が可笑しすぎた。

だって、シンタローは今、目の前で自分を殺さんとしている人物を知っている。
これは本当にあり得ない話で。
エネの存在も中々にミラクルだろうが、それにしたって。
『ご、ご主人…!』
「エネ、ちょっと黙ってろ」
シンタローは手負いの獣に相応しい眼光を、真っ向から見返した。

「ここには、あなたたちを脅かす何者も居ません」

リヴァイ兵士長。

…そう、目の前の男は、たった今まで読んでいた漫画の"キャラクター"。
揺らがぬ眼差しに、なおも続ける。
「手当て、しましょうよ。あなたも、後ろに倒れてるエレン君も」
初めて、リヴァイの眉がピクリと動いた。
(エレンの名前って、効くんだ…)
ぼんやりと頭の隅で思いつつ、今度は提案する。
「手当て…より先に風呂? あと、服も洗濯しないと風邪引くし」
「……」
さらに数秒の後、リヴァイはシンタローから1歩離れブレードを収めた。
「もう1人はどこに居る?」
「? もうひとり?」
「女の声」
「ああ、あれは…空気に姿が映る感じなんで」
不可解な顔をしたリヴァイに、実物を見たほうが早いとシンタローはエネに指示を出す。
「エネ、プロジェクター」
『は、はいっ!』
壁面プロジェクターにエネの姿が突然に表示され、リヴァイが目を見開いた。
『えっと、あの、エネと言います!』
兵長さんたちの不利になるようなことは、絶対にしませんから!
「…どうなってんだ、ありゃ」
「……まあ、妖精みたいなもんだと思って貰えれば」
『や、やだご主人ってば、妖精だなんて…っ! はっ、これはアレですか、デレですか!!』
「だー、良いから黙ってろ! うちのセキュリティ、全部確認してこい!」
『らじゃーっす!』
パッと消えたエネは、それこそ魔法のようだろう。
いつの間にか靄は晴れ、部屋の中央には血と泥で汚れたエレンが横たわっていた。
…ちゃんと、生きているのだろうか?
「俺はシンタローと言います。風呂、こっちです」
スマホをチノパンのポケットに入れ、自室のドアを開ける。
ガチャガチャと立体機動装置が音を鳴らし、シンタローは現実と二次元の境目の消失を悟った。



扉止めでドアを開きっぱなしにし、階段の踊り場でリヴァイを待つ。
程なく、リヴァイがエレンを肩に担ぎ上げて出てきた。
シンタローは階段を下り、洗面所のある廊下を曲がると脱衣場の扉を開け放つ。
立体機動装置や服を脱ぐのにエレンも含めて10分は掛かると踏んで、風呂場へ駆け込むと浴槽の栓をしてお湯張りのボタンを押した。

脱衣場へ入ったリヴァイは、周辺の物を"それが何であるか"はともかく、危険はないと判断したらしい。
シンタローはバスマットを敷き、まず風呂場の使い方を教えるべきと判じた。
「使い方教えますね」
これがシャワー、こっちの赤の蛇口を捻るとお湯、青は水が出ます。
浴槽は何もしなくて良いです、あとここのボタンも触らない。
「石鹸…は、分かりますよね。で、これ髪洗うやつです」
妹のモモが使っているシャンプーやコンディショナーは、脇へ避けてしまう。
「服は脱いだら、出来る範囲で良いんで汚れを水で流してください。ここに入れて貰えれば洗濯します」
洗濯籠を指差せば、リヴァイが頷いた。
「着替えも後で置いとくので、ゆっくりしてください」
「…ああ、分かった」
返事を聞くや、シンタローは脱衣場を出て扉を閉めると洗面所まで走った。
走る距離ではない、まったく。
だが、限界だったのだ。

洗濯機に背を預ければ、ずるずると足の力が抜けた。
「…エネ、いるか?」
シンタローがスマホを取り出し話し掛ければ、即座に画面が青くなる。
『はーい、エネちゃん帰還しましたっ! 
家のセキュリティは異常なし、監視カメラに兵長さんたちの姿はありません!』
「そうか」
となると、やはり彼らは"何もない空間から落ちてきた"ということになる。
『あれ? ごしゅじーん、大丈夫ですか?』
「エネ」
『はい?』
「俺はもう限界だ」
やべえ、これもう全力で気絶したい。
『だっ、駄目ですよご主人! こればっかりは電脳美少女エネちゃんにもお手伝い出来ません!』
特に兵長さんの歩いた跡! あれは拭かないと死亡フラグです…っ!!
激レアと云えるエネの全力応援は、その分シンタローへ危機感を正直に突き付けた。
「マジか…」
ふと視線を廊下にやれば…。
(これは確かに、不味い)

「…リヴァイ兵士長と言えば?」
『人類最強! 潔癖症!』

あんな蹴り、自分が食らえば即死確実だ。
「人類最強に殺されるとか、それどんな死因…!」
『殺人ですけど、…えっと、あ、嬲り殺し的な?』
「ぜってーごめんだ…」
動け俺の足ぃい! とばかりに立ち上がり、シンタローは雑巾を手に自室へと戻った。



脱衣場には、水気をたっぷりと含んだ2人分の服。
洗濯機を倍速に設定し、空いた籠を乾かしてから2人分の服とバスタオルを入れる。
「…乾くまでだと2時間ってとこか」
庭へ干すにしても、朝ではまだ日差しが弱いだろう。
「あとは部屋…」
服が乾くまで、どこで待ってもらうか。

『…ご主人。兵長さんたち、戻れるんでしょうか?』

それはシンタローとて気になるところだ。
階段を上り、自分の部屋よりも奥にある部屋の扉を開ける。
『そういえば、この部屋…私初めて見ます』
「誰も開けねーからな」
そこは物静かな書斎だった。
並ぶ本棚、少し値の張りそうな机と椅子、それにベッド。
「ずっと昔に死んだ、父さんの部屋だ」
『…!』
窓を開け、空気を入れ替える。
机に起きっぱなしのノートPCはやや古い型で、懐かしい。
「この部屋使ってもらって、エネにここも見てもらうか」
PCのLANケーブルを差そうとして思い止まり、電源ボタンだけを押した。
「エネ、中大丈夫か見てくれ」
『了解です!』
エネはスマホと繋いだコードからPCへと入り込む。
程無くして、『OK!』と大きな吹き出しが表示された。
床や机を見て、シンタローは少しだけ考える。
「…一夜の宿に、そこまで求めないだろ」
言わずもがな、掃除レベルの話である。

スマホを回収し、1階のリビングへ。
未開封のミネラルウォーターを冷蔵庫から取り出し、他に何があるかとひと通り確認。
『あっ、ご主人。兵長さん、上がったみたいですよ』
スマホを置いた位置から、ちょうど給湯ランプが見えたらしい。
野菜室から見繕ったものを足早に2階へ持っていき、シンタローは急いで下りてきた。
「…エネ、今何時?」
『ほえ? 午前7:30です』
「まだ朝かよ…すっげー疲れてんだけど」
『外出してないのに、ものすっごく働いてますもんねえ』
「眠い」
『まだご主人の仕事は終わってません!』
「くっそ…」
脱衣場のある廊下を覗き込めば、リヴァイがエレンを抱えて出てくるところだった。
立体機動装置を装備している辺り、やはり警戒されている。
(あ、やっぱデカかったのか)
エレンの着替えに置いておいたのは、シンタローの服だ。
サイズはぴったり。
リヴァイの着替えに置いたのは新品同様の父の服だが、足の裾が長かったようで折り返されている。
「血、止まりましたか?」
「ああ」
問えば肯定が返り、なら消毒とガーゼ、包帯で大丈夫だろうと救急箱を手に取った。
「服はあと1時間半くらいで乾きます」
「…そうか」
とりあえず2階の書斎へ案内すると、物珍しげにリヴァイの表情が僅かだけ動く。
「少なくとも服が乾くまで、ここを使って下さい」
ノートPCの蓋を上げると、エネの姿が映った。
「何かあったらこいつに言ってくれれば」
『はい! お呼びであればいつでもどうぞ!』
ご主人が対応しますので!
おい!
だって私は実体無いんですから、当たり前です!
…それもそうか。
リヴァイがベッドへエレンを寝かせる様を見届けてから、シンタローはもうひとつ、机に置いていたものを差し出した。
「あとこれ、腹減ってたら食ってください」
竹笊に入った、トマトと胡瓜。
ついでにミネラルウォーターのペットボトルも置いてある。
「ただの生野菜です。ちゃんと洗ってるし」
胡散臭そうに片眉を上げた相手に適当過ぎる説明を吐くと、溜め息を返された。
「…そうじゃねえ」
「え?」
リヴァイの表情は何も変わっていないが、その中身が違うらしい。
「赤の他人、それも明らかに厄介背負ってるだろうが。なぜ善意を差し出せる?」
あ、善意とは理解してくれているのか。
『じゃあ、そのままぱぱっと受け取っちゃってください!』
ご主人の全力の善意とか、私久しぶりに見ましたし!
また余計なことを言ってくれたエネに、頭を抱えた。
「だからお前は黙ってろ! …あーもう、」
ベッドサイドに竹笊の野菜を置き、その隣に卓上塩を置く。
「味気なかったら、これ掛けてみると良いですよ」
「…これは?」
「塩です」
切れ長の目が軽く見開かれ、シンタローはその理由に思い当たった。
「ここでは塩も肉も、簡単に手に入るんです」
贅沢なことだ、と呟かれた言葉は、少し耳に痛かった。



見たことのない道具、快適な服、落ち着いた空間。
大雨の中、崖から落ちるエレンの腕を間一髪掴んだと思ったら、妙な場所に居た。
リヴァイは寝かせたエレンの頭をゆるりと撫で、机に置いてある黒く四角いものへ声を投げる。
「おい、お前。エネっつったか」
『はいっ! 何でしょうか?』
「お前、人間なのか?」
四角い箱の中で、エネは眉を下げて苦笑した。
『確信突いて来ますねえ、兵長さん』
なんて言えば良いんでしょうねえ、意識は人間、って感じですか?
『元は私も、ちゃんと身体のある普通の人間だったんですよ』
気づけばデジタルな世界で目覚め、元の身体は行方不明。
意識はあるが、実体のないそれは人間と言えるのだろうか。
「…よく分からねぇな」
『あはは…』
微妙な沈黙が走り、それを振り切るようにエネはまた口を開いた。

『きっと、これは夢ですよ』

ご主人とも少し話しましたが、これはそれくらいあやふやなものなんだと思います。
『だから、兵長さんとエレンさんが次に目を覚ましたら、そこは元の場所じゃないでしょうか』
呼んでくれればすぐに来ますよ、とエネは言いたいことをすべて置いて、四角い箱はまた真っ暗になった。
リヴァイはもう一度エレンの頭を撫でると、机の上のトマトをひとつ手に取る。
「……」
見た目は自分の知るものと変わらない。
表面をざらりとなぞり、真っ赤なそれにかぶり付くとそれなりに美味い。
せっかく置いてあるのだから、と塩を手にして気づく。
リヴァイの知る塩に比べ、随分と粒が細かい。
しかし気にせずトマトにひと振り。
「……」
味が濃くなった、それから少し甘い。
「塩にこんな使い方があんのか…」
野菜に塩をかけるだけ、シンプル過ぎるがゆえにとても贅沢な。
他に並べてあった胡瓜も腹へ納め、傍に置かれていた布巾で手を丁寧に拭う。
水の入ったボトルを1本空にして、エレンの枕元へ戻った。
リヴァイは眠るその身体を、タオルケットに包めたままに抱き上げる。
「…お前も食えりゃ良かったんだがな」
自分はベッドヘッドに半分程背を預けて、エレンを落ちないように抱えて目を閉じる。
すぅすぅと聴こえる静かな寝息だけが、救いだった。



[newpage]

『ごしゅじーん! 起きて下さい、もうお昼ですよっ!』
「…うるさい……」
どうやら、PCの前で寝落ちしていたらしい。
シンタローが時刻を確認すれば、時計の短針は12を差し、長針は12を過ぎている。
「……向こうの部屋は?」
腕を伸ばし身体を伸ばして、問い掛けた。
エネは首を横に振る。
『居なくなってる、とかではないですね』
えーと、兵長さんは立体機動装置を装着したまま、ベッドに座って寝ていて。
あ、野菜は半分無くなってましたよ。
「…そっか」
『それで、エレンさんを抱き締めたまんま寝てます』
「?」
『んー、あ、抱きかかえてる?』
「…ああ、すぐに守れるようにか」
『だと、思います』
「……そっか」
さて、とシンタローはここで考えた。
「…昼飯、2人の分もあった方が良いのか?」



人の気配を感じ、リヴァイはふっと目を覚ます。
嫌でも見下ろすことになったエレンは、未だ気を失ったままだ。
ノックの音がしたが、返事はしない。
扉を開けて顔を覗かせたのは、やはりシンタローと名乗った少年だった。
「あ、やっぱ起きてた。昼飯作ったんで、どうぞ」
彼が手にしている皿からは、ほかほかと湯気が上がっている。
一度それを黒く四角い箱が置いてある机に置いて、別の小さな机をリヴァイの前まで運んできた。
皿を今度はその小さな机に移す。

黄色く焼かれた薄焼き卵が楕円形に、何かを覆った料理。
掛かっている赤色は、トマトソースだろうか?
「…オムレツ?」
「いえ、オムライスです」
表情はさっぱり変わっていないが、怪訝そうだとシンタローはリヴァイを評した。
(あの世界に米はない、か…?)
「毒とか入ってるわけじゃないですし、モモ…俺の妹の好物だから、味は保証します」
モモがシンタローの手料理でオムライスを好むのは、昔作ってやったことがあるからだろう。
湯気の上がるオムライスとスプーンを置いて、シンタローは一度部屋を出る。
次に戻ってきた彼は、ドリンクのボトルとコップを持っていた。
「麦茶…も、向こうにはねえかなあ…。紅茶ではないですけど、ちゃんと飲めますよ」
「…そうか」
「エレン君の分は、起きてから作ろうかと思ってますけど」
「ああ、それで良い」
食べ終わったらエネに言って下さい、と残し、シンタローは部屋を出て行った。

食欲を誘う匂いに抗うことは出来ず、リヴァイはスプーンで卵を崩す。
中の薄赤い色の塊は何か解らないが、危ないものではないのだろう。
スプーンで卵と合わせてひと口、黙々と咀嚼する。
(…美味い)
崩した断面をよく見ると、肉まで入っていた。
味からすると、おそらくは鶏肉か。
麦茶とやらは変わった味だが、不味くはない。

ーーーきっと、これは夢ですよ。

そうだ、夢なのだろう。
なぜなら自分たちは、大雨の中を泥に塗れて人間と戦っていたのだから。
ただ、敢えて言うとするなら。

(少しだけ、疲れた)

エレンの顔を見下ろし、リヴァイが動いたことで掛かってしまった前髪を払ってやる。
…リヴァイの腕の中にあってただひとつ、確かなもの。
「エレン」
ちゅ、と小さな音を立てて、その額に口づけを落とす。
この存在がなければ、きっと自分は狂ったのだと結論付けただろう。

ピクリ、と。
ほんの僅かだけ、エレンの瞼が震えた気がした。

「エレン?」
もう一度呼び掛ける。
すると薄っすらと、けれど本当にゆっくりと、瞼の下から金色が覗いた。
ゆらゆらと焦点の合わない瞳が、明るい世界にきゅっと縮まる。
「エレン」
堪らず呼べば、金色にリヴァイの姿が映り込んだ。
「…へ…ちょ……」
「ああ。どこか痛むところは?」
エレンは少し考えるように目を閉じた。
「い…え…」
額を撫でるリヴァイの手に懐くように、微かにエレンが頬を寄せてくる。
「へいちょ、けが…」
リヴァイが頭に包帯を巻いていることに気づき、金色が歪んだ。
「弾が掠っただけだ。すぐ治る」
「で、も…」
自分のようには治らない、そう言いたいのだろう。
けれど、言ったって詮無いことだ。
「大丈夫だ。俺は生きてる、五体も満足だ。戦える」
足の調子だって、随分と酷使しているが悪くない。

(俺でもまだ、お前を守れる)

喉が乾いていないかと問えば頷きが返り、リヴァイはまだ麦茶の残るコップを手に取る。
彼は何を思ったか中身を自分で仰ぐと、前触れもなくエレンへ口づけた。
「…! ふ、」
合わせられた唇の隙間から、少しずつ水が流し込まれる。
喉の渇きは本物で、エレンは必死に与えられた水分を喉奥へと飲み込んだ。
時間を掛けて飲み干したエレンがそれを眼差しで訴えれば、今度はぬるりと舌が絡む。
「んっ、あ…ぁ…」
自分の口腔を侵す舌の感触が、懐かしい。
…戦って、捕まって、戦って、逃げて。
めまぐるしく変わる戦況の中では、触れ合う余裕も猶予も無くて。
「ぁ、…へい、ちょ…」
無意識に伸ばした手を痛いほどに握られて、リヴァイも同じ気持ちだったのかとエレンは嬉しくなる。
「…っ、エレン」
即座にまた深められた口づけに、ただ夢中になった。



「…いいにおいがします」
一頻り口づけて、抱き締めて、触れ合って。
ようやくエレンは、自分の置かれた状況に目が向いた。
「食えるか?」
「は、い…。オムレツ?」
食べかけの食事をスプーンで掬って、いや、とリヴァイは否定した。
「オムライスらしい」
「?」
よく分からない。
身体を起こされ、エレンは突き出されたスプーンにかぱりと口を開く。
もぐもぐとよく噛んで、飲み込んだ。
「…美味いです」
エレンがもぐもぐしている間に、リヴァイも食べる。
本来1人分である食事は、あっという間に無くなってしまった。
「もっと食うか?」
「ん…もうちょっと、後で良いです」
喉渇きました、と告げれば、今度はコップごとお茶を手渡される。
「さっきも思いましたけど、紅茶ですか?」
「いや、麦茶と云うらしい」
飲んでみると、紅茶とは違う香ばしさが口の中に広がった。
「おい、下ろすぞ」
「あ、はい」
ここで初めて、エレンは自分がずっとリヴァイに抱き抱えられていたことに気がついた。
(今さら過ぎる…!)
しかも先程まで食事を食べさせて貰って、しかも水は口移しだった。
「〜〜〜!」
ぼふっ、と音が出たのではと思うほど、顔が熱くなる。
そんなエレンを尻目に、リヴァイは立ち上がると立体機動装置を外した。
「兵長?」
「ここで使う機会はねぇだろうよ」

改めて部屋の中を見回す。
「…ここ、どこですか?」
「さぁな。俺もよく分からん」
そう広くはない部屋だ。
シングルのベッド、壁に2列並んだ本棚、机と椅子、ベッド脇の小さなテーブル。
「あの黒い四角は何でしょうか?」
「何かは分からんが、変わった人間が居る」
「は?」
不可解な顔をしたエレンに構わず、リヴァイは四角い箱へと声を投げた。
「エネ、居るか?」
『イェッサー! 御用ですか? 兵長さん!』
「ひっ?!」
突然に四角い箱に明かりが灯り、中で何かが動いて喋った。
あまりに予想外で、エレンは図らずも悲鳴を上げてしまう。
その指先はリヴァイの服の裾を掴んでいたが、本人は無自覚だ。
リヴァイは服を掴む指先をそっと握り返してやる。
「大丈夫だ。悪意はねえし、騒がしいだけで悪さもしねえよ」
彼が言うなら、そうなのだろう。
エレンは恐る恐る、リヴァイの脇からまた四角い箱を見る。
するとそこに"描かれていた青い目"と目が合った、ばっちりと。
『エレンさん! エレンさん、目が覚めたんですね! あぁあ、良かったですぅう…!!』
「えっ、何で俺の名前…」
『ちょっと待っててくださいね! ご主人呼んで来ますから!』
"青い目の何か"はパッと消えてしまい、エレンはぽかんと口を開けるばかりだ。
「な、ん…だったんですか、あれ」
「さあな。あんまり考えると頭沸騰するぞ」
「なっ、俺そこまでバカじゃありません!」
「どうだか」
リヴァイの物言いにエレンが噛み付いていると、ノック音がした。
どうぞと返す間もなく扉が開く。

「失礼します…って、うわホントだ。エレン君起きた」

赤い服を着た、やる気のなさそうな表情の少年…エレンよりは年上だろう…だった。
「怪我は?」
「完治してる」
「そりゃ良かった。飯はどうします?」
「いや…後はアレで足りるだろ」
アレ、とリヴァイが言ったものは、机の上の野菜のことらしい。
エレンが唖然としている間に、リヴァイは勝手に話を進めてしまう。
話に割り込めないので、エレンはつんつんと彼の袖口を引いた。
「…えっと、兵長?」
「なんだ?」
やだかわいい、とエネが呟いたのを、シンタローは黙殺する。
「あの、その人…とか、そっちの青い人? とか…。俺、ワケ分かんないです」
「安心しろ。さっきも言ったが俺も分からん」
それって安心要素ないんじゃ、と思ったエレンに、赤い服の少年が苦笑した。
「俺はシンタロー、そっちの青いのはエネ。ここは俺の家で、兵長さんとエレン君は…客みたいなもの?」
『?マークとか、それ全然決まってないですよご主人』
「うっせーよ、他に何て言うんだ」
『さあ? 何でしょうね』
「お前なあ…」
敵ではなさそうだ、それに全然強くもない。
シンタローを正確に把握して、エレンはおっかなびっくりと問い掛けた。
「あ、あの…シンタロー…さん?」
「なんだ?」
「なんで、俺の名前知ってるんですか?」
そっちの青い人も、と言えば、彼はまた困ったように笑う。

「…その話は、明日起きてもあんたらがまだココに居たら、で良いと思う」

きっと、これは夢だ。
そう言ったシンタローは、困ったときのアルミンに似ていた。

『私はエネって言います。よろしくお願いしますね、エレンさん!』
「は、はぁ…」
四角い箱の中で、青い女の子が喋って動いている。
目が回りそうだ。
そんなエレンの様子に、リヴァイが助け船を出した。
「深く考えるな、エレン。妖精みたいなもんらしい」
「いや…兵長の口から妖精とか、ファンシーな単語が出た方が驚きで…いたたたっ!」
「気が抜けたら、減らず口も出るようになったか」
エレンの頬をつねるリヴァイは、心なしか楽しそうだ。
「へいひょ、いたいれす!」
そんな彼らの様子を見て、案外大丈夫そうだとシンタローは思う。

〜♪

何もないのに音楽が鳴り、エレンはビクリと肩が震えた。
「あ、ちょっとすみません」
小さな四角い箱を手にしたシンタローが、なぜか謝ってきた。
「もしもし…ああ、お疲れ、モモ」
そしてエレンでもリヴァイでも、エネでもない誰かと話し始めたシンタローに、揃ってぎょっとする。
『あの小さい四角い箱、電話って云うんですよ』
モモっていうのは、ご主人の妹さんですよ!
エネがすかさずフォローした。
「でんわ?」
『遠くに居る人と話すことが出来る道具、ですかねー』
エレンとリヴァイは顔を見合わせる。
「何で俺たちの世界に無いんですかね…」
「それがありゃ、余計な死人も出なかったろうな…」
『(あぅち…)』
エネは額を押さえる。
そうだ、彼らは仲間のほとんどをすでに失っているのだ。
エネたちに分かる範囲では、初めから名前が分かっていたメインキャラしかもう、残っていない。

シンタローは部屋から廊下へ出た。
「今から帰りか?」
『ううん、ちょっと打ち合わせがあるんだって。前に話したライブの』
「なら夕方だな。なあモモ、お前って能力制御出来んだっけ?」
『なっ、バカにしないでよ! 団長さんが居なくても、ほとんど見付からなくなったんだから!』
きゃんきゃんと抗議してくる声を、スマホを少し離すことでやり過ごす。
「実は今予期せぬ客が居てさ、夕飯の材料が足りないんだ。帰りに買ってきてくれよ」
途端に通話向こうのモモの声が弾んだ。
『ほんと?! じゃあお兄ちゃん、ハンバーグ作って! チーズ乗ってるやつ!』
また面倒なメニューを言ってくる。
(…ん? チーズハンバーグ?)
そんな単語をどこかで見た覚えがあるのだが、はてどこだったか。
シンタローはがりがりと反対の手で自分の後ろ頭を掻いた。
「…あー、くそ、分かったよ!」
後で材料メールするから、ちゃんと全部買ってこいよ! と釘を刺す。
返ったのは、やはり弾んだ声だった。
『まーかせて!』
やった、お兄ちゃんのハンバーグ!
通話が切れる直前、そんな言葉が聞こえた。

元のホーム画面に戻ったスマホを見つめて、シンタローは首を捻る。
「…あいつ、何で俺の料理であんな喜んでんだ?」
『好きだからに決まってますよー』
もう、ご主人ってばほんっとに鈍感ですよねえ。
唐突に画面にエネが現れ、仰け反った。
「はあ? 何が好きだって?」
『だ・か・ら! ご主人の作るお料理が、ですよ!』
あーもー、鈍感過ぎるご主人は彼女にフラれて落ち込めば良いです!
居ねーよんなもん、居たらヒキニートなんてやってねえ。
あっはっは! それもそうでしたね!
うわお前マジ腹立つ。

「すげー仲良いんですね」
「『うわぁっ?!』」

唐突に背に声を掛けられ、思いっきり驚く。
「って、エネ。何でお前まで驚いたんだよ?」
『わ、私だって驚くくらいありますっ!』
部屋の入り口からひょこりと顔だけを覗かせて、エレンがこちらを見ていた。
「あ、え、えっと、エレン君、動いて大丈夫…?」
「はい、完治してますし。あ、俺のことは呼び捨てで良いですよ」
まるで猫のような金色の目は、じっとシンタローを見ている。
(目、でっけぇ…)
そういえばアニメでは翠色だったな、なんて思い出した。
「あ、あの」
「?」
「さっきの…えーと、おむらいす?」
「お、おう?」
ひらがなで喋ってる、とシンタローがどうでも良いことを考えていると、エネが他には聴こえないくらいに小さくひと言。
『あざとかわいい…』
これが噂のあざとイェーガー…、と何やらぶつぶつ呟いている。
何だろうかとまた考えている内に、エレンがふにゃりと笑った。

「あれ、すっげー美味かったです!」

作ったのシンタローさんなんですよね? ご馳走さまでした!
「ど、どういたしまして…?」
きらっきらの笑顔は、テレビの中のアイドルにだって負けないだろう。
シンタローは完全に気圧された。
(いや、うちにアイドル1人居るしな?!)
妹のモモは確かにアイドルだが、如何せん、裏も表も知る兄妹。
見慣れすぎていて、彼女がキラキラしているのかシンタローから見ると不明だ。
(…そうか)
こういう平和な世に居れば、エレンもアイドルだったのかもしれない。
彼も含め、周りにはジャ○ーズも真っ青なイケメンが多いのだし。
「とりあえず、その部屋は好きに使ってくれたら良いよ」
シンタローが告げれば、ありがとうございますと素直な返事が返ってくる。
(あ、でもその前に、手洗いの使い方は教えた方が良いのか)
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2014.7.5

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