After the happiness.

(ずっとずっと先まで。)




「エレン、エレン!」
終業式を終え帰宅準備をしていたエレンは、後ろから名前を呼ばれ振り返る。
「クリスタ?」
校内一の美少女と名高い友人が、彼女の親友であるユミルと共にやって来た。
クリスタは可愛らしく小首を傾げ、エレンへ尋ねる。
「ねえエレン。25日の夕方からは、予定が入ってるんだよね?」
「お、おう…。えっと、それが?」
何で知ってるんだ、とは言わない。
アルミンやミカサを筆頭に、エレンと特に仲の良い友人たちはみんな知っているのだ。
とりあえず質問の意味を問うために、問い返す。
すると彼女はユミルと顔を見合わせて笑みを浮かべ、ユミルも笑ってエレンを見た。
「なら調度良いな。その日はアタシらの買い物に付き合え、エレン!」
「はあ?」
「大丈夫! エレンには絶対、ぜっっったいに損はさせないから!」
金銭的にも、その後の予定的にも!

それは断れる雰囲気ではなかったのだと、後にエレンはアルミンへ愚痴ったそうだ。



*     *     *



世間はクリスマスのその日。
ロマンティックな演出を助けるイヴはすでに終わり、誰もが枕元のプレゼントを開けただろう。
「行ってきます!」
ほう、と白い息を吐き出して、エレンは家を出た。
ひゅるりと冷たい風が頬を撫で、ダッフルコートのフードを被るかどうか少しだけ迷う。
…待ち合わせ場所は、電車で2駅の繁華街。
若者向けのファッションビル、少し高めのブティックビル、それに百貨店や雑居ビルも多い。
ここの土日の人波は、慣れていても少し…いやかなり、キツイものがある。
ショルダーバッグに入れた包みの形を確かめて、エレンはよし、と電車を降りる。
ここで気合を入れないと、待ち合わせ場所で相手が見つからずに辟易することになるのである。

「エレン!」
駅から出て待ち合わせ場所へ向かうと、すでに相手は到着しておりこちらへ手を振っていた。
エレンは小走りで駆け寄る。
「わり、遅れたか?」
「ううん。まだ5分前だよ」
にっこりと誰もが見蕩れる笑顔で返してくれたのは、クリスタだ。
「アタシらが早かっただけだからな。お前、結構律儀だし」
あの人に似て、とにやりとユミルが笑い、エレンは言葉に詰まる。
寒さの所為かそれとも違う理由か、頬に朱が走っていた。
「それで? 買い物っていうのは?」
「うん、服を一式コーディネートしちゃおうと思って」
「へえ」
「私とユミルと、エレンの分」
「は?」
「むしろメインはお前な」
「はあ?」
ほら行こう! とクリスタに左手を取られ、引っ張られるように歩き出す。
「仕方ねえ。今日だけ我慢してやるよ」
ぞんざいだけれどどこか楽しげに、ユミルは2人の半歩後ろを歩き出す。
「わっ、ちょっ、逃げねえから走るなよクリスタ!」

エレンのファッションセンスは、良くも悪くもない。
けれどそれは自分に対してであり、人のファッションについてはそれなりに良いというのが周囲の評価だ。
その辺りは、ティーンズ雑誌の読者モデルをしている友人の影響があるだろう。
「ユミルならこっちの編み込みブーツのが良いと思うぞ?
お前、背高いからさ。どうせならそれを格好良く見せたいし」
「…そんなもんか?」
ユミルはエレンに指定されたブーツを試着しながら、その場でくるりとターンした。
満更でもないようで、口元が綻んでいる。
「やだ、ユミルが照れてる!」
かわいー! とクリスタが茶々を入れ、図星を当てられたユミルは言い返した。
「なっ、クリスタ! 別に照れてねーよ!」
彼女が照れ隠しに怒ることは、クリスタはもちろんエレンだって知っている。
機嫌を損ねているのではないのだと、ちゃんと判っている。
「騒ぐなって。店員さんに笑われてるぞ」
これ1点お願いします、とエレンが手を上げた先の店員は、彼の言った通り笑う口元を手で隠しているようだ。
ただその笑みの理由は、彼らのあまりに微笑ましい遣り取りにあるのだが。
「ありがとうございましたー!」

ユミルのファッション一式を買った後は、クリスタの番だ。
レディースファッションの選択肢の多さは、言うべくもない。
「クリスタは正直、何着ても可愛くて似合うからそれが問題じゃねー?」
「確かにな」
フロアをひと通り見通して、ユミルが肩を竦める。
エレンが同意するのに、クリスタはむっと頬を膨らませた。
「もう、それじゃ意味無いって言ってるのに」
人に服を選んでもらうというのは、特別だ。
自分では手に取らないようなものが自分に合わせられ、新たな自分を発見できるもの。
いつも一緒にいるユミルでは慣れが入ってしまっており、ゆえにクリスタの目線はエレンへ向いた。
彼女の視線を受け考えたエレンは、ぱちんと指を弾く。
「じゃあ、いつものユミルみたいなのは?」
普段のユミルは革ジャンにジーンズといった、ボーイッシュな服装を好む。
一方のクリスタはフリルやギャザーの入った服装が多く、"可愛い"を地で行くものが多い。
そういえば今日コーディネートされたユミルの服は、クリスタに近い可愛らしいものがメインだった。
(普段なら"似合わない"って突っ撥ねてたけど)
これはエレンの『絶対似合うって!』の言葉が、絶大な効果を発揮していると見える。
クリスタは大いに頷いた。
「うん、じゃあエレンに任せる!」
「…あんま期待すんなよ?」

昼時を少し過ぎた頃、3人は遅めの昼食にファーストフード店へ入った。
「アタシが買っとくから、お前ら先に席取っとけ」
それぞれがメニューを決めたところでユミルが列に並び、エレンとクリスタへ2階を示す。
逆じゃないのか、とエレンは首を傾げた。
「いや、お前がクリスタと居れば良いだろ?」
するとひらり、と彼女の片手が振られる。
「良いんだよ。クリスタのガードしっかりな」
こうなっては彼女も折れまい。
エレンは了解、と返してクリスタと共に2階席へ上がる。
「あっ、エレン。あそこ空いてるよ」
クリスタが見つけた4人掛け席の奥へ彼女を座らせ、エレンは向かいに腰を下ろす。
「さすがに、上から下まで歩くのは疲れた…」
それでも彼は、あれこれと店を回るクリスタとユミルに付き合ってくれたのだ。
おかげでユミルとクリスタの服はひと通り買うことが出来た。
服だけでなく、アクセサリーや小物まで。
うぅ、とテーブルに突っ伏したエレンの頭を、クリスタはついつい撫でてしまう。
(アニが好きなっちゃうのも、判るなあ…)
エレンは一本気で一度決めたことは覆さないし、自分の意思を曲げない。
でもそれは他人を気遣えないのではなく、寧ろ彼は他人に優しく自身に厳しかった。

「ね、エレン。プレゼントは何にしたの?」

高校生とは、酸いも甘いも興味のあるお年頃だ。
誰と誰が付き合ってるだとか誰が誰を好きだとか、どんな芸能人が好みだとか。
特に色恋沙汰は、ほとんどの生徒の好むネタである。
…中でもエレンには、特定の相手が居る。
それは当然『恋人』と呼べる部類であり、今日というクリスマス当日に逢うに相応しい相手だった。
エレンは脇に置いたカバンをちらりと見て、ふわりと笑んだ。
「ん、マフラーにした。いろいろ迷ったけど」
高校生がアルバイトをしたところで、手に出来る金額は知れている。
ネクタイピンで気に入ったものがあったが、値段が張り諦めたのだと残念そうに彼は言った。
(良い顔するなあ…)
相手を想うときのエレンは、とても綺麗に、そして幸せそうに笑う。
見ているこちらが、その幸せの続きを願うくらいには。

階段の出口でキョロキョロと辺りを見回すユミルを見つけ、クリスタは手を上げた。
「ユミル!」
3人分のメニューをトレイに乗せたユミルは、危なげなくやって来る。
「お前、待ち合わせ何時だったっけ?」
唐突に問われて、エレンは左手の腕時計を見た。
「ああ、18時半に3つ先の駅」
黒い文字盤に踊る銀色の秒針、革ベルトはシックだけれど柔らかさのある焦げ茶色。
まるで夜空のような背景が写し込まれたその腕時計は、エレンが前の誕生日に贈られたもの。
自分のハンバーガーの包み紙を開き、ユミルはふむ、と思案した。
「なら、18時に駅に着けば間に合うか」
クリスタは彼女のトレイからポテトを1つ拝借した。
「別にここじゃなくても、エレンの待ち合わせ場所に一緒に行けば良いんじゃない?」
ちゃんと送りますって言っちゃったし。
エレンは彼女の発言に目を丸くした。
「は? 言ったって誰に?」
「リヴァイさん」
「は?!」
何だそれ、聞いてない! うん、言ってないもの。 はあ?!
テンポ良く買わされる2人の会話は、中々に面白い。
「だって、今日は12月25日でしょ? リヴァイさんは社会人だからお仕事だけど」
それでも誕生日は、一番大切な人と一緒に居たいものだから。
…『リヴァイ』とは、エレンの想い人の名前だ。
12月25日は、彼の誕生日でもある。
「だからリヴァイさんに、"エレンを半日お借りします"って言っておいたの」
エレンは怒れば良いのか喜べば良いのか、よく分からなくなった。
「その代わりの、エレンのコーディネートだけどな」
「…俺、服買う予定なんてないぞ?」
暗に手持ちの金額が少ないと告げれば、安心しろとユミルは笑う。
「軍資金は別に支給されてるんだ。お前は気にすんな!」
彼女の笑みが何だか裏有りげに見えて、エレンは嫌な予感を振り払おうと頑張った。

…が。
昼食後、引き続き連れて来られたファッションビルに入るなり、エレンは思い切り足を踏ん張った。
「いや、おかしいだろ! ここ明らかに女子向けしかねーじゃん!」
「大丈夫! お店のリサーチは済んでるから!」
「それ大丈夫じゃねーよ!!」
「だーいじょうぶだって。ほら、わざと自分用にメンズ服買いに来る女子も居るだろ?」
「それは女子だから許されるんだろ?! っ、もが!」
ユミルは全力で反論するエレンの口を塞いだ。
「はいはい、こっから先は喋るなよエレン」
黙っていれば、エレンはまだ性別がどちらとも取れるのだ。
制服ではない上に冬で、ミニスカートの女性が少ない季節であることも味方する。
今日のエレンは私服、タートルネックで喉仏も隠れている。
「クリスタ、例の店は何階だ?」
「えっと、4階!」
「よし、4階だな!」
(何でそんな楽しそうなんだよお前ら…!)
ついでに内緒話をすると、『エレン』という名前は女性に多いのである。

「はい、これ着てみて!」
「…!」
「あっ、これとか良くねえ?」
「…?!」
「ねえユミル、これとこれならどっちが良いかなあ?」
「……(こいつら、絶対ワザとだ!)」

着せ替え攻勢は、精神的にもエレンを疲労させた。
「…え」
全身用姿見の前へ連れて行かれたエレンは、現実逃避に首を勢い良く横へ振る。
(…ないない、これはない!)
淡い灰色をメインに、白でやんわりと織り交ぜられた格子模様は毛糸本来の網目を殺さない。
本来合うサイズよりも1つ大きなサイズで、タートル部分は少し分厚めに。
サイズが大きいために長くなった袖は、ちょうどエレンの手の甲まですっぽりと隠れた。
そんなニットセーターを選んだクリスタは、元から決まっていたとばかりにニットキャップをエレンに被らせる。
色は暖色が淡く見える白、天辺には白いボンボン、耳あて部分からは白い三つ編みの飾り紐が首下まで垂れている。
…エレンの黒に近い茶髪と大きな翠の眼が、とてもよく映えた。
下は元からエレンが履いていたジーンズと、ユミルが選んだエンジニアブーツ。
鞄は背負うタイプのショルダーバッグだったが、紐の調節に目をつけた彼女は肩から下げる形に変えてしまった。
腰辺りに本体が来るバッグは慣れているので別段不具合はないが、これは不味い。
(明らかにおかしいだろ…)
「おお、すっげえイイ感じ!」
「やっぱり! 思ってた以上に似合ってるよ、エレン!」
エレンの後ろできゃいきゃいとはしゃぐクリスタとユミルの後ろ、店員の姿が映りエレンは青くなる。
(うわああああ、絶対変なやつだと思われてる…!!)
ぐるぐるしているエレンを他所に、店員の女性はにこりと微笑んだ。
「あ、やっぱり女性の方だったんですね!」
聞き間違いだと思いたかった。
「お声がハスキーだったので、どっちかな〜と思ってたんですけど」
とってもお似合いで可愛いですよ、そのままお買い上げされますか?
言われた意味が真っ直ぐ脳へ到達せず、エレンは大混乱に陥った。
(可愛い? これが?!)
「はい、このまま着て帰るので精算お願いします!」
「畏まりました。ではレジへどうぞ」
脳内パンク状態が端からでも判るエレンに、ユミルは苦笑する。
(さすがにやり過ぎたか)
次は物だけ買っておいて、家で着替えてもらおう。
早くも次回の算段を始めたユミルである。
クリスタが精算を終えた頃合いを見計らって、ユミルはエレンの手を引き店から出た。
「ユミル、先に移動して待ち合わせ場所の近くで休憩する?」
「ん〜、そうだな。人多いのに変わりないしな」
エレンはそのままユミルに手を引かれ、クリスタが2人の後ろを追い掛ける。
ファッションビルを出て久々の寒さに身体が縮こまったところで、エレンはようやく我に返った。

「っ、なに、考えてんだよお前らはっ!!」

叫んだところで周囲の喧騒が呑み込むので、とばっちりはせいぜいエレンの周囲3mだ。
エレンの剣幕に、クリスタはきょとりと目を丸くしてから満面の笑みを向けた。
「何って、エレンを可愛く着飾ることだよ?」
またもエレンの脳が考える義務を放棄した。
「とりあえず、落ち着いたとこで話すか」
ユミルはエレンの右手とクリスタの左手を取り、さっさと歩き出す。
「待ち合わせって、xx駅だよな?」
「あ、ああ…」
今日の予定の初めと違うのは、クリスタではなくユミルに手を引かれていることだろうか。
電車に乗り込んでからも、エレンはぼんやりとしたままだった。

「…それで?」
エレンがリヴァイと待ち合わせしている場所から、徒歩5分ほどの位置にある喫茶店。
スツールに座るクリスタとユミルは、向かいのエレンの冷たい眼差しに耐えていた…わけではない。
彼の温度の低い視線と見た目のギャップに、写メりたい衝動を必死に抑えているのである。
「リヴァイさんに"エレンを半日借ります"って言ったときに、言われたの」
「なんて?」
「"借りるなら相応にして返せ"って」
相応ってなんだろう。
「他には?」
エレンはカフェモカの入ったマグカップに口をつけた。
カップが重く中身が熱いことで、エレンはマグカップを両手で持っている。
長い袖口を捲るともっと熱いので、手の甲までニットで隠れていることに変わりはない。
「……(なにこのこかわいい)」
「……(こいつ、無駄に女子力あるんじゃね?)」
その動作1つ取っても可愛いのだと、なぜ気付かないのか。
写メりたくてスマホへ伸びる手を、クリスタは必死に抑えた。
「他? んーと…あ、軍資金はハンジさんから」
「ハンジさん? 何で?」
リヴァイの同僚でエレンも良くして貰っている人物の名が出て、彼は印象的な翡翠の目をぱちりと瞬く。
写メりたい、本当に写メりたい。
「…(だから可愛いだけだってば!)」
もうひとり誰か呼んでいればこっそり写真に収められたのに、とクリスタは悔やむ。
ユミルはハンジから軍資金提供を受けた顛末を思い出そうとした。
「何でだっけ、えっと…?」
「前の土曜日かな? エレン、リヴァイさんとの約束流れたりしてない?」
クリスタの助け舟で、エレンが目を瞬いた。
「あ、うん。喫緊の案件が降ってきたって」
「それ、ハンジさんのチームのだったんだって。それでお詫び! って、メールで」
そのメールがなぜ自分ではなく彼女らに行っているのか、不可解である。
(あ、でも…)
「エルヴィンさんからのお詫びだって、夕飯の店の予約取ったってリヴァイさん言ってた」
「へえ」
リヴァイの上司の名前も出て、本当に不本意な状況だったのだろうとユミルは理解した。
ついでに、話題を自分たちから逸らす方法も思い出した。

「ところでエレン。お前、高校出たらアメリカに行くのか?」

リヴァイの働く会社は外資系で、本社はアメリカにある。
彼やエルヴィン、ハンジを含めた部署は特に本社との遣り取りが多い。
リヴァイや彼の率いるチームは、月の半分をアメリカ本社で過ごすことも珍しくなかった。
最近は、チーム丸ごとの本社異動を打診されることも増えたという。
「…ああ。その予定」
両親ともリヴァイとも何度も話し合い、そうして出した結論だ。
エレンにその意思を変える予定はない。
(それに、)

『向こうなら入籍出来る』

そう告げられたときの衝撃は、まだ子どもの括りであるエレンには大き過ぎた。
「エレン、顔が赤いけど…」
「へっ?! な、何でもねーよ!」
ぷいとそっぽを向いたエレンは、クリスタとユミルも顔を背けていることに気付かない。
ついでに2人は、口を手で抑えてぷるぷると震えている。
「…(結婚式は絶対行く!)」
「…(こいつ女子力ぱねえ!)」
通路側に座るユミルはそこでふと、店内の視線を感じた。
(クリスタだけじゃねえな…)
ぐるりと彼女が頭を巡らせれば、慌てて視線を逸らす人間がそれなりに居た。
女性だったり男性だったりしているが、どうやらエレンとクリスタは相乗効果になっているらしい。
ここでユミルが席を外せば、若い男がナンパに声を掛けて来そうだ。



随分と喫茶店に長居していたが、待ち合わせ時間が近づきエレンがスマホを取り出す。
「じゃあ俺、そろそろ行くから」
メール着信の相手はリヴァイ。
あと15分で駅に着くというシンプルな文面だった。
「よし、出るか」
ユミルの言葉にクリスタも頷き、3人は荷物を手に喫茶店を出る。
すっかり景色は夜で、気温も随分と下がっていた。
「エレン、待ち合わせ場所まで送らなくて大丈夫?」
「すぐそこだし、俺は男だっての」
何度も言わせんな、と些か拗ねたようにこちらを見返すエレンは、可愛いが先行して性別が行方不明である。
(これは本人に言われなきゃ分かんねえだろうな…)
若干の諦めを飲み込んで、ユミルがクリスタの手を引いた。
「りょーかい。んじゃエレン、お前の荷物は帰りしなに家に届けとくからな」
「おう、頼んだ」
じゃあ気をつけて帰れよ! とこちらへ手を振ったエレンに、気をつけるのはお前だと返したかった。
どうやらそれはクリスタも同じであったようで。
「エレン、大丈夫かなあ…」
「まあ、あいつ対人格闘かなり仕込まれてっから、大丈夫だろ」
仕込んだ張本人はリヴァイであり、何の為に、なんて聞くだけ野暮というものだ。
「アタシらも帰るか」
「そうね。あ、さっきこっそり撮った写メ、ハンジさんたちにも送らなきゃ」
「アタシにもな」
「もちろん!」

クリスタとユミルと別れ、エレンは待ち合わせ場所の時計台へ到着した。
時間は18時25分。
(あと10分か)
待ち合わせではリヴァイがいつもエレンより先に着いているが、今回は5分遅れるようだ。
(無理してないと良いけど)
リヴァイに言わせれば、無茶をしているのはエレンなのだが。
平日であっても人の波は途切れること無く、待ち合わせスポットであるこの場所も人が多い。
(あ、アルミンとミカサからメール)
初詣はどうするかというメールが幼馴染それぞれから来ていて、もう年が変わるのかと思いを馳せる。
(今年は確か、リヴァイさんとハンジさんと、ペトラさんたちが一緒だったな)
それなら、来年はミカサたちと行こうか。
「ねえ君、暇なら俺らと食事行かない?」
(ミカサとアルミンが一緒だと、他のヤツらも一緒になりそうだな…)
「おーい、無視? 聞いてる?」
「?!」
突然視界に見知らぬ人間の顔が入り、エレンは仰け反る勢いで驚いた。
人好きのしそうな笑みを浮かべた若い男が、驚くエレンを楽しげに見下ろしている。
「驚かせちゃってごめんね? ぜひとも誘いたかったからさ〜」
誘う? 何を?
(ていうか、誰を?)
思わず左右を見て、エレンは眉を寄せた。
何人か、似たような年齢の別の男たちに声を掛けられている女性が居る。
(それでOK出した人たちを連れて、食事?)
「ねえ、どう? こんな寒空で女の子待たせる相手なんて放っておいてさ」
今度は違う理由で、エレンは目の前の男を睨み上げた。
(知らないヤツが、勝手に評価してんじゃねえよ)
言いたいことはすぐに口に出すエレンであるが、今回は自制が効いた。
「…人を待ってるんで、お断りします」
相手が再度驚いた顔をしたので、さすがに男だと判ったろうとエレンは息をつく。
「へえ。声、ハスキーだね! 見た目すっごく可愛いのに、ギャップ萌えってやつ?」
「……」
こいつの頭は腐ってるんだろうか。
エレンの目が軽蔑に近い眼差しに変わったことに気付かぬ様子で、男はまだ諦めない。
「ほら、行こうよ。美味いイタリアンの店知ってんだよね」
あろうことか、男の手がエレンの腕に伸びる。

「おい」

反射的に下がろうとしたエレンの耳に、馴染んだ声が届いた。
そちらを見たエレンはパッと顔を輝かせる。
「リヴァイさん!」
エレンの笑みにほんの少しだけ口元を緩めたリヴァイは、しかし次にはエレンの目の前に居る男を見据えた。
「おい、てめえ。人のモンに手ぇ出そうとは、良い度胸だな?」
ハンジ曰く"人類最強の三白眼"に耐えられる人間は、そう居ない。
エレンに声を掛けて来た男も、例に漏れずヒィッと悲鳴を上げる。
「す、すみませんっした…っ!!」
謝るのもそこそこに駆け出していった男を見送って、リヴァイが軽く息を吐いた。
「悪い。遅れた」
エレンはふるりと首を振る。
「何でですか? 時間ぴったりじゃないですか」
時刻は18時35分、リヴァイがメールしてきた時間と同じだ。
きょとんと首を傾げたエレンの動作に合わせて、ニットキャップの飾り紐が揺れる。
大きいのかタートル部分が分厚く緩んだニットのセーターは、袖口がエレンの手の甲までを覆っていた。
「……」
じっとエレンを見つめて何も発さないリヴァイに、エレンは戸惑う。
間を保たせるように手を口元へ持ってきて、冷えた指先に息を吐きかけた。
「あの、リヴァイさん?」
呼び掛ければ、答えの代わりに彼の指先が伸びた。
頬をさらりと撫でた掌は、エレンの頬よりも温かい。
「…冷えてるな」
一言告げて、リヴァイはエレンの片手を取り歩き出す。
「あ、あの…!」
「何だ?」
今日は引っ張られてばかりだと頭の隅で思いながら、エレンは顔を赤くした。
「手、離してください」
「なぜ?」
「なぜって…」
だって自分は男で、公の場でこんなことをするには憚られて。
「安心しろ。あいつらのおかげで、今のお前は性別不詳だ」
「は?」
離せと言ったエレンの言葉を無にするように、リヴァイは冷たい指先に己の指を絡める。
それがあまりに堂々としているので、悩んでいるこちらが馬鹿みたいで。
(リヴァイさんは、狡い)
エレンは絡めた指先に、応えるように力を込めた。



*     *     *



エルヴィンが詫びの代わりと云った店は、確かにとても美味しかった。
(メニューの意味はよく分かんなかったけど)
リヴァイの家への帰り道、エレンは手を繋ぎながら思う。
(…あいつら、そこまで考えてたりしたのか?)
普段なら、人目のある処でこんなことは出来ない。
答え此処に非ずであるが、少しは感謝しても良いのかもしれないと思い直す。
家路を行く中リヴァイは始終無言で、けれどその沈黙は居心地の悪いものではなくて。
気分の良いまま、エレンは彼の隣を歩いていた。

当たり前であるが、誰も居なかった家というものは寒い。
それはリヴァイの自宅とて例外ではなく、玄関へ入り扉を閉めても防寒具はしばらくお供しそうだった。
「エレン」
「はい?」
チェーンロックを掛けたエレンが振り返るのに合わせて、首元に伸びた手がその身体を引き寄せる。
「ん…っ!」
合わせられた唇が熱い。
まるで貪るように喰らいつかれて、エレンはすぐに息が上がった。
「リ、ヴァイさ…」
エレンの抗議の声を無視し、リヴァイは柔らかな唇と熱い腔内を堪能する。
「…可愛い」
ようやっとエレンの唇を開放して、様々な意を込めて呟いた。
僅かに潤んだ瞳をこちらへ寄越すエレンは、絶対に解っていないのだろう。
「リヴァイさん…?」
自分を見上げてくるリヴァイの言葉の意味は、彼の予想通りエレンには伝わっていない。
靴を脱ぐよう促し、エレンを家へ上げる。
リビングの扉を開け明かりを点けると、暖房を入れた。
とてとてと当たり前に付いてきたエレンを振り返り、リヴァイは舌打ちする。
(好み過ぎて腹が立つ)
頼んでもいないのにエレンのコーディネートを申し出て来たのは、ハンジである。
そしてタイミング良くエレンと遊びに行った2人の少女。
「あ、あの…リヴァイさん」
おずおずと名を呼ばれエレンを見返せば、彼は逃げるように視線を逸らした。
「や、やっぱり変…ですよね? この格好…」
女物だし、と吐かれた小さな呟きに、リヴァイはさすがにやり過ぎだろうと思わないでもない。
…が。
「…逆だ」
「え?」
柔い頬を両手で包み込み、視線を向けさせる。
いつも思うことが、今日はやたらと強烈なのだから。

「今日のお前は可愛過ぎて、俺がどうにかなっちまいそうだ」

一気に熱が顔へ集まり、エレンは速くなった鼓動に言葉が続かない。
(可愛いって…)
何度も言われたが、信じることはなかった。
自分は男だし、着ているものが女物だというのは屈辱的でもある。
それでも、リヴァイが言うのなら。
(は、恥ずかしい…!)
自覚した瞬間に、エレンは居た堪れなくなった。
顔を背けたい、けれどリヴァイに固定されてしまっていてそれは出来ない。
両手で顔を覆うことも出来ない。
顔を真っ赤にしてうろうろと目線をさ迷わせるエレンに、リヴァイの胸には愛おしさと悪戯心が沸き上がった。
唇が触れそうな程近くまでエレンの頭(こうべ)を引き寄せて、囁いてやる。
「可愛い」
「…っ!」
「お前が可愛いのはいつものことだが、今日は格別だな」
食っちまうのが勿体ねえくらいに。

エレンはもう、はくはくと口を開閉させるくらいしか出来なかった。
…嬉しいけれど、喜べない。
本意ではないから、恥ずかしい。
自分は男であるから、とても悔しい。
相反する感情がエレンの中でせめぎ合い、翡翠色を宿す目にじわりと涙が浮かぶ。
(苛め過ぎたか)
リヴァイは顔を赤くしたままのエレンの頬を撫で、その指先で浮かびかけた涙を掬った。
「泣くな」
「……泣いてないです」
少し恨めしげな顔をしたものの、エレンは真っ直ぐにリヴァイを見つめた。
…エレンも散々言われるけれど、リヴァイの目だって正直だ。
エレンのことが大切だと、愛おしいのだと、雄弁に伝えてくれる。
(そんな目で、見られたら)
怒りが持続する訳がない。
何より今日は、『特別な日』だから。
「あっ!」
エレンは鞄に入れっぱなしの包みの存在を思い出した。
「あ、あの、リヴァイさん。これ…!」
鞄を開けたエレンが、綺麗なリボン掛けの為された包みを取り出す。
中の箱は潰れていないようで、ちょっと安心した。

「誕生日、おめでとうございます。リヴァイさん」

そう言ってふぅわりと微笑んだエレンは、例えば宝石と比べたって、ずっと美しく輝いていた。
リヴァイは差し出された箱を受け取るのではなく、エレンごと抱き締める。
「わっ、リヴァイさん?」
そのまま後ろ首を撫でられ、くすぐったくて笑い声が漏れた。
クスクスと笑ってリヴァイの行為を甘受するエレンが、愛おしくて堪らない。
(…帰したくねえ)
あと2年、されど2年。
「エレンよ」
「はい?」
布石くらいは打っても許されるだろう。
大人というのはとてもずる賢くて、それでいて臆病者だ。
「次の夏休みは、アメリカに行ってみるか?」
途端、エレンの笑顔は弾けるようなものへ変わった。
「行く! 行きたいです! 俺、まだ海外行ったことなくて…!」
きっとこの笑顔を見るために、リヴァイは毎日を生きて過ごしている。

一粒のダイヤモンドよりもキラキラ光る、ひとりと共に在るために。





---Happy Birthday!
>>オマケ

2013.12.25

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