Be with you...
(過酷でいて美しい、この世界の片隅で)
うだるような熱と、気が狂いそうなほどの快感。
「あっ、ああああっ…!」
幾度目か分からぬ絶頂を迎え、エレンの口からはあられもない嬌声が上がった。
目の奥で火花が散り、自分がどうなっているのかすら判らない。
「…エレン」
低く、そして酷く優しい声音がエレンを引き留めた。
眠りに落ちようとする瞼を押し上げれば、下肢を繋げたままの男がエレンをじっと覗き込んでいる。
「へい、ちょ…?」
上手く回らぬ舌で呼んでみれば、軽やかな口づけが降ってきた。
羽のように優しく、砂糖のように甘く、愛しいと、言葉よりも余程雄弁に想いを注がれる。
ちらりと視線を外したリヴァイが、満足げにまたエレンを見下ろした。
「誕生日おめでとう、エレン」
生理的な涙に濡れて揺らぐ瞳が、驚きを映す。
「…え、」
リヴァイがもう一度向けた視線の先をゆるりと追えば、彼の愛用する懐中時計が置いてあった。
蓋を開けられたままこちらを向いて、見えるのは黒の文字盤。
ランプの明かりに影を揺らし、2つの針は12を指していた。
ちゅっ、とエレンの額にキスが落とされる。
「…悪ぃな。こうでもすりゃあ、俺が一番に言えると思ったんだ」
頭が追い付かず呆けていたエレンの頬に、別の熱が徐々に集まってくる。
(えっ…)
ボッ、と火が着いたように、エレンは顔を赤くした。
(そうだ、昨日の日付は…)
3月29日。
いつになく穏やかな銀灰の眼を見上げると、リヴァイの掌がエレンの頬を撫でる。
何か言いたいのに、言葉が詰まって出てこない。
(ど、しよ…すごく、嬉しい)
「エレン?」
雄弁にものを語る金色の眼が、ただじぃっとリヴァイを見つめてくる。
その眼が甘そうに見えるのは、よくあることで。
リヴァイはぺろりと舐めたくなる衝動を抑え込んだ。
「エレン」
言葉が出て来ないのであろうエレンのために、名を呼ぶだけで待ちに徹する。
リヴァイが自身の心の有り様に驚愕したのも、つい最近のことだ。
「あの…」
ようやく、エレンが声を発した。
ふわ、と綻んだその表情に、息を呑む。
「ありがとう、ございます。俺…あの、すごく、すごく嬉しいです」
男相手に"花が綻ぶような"なんて形容は、すべきでないだろう。
それでも今、リヴァイに向けられたはにかむような笑顔は、日の元に咲く花のそれで。
…ありきたりな言葉しか出てこなくて、すみません。
情けないと伏せられた眼(まなこ)に言い様のない愛おしさを覚え、リヴァイは艶やかな唇へ衝動的に口づけた。
「は…んっ…」
舌を絡ませ、熱い腔内を余すところなく食らう。
そのあまりに情熱的な口づけは、エレンをどろどろに溶かしてしまって。
「んっ?!」
途中、異変を感じ取ったエレンの身体は過敏に反応してしまい、リヴァイと繋がる箇所の熱が一気に上がった。
「ゃ、あ…!」
微かな脈動でさえ、エレンを喘がせるには十分だ。
「へい…ちょ、おれ、もぅ…ん!」
抗議を込めた目を向ければ、宥めるような口づけを寄越された。
「構わん。てめぇの意識が飛んだところで、止まれる気もしねえしな」
「なっ?! ひ、ぁっ!」
少年期特有の高く甘い声を聴きながら、リヴァイはもう一度エレンを貪り始める。
(コイツ相手だと、理性の利いた試しがねえ)
内心で自嘲しながら、甘味のような肢体を改めて組み敷いた。
明滅する視界の中で、ひたすらに熱を飲み込み、侵される。
(生まれた、日の、始まりから…)
愛する男と、身体を繋げたままだなんて。
(なんて…ぜいたく)
あまりの幸せに、エレンはくらりと目眩がした。
* * *
いつもより随分と遅く起きたエレンは、場所が地下室でないと思い至って固まった。
(そうだ、俺…!)
身体は綺麗だ。
服は着ていない。
(…着替え、ないと)
エレンは傍の椅子にきっちり折り畳まれていた衣服を手に取る。
そこで、寝室のドアが開いた。
「起きたか」
訪問者はこの部屋の主のリヴァイで、エレンは火照ってしまう顔を何とも出来ずに口を開閉する。
「お、おはよう…ございます…」
随分と可愛らしい反応をしてくれるので、リヴァイは気分が良い。
エレンの傍へやって来て、こめかみにキスをくれてやる。
「てめぇは今日の午前は休みだ。午後は合同訓練の後、てめぇの馴染みにてめぇを預ける」
「…!」
エレンは目を丸くした。
「俺はエルヴィンの野郎と、内地まで行かなきゃなんねぇからな」
立場上、班員の誰かが傍に居ることにはなるが。
続いた言葉は、エレンに昨日の出来事を思い出させた。
「へいちょ、リヴァイへいちょう…!」
「何だ?」
「じゃあ、昨日のアレは全部…」
エルドが殊更詳しく、立体機動装置の長く保つ扱い方を教えてくれたのも。
オルオが文句を言いながらも、身体全体を使った削ぎ方を教えてくれたのも。
グンタは馬と如何に信頼を築くか、それから野生の獲物の狩り方を。
ペトラはエレンも知らなかった薬草とハーブ、その見分け方と使い方を。
ハンジは巨人化実験の予定を変えて、エレン自身のことを教えてくれとねだった。
いつもは大変そうなモブリットも、終始微笑ましいような顔で話をしてくれて。
途中でミケもやって来て、兵団における指揮についてを語ってくれた。
つっかえながらもエレンが話せば、リヴァイは頷く。
「そうだな」
何となく、妙だとは思っていた。
けれどどれもがエレンに利しか無いもので、それ以上の疑問など沸くはずもなく。
…大人組の面々に、リヴァイは言っておいたのだ。
エレンに構いたいのなら、前日のうちにしておけと。
「…っ」
エレンは言葉もない。
リヴァイの大きな手が、その頭をわしゃりと撫ぜた。
「壁外調査にはまだ間がある。今だけだ」
「っ、はい!」
言い出したのは誰だったか。
それでもエルヴィンを含めて、誰も否定など考え付かなかったのだ。
久々に同期の姿を見て、少し懐かしい思いが先行した。
ミカサが真っ先にこちらに気づく。
エルドとペトラは、エレンの背を押した。
「行ってこい、エレン」
「私たちから見える範囲なら、大丈夫だから」
ちなみに、グンタとオルオは旧本部で留守番だ。
笑顔で同期たちの元へ駆けていったエレンを見ながら、ペトラは眼差しを細めた。
「…変よね。エレンみたいな子こそ、守られているべきなのに」
エルドは肩を竦める。
「そうだな。ある意味俺たちは、そんな貴重な機会を得たわけだ」
たった15の子どもが背負った、あまりに大きな重荷と翼。
その翼はまだ、重荷に耐え切れずに羽ばたけない。
「まあ、出来ることなら」
兵長と並んで翔べるまで、守れたら良いな。
エルドの言葉に頷いて、ペトラはくすりと微笑った。
近づくなり、ミカサが飛び付いてきた。
「エレン、エレン、誕生日おめでとう!」
「おう! ありがとな、ミカサ」
数歩離れた場所でジャンが羨ましい、とギリギリしていることなど、見えちゃいない。
「ごめんなさい。プレゼント、用意出来なかった…」
シュンとした様子のミカサに、エレンは苦笑する。
「何言ってんだよ、ミカサ。そうやって"おめでとう"って言われるのが、一番嬉しいから」
けれどそろそろ、抱き着く力を緩めてほしい。
「ミカサ。そろそろ離してあげないと、エレンが窒息しちゃうよ」
「!」
すぐ隣からの助言に、ミカサがパッと手を離した。
「…サンキュ、アルミン」
軽く咳き込み礼を言えば、もう1人の幼馴染みはいつものことだと苦笑する。
「誕生日おめでとう、エレン」
「ああ。ありがとな、アルミン」
抱き着く代わりにエレンの手をぎゅっと握り、アルミンは笑った。
「エルヴィン団長と、リヴァイ兵長に感謝だね」
リヴァイの名にゆら、とミカサの影が揺れたが、彼女は思い直したか何も言わなかった。
「エレーン! ミカサに聞いたんですけど、今日誕生日ってほんとですか?!」
サシャがクリスタとユミルと共にやって来て、他の同期もエレンの周りに集まってきた。
「そうなんだ! おめでとう、エレン」
と、微笑んだクリスタ。
「女神に祝われるとか、ちゃんと感謝しろよ? まあ、おめでとさん」
ついでのように言ったユミルも、それでもきちんとエレンを見ていた。
「おめでとうございます! ご馳走はないんですか?!」
「なんで俺が用意すんだよ!」
相変わらず食欲旺盛なサシャに、苦笑する。
「そうかー、お前3月が誕生日だったのな。おめでとう!」
「チッ。死に急ぎでも、生きてりゃめでたいからな」
コニーはにかりと笑って肩を叩き、ジャンは嫌みったらしい口の利き方で祝う。
いつものように軽口を応酬して、エレンは久々に、何も気負うことなく笑っていた。
先輩兵士に雑用を頼まれていたらしいライナーとベルトルトが、遅れてやって来る。
エレンの姿を見つけて驚いたようだ。
「そっか、エレンは春が誕生日だったんだ」
おめでとう、と柔らかな笑みでベルトルトが祝った。
「てことは、お前16か」
俺たちより年下だったんだよなあ、とライナーが訓練兵時代を思い返しながら。
それでも皆がエレンに会うのは久しぶりで、誰もが落ち着かぬ明るい感情に流される。
「エレン!」
ペトラがエレンを呼んだ。
「エレンを訪ねて来た人がいるみたいなの」
一緒に本部前まで来てくれる? と請われて、断る理由などない。
むしろこちらの台詞じゃないか、とエレンは恐縮した。
私も行く、とミカサが間髪置かず続け、ペトラは構わないわと頷いて。
3人で向かう先は、本部の正面玄関。
本部正面玄関へ繋がる石畳の道に、ぽつねんと立つ小柄な人影。
エレンは目を丸くした。
「アニ?!」
呼び声に振り返ったのは、間違いなく憲兵団に入った同期で。
「どうしたんだよ、わざわざこんなとこまで」
内地勤務であろう彼女がここまで来るには、相当な移動距離があるはずだ。
「別に。大したことじゃない」
いや、十分に大したことだろう。
「何しに来たの、アニ」
警戒を滲ませたミカサの声に、アニは肩を竦める。
「安心しなよ。あんたに用はないから」
こちらへ身体ごと振り返った彼女は、紙の包みを手にしていた。
「エレン」
ほら、とその包みを押し付けられて、エレンは目を瞬く。
「えっ、いや、何?」
「……」
訳の分からぬまま問うと、ぼそりと何かが呟かれた。
「え?」
「だから、」
誕生日おめでとう、って。
半ば投げ遣りに、そしてエレンから顔を逸らしながら彼女は言った。
照れているのか、顔には朱が散っている。
(かーわいい)
彼らより一歩離れたところで、ペトラは沸き上がる微笑ましさを飲み込む。
たとえ駐屯兵であっても、調査兵団本部までは遠い。
ましてや彼女は、内地の憲兵だという。
つまり、わざわざ足を運ぶくらいにエレンが特別だということで。
…この日に休みを取るくらいには。
ミカサとアニ、2人の少女の間でバチバチと火花が散っているのすら、何とも可愛らしいものではないか。
エレンはアニの言葉を数秒噛み締めて、渡された包みをもう一度ぎゅっと握った。
「ありがとな、アニ!」
浮かべられた笑みは確かにアニのためだけのもので、彼女は今度こそ照れてそっぽを向く。
「…そう。良かった」
開けて良いかとエレンが尋ねれば、頷きが返る。
そこで遠慮なく誕生日プレゼントだという包みを開ければ、ふわりと甘い香りが広がった。
一緒に入っていたナプキンでエレンが中身をひとつ取り出すと、真ん中に穴の空いたパンのようなものが。
「…なんだこれ?」
恵まれた食生活ではないので、この甘い香りは胃を直接刺激してくる。
「ドーナツって名前の、最近の私の好物。パンと似たような材料の揚げ菓子」
「菓子?!」
「菓子だけど、値段はパンと変わらない」
「…マジで?」
「マジで」
へえ、内地にはこんなものが売ってんのか。
手にしたドーナツをぱくりとひと口、エレンは目を丸くする。
「なんだこれ、すっげえウマイ!!」
揚げた外側はさくりと、中身はふわっとしていて、甘さもちょうど良い。
もぐもぐとあっという間に1つを食べ切ったエレンは、目を輝かせてアニを見遣った。
「こんな甘くて美味いもん、久々に食ったぜ! ありがとな、アニ!」
これだけ喜んで貰えたなら、上々だ。
「どういたしまして。サシャに見つからないように食べなよ」
食べ物への執着が人一倍どころか数倍の同期の名を出して、アニは薄っすらと笑った。
夜、リヴァイが内地から戻って来たが、エルヴィンの姿も共にありエレンは驚いた。
「エルヴィン団長?!」
リヴァイは内地へ行ってもその日の内に戻ってくることが通例だが、エルヴィンは泊まってくることが多い。
何か緊急の問題でも発生したのだろうか?
戸惑いを隠さないエレンに、エルヴィンは苦笑する。
「大丈夫だ、エレン。何かあったわけではないよ」
先回りして答えてやれば、エレンはホッと肩の力を抜いた。
「君にこれを渡したかっただけだからね」
「え?」
そう言ったエルヴィンは馬に括り付けていた荷物の中から小さな袋を1つ取り出し、エレンに手を出すように言う。
エレンが言われたとおりに右掌を出せば、ポンと置かれたのは可愛らしい袋。
「誕生日おめでとう、エレン」
袋を手放した手が、エレンの頭をゆったりと撫でた。
きょとんとした彼は、1秒後には大変に慌ててエルヴィンを見上げる。
「これ、俺にですか?!」
慌てる姿が随分と子供っぽく、彼はまだたった16なのだとエルヴィンは思い出した。
苦い思いは無理矢理に飲み下して、即してやる。
「開けてごらん」
おっかなびっくりとエレンは袋を開け、中に入っていた黒…茶色? の丸い粒を手に取った。
「これは?」
「食べてごらん。毒ではないから」
命令とあらば毒でも口にする覚悟のエレンだが、恐る恐る黒い粒を口に入れてみる。
「!」
甘い、そして舌の上で溶けた。
「な、何ですかこれ?!」
すっげえ美味いです!
アニのドーナツも美味しかったが、この粒も負けないくらいに美味しい。
「チョコレートと言ってね、貴族の間で流行っているお菓子だよ」
「菓子?!」
今回は、アニとは条件が違い過ぎる。
(これ、相当高価なものなんじゃ…!)
「今日会った貴族の貢ぎもんだ。ハンジが毒物チェックしてるから問題ねえ」
エレンの思考を読んだように、リヴァイが呆れを交えて説明してくれた。
もっとも、エレンをさらに困惑させるだけであったが。
「でも…」
エルヴィンはポンポン、と宥めるようにエレンの頭を撫でる。
「人の誕生日を祝う機会というのは、ほとんど無いからね。素直に祝われて貰えるかな?」
戸惑いっぱなしのエレンはそれでも、断るのではなく受け取ることが正しいのだと結論付けた。
「あ、ありがとうございます、エルヴィン団長…」
照れるエレンに満足して、エルヴィンは愛馬へ跨る。
「それじゃあ、私は戻るよ。リヴァイ、今日は無理をさせてはいけないよ」
「…煩え。てめぇなんぞ馬に蹴られちまえ」
余計なことを、と去ったエルヴィンの後ろ姿を睨みつけていたリヴァイが、エレンを振り返った。
「エレンよ。てめぇは今日は俺の部屋で寝ろ」
その言葉の意味するところなんて、1つだ。
エレンは暗がりでも判るほどに顔を赤くした。
「なっ、何言ってんですか兵長!」
今朝方まで散々…と、最後の方は聞き取りづらい程に小さく、反論する。
赤くなった顔を見られぬよう俯いていたエレンは、リヴァイが驚くほど優しい面差しであったことに気付けない。
「昨日ほどがっつくことはしねえよ」
やることに変わりはないじゃないか、と胸中で嘆息する。
頬を撫でた固い指先が目元を撫でて、エレンはそっと瞼を下ろした。
穏やかな口づけが、ひとつ。
「他の奴等とは、昼間に散々一緒に居たろう?」
だから日の最初と最後くらいは、俺に独占させろ。
臆面もなく言い切ったリヴァイに、エレンは頬を紅潮させて情けなく項垂れる。
「…な、んで、そんなカッコイイ言い方するんですか…」
断るとか出来ないじゃないですか。
苦し紛れに言い返せば、また口づけをひとつ。
「大人は狡いんだよ、クソガキ」
徐々に深くなる口づけを、エレンが拒む方法などひとつも無かった。
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2014.3.30
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