花愛でる伯爵
1.リヴァイ伯爵は、花を女のように愛している。
* * *
ひとりの男がいる。
男は伯爵の位を持つ貴族であり、また数多くの視線を集める存在であった。
まず、彼の持つ領地は広大だ。
山を1つ2つと抱え、プライベートビーチを設けても余る範囲の海を抱える。
それだけでも、土地の資産価値は測れるというもの。
邸(やしき)は少ない使用人と暮らしているのが垣間見え、さして大きくはない。
けれどその邸は、気品さえ持っていると建築史に載る勢いである。
次に、彼は独身である。
貴族に産まれた者は、余程の決意無き場合は貴族のまま生きて死ぬ。
かの伯爵は貴族でありながら軍へ志願した経歴の持ち主であり、また多くの功績を収めた。
剣を抜かせれば右に出る者は無く、たった1人で一個旅団並みの戦力と恐れられ。
軍属以降も鍛えられるままの肉体に無駄なものなど一切無く、服の下には理想の肉体美が隠されている。
背はやや低いものの凛と立つ姿は気高く美しく、睥睨する眼差しすら遠国の獣…豹…を思わせた。
相手が王族であろうと臆することない豪胆ささえ、彼を引き立てる。
そして。
彼は花を一等愛した。
程よい影を落とす大広間は、シャンデリアの醸す煌めきに包まれている。
並ぶ丸テーブルは食事からデザートコースへと姿を変え、脇に控えていたオーケストラが主役に躍り出る。
「やあ、エルヴィン!」
今日のパーティは中々良い趣向だね!
薬剤開発・販売で国の4割のシェアを誇るゾエ・コーポレートの当主、ハンジがこの邸の主へグラスを掲げた。
呼ばれた男も自らのグラスを掲げ返し、柔らかな笑みを浮かべる。
「君が褒めるとは珍しい」
うちの執事長が喜ぶよ。
政界に幾つものコネクションを持つスミス貿易商、統括責任者のエルヴィンは階下を見下ろした。
2階の踊り場から見渡す会場は、軽快なステップを踏む男女で随分と華やかなこと。
彼はその雰囲気を移すように、斜め後ろの壁際を振り返る。
「下でどなたかの相手をした方が良いんじゃないかい? リヴァイ」
リヴァイと呼ばれた男は小さなテーブルセットに腰掛けて、我関せずと視線を流すのみ。
「ハッ、誰が雌豚なんぞに触るかよ」
この会場に居るのは、エルヴィンが手配した世話役たちを除けば皆、地位の高い者だ。
名だたる貴族、政界関係者、資産家、市井では誰もが羨む階級の者たちである。
年齢が若い者であれば、その家自慢の存在であることは間違いない。
特に少年少女は、こういった場で家の地位を高めることを主目的に据えられていた。
「あなたのひっどい口調を聞いてなお、結婚を迫る輩が減らないことが不思議だね」
何とかは七難隠すってやつかい?
ケラケラと笑うハンジに、鋭い一瞥だけを投げる。
「てめぇは同じネタの使い回しを止めたらどうだ?」
「や〜だねっ! こうやってリヴァイで遊べるのも今のうちだし」
軽快に笑う姿の中、驚くほど明晰な頭脳が回転していることを知る者はあまりいない。
ふと目線を奥へやれば、エルヴィンの邸の執事長が空気のように佇んでいた。
「エルヴィン様、そろそろ」
彼へ頷き、エルヴィンはハンジとリヴァイへ目配せを送る。
「さて、隠れているのも限界のようだ」
3人は軍で知り合い意気投合したクチで、同じ部隊にて生死を共にした戦友である。
それぞれに特定の分野で大成することに成功し、しかしこうした役割はまったくもって好きじゃない。
『こーんなことしてる暇があったら、新薬の臨床試験に立ち会いたいんだけど!』
とは、ハンジの言である。
『郵便で済ませたいところだね。誰も彼も話が長い』
とは、エルヴィンの言である。
そんな彼ら以上にこうした場所を嫌うのが、リヴァイだった。
オーケストラの指揮者は、邸の主の趣向をよぉく理解している。
ゆえに彼らの足が2階から繋がる階段へ1段下がったと見るや、流れるような指揮で曲調を変じさせた。
曲が替わったことで、今まで踊っていた者たちが一度捌ける。
「まあ、エルヴィン様だわ!」
「あれがハンジ社長か…」
このパーティの主催者の姿を捜していた者たちから、ざわめきが広がる。
そうしてさらに1人の姿を見つけて、女たちが色めき立つのだ。
「リヴァイ様…!」
「リヴァイ伯爵だ!」
前の2人に比べると小柄ではあるが、存在感は一級品。
不機嫌そうに細められた目線は、相手を物理的に射抜いてもおかしくはない。
人の流れが変わる。
良い歳をした女や、まだ男を知らぬ少女たちが互いを牽制し合う。
何を?
経歴も資産も地位も容姿も優れた男を落とす、手管の披露を…だ。
もちろん、金銭や名誉の意味で挨拶を交わしたい男たちもいる。
(気持ち悪ぃな、まったく)
リヴァイには傍迷惑な話だ。
「あ、あの、リヴァイ伯爵!」
牽制の刃を躱したらしい、若く美しい女がリヴァイの前に立った。
基本的にこういう場の女たちは踵の高い靴を履くので、リヴァイは相手を見上げなければならない。
「り、リヴァイ伯爵。わ、わたくし、xxx商会・xxxxの娘のxxxと申します!」
頬を上気させつっかえながらも良家の娘らしくしゃなりと挨拶する姿は、大抵の男には可愛らしいと映るはずだ。
しかし悲しいかな、そこにリヴァイは入らない。
この娘の親の顔と商売の内容は知っている、ゆえにリヴァイの口数はさらに減る。
「それで?」
一般人や兵士であればここで鼻白むか萎縮するのだが、生憎とそんな種類の人間はこの場にいない。
女は息を飲んだだけで、すぐに立ち直った。
「あの、わたくしと1曲踊って頂けませんか?」
「断る」
「…えっ?」
言い切ったと思った瞬間に返され、女はぽかんと相手を見つめた。
リヴァイは続ける。
「お前に限らず、俺は誰とも踊りゃしねえよ」
「そ、そんな…」
ならばなぜ、このような場に居るのか。
視線に篭ったそんな疑問を、口の端で嗤ってやった。
「はっ、何だ? てめぇは俺がここに居る理由も知らねえのか?」
「っ!」
「てめぇの父親には1度会ったことがあるぞ。そのときにそいつも知ったはずだがな」
女の頬に違う朱が走る。
なぜならここで、彼女は自ら恥を掻いてしまったのだから。
ふるふるとスカートを握り締める女の姿に、潮時かとエルヴィンが口を挟んだ。
「失礼、レディ。リヴァイは一風変わった嗜好の持ち主でね」
彼は貴女のように美しい女性よりもなお、花を愛しているのですよ。
それは、誠しやかに語られているだけの話である。
そのはずであった。
真実だなどと、己の美しさに自信を持つ彼女が考えるはずも無かった。
リヴァイはくるりと踵を返し、この家の執事が先に運び入れていた物の傍へ寄る。
会場中央、2階へ繋がる階段の手前。
真っ白なテーブルクロスに、金色をしたレースのクロスを掛けられた丸テーブル。
その上に置かれているものは、これまた真っ白な布が掛けられ中身はようとして知れない。
被せられた布をそぅっと手袋をした指先で撫で、リヴァイは先の女を眼差しで振り返ってやった。
「俺が踊る相手は、"コイツ"よりも華やかなヤツだけだ」
バサリ、と。
真っ白な布が取り払われた。
ベニシダ、ミモザアカシア、ブルビネラ、白のナデシコ、赤のミニバラ。
さらに上へ伸びるのはカラー、そしてオリーブの枝。
美しい等辺三角形を描く、それは華やかに飾られた花。
花器を下から照らすのは、小さなライトただ1つ。
天井のシャンデリアは変わらずきらびやかな光を落としているというのに、それは際立っていた。
ひたすらに麗らかに、それは華やかに。
女たちの意匠を凝らしたドレスの輝きを、嘲笑うかのように。
右手の手袋を外して、リヴァイは自らが飾り立てた花をやんわりと撫でた。
見る者が見れば閨の女に行う仕草であると知れる、それ。
しん、と静まり返った会場で、リヴァイは唇の端を吊り上げる。
「どうやら、今夜も俺の花(オンナ)の方が美しいようだな」
リヴァイ伯爵は、花を女のように愛している。
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2014.9.7(花愛でる伯爵)
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