サウィンの遺り火
(だから、また来年)
冬も間近にした空気が、しぃんと静寂を奏でる。
壁外調査の後始末を終えて久々に戻り、何とか及第点にまで掃除も済んだ。
すでに日も沈みつつある中、本部から持ってきた食材を適当に調理する。
窓からちらりと覗いた月は、山の端(は)に赤く細く在った。
「リヴァイ兵長」
食事を腹へ納め、食後の茶でも入れようとした頃。
耳障りの良いアルトが男を呼んだ。
手にした盆に湯気の立つカップを載せて、こちらを見つめている。
しばしじっと見つめ返して、ようやく男の唇が戦慄く。
「エレン」
相手は嬉しそうに、ふわりと笑った。
口をつけた紅茶は、自分で入れるものとはまた違う味。
「…何か入れたか?」
「いいえ?」
兵長、いつも聞いてきますよね。
やっぱり可笑しそうに笑う姿に、どこか安心して紅茶を飲み干す。
「悪くない」
感想を言ってやれば、また笑った。
盆に空のカップを載せて洗い場へ行こうとする背に手を伸ばし、後ろから抱き込む。
「兵長?」
不思議そうな声音は毎度のことで、盆を取り上げテーブルへ戻してしまう。
自分よりも薄い身体をさらに抱き寄せ、襟を引いて露わになった項へ口づけをひとつ。
「っ!」
息を呑む、その反応さえ愛おしかった。
「洗い物なんざ後で良い」
綺麗好きを通り越して潔癖気味の男を知っていれば、耳を疑いたくなる台詞だ。
そんな反論を返そうと動いた喉を撫で、腹へ回した腕はゆるりと臍のあたりをなぞる。
ピクリと身体を震わせ息を呑んだ相手に、音だけで笑った。
弱い場所なんて知り尽くしている。
なおも抵抗しようとするので、ベルトとズボンの間へ指を滑り込ませる。
「…っ! ここじゃ嫌です!」
喉を小さく震わせる相手の耳は、後ろから見ても赤い。
「初めからそう言え。強情っぱりが」
今度こそ、男は声に出して笑った。
男の執務机には、両手に収まる小さなカボチャがちょこんと鎮座していた。
「いつも思いますけど、似合わないですよね」
懐かしげに微笑む顔を見てしまえば、物言いへの不満など些細なものだと思える。
「今年のは綺麗だな…。彫ったのってアルミンですか?」
にんまり笑った顔のカボチャは、中に蝋燭が入っている。
まだ、火は着けられていない。
男はこれを渡されたときのことを思い出す。
「そうだな。根暗女がてめぇみたいで可愛いと言ったそれを、キノコ頭が彫っていた」
「…ちょっともう。そのあだ名、何なんですか」
「てめぇだって『死に急ぎ』だろうが」
そうですけど、と唇を尖らせた顔を引き寄せる。
「もう黙れ」
さらに続こうとした言葉を、自らの唇で塞いだ。
熱をもて余した身体は朱へ染まり、僅かに注ぐ月明かりに扇情的な姿を浮かび上げる。
「ん、はぁ…あ」
悩ましく漏れる吐息すら、取り込んでしまいたい。
半端に脱げた服に絡まる姿も目の保養だが、時間が惜しいとすべてを晒させる。
白い肌が汗でしっとりと濡れて、艶々と光っているようだ。
晒された肢体を恥じるように、金色の目が逸らされる。
「俺…ばっかり、いやです」
目を逸らしながらも指先は男のクラバットを引き、白布がしゅるりと解(ほど)かれた。
引き抜いたクラバットをしばし見つめ、何を思ったか口元まで引き寄せる。
「……おい」
音こそ布に吸い込まれたが、小さな口づけは十分に男を煽った。
金色は愉悦を湛え、にんまりと笑む。
「だから、俺ばっかりは、イヤです」
どうやら、理性を置いてこいと言っているらしい。
「…チッ、上等だ」
負けないくらいに人の悪い笑みを浮かべ、男は自分の衣服に手を掛ける。
ここまで欲を煽ってくる人間は、後にも先にも他に無い。
「ランプは消さねえぞ」
「んっ…は、い」
互いの身体へ余すところなく触れて、熱く硬い身体の芯を擦り合わせる。
にちゃりと水音が聴こえる頃には、押し殺されていた嬌声が抑え切れずに漏れ出した。
「…や、ァアッ! ん…ッ、」
相変わらず、この声は麻薬のようだ。
ひとたび聞けば、もっと、もっとと攻め立ててしまう。
「あ、はぅ…っ、や、イク…っ!」
「良いぞ。イっちまえ」
「ひゃ、あ、アァア…ッ!」
絶頂を訴える声が脳を甘く痺れさせ、ただただ、貫きたいという雄の本能に支配されていく。
「ちゃんと最後まで付き合えよ?」
なあ、エレンよ。
意地悪く耳許で囁けば、潤みとろけた金色が鮮やかに嘲笑った。
相手の呼吸すら奪うように睦み合った。
シーツを乱す前、まだ空は断末魔のような赤を残していたというのに。
今はもう、空にあるのは輝きを失いつつある星。
もぞりと腕の中で身動ぎした相手を、ぎゅぅと抱き寄せた。
(…あったけぇな)
生き物の体温、心地好い声音、ただひとつだけ足りなくても。
「他には…何もいらねえ…」
要らない、必要ない。
それ以外のものなんて、何ひとつも。
「だめですよ、へいちょう」
囲う腕から逃れ、身を起こす。
暖を取るための毛布が肩からずり落ち、ランプの灯りに上半身が浮かび上がった。
その指先が、するりと心の臓へ置かれる。
「これは全部、先輩方の借り物ですから」
温かい体温も、
血の通う肌も、
アルトの声も、
瞳の光も、
「俺が持っているのは、この姿だけですよ」
温度があっても、
(こんな色の肌じゃあ駄目だしね)
肌の色があっても、
(肌色だけあっても意味な…ガチッ)
声だけあっても、
(声って結構大事だろうしな)
目だけ生きていても、
(お前が一番綺麗だっただろ?)
夜が明ける前に、行かないと。
先程までその身体を掴まえていたはずの腕が、ぽとりとシーツへ沈んだ。
(前も、そうだった)
二度と離したくないのに。
どれだけ願っても、身体が、意識が闇に攫われていく。
「エ、レン」
溺れるように薄れる意識を繋ぎ止め、開いた口からは愛しい名前。
それに嬉しそうに笑う相手が、ただそこに居てくれるだけで良いのに。
くすりと小さな笑みを零した唇が、冷たい口づけを齎す。
「俺、もう行きますね」
リヴァイ兵長。
凍えるような指先がそろりと頬を撫で、離れていった。
衣擦れの音と共に、白い肌が衣服に覆われていく。
その身に付けた無数の跡は、青白く変わり始めた肌の上では傷跡のように。
「エ…レ、ン」
シュッ、と小さな音の後に、ボッと燃える音。
ランプの灯りがカチリと消されて、かぼちゃの造形がぼわりと浮いた。
ぼんやりと照らされた中、ふぅわりと柔らかな笑みを。
「また来年逢いましょう? リヴァイ兵長」
冷えた空気はからりと乾いて、朝日はぬくもりを抱えている。
だのに胸に宿るのは、重く淀むくらいに押し込んだ感情。
そうでもしなければ、もう立てない。
力任せに掴んだシーツが、大きな皺を寄せる。
「エレン…」
握り込んだ拳は白く、それでも彼の肌色よりも色味があった。
頬を流れ落ちるものが何か、考えることを辞めて久しい。
「エレン」
日の差すベッドに他の影は無く、ひたひたと虚ろが押し寄せる。
美しい瞳があっても、
心地よい声音があっても、
きれいな肌があっても、
温かい体温があっても、
そこに心臓の鼓動だけが、無い。
机の上の、燃え止しのマッチ。
1本だけ減った、マッチ箱。
無くなっている、カボチャのランタン。
ここに居たはずの痕跡など、そんな曖昧なものばかりで。
『 また 来年 』
1年経った。
(そしてまた、)
1年、死ねない。
(1年生きたら、また逢いに来てくれるんだろう…?)
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2014.11.1
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