愛しき駒よ

(1.その男は、軍の中枢に居た)




ドガァンッ!!

おそらくは、そんな音を上げたのだろう。
リヴァイの軽い身体は見事に吹っ飛び、壁の柱へ激突した。
なぜ?
そんなもの、決まっている。

この男を狙ったからだ。

恐ろしく値段の張るであろうストライプの入ったダークグレイのスーツは、男の優美な身体をあまりに巧く魅せる。
すらりと長い足は、鋼鉄かと思わせる破壊力を持ってリヴァイの肋を砕いた。
黒い手袋に覆われた指先が、勲章こそ無いが明らかな地位を示すジャケットを払う。

「…あ? ガキ?」

パラパラと何かの破片が降ってくる、壁の破片か。
コツン、と目の前で足音がする。
全気力を集めても半分しか開かない目は、片方だけ。
「ったく、警備ザルになってんじゃねーの?」
ぐい、と磨き上げられた靴先で顎を上向けられる。
「…誰の頼みかって訊いても、お前から出てくるとしたら末端だもんなあ」
使えねえ。
吐き捨て立ち去ると思われた男は、手袋が汚れることも構わずリヴァイの前髪を掴み上げた。
間近に映った金色に、目が眩む。
「お前、親の名前分かるか?」
「……ーー」
「もう1人は?」
「…ーー」
チッ、と舌打ちが聞こえた。
髪から手が離れたと思えば、次には力任せに襟ぐりを掴まれ首が締まる。
「う、ぐっ」
苦しい、息が出来ない。
掴まれたシャツに全体重が掛かって、気が遠くなる。
「エレン様?!」
「エレン様、その子どもはいったい?!」
リヴァイを掴み上げている男は、エレンという名前らしい。
たが意識を飛ばしかけているリヴァイには聞こえなかった。

「うるせぇよ。さっさと廊下片付けろ」

エレンが告げれば、よく躾られた兵士たちは機敏に動き出す。
すると、向こうからよく知る人間がやって来た。
「っ、おいジャン!」
苛立ちのままに相手を呼べば、向こうもあからさまに嫌そうな顔をした。
「なんだよ、機嫌最悪じゃねーか!」
「当たり前だろ! 俺のお気に入りの会議室に侵入者だぞ?!」
「っ、なんだって?!」
さすがのジャンも口を噤む。
そこで彼はエレンが左手に掴むモノに目を向けた。
「おい、侵入者って…ソレか?」
この会話の間、エレンの足は目的地へと止まることはない。
ジャンは彼に合わせて歩いている。
どちらにせよ護衛は必要だ、この男には。
「…心当たりでもあんのか?」
「吐かせた」
「へえ」
行き先に察しのついたジャンは、歩く速度を落とした。
「警備の方行ってくるわ」
「ああ。ミカサに伝えんの忘れんなよ」
「わぁーてるよ」
ジャンの足音が後ろへ遠退く。

目指す扉にはすぐ着いた。
鍵が掛かっていないことを知っているエレンは、ノックなどせず扉を遠慮なく蹴り開ける。
バァン! と悲鳴を上げた扉に、中の住人はナイフを磨く手を止めて物珍しげにエレンを見遣った。
「おーおー、熱烈だねえ。てめぇがここに来るなんざ」
「言ってろ、糞ケニー」
吐き捨て、エレンは左手に下げていたものを思い切りぶん投げた。
座る椅子を傾けてそれの直撃を避け、ケニーと呼ばれた男はぶん投げられたものを振り返り首を捻る。
「おいおい、何だありゃあ?」
見る先にあるのは簡素なベッドと、先ほど放り投げられたモノだ。

エレンの手に吊り下げられていたリヴァイは硬めの何かに打ち付けられてバウンドし、息を吹き返した。
「っ、ぐ、ゲホッ、ケホッ」
この手触りは、おそらくシーツだ。
打ち付けられた衝撃で、忘れていた痛みが再発する。
白いシーツが咳と一緒に出る血で汚れていった。

開ききった扉に寄り掛かり、エレンは手を叩(はた)くと腕を組んだ。
金色の目を眇め、これ見よがしに告げてやる。
「お前のガキだとよ」
「…あんだって?」
ケニーは薄汚い子どもをまじまじと見つめてみた。
「俺のガキ、ねえ?」
「母親の名前は『ーーー』だってさ。昔イイ女が居たって騒いでた名前だろ」
「おお、アイツはイイ女だったぞ! つっても、10年以上前の話じゃねーか」
「10年以上前だからそこに居んじゃねーの?」
面倒だという感情を隠しもせず、エレンは踵を返そうとする。
ケニーは立ち上がるとその細い腕を取った。
細いとは言っても、ケニーに比べてという注釈が付くが。
「…なに」
「久々にてめぇから来てくれたってのに、ツレねえぜ? エレン」
胡乱な目でケニーを見上げ、エレンは掴まれた腕を振り払う。
「お前は暇で有難い職業だけどな、俺は糞みてぇに忙しいんだよ!」
お前のガキのせいで会議室は使えないし!
ギリギリと噛み締められた歯が鳴っている。
相当に苛ついているようだ。
「お前のガキなんだから、お前が何とかしろよ!」
置き土産の言葉を残して、エレンは今度こそ部屋を後にした。

嵐のように居なくなってしまったエレンを見送り、ケニーはさて、と先程放り投げられたモノを振り返る。
「あーあー、きったねぇなあ」
そこそこの寝心地を提供してくれるベッドが、血で斑だ。
倒れ込んだまま睨み付けてくる子どもを観察し、ふむと頷く。
「まあ確かに、顔立ちはアイツに似てるか」
ベッドに腰掛け、どうしたものかと考える。
「……は、」
子どもから荒く吐かれる息の合間に、音があった。
「あぁ?」
腕に力を入れ身を起こそうとした子どもは、またべしゃりと潰れた。
視線はケニーから開きっぱなしの扉へ移っている。

「あれ、が、…ブリリアント・ムーブ?」

リヴァイがそれなりの報酬で受けた依頼は、『至高の一手(ブリリアント・ムーブ)』と呼ばれる男に致命傷を与えること。
殺せ、ではない辺りに、依頼主の打算が透けて見える。
「なあ、ガキ。『至高の一手』の意味は知ってっか?」
ガキじゃねえ、と返しながら、リヴァイは唸る。
「ただの…二つ名、だろう、が」
もう一度大きく咳き込んで、ようやく呼吸が楽になった。
はっ、とケニーは鼻で笑う。
「知らねぇヤツはそう言うんだな、これが。だがアイツの恐さはそこじゃねーんだよ」
で、だ。
シーツを汚してくれた子どもを、ケニーは手荒に掴み上げた。
「ガキよ、死ぬ気で生きるのと今すぐ死ぬの、どっちが好みだ?」
獲物をいたぶる獣の笑みで問いながら。



端的に言ってしまうと、リヴァイはあれから地獄のような日々だ。
怪我が酷くならない瀬戸際における筋力トレーニングと体術基礎に始まり、ドクターストップが掛かれば大量の本を積まれて勉学に切り替わる。
血の気が失せたり昏倒して倒れるなんてしょっちゅうで、医務局の常連になった。
ケニーは突然居なくなるので、そんなときは軍の特殊部隊だという連中の訓練に混ぜてもらう。
そこでハンジという人間とウマが合った。
女だか男だか分からない上に話し始めると鉄砲玉のように止まらないが、観察眼がずば抜けている。

訓練の休憩に入り、手頃な木によじ登って息を吐いた。
断りもなく、隣にハンジが登ってくる。
「リヴァイってさあ、あのケニー遊撃隊長の息子なんだよねえ?」
「母親は写真なんか持ってなかったし、名前がそうだったってだけだが」
リヴァイはこっそりと眉を顰めた。
(遊撃隊長なんて肩書き、初めて聞いたが)
ハンジはククク、と肩を震わせる。
「いやいや、そっくりだよ! 特に目付き!」
そんなことを言って納得する輩は多い。
だがそれでハンジに笑われることは気に食わなかったので、蹴りを入れておく。
「おい、そこの新兵! そろそろ支度を始めろ!」
行儀よく返事をしたハンジが、声を投げてきた班長へ疑問を投げ返す。
「リヴァイの分もうちと一緒で良いんですかー?」
「それで良い。ケニー隊長からも聞いているからな、連れて行ってやれ」
「はーい!」
ほら行くよ、と彼女…女ということにしておこう…は先に飛び降りるとリヴァイを急かした。
何のことやら判らない。
「支度って何のことだ?」
彼女について走りながら問う。
「リヴァイも知ってるよね? 5年前に休戦協定結んだ西のシーナ」
「ああ」
最近、国境線付近でちょっかいを掛けてきていると聞く。
それでこちらに負傷者が出ている、とも。
「宣戦布告してきたらしいんだ。たぶん、それの正式な通達がある」
「!」
ゆえに隊長たち幹部クラスだけでなく、自分たちのような下っ端に至るまでが召集を受けているのだと。
ハンジはなぜかワクワクとした様子だった。
「…なに浮かれてやがる?」
「だって! こういうときでもないとお目に掛かれないんだよ!」

あの『至高の一手(ブリリアント・ムーブ)』に!

「…なんだと?」
声は掠れていたかもしれない。
ハンジは自身の興奮で気づいていないだろうが。
「リヴァイは会ったことある? 私はないなあ! 遠くから見掛けたことはあるよ!」
彫像みたいに綺麗な人だよねえ、男だけど!
言葉が止まらぬハンジは、ただ語りたいだけだろう。
リヴァイの様子など気にもしない。
「…そいつが何だってんだ」
そういえばケニーにしごかれ始めて数日の頃、彼が暢気な口調で言っていたか。
(俺の侵入を足掛かりに、同じ貴族の豚が殺し屋みてぇなのを送り込んだとか)
「ほらリヴァイ、こっち! あなた軍服貰ってないでしょ?」
兵舎に着くと、多くの兵士が行き交い酷い混雑だ。
ハンジはリヴァイを兵舎の一角へ連れていき、中へ声を投げる。
「ハンナー! いるー?!」
リヴァイが部屋を覗くと、そこは兵舎にあるにも関わらず仕立て屋のように見受けられた。
いくつも部屋を仕切るドレープカーテンの向こうで、人影が手を上げる。
「はーい! って、ハンジ? どしたの?」
1人の女性が顔を出し、目を丸くした。
ハンジはリヴァイを指差しながら続ける。
「こいつリヴァイって言うんだけど、まだ軍服貰ってないんだ。だからサイズ合うやつ見繕ってやってよ!」
私も着替えたら迎えに来るから!
言うなりハンジはリヴァイを部屋へ押し込み、自分は踵を返してどこかへ走り去って行った。
「リヴァイ君、早くこっち!」
リヴァイの頭の中は、基本がクエスチョンマークだ。
ハンナと呼ばれた女性に応じてそちらへ行けば、彼女は手にしたメジャーで手早くリヴァイの身体を測っていく。
身の丈、肩幅、腕の長さ、胴回り、等々。
リヴァイが目を瞬かせている間にそれは終わり、カーテンの向こうへ引っ込んだハンナは衣服一式を手に戻ってくる。
「はい、これ! 着方分かる?」
「シャツとズボン以外は分からん」
タイも飾りボタンのあるコートも、見たことはあれど触れることすら初めてだ。
ハンナは馬鹿にするでもなく、カーテンの一角を示す。
「じゃ、シャツとズボン着たら教えて。他は私がやるから」
時間もないんだし、ね?
そう朗らかに言われてしまえば、断る理由を探す方が難しい。

慣れぬ服に行動を制限されつつ廊下に出れば、ちょうどハンジが駆けてきた。
深みのある青に金のボタンで統一された軍服を纏う彼女は、眼鏡もあって知的なイメージを抱かせる。
(…気のせいだろ)
リヴァイが失礼なことを考えているなどハンジは知らず、彼の格好におや、と驚きを顔に出した。
「リヴァイってイケメンだったんだねえ…」
「あ?」
リヴァイの服も、ハンジと同じものだ。
「そういう格好してたらカッコいいじゃん! って話だよ」
「寝ぼけてんのか?」
「褒めたのに失礼な!」
2人で兵舎を飛び出し、この国の中枢にもっとも近い演習場へと走った。
まだ各部隊の整列中で、今度は人の波の中央へと飛び込む。
「特殊部隊と遊撃部隊って中央列なんだよね〜。すんごい目立つから、遅れるとほんとヤバいんだよ!」
人の波をかき分け、ようやく訓練で見たことのある顔ぶれが見えた。
そのときリヴァイの頭がガッと鷲掴みにされ、痛みに呻く。
「よお、チビ。ここに来れるたぁ運が良いなあ」
ケニーだ。
しかしリヴァイの知る彼とはまったく服装が違う。
「あー! ケニー遊撃隊長だ、ホンモノ!!」
またハンジが喚いている、煩い。
ケニーの纏う真っ黒なロングコートの下で、仕込まれたものが微かな音を上げ擦れている。
真っ赤なシャツは他の通常軍服とは一線を画し、この国の兵士ならば誰もが装備する武器が腰の部分で際立っていた。
「そっちの眼鏡のチビっこ。いつもこのチビが世話になってるな」
「なってねえよ!」
ハンジに向かってそんなことを言うケニーに噛みつくが、彼にとってリヴァイの抵抗は無いも同じだ。
ケニーは掴んだリヴァイの頭をぐりぐりと弄る。
「まだ戦場に出れねえチビどもは、イイ子で並んでろ」
彼は立ち上がると他の黒服たちの方へ消えた。
他に黒い軍服の者は見当たらず、あれが遊撃部隊にのみ許された色なのだと気づく。
「リヴァイ、こっち!」
ハンジに呼ばれ、今自分が着ている青い軍服と同じ物を纏う列へ並ぶ。
青の軍服も、他には見当たらない。
(特殊部隊と遊撃部隊は特別なのか…?)
一番多いのは、丈の短いカーキのジャケットに白いズボンの兵士だ。
だが同じカーキのジャケットでも、リヴァイを含めたほとんどの兵士たちと向かい合う形で立つ、前方少数の兵士たちは違う。
(翼のエンブレム…?)
中央に据えられた雛壇に沿って並ぶ兵士のジャケットには、紺と白の重ね翼が描かれていた。
不意に、彼らがこちらから壇上へ身体を向ける。
「!」
緊張の糸が、こちらまで一気に伝わった。

カツン、と控えめな靴音。
背が低く周りに埋もれてしまっているリヴァイとハンジにも見える位置に、1人の男が立つ。
(あいつだ…!)
その手にした剣が、ガッと音高く地を叩いた。
しん、と静寂が広がる。
僅かな間を置き、改めて自己紹介するものでもないが、と若く涼やかな声が響いた。

「軍部実働部隊、総司令のエレン・イェーガーだ。諸君らも、この召集の意味を薄々悟っていることと思う」

何百もの兵士を睥睨する金色の眼は、知能の高い肉食獣を思わせる。
「西のシーナが最後通牒を突きつけてきた。あちらの望みはこの国、ローゼ・マリアの肥沃な土地だ。
国境線の後退、職人の移住、その他諸々。こちらが頷く筈もない条件をつらつらと書いてきた」
全文は各部隊隊長に渡してある、と彼は続けた。
「開戦は最速で7日後だ。ゆえに諸君らには、これから3日の内に覚悟を決めてもらう」
覚悟? 何のことだ?
リヴァイが感じた疑問は隣のハンジも感じたようで、周りを視線で探れば年若い者が戸惑っている様子が垣間見えた。
遠目にも、男が唇の端を吊り上げたのが分かる。

「ひと度戦いが始まれば…お前らは誰1人として例外無く、俺の手駒となる」

男の口調が崩れた。
「大多数はポーンだが、中にはルーク、ナイト、ビショップとなる者も居るだろう」
もちろん、キングとクイーンも存在する。
(駒…)
はっきりと言ってくれるものだ。
けれどその物言いは正しいものだと、リヴァイは胸の内だけで頷いた。
(兵士、部下、手下…。集団があれば、それは纏める者の駒に違いない)
かくいうリヴァイも『駒』だった。
己を金の力で手駒とした男は、もう生きてはいないだろうが。

「最前線で剣を振るうお前たちには理不尽だろうが、国家の戦争は目の前を見ているだけでは勝てない」

誰かがぐっと言葉を飲み込んだ。
「目の前で倒れる同志も、罠に嵌められた友軍も、それを1つの事象として捉えて、次の指示を出す者が必要だ」
それは、誰かがやらなくてはならない。
「だが1つ、覚えていてもらおう。俺は『指し手(プレイヤー)』であり、ポーンは最強の駒であると」
この国の軍は、他国から見ると些か変わったものが第一に優先されている。
(『生還』こそが、最高の栄誉であると)
面白いよねえ、とハンジが笑っていた。
「ポーンは敵陣で最強のクイーンへ成ることが出来る。けれどその成果も、生きていなければ意味は無い」
這い蹲ってでも。
捕虜になってでも。
どんなに無様でも生還した者が、この国では『正義』だ。
金の眼差しが細められ、ともすれば酷薄な印象を与える笑みが兵士のすべてを捉えにくる。

「『指し手』の一手を左右するのは、駒の持ち帰る"情報"だ。
お前たちの行動すべてが、指し手たる俺の指先に影響を与えると記憶に刻みつけておけ」

そして今話したことを一字一句逃さず、お前たちそれぞれの帰りを待つ者へ伝えるが良い。
3日の内に、同意を得て戻ってこい。
「同意を得られなかった者は、国内の軍備へ回る。前例はあるし、誰も嘯く暇なんぞねえから安心しろ」
何か質問はあるか? と酷薄な笑みのまま、彼は兵士たちを見下ろす。
(なんだ、こいつ…)
リヴァイは背筋にぞわぞわとしたものが這い上がるのを、止められなかった。
生還は正義、死は栄誉。
自分が生きてきた国の中央は、歪んでいるのかマトモなのか。
ふと、男が視線を脇へ逸らした。
「…また出てきたのか、じゃじゃ馬め」
風に乗った悪態に、兵士たちがざわめく。
「お、おい、」
「あれって…!」
大きくなったざわめきに前を見れば、エレンに手を貸され壇上へ登る影がひとつ。
ハンジがあんぐりと口を開けた。

「ヒストリア王女殿下?!」

エレンよりも背の低い、金髪に青い眼の少女。
その可憐さは国一番だけではなく、あらゆる諸外国を含めても他にないと評判だ。
こんなにも近くで見(まみ)えるのは初めてである大半の兵士たちは、女神と称される存在に動揺を抑えられない。
「エレンはいつも、こういうときに私を呼んでくれない」
その所為よ、と王女は澄ました顔で告げた。
エレンは呆れたように軽く肩を竦め、壇上の中央を彼女へ譲る。
王女はドレスの裾を正し、先の男のように青い眼で兵士たちを見下ろした。
その眼光は男のものと似て鋭く、女神だ…等と現を抜かしていた者たちは、一気に現実へ引き戻される。

「シーナは、私の母の故郷だった」
見た目よりも強い声が、そう語り出した。
「けれどそれも、昔の話。母は死んだし、シーナに縁(ゆかり)のあった縁者は誰も居ない」
軽く伏せられた眼(まなこ)には、しおらしさよりも怒りに近い色が窺える。
「ローゼ・マリアは戦争を望まない。平和こそを尊ぶ。けれど、侵略は決して赦さない」
どことなく、彼女は総司令の男と容貌が似ていた。
「ゆえにひとつ、剣を手にするあなた方へ告げよう」
薔薇の花弁のような唇がそう続けたなら、次には激励があるのだろうと誰もが考える。
しかし違った。
先程の、兵士は駒だと言い放った男と同じように。

「断頭台で死にたくなければ、エレンの手を煩わせないことね」

貴族の豚の何人かは、すでに断頭台送りにしたけれど、と。
ちらと微笑みもせず、大陸一の美少女は真顔でそう言い放った。
以前にも戦争に出たことのある者以外が、自身の耳の調子を疑うくらいには。
「ぐっふ…!」
横から変な声がしてリヴァイがそちらを見れば、ハンジが両手で自分の口を抑えて笑いを堪えている。
「おい、ヒストリア。今回初陣の奴らが戸惑ってるだろ」
せっかく可愛い顔してんのに、それが台無しになるようなこと言うなよ。
ずっと呆れたような顔をしていたエレンがヒストリアを諭す。
だが、王女にダメージは無い。
「容姿があるから効くんでしょう?」
エレンも美人だから、他のヤツより凄みがあるの、なんて言ってのけて。
ほとんどの兵士が呆気に取られたまま、王女が去っていくのを見送っていた。
笑いを堪えているのは、あの姿を知っているベテラン勢なのだろう。
また壇上の中央へ戻って、エレンは溜め息に近いものを吐いた。
「知らねえ奴に説明しておくと、俺とヒストリアは同い年の再従兄弟(はとこ)だ」



リヴァイとハンジは、書類申請上で15歳。
この国では17歳にならなければ兵士として国外へは出られず、2人は国内の軍備へ回された。
ゆえに、他と同じ通常軍服だ。
揃って国内の、それも王城の警備に回されて、目を回していたのは何もハンジだけではない。
「えっ? 何で私らが城の警備?」
って、すっげこの部屋! 狙撃されないように窓が斜めになってる!
疑問を持ちながらも、彼女は持ち前の好奇心で先輩兵士に連れられた先で騒ぐ。
騒ぎながらもその観察力は確かで、先輩兵士も静かにと注意はすれど黙れと命じることはない。
2階、大階段に繋がる広間へ戻ってきたところで、さっと先輩兵士が身体を固くした。
「壁際に寄って敬礼しろ」
彼に倣い2人が壁に沿ったところで、1階から登ってくる人影があった。
その人物はリヴァイに気づくなり、にやりと人相の悪い笑みに変わる。
「チビじゃねえか。城内配置たあツイてるな」
遊撃部隊隊長としてのケニーだ、リヴァイの眉間に皺が寄った。
そんなものは見えないとばかりに、ケニーは敬礼を返す先輩兵士とハンジに軽く手を上げる。
苛立ちに逸らしたリヴァイの目の端。
3階から降りてくる複数名が映り、意図せず目を見開いた。

「ケニー、早かったな」

エレン・イェーガーだ。
その1歩前と後ろには、翼のエンブレムのある軍服の兵士が2人。
「特殊部隊んとこは編成に手間取って遅れるとさ」
「分かった。じゃあお前の方だけ先にやるぞ」
光を映し込む美しい金は、リヴァイは愚か先輩兵士すら映さずに。
金の刺繍の施された上質な黒のコートを翻し、エレン・イェーガーはケニーを伴い広間の向こう側へと去っていった。

彼らの姿が完全に見えなくなってから、緊張するなあ、と先輩兵士は敬礼を崩す。
「あの人は目力が凄いな、ほんと」
あの眼で正面から見つめられたら、見えないはずの奥底まで見透かされそうだ。
ハンジもうんうんと頷く。
「エレン司令とお近づきになるには、武勲上げるしかないのかなあ? …って、リヴァイ?」
どしたの? 怖い顔して。
問われたリヴァイは別に、と返すのみだ。
視線はエレンとケニーの去った方向に据えられたまま。

自身の内側で蠢く不快感に、リヴァイは眉間の皺を深めた。
(…チッ、何だ? これは)
"あのとき"に見た金の眼は、瞳の奥に焼き付いてフラッシュバックするというのに。
(あいつは、俺なんか覚えちゃいねぇんだろう)
命を狙われたり、脅しを掛けられることは日常茶飯事に違いない。
だがわざわざケニーの元へ引き摺られたのだから、リヴァイはエレンの何かしらの琴線には触れたはずだった。
そこまで思考を連ねて、舌打ちが出る。

(『俺』じゃねえ)

リヴァイの舌打ちを見咎め、ハンジが肩を竦めた。
「もー、リヴァイ! せっかくの城内配置がフイになっちゃうよ!」
「…解ってる」
渋々と元から判別し難い表情を戻して、リヴァイはひっそりと奥歯を噛み締めた。
(俺じゃねえ。あいつが気に掛けたのはケニーだ)
リヴァイがケニーに似ていたから、あの男はリヴァイを放置せず引き摺っていったのだ。
侵入者など部下に始末させてしまえば良かったものを。
つまりケニーが彼の懐に居なければ、リヴァイは今この場に居ることもなかったのだ。

ぞわり、と。
リヴァイの身の内から、黒く混濁した何かが溢れ出る。
(気に食わねえ)
何が?
(あの目がこちらを向かないことが)
どうして?
(……欲しいから)
何が?
(あの男が)
野心というにはどす黒く、恋慕というには酷い飢餓感。
生まれて初めて湧いた、生への渇望以外の執着。
それはすでに、本来の形を覚えちゃいなかった。

(エレン・イェーガーが、欲しい)
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2014.12.30(愛しき駒よ)

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