リキャスト

2.




闇を塗り込めたような漆黒の6枚羽は、まるでルシフェルの6枚羽の合わせ鏡だ。
「サンダルフォンさん、サンダルフォンさんの羽は…?」
彼の、鷲によく似た力強い翼が、何処にも無い。
ルリアの震える声に目を凝らせば、黒い翼の他には本当に見えない。
陽光を受けて艶やかな虹色を纏う黒は、ベリアルの羽とも対照的だった。
「昔話、だと」
ルシフェルはおそらく、カナンで奇襲を受けたときよりも衝撃を受けている。
それをじっくりと堪能しながら、ベリアルは話を続けた。
「そうさ。アンタがカナンで、サンディを大事に大事に囲っていた頃の話さ」
他の誰にも見せなかった。
見せる必要性もなかったが、ベリアルが近くに居ればわざわざ羽で囲って彼の姿を隠していた。

「なあ、天司長ルシフェル。あの頃のアンタのサンディに対する扱いは、愛玩と何が違う?」

愛玩。
かつてルシファーにも言われた言葉だ。
サンダルフォンを不要だと言った、その口で。
『愛玩用に飼っても良いがな』
「な、にを」
「愛玩ってのはな、平たく言うと手元に置いて可愛がるって意味だ。アンタが中庭でサンディと過ごしてたのも、同じだろう?」
中庭で共に珈琲を飲み、他愛ない話をし、一時を過ごす。
サンダルフォンは中庭と自室、定期検診を受ける研究所の一角以外には行けなかった。
「アンタの手の届く範囲でだけ過ごさせ、役割を与えず、ただ自分がサンディに会いに来るのをひたすらに待たせ続ける。
愛玩動物と何が違うんだ? なあ、天司長」
悪意ある言葉だ。
何の意図もせずとも、ベリアルは相手を効果的に抉る言葉を吐ける。
「…なぜ、君がそのようなことまで知っている?」
少なくとも珈琲は、ルシフェルとサンダルフォンの間にしか存在しなかった。
ベリアルはくつくつと嗤う。
「サンディのことなら何でも知ってるぜ?」
彼の腰に回している掌で、わざと婀娜っぽくその柳腰を撫でた。

「記憶の一欠片、内側(なか)の粘膜の熱さまで、な」

あまりにも下劣な表現だった。
グランを含めたグランサイファーの乗組員が、一斉に武器を向ける程に。
「アイツ…っ、何てことを!」
「あんの野郎! 言って良いことと悪いことの区別もねぇのか?!」
サンダルフォンの人権が、著しく損なわれていく。
それが目に見えて、悔しくて悔しくて仕方がない。
散々お人好しだと言われ続けてきたが、さすがのグランも怒りで目の前が赤くなりそうだ。
「…っ?!」
瞬間、ゾワ、と凄まじい悪寒に誰もが凍りついた。
頭に昇っていた血が音を立てて引いていく。
「ル、ルシフェル…?」

グランサイファーの者たちが恐怖で凍りついているなど、ルシフェルには些細な事だった。
強すぎる怒りにエーテルの制御が外れかけ、『空』が揺れている。
「…貴様、その下劣な口を今すぐ閉じてもらおうか」
温度を失った声は、それだけで威圧を増す。
これまた初めて見る天司長の姿に、ベリアルは興奮を隠そうともしない。
ああ可笑しい! と腹を抱えたくなる。
「なんだよ、天司長! アンタそんだけ怒れるんなら、ファーさんにそう言ってやりゃ良かったんだよ」
そうすれば、ルシファーとて1日や2日なら待ったであろうに。
「ファーさんは無駄が嫌いだ。アンタだって知ってただろ?」
まさか自分が『空』の世界の視察へ赴いている間にサンダルフォンが消えるとは、思ってもみなかった?
「そーゆーの、油断って言うんだぜ。今更だけどなぁ」
消えたサンダルフォンにルシフェルが次に見(まみ)えたのは、星晶獣と一部の天司が叛乱を起こした現場だった。
だからルシフェルは、彼が自らの意思でルシフェルの元から居なくなったのだと思っていた。
そんなこと、出来るはずもなかったのに。
「まさか、」
当時はサンダルフォンの戦闘能力を測ってはいなかったが、彼は手強かった。
四大天司では相手にならず、ルシフェルは自らの手で、剣で、彼をパンデモニウムへ落とすしかなかった。
けれど。
(それもすべて、友の思惑だと言うのか)
未だ額を抑え俯いているサンダルフォンが、ぽつりと零した。

「…ナンセンスだ」

サンダルフォンとベリアルの背後に、ミカエルとウリエルが顕現する。
「ベリアル! 貴様、どこまでも小賢しい奴だ!」
「さっさとご退場願おうか」
正面にはガブリエルとラファエルが。
「おっと、四大天司のお出ましか」
余裕を崩さぬベリアルを睨み据えたルシフェルの手元に、光球が生まれる。
「ベリアル。サンダルフォンを返してもらおう」
話はすべて、彼を取り戻してからだ。
四大天司がそれぞれの元素を制御し、ルシフェルがエーテルを制御する中では転移も出来まい。

「ダメです…ダメですよ…!」
茨の隙間から事を見守るしか無いグランサイファーで、ルリアが声を震わせた。
「ルリア…?」
彼女は星晶獣の『声』を聴く。
いつだったかサンダルフォンの声も聴いていた。
「ルリア、何か聞こえてるの?」
グランの問いを聞く余裕すらないのか、青褪めてしまった唇で彼女は叫んだ。
ルシフェルとサンダルフォンを見つめて。

「それじゃあ、サンダルフォンさんは戻って来ません…!」

叫びは、掻き消された。

「アイン・ソフ・オウル!」

閃いた光剣は天司たちの翼を貫き中空へ縫い留め、グランサイファーはまたも余波で大きく揺れた。
「サンダルフォン…っ?!」
光剣の突き立った翼は、動かそうとすれば激痛が走る。
まるで、彼に翼を奪われた光景の再来のように。
「っ、サンダルフォン、貴様っ!!」
ミカエルが吼えるが、サンダルフォンはルシフェルだけを見ていた。

「…愛してましたよ、ルシフェル様。俺はあの日まで、確かにアンタを愛してた」

ルシフェルはただ、サンダルフォンを見つめ返すしか出来ない。
「でもあのとき、俺を破棄するとあの人が言ったとき、アンタは何も言わなかった。だから、」
サンダルフォンの声から、抑揚が消える。

「だから俺は、アンタに愛されることを諦めた」

役割のない天司は、そもそもの存在価値が無い。
天司とは、役割を担うために生み出されるものだからだ。
しかしサンダルフォンの役割は、長いこと不明にされていた。
思えばルシファーは、その間にスペアが必要となる確率を計算していたのだろう。
「不用品が破棄されることは当然だ。アンタが捨てたものだ、誰が拾ったってアンタには関係ないだろう」
止めて、止めて、とルリアは茨の内側で涙を流す。
「止めてください、サンダルフォンさん…! 捨てられてなんかない、愛されてるんです! 貴方は無価値なんかじゃないんです!!」
幾ら叫んでも、もうその声は届かない。
「俺を再利用したのが、俺の破棄を命じたあの人だったというだけだ。それだけの話だろう」

ルシフェルはようやく、己の思い違いを悟った。
「サンダルフォン」
研究所の中庭で、共に珈琲を嗜んだ。
彼と2人きりの空間で密やかな時間を過ごすことこそ、ルシフェルの安寧であった。
役割が欲しいと嘆くサンダルフォンの憂いを取り除くために、心配は要らないとその都度伝え続けてきた。
けれどそれは、彼の望む答えだったのだろうか?
否、サンダルフォンの求める答えを、ルシフェルは一度だって渡したことなどなかったのだ。

「ルシファー様は、俺の役割を再定義した。役割もなく無為に過ごしてきた俺にとって、それは幸福以外の何者でもなかった」

『天司長のスペア』であったサンダルフォンは破棄された。
『ルシフェルの造った天司』は、ルシファーの手により造り換えられた。
『スペア』は二千年も過ぎてから図らずも担った役割であったが、それも遂行した。
ーーーならば今、ここに居るのは?
ベリアルの左手が、後ろからサンダルフォンの目を覆い隠す。

「俺と同じ、ルシファー直属の堕天使サンダルフォンだよ」

絶望とは、天司長からもっとも遠い言葉だったろう。
それがどうだ。
目を見開き呆然とする顔が、サンダルフォンただ1人に対して、ここまで。
「イイねえ、その顔! 思わずイっちまうところだったぜ」
その勢いで堕天してくれねえかなあ、なんて思いながら、ベリアルはこれ見よがしにサンダルフォンへ顔を寄せ、囁いた。
「もう良いだろう? サンディ。こいつらに関わる理由は、キミにはもう無いはずだ」
そうだな、と小さく唇が戦慄く。
「…っ?! 待て!!」
ルシフェルが我に返るも、もう遅い。
サンダルフォンの6枚羽がゆらりと揺れた。

「パラダイス・ロスト!」

彼より放たれた光が降り注ぐ。
(何だこれ、何だこれ、何だこれ…!)
衝撃に跳ねる船体にしがみつきながら、グランは唇を噛んだ。
大事な仲間が奪われて、とんでもないことが起きている。
だというのに身動き1つ取れない!
「サンダルフォンッ!」
ルシフェルの叫び声なんて、こんなことでもなければ一生、聞く機会などなかったに違いない。
グランサイファーを守る茨が収まったときには、空に黒い翼の持ち主の姿はなかった。


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2018.5.19
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