イージーライフモード!(2)

2.友人




翌日の放課後。
一度家に帰り着替えると、出ることだけを家人に伝えて再び出掛ける。
すでに薄暗い中で、黒のロングパーカーのフードを被り黒のレギンスに身を包むサンダルフォンの姿は目立ち難い。
内側に着た灰色のハイネックを伸ばして口許まで隠してしまえば、顔だって分からないだろう。
(なるほど、これは…)
建物の間の路地と背後に注意しながら周りを見れば、ゲラゲラと笑う声や囃し立てる喧騒がそこここから上がっている。
サンダルフォンの目的は喧嘩ではないので、絡まれないように視線は合わせない。
(アイルは来てるか…?)
放課後になると、彼はいつも通りにそそくさと帰っていった。
言ってしまえばアイルという名前と授業態度くらいしか知らないので、その先は想定しようもない。
極力視線を動かさず迷いなく歩いていれば、ただの通りすがりと判断される。
そうしてテニスやバスケのストリートコートが連なる広場へ辿り着くと、見知った声が耳に入った。
「…!」
足を止める。
(居た、アイル。隣は…あの男か)
人のことは言えないが、パーカーのフードを被った小柄で線の細い少年と、顔を隠しすらしていない金髪の男。
共闘しているようで、景気良く繰り出される拳と蹴りが血気盛んな者たちを伸していく。
(どちらも良い動きだな)
そんなことを考えていて、注意力散漫となっていた。

「なんだぁ? ネエチャンも喧嘩しに来たのか?」
「あそこにカレシでも混ざってんじゃね?」

ケラケラケラ。
男たちの笑い声がすぐ傍から聞こえ、ハッとした。
(しまった!)
絡まれた。
二人組の男がサンダルフォンを見下ろして、にやにや笑っている。
女に間違われているようだが、面倒なことになった。
「遊び相手捜してんなら、オレたちと遊ぼうぜぇ」
「何ならあそこのファイト、近くに見に行く?」
走り出せるようそっと片足の位置を変えて、サンダルフォンは意識して高めの声を出した。
「…人を捜してる」
すると男たちは大袈裟に肩を揺らしてみせた。
「それでわざわざこんなとこまで来たのかよ! 一途だなあネエチャン」
「ならオレたちも一緒に捜してやるよ」
こちらに向かって伸ばされた腕を、避けた。
「結構です」
男たちから視線を外さず、2歩、3歩と後ずさり距離を空ける。
その挙動に嫌らしい笑みを浮かべた男たちが何かに気づくのと、サンダルフォンの背が何かにトンと当たったのは、同時だった。

「おっと。俺のツレに何か用かい?」

両肩を後ろから掴まれ、身動きが取れない。
反射でビクリと身体が跳ねたが、頭上から降った声は自分ではなく、前方の二人組へ宛てられたもののようだ。
(この声…!)
ボーマンと会話したときも記憶に引っ掛かるものがあった、そういえば。
「げっ、ベリアル?!」
「お前のツレかよ! …チッ、行こーぜ」
二人組はあっさりと踵を返す。
ぽかんと見送ってしまったサンダルフォンに、わざとだろう、囁き声が吹き込まれた。

「駄目だぜ、サンディ。キミみたいな純粋培養がこんなトコに来ちゃあ」

反射で繰り出した肘鉄は軽やかに躱された。
助けた相手にそんな理不尽を喰らったというのに、その男は愉しそうに笑う。
サンダルフォンは口許のハイネックを下ろさぬまま、苦々しく覚えのありすぎる名前を吐き出した。

「…ベリアル」

『かつて』の世で、まさに宿敵と言える男だった。
その上、天司長として最後まで存在し続けたサンダルフォンと同様、やはり最後まで存在し続けた堕天司だ。
(ん?)
正面からベリアルを見たことで、ひとつ疑問が湧く。
(若い…?)
やや幼い容姿で造られたサンダルフォンと違って、ベリアルは大人の男として造られた。
なので、てっきりその姿だと思ったのだが。
(パーシィ兄上より若くないか…?)
目を丸くしているサンダルフォンに、ベリアルが首を傾げる。
「どーした? サンディ。俺に見惚れちゃった?」
「寝言は寝て言え」
一刀両断にしてから、迷うようにフードの上から頭を掻いた。
「ハア…まあ良い。助かった。礼を言う」
じゃあなと二言残して去ろうとしたサンダルフォンを、珍しくも驚いたベリアルが慌てて掴まえる。
「待て待てサンディ。キミの目当てはアレだろ? もう良いのか?」
アレ、と未だファイト中のアイルを指差した。
「…なぜ知っている?」
「勘?」
嘘だな、と即座に断じる。

そのとき、ワッと周囲が騒然となった。
「何だ?」
振り返ると、アイルとボーマンの周りにギャラリー以外の人だかりが増えている。
「あー、ありゃ隣のシマの連中だな」
「島?」
「縄張りな。柄悪い連中が徒党組んで、グループが幾つかあるんだよ。ここ」
耳だけはベリアルへ傾けて、サンダルフォンは状況をはらはらと見ていた。
「…おい。アレは何だ?」
声音が硬い。
ベリアルがおや? と騒ぎの中央を見てみると。
「うわぁ…。こりゃヤクでもキメたか?」
割り込んできた連中は皆、何かしらの獲物を手にしていた。
金属バットや鉄パイプのようなもの、わざわざ指輪を増やして凶器に替えている者も居る。

どうやら、さすがのボーマンも顔色を変えたようだ。
「おい。武器は使わねえんじゃなかったのかよ」
アイルが背中越しに問うと、そうなんだけどなぁ、と嘘でなく困っているような声が返ってきた。
「こりゃお巡り案件だわ…。お前、隙作って逃げろよ」
言いながら、ボーマンは振り被られたバットを避ける。
カウンターで鳩尾に蹴りを入れ、アイルの死角に入り込んだ輩を流れるような動作で踏みつけた。
「くっそ、面倒くせぇな!」
アイルは顔を隠すフードを深く被り直しステップを踏むと、鉄パイプだかバールだかを振るう男の懐へ入り込みアッパーを喰らわす。
さらに後ろから伸びてきた拳はガードで上げた腕で往なし、蹴り上げる。
ボーマンに比べて視界の狭いアイルは、だから気づくのが遅れた。
「おい、避けろっ!」
声に反応したときには、バットの軌跡が目の前にあった。

「サンディっ?!」
サンダルフォンの身体は、意思より先に動いていた。
駆けた先で障害となる連中の膝裏を蹴りバランスを崩させ、巻き込まれて何人かの体勢が崩れた背を跳躍して踏み台にする。
飛び上がった身体を捻り蹴り出した足先は、アイルへバットを振り下ろそうとする男の額へめり込んだ。
「っ、ガッ?!」
汚い悲鳴を上げてひっくり返った男が、地に伏すことすら待たない。
近場の男の股間を蹴り、前に90度曲がった身体を後ろの連中に向けて蹴り出して退路を作る。
「来いっ!」
サンダルフォンは目を見開いて固まっているアイルの手首を掴み、崩れた連中の脇を駆け出した。

逃げ道を、わざわざベリアルの居る方向にして。

自分の横を駆け抜けていったサンダルフォンに、見ちゃいないだろうがベリアルは片手をひらりと振ってやった。
「まるで王子サマだなあ、サンディ。ははっ! イイもん見せてもらった」
さて、と善戦しているボーマンを見遣り、ベリアルは両手を合わせてパキリと骨を鳴らす。
目の前では、彼らを追って来た連中がいきり立っていた。
「キミたちのせいで、目当ての仔猫が逃げちまったぜ。責任、取ってくれるよなあ?」
ニィ、と唇を彩る笑みは、『かつて』を彷彿とさせた。





足を止めることなく駆け続け、大通りまで戻ってくる。
まだ夜は深くなく、車も通れば人通りもそれなりにある。
抜けてきた道から離れたところで、サンダルフォンはようやく足を止めた。
「おい、大丈夫か?」
アイルの身体能力が高いことは授業で見知っているが、限度は知らない。
お互い息を切らす程度には全速力だった。
「お、まえ…サンダルフォン?」
膝に手をつき息を整えていたアイルは、見上げたフードの中の素顔に目を瞠る。
「何であそこに…」
いや、そんなことより。
「…お前、格闘技やってたんだな」
サンダルフォンの返答は、溜め息ひとつ分の間を置いた。
「理不尽に絡まれることが多いんでね」
ああ、と思い当たったアイルは、相槌を打つことを避ける。
確かにアイルも、今回同じクラスになる以前からサンダルフォンのことは知っていた。

成績は優秀で、見目も秀でており、家柄だって申し分ない。
争いを好まない性格を投影して、弁舌も立つ。
グラン曰く、目つきが気に食わないだとか惚れた女子が惚れている相手だとか、本人には無関係なところで喧嘩を売られることが多いという。
「でももう外部編入生とか、一部しか喧嘩売らないよ! 負けるから!」というのもグラン談である。

「あの場に居た理由だが、」
サンダルフォンの声に、アイルはハッと意識を戻す。
「少々気になることがあったので、確かめに行っていたんだ。そこで君を見つけた」
今となっては、『気になること』が増えてしまったが。
「グランとジータの忠告は聞いていただろう。それでも君はあそこに足を運んで、そして巻き込まれた」
申し開きをする気はあるか? と続いて問われ、首を横に振った。
「ふうん…。意外と正直なんだな」
「意外とってなんだよ。…オレだって、ああいう喧嘩に正当性なんてないの、分かってんだよ」
でも、と息苦しい思いを吐き出した。
「分かんないんだよ、他に。『戦いたい』『勝ちたい』って、ずっと底の方で燻ってて。
苦しくて、どうにかしたくて…気づいたら、溜まり場に通うことを覚えてた」
そういえばアイルは、普段からバンテージを巻いている。
ファッションかあるいは見られたくない傷跡でもあるのかと思っていたが、用途はそのとおり拳の保護だったわけだ。
ハ、とアイルが自嘲気味の笑みを零した。
「けど、さすがにしばらくは自重するさ。あれじゃ、しばらくサツが出入りするだろうし」
そうだろうな、とサンダルフォンも思う。
しかし。
(ベリアル…。アイツ、何のつもりだ?)
なぜ、自分が『サンダルフォン』であると分かったのだろうか。
顔は隠していたし、ここは『かつて』ではないというのに。
頭を振ってその思考を追い出し、サンダルフォンは掴んでいたアイルの手を離した。

「俺で良ければ、相手くらいしてやる」

居心地悪げに逸らされていた視線が、パッと戻ってくる。
「え…? いや、でも、…なんで」
願ってもないが、アイルの口を突いたのは疑問だった。
サンダルフォンは溜め息を堪える。
「グランとジータは君の友人だろう。あの2人にわいわい騒がれるのは御免だし、ここまで関わって放り出すのも気が咎める」
今回のことも、知られたら耳元でぎゃんぎゃんと騒がれるのだろう。
ならば一番マシな先手を打つ方が良い。
「…それとも。ただのクラスメイトでは信用ならないか?」
「なっ、そんなわけ…!」
反射で言い返したアイルだが、はたと気づく。
(こいつ…。友達でも何でもないオレを、わざわざ助けたのか)
押し黙ってしまった彼に、サンダルフォンはくすりと笑った。

「俺が護身術で師事してるのは歳の離れた兄なんだが、強すぎて組手とか出来ないんだ。
だから、同い年でしかも同じくらい強い君が友人になってくれたら、嬉しい」

真っ直ぐにそんなことを言われて、アイルは言葉に詰まった。
「お、まえ…」
「なんだ?」
そんな風に笑うのか、とは聞けない。
「お、……オレで、良ければ」
直視に耐えきれず顔を逸して差し出したアイルの手を、サンダルフォンはしっかりと握った。


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2018.6.5
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