授けるアポリア
3.
「ーー…ン、サンダルフォン!」
「?!」
ハッと見開いた目に映ったのは、まったく見知らぬ天井だった。
それから、見覚えのある顔が2つ。
「良かった。目が覚めたか」
「主に伝えてくる」
1人はすぐに視界から居なくなったが、もうひとりは。
(確か、名前は)
随分前の記憶を引っ張り出す。
「やまんばぎり…?」
声が上手く出せない。
白い襤褸布を頭から被った打刀・山姥切国広は、予想に違わず頷いた。
「そうだ。こんな状態で言うのも何だが、久しぶりだな」
ゆるゆると身体を起こすと湯呑を渡され、中の白湯をぐっと飲み干す。
ズキリ、と頭に痛みが走った。
(何だ、ここは? 何でこんなに不安定な…)
一際強く、今度は収納されたコアの辺りが酷く痛む。
「おい、大丈夫か?」
辛そうに顔を顰める様は、明らかに痛みを堪えるそれだ。
サンダルフォンの顔を覗き込もうと山姥切が彼に手を伸ばしたとき、それは起こった。
「?!」
この本丸の主を連れて戻ってきた骨喰藤四郎も、彼の後ろから部屋へ入ろうとした審神者も、目撃した。
サンダルフォンの背から、輝く6枚の翼が生える様を。
「えっ、本当に天使様なんですか…? って、ちょっ…」
並大抵のことでは動じない審神者が、見るからに焦る。
「本丸が揺れて…っ、ちょっとあなた、落ち着いてください!」
局地的な地震に遭っているかのように、本丸がビリビリと揺れている。
建物が、ではなく空気も含めた空間すべてが。
「さ、審神者様っ! 本丸空間が振動しています!」
「何処よりも安定しているはずのこの地で、このようなことが起こるなど…っ!」
こんのすけが2匹、転がり込んでくる。
審神者は彼らを振り返らず、サンダルフォンの両肩を掴んだ。
「分かっています。サンダルフォンさん、サンダルフォンさん! 聴こえてますか?!」
両手で頭を抑えるサンダルフォンは、自分以外の温度に気づき片目を開ける。
痛みが収まらない。
「落ち着いてください。あなたへ危害を加える者はここには居ません。
このままでは本丸が、私たちの家が壊れてしまいます」
「……?」
意味が分からない。
頭が、コアが痛む。
「…た、りない」
「え?」
そうだ、『空』に生じた巨大な亀裂を閉じようとした。
片方からでは閉じないと判断して、サンダルフォンは亀裂の『向こう側』へ行ったのだ。
『向こう側』からはエーテルの気配がほとんどしなかったから、ミカエルたちと翼を交換して。
無理矢理に穿たれた歪を抜けるのは、無傷とはいかなかったが亀裂は塞ぐことが出来た。
その後……その後?
「主、俺が代わろう」
ゆったりとした声が、審神者と山姥切を我に返らせた。
「三日月宗近さん」
「…! そうか、あんたは属性が一緒だったか!」
かつて引き摺り込まれた、『空』の世界。
山姥切と骨喰、三日月、そして今は任務に出ている和泉守兼定、陸奥守吉行、鶴丸国永。
6振りと第二部隊専属のこんのすけは、そこでサンダルフォンを含めた多くの友人に出会った。
『空』の世界は不思議なもので、すべての生き物が『魔法属性』を持っている。
例えば山姥切なら『土』属性、和泉守なら『火』属性。
6振り全員が見事に違う属性だったのだが、中でも三日月は『光』属性だった。
それは今、見覚えのない色の翼を持つサンダルフォンと同じ。
審神者と場所を代わり、三日月はサンダルフォンの前に膝をつくと彼の両手に自分の両手を添えた。
「サンダルフォン殿、俺が分かるか?」
短い期間であったにも関わらず、結構な回数を同じパーティで過ごしていた。
名前、名前は。
「み…かづき、むねちか…?」
「おお、覚えていたか。嬉しいなあ」
言いながら、三日月は『空』の世界で聞き知ったサンダルフォンの話を思い返す。
「其方がここに居るのは、必要に駆られた為であろう。
だが少々困ったことになりそうでな、其方の力を抑えて貰えないだろうか」
ああ、頭が痛い、コアが軋む。
「どこか痛むのか?」
そうだ、足りない。
「エー、テル、が…」
「うん?」
エーテルが足りない、身体を構成する最重要要素が圧倒的に足りない。
このままでは他を歪めてしまう。
(そうだ、)
分かっていた。
想定していた。
だから、羽を交換したのだ。
三日月の手の温もりがじわりと浸透する。
痛みを堪え、サンダルフォンは意識を集中させた。
(構成を…主要な部分だけで良い、四大元素のみに取り替える…ああ、くそっ、頭が痛い)
色とりどりの6枚羽が、ゆらゆらと波打つように輝き始める。
「私は夢でも見ているんでしょうか…?」
信じられない、と惚ける審神者は、ただ目を瞠るばかり。
天司の身体は、エーテルを撚り合わせて造られている。
エーテルが満ちていれば自己再生は簡単で、力の発揮も容易だ。
特に『天司長』はエーテルの管理を担っており、『空』に棲まう星晶獣の最上級の存在と云えた。
では、エーテルが存在しなければ?
「…っ、ハァ、ハァ」
頭痛が徐々に治まってくる。
痛みは弱まったが、今度は平衡感覚が失せた。
「サンダルフォン殿?!」
傾いだ身体を、三日月が咄嗟に受け止める。
(天司長の羽は、使わないように…しないと…)
意識までもが徐々に薄れ、サンダルフォンはそのまま気を失った。
彼が意識を落とすと同時に、背で輝いていた6枚羽もまた散り失せた。
本丸を脅かしていた、空間への干渉が止まる。
「止まりましたね…」
何となく天井を見上げた審神者が、後から駆け込んできたこんのすけを見た。
彼らは互いに顔を見合わせ、驚いたような顔をする。
「本丸空間、異常ありません」
「数値もすべて正常です」
違うことといえば、サンダルフォンが気を失い、彼の6枚羽が消えたこと。
「やはり彼が原因ということでしょうか」
ですが、と審神者はこんのすけへ指示を出す。
「今の空間振動を含め、彼に関しての政府への報告はすべて保留にしてください」
「は…?」
「しかし、審神者様」
こんのすけは政府の式神だ。
管理者は審神者といえど、行動原理は政府の大方針に則っている。
審神者はもう一度、さらに口調を強くして告げた。
「政府への報告はなしです。良いですね?」
二言は言わせなかった。
こんのすけたちは了承を返し、不思議な訪問者に関するすべてが本丸のみアクセス可能なデータ領域へ送られる。
2匹が去ってから、審神者はほうと息を吐いた。
「ご本人が目を覚ますまで、こちらで出来ることはなさそうですね」
審神者の目が三日月へ向いた。
「三日月宗近さん、彼の看病をお願いして良いですか? 骨喰藤四郎さんも」
「うむ、承った」
「承知した」
次は山姥切へ。
「山姥切国広さんは、私の執務室へ。いつかの『空』の話を、詳しく聞かせてください」
「ああ、分かった」
立ち上がり退室しようとした山姥切が、三日月と骨喰をちらりと見遣る。
「鶴丸たちが戻ったら、ここへ来るよう伝えておく」
彼らが頷いたことを確認して、障子はパタリと閉め切られた。
*
そわそわ、そわそわ。
「…おいおい、何だってんだこれは」
和泉守が不可解だとばかりに片手で頭を掻く。
「そうだよね…。なんというか、」
堀川国広も曖昧に笑って首を傾げるしかない。
そわそわ、そわそわ。
折良く、和泉守は顔馴染みを見つけて声を投げた。
「おい、加州!」
「あ、第二部隊おつかれー!」
そわそわ、そわそわ。
「ああ、帰ったぜ。ていうかお前もかよ!」
「えっ?」
加州清光は自覚がなかったらしく、きょとんとしている。
いい加減我慢の限界であった和泉守は、遠慮なく言ってやった。
「何なんだ?! 擦れ違うやつ全部が全部、こんのすけまでそわそわそわそわしやがって!」
落ち着かねえ! と吠える和泉守に、珍しく陸奥守も同意する。
「なんや、新しい刀剣が来たにしては、好奇心が勝っとるっちゅーか…」
その隣で、薬研藤四郎がくすくすと笑った。
「検分のこんのすけが鶴丸に諭されるとか、相当だぜ?」
彼の後ろで、鶴丸が肩を竦める。
「悪い知らせではなさそうだが…。何があったんだい?」
話したくて仕方がなかったのだろう、加州は鶴丸の問い掛けにパッと目を輝かせた。
「天使が来たんだよ! 俺、驚きすぎて固まっちゃってさあ」
一様に?マークが頭上に浮かんだ。
「加州殿、天使とは…宗教画にある翼の生えた、あの?」
面食らった蜻蛉切が問い返すのに、加州は即座に頷いてみせる。
「そう! ほんとに羽が生えててさ! 白い羽は一対だけだったけど、他に青とか赤とか、光り輝いてたんだよ!」
第二部隊の面々は、揃って顔を見合わせた。
意味が分からない。
「和泉守!」
そこへ救世主が現れた。
山姥切だ。
「鶴丸と陸奥守も一緒か。ちょうど良い」
だが彼は何やら呟くなり、三人の背をぐいぐいと審神者の執務室と違う方向へ押した。
「はあ? おい、山姥切?!」
「主もこっちに居る。だから早く来い!」
常に無いほど強引な山姥切というのは、中々に珍しいものを見ている。
和泉守と陸奥守はそれに飲まれてぽかんとしているが、鶴丸は彼らの様子にけらけらと笑った。
薬研と堀川、蜻蛉切はそれぞれに視線を交わし、遠ざかろうとしている白い布へと尋ねる。
「なあ山姥切。それ、俺たちも着いていって良いか?」
薬研の声にちらりと振り返った山姥切は、少し考えてから頷いた。
そうして山姥切に押し込まれるように入室した部屋には、審神者とこんのすけ、三日月と骨喰、そしてもうひとり。
和泉守、陸奥守、鶴丸は揃って目を見開いた。
「サンダルフォン?!」
「おまん、本物か?!」
「『空』の世界以来か、久しぶりだなあ!」
暁のような色の眼が、懐かしげに細められる。
「和泉守、陸奥守、鶴丸だな。…どうやら、記憶は飛ばずに済んだらしい」
何の話だろうかと思ったが、鶴丸はもうひとつ気がついた。
「三日月、何をしているんだ?」
サンダルフォンと手なんか繋いで、という言に彼らを見直せば、確かに。
布団の上に身を起こしているサンダルフォンの右手を、三日月が握っている。
「俺はサンダルフォン殿と同じ属性だったからなあ。
『こちら』でも…気とでも云えば良いか、それが似通っているようだ」
「ふむ、『手当て』ってやつだな」
感心しきりの鶴丸は、そこで審神者を見た。
「俺たちのときのように、空間に穴でも空いたのかい?」
審神者は予想に違わず頷いた。
ひとまず座ってくださいと勧められ、和泉守たちは各々壁際へ腰を下ろす。
「彼は『空』の世界の方で、名前はサンダルフォンと云うそうです。
皆さんはご存知なんですよね?」
薬研と蜻蛉切を除いた面々が首肯する。
「今から…6時間ほど前でしょうか。突然、本丸の上空に時空の歪が現れました。それもかなり大きなものが。
サンダルフォンさんは、その歪から出てこられたようです」
目撃者は山姥切国広さんと加州清光さん、乱藤四郎さんです、と続いた。
「出現した時空の歪は、私たちや時間遡行軍の時空ゲートとは違うものでした。
ですので警報も、襲撃警戒のものではなく異常事態の警報が鳴りました」
そこで山姥切が話を繋ぐ。
「サンダルフォンは、空いた時空の歪を閉じたんだ。歪が閉じたと同時にふらついて、中庭に墜落してきた」
「墜落って、大丈夫だったのか?」
未だ顔色の悪いサンダルフォンへ問い掛けると、彼は頷いた。
「今は問題ない。身体の組織構成を換えたからな」
何を言われたのか判別出来なかった。
「はぁ? 身体の組織って…そんなもん換えるってどういうことだ?」
和泉守の条件反射のような声に、サンダルフォンは表情を動かすことなく説明する。
「君たちの居るこの世界と、俺の居る『空』の世界は構成要素が違う」
彼の空いた左手が、指折り数えた。
「土、水、風、火、そしてエーテル。この5つの要素で『空』は構成されている。
けれどこの世界は、エーテルがほぼ存在していない」
本来サンダルフォンの身体はエーテルにより構成されているため、『世界』との均衡が取れなかった。
「だから一度目が覚めたとき、均衡が保てず力が暴走した。予想はしていたがな」
もう大丈夫だ、と彼は三日月の手を押し戻した。
逆らわず手を引いた三日月は、ことりと首を傾げる。
「難しいところは、気にしたところで難しいままだろうなあ」
ところでサンダルフォン殿、と彼は続けた。
「そなたの背の翼だが、俺の記憶では6枚とも輝く純白であったと思うのだが」
パッと目線を返したのは鶴丸だ。
「えっ、今は違うのかい?」
「儂は一度しか見れてないが、まっことか?」
陸奥守まで身を乗り出してくる。
サンダルフォンはあ、と思い出した。
(そういえばこの2人…)
グランサイファーの機関部や操縦部で、ラカムやオイゲンを質問攻めにしていた。
魔物や星晶獣に出会えば目を輝かせ、つまりは好奇心の塊のような。
(図ったな…)
三日月をじとりと見遣るも、彼はにこにこと笑うのみだ。
*
7色の翼を持った客人は、瞬く間に本丸一の人気者になった。
「サンダルフォンさーん! 見てください、あれがこの世界の雀と鳩ですよ!」
「へえ。〈空の世界〉のものと同じに見えるな」
秋田藤四郎とサンダルフォンが、庭の木を見上げて談笑している。
「そうなんですか?」
「ああ。だが渡り鳥は性質が違いそうだな」
「そっか。島と島がすごく離れているんでしたっけ」
「ああ」
そこへ今剣が駆けてくる。
「あっ、いました! サンダルフォンさん、そらのせかいになぎなたってありますか?」
彼の後ろからやってきたのは岩融だ。
「あるぞ。だがツクモガミという存在はないな」
「ほほう、やはり客人の話は面白いな! では怨念籠もった刀剣はどうだ?」
「それなら幾つか例がある」
「そらのたみというのは、ぼくらをうったにんげんたちとあまりかわらないですね」
「確かに、ほとんど違いはなさそうだ」
出陣から外れ暇を持て余した者たちは、隙あらばサンダルフォンの様子を見に行く。
サンダルフォンはサンダルフォンで、この世界の知識を取り込みながら〈空の世界〉へ帰る方法を模索しているようだ。
「あ、いたいた。サンダルフォンくん!」
「君は…燭台切、だったか」
「そうだよ。覚えてくれて嬉しいな」
これ、と差し出されたのは、盆に載った硝子の器…の、中身。
「珈琲ゼリー、作ってみたんだ。砂糖は微調整にしか使ってないから、サンダルフォンくんでも大丈夫じゃないかな」
万屋から購入した所謂『コーヒー飲料』を受け付けなかったサンダルフォンに、刀剣たちが不思議そうにしていたのはつい最近のこと。
あれが珈琲だとは言いたくなかったが、広く親しまれた結果の派生であると考えればそうもいかない。
豆と機材さえあればサンダルフォン自ら珈琲を振る舞ってやったのだが、生憎とこの本丸にはミルやドリッパーすらなかった。
「あ、粉はドリップコーヒーのものを使ってるよ!」
じっと器を見つめて何も言わないサンダルフォンに、燭台切が慌てて付け足す。
するとサンダルフォンは不可解そうに彼を見遣った。
「…君ほど料理に拘る者に、そんな心配はしない」
伸ばされた指先がスプーンを掴み、珈琲ゼリーをひと掬い。
(あれ? もしかして僕、褒められた?)
燭台切は一拍遅れてふと気づく。
「…美味しい」
ひとくち食べて、明らかにサンダルフォンの表情が華やいだ。
「エグみも雑味もなくて、滑らかだ。すごいな」
しかも通常の感想だけでなく、もう一声突っ込んだ感想までくれた。
「ありがとう、サンダルフォンくん! 良かったら夕食の味見係もやらない?」
「俺が?」
「そう。今みたいな感想言ってもらえたら、僕以外の子も絶対に喜ぶから!」
燭台切はどこか上機嫌に厨へ戻ってしまった。
押し切られる形で味見係を頷いてしまったサンダルフォンは、手元の珈琲ゼリーを見つめる。
(なんというか…)
総じて、お人好しの集まりだと思う。
審神者の少年が見た目通りの年齢かは甚だ疑問だが、どことなく例の騎空団を思い出した。
(まあ、ミカエルたちが見ているから問題ないだろう)
問題があるのはサンダルフォン自身のみで、天司長の力も一部とはいえ彼らに預けてきた。
『空』が落ちることはないだろうし、アバター並の脅威もそうは無いはずだ。
(さて…)
そろそろ本題に入ろう。
*
審神者は、まだサンダルフォンの存在を『外』へ出していない。
『外』というのは、政府のみならず最初期本丸…もっとも信頼の置ける他の『六星』本丸の者たちも含めてだ。
本丸という結界自体に影響を及ぼせる彼の存在は、まさしく諸刃の剣と言えよう。
サンダルフォンが審神者の執務室を訪れると、判っているとばかりに彼はソファを勧めてきた。
ならばもう、遠慮はすまい。
「では教えてくれ。君たちのやっていることと、使っている技術のことを」
「ええ」
審神者は壁に貼られたモニターをひと撫でし、日本地図と時間遡行に使用する装置を映した。
「私たちは、歴史を改変しようと目論む軍勢から、歴史…『最新の暦に至るまでの正史』を守るために戦っています」
□
西暦2205年。
歴史の改変を目論む「歴史修正主義者」によって過去への攻撃が始まった。
時の政府は、それを阻止するため「審神者(さにわ)」なる者を各時代へと送り出す。
審神者なる者とは、眠っている物の想い、心を目覚めさせ、自ら戦う力を与え、振るわせる、技を持つ者。
その技によって生み出された付喪神「刀剣男士」と共に歴史を守るため、審神者なる者は過去に飛ぶーー。
□
サンダルフォンはまず、率直な疑問を問うた。
「『歴史の改変』と言うが。そんなにも簡単に、歴史は変わるものなのか?」
いいえ、と審神者は首を横に振った。
「簡単なたとえ話をしますね」
西暦2205年1月1日を、最新の日付としましょう。
歴史上で要となる、西暦2000年に50歳で亡くなるAさんが居るとします。
初めての時間遡行で西暦1970年へ飛び、20歳になったAさんを殺しました。
「その後未来へ帰ってきても、歴史は変わりません。なぜか?」
歴史は『大河』だ。
西暦2205年1月1日を先端とする大河であり、1度の時間遡行で変えた歴史は、大河の土手を引っ掻いた僅かな傷に過ぎない。
「ですが、回数を重ねるのなら話は別です」
何度も何度も、数えるのが馬鹿らしくなるほどに繰り返せば。
土手に掘られた傷は深くなって溝となり、水が貯まり、少しずつ大河の側面を穿っていく。
続ければ続けるほど溝は土手を掘り進み、大河の支流へと成長するだろう。
「そしていずれは、支流が本流へと取って代わる」
「……そういう事例があった、ということか」
「ええ。一度だけ」
その『一度』のために造られてしまった支流は、神々の手により隔離された。
神々にとっての『歴史』が過去も未来も同一の座標に在るがゆえのことだ。
「幸いと言うべきか、この国の政府中枢と霊的組織の中枢の繋がりは、中世以前から存在し続けていました。
この2つの組織が話し合いの末に創設したのが『時の政府』、我々審神者と刀剣男士を統括する組織です」
ここまでが前置きです、と審神者は付け加える。
概要は理解したので、サンダルフォンは頷きだけを返した。
「さて、画面のこちら側の説明をしますね。これが我々が時間遡行を行う装置です」
精微な時計のような装置は、半径1〜2m程ありそうだ。
「当本丸では、この装置を鍛冶場に設置しています」
霊的な力は『炎』と相性が良いという。
「その装置を起動することで、『時間』と『空間』を飛び越えられるのか…」
俄には信じ難い。
が、鶴丸たちが実際に『空』へとやって来て、そして帰ったことは事実だ。
「サンダルフォンさんに必要なのは、このうち『空間』の移動の方でしょうね」
「ああ。同じ世界ではないから、『次元』と言い換えた方が良さそうだが」
エーテルの満ちた『空』であれば、天司長の力を行使して空間を跳躍することは可能だ。
違う位置へと瞬時に移動するテレポーテーションと言えば良いか。
だがこの世界にはエーテルが存在しておらず、またサンダルフォンには無関係だが、四大元素も魔法が使える程には満ちていない。
「時間遡行は、刀だけが出来るのか?」
もしそうだとしたら、『空』へ戻る手段から見直さなければならなくなる。
「いえ。私…審神者も可能です。正確に言うと、刀剣6振りプラス審神者1名ですね」
こんのすけは付属品扱いのため、数にカウントされない。
サンダルフォンは頷き、続きを即した。
モニター画面の映像が切り替わり、マーカーが点滅している地図が映る。
「これが時間遡行反応です。ちょうど今、ここに第一部隊を派遣しています」
そういえば、今日は朝早くに出陣すると三日月が言っていた。
(まずは、この『時間遡行』に俺自身が乗れるのか、か)
「時間遡行反応があっても、遡行軍が現れる場所として半径2km以内、時間は7日以内にしか絞れません。
100年単位での時間を遡るのは、それくらい難しいんです」
「…なるほど」
ピンポイントで突き止められるなら、とっくに戦いは佳境であろう。
相手もピンポイントで目的の時間へ飛ぶということになるので、阻止側としてはやりやすくなる。
「この装置、壊れることはないのか?」
「いえ、壊れます。今では滅多に壊れませんが」
「壊れたときは?」
「『時の政府』の技術部門へ申請して、交換してもらいます」
「…ということは、技術的な情報は技術部門が持っていると?」
「そのとおりです」
「君は知らないのか?」
「…ええ。なぜ、どのように過去へ飛ぶかは知っていますが、仕組みは知りません」
ああでも、と審神者は何かを思い出す。
「六星の…私とまったく同じ立場の審神者が他に5名居るんですが、そのうちの1人がすべて知っていますね」
開発者の1人ですので、と続いた。
(となると、その『1人』に話を訊くのがベストか)
しかしサンダルフォンの事情を話し納得してもらうのは、少々骨が折れそうだ。
「大丈夫ですよ」
見透かしたように、審神者がサンダルフォンへ笑い掛けた。
「以前にうちの刀剣の皆さんが『別の世界』へ飛ばされたことは、その5名には伝えています」
久々に6名がひとところに集まって、大いに盛り上がったものだ。
「『あり得ないことはあり得ない』。過去へ戻れると知ったとき、私はそう肝に銘じました。
彼らも同じです。それを否定してしまったとき、私たちはこの戦に敗けるでしょう」
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2018.11.11
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