この穹(ソラ)に願いを

6.珈琲ブレイク




ガブリエルとラファエル、そしてルシオの処置により、ナナリーの病の進行はさらに抑制された。
これならば、偽ゼロとの最終決戦までに猶予が出来る。
「見ず知らずの相手にここまで尽力してくれて、感謝する。ありがとう」
頭を下げたルルーシュに、ガブリエルはくすりと微笑んだ。
「気にしないで。私たちも人と関わるようになったのはつい最近だから、勉強になるわ」
「異世界には、我々も興味がある」
それに、とガブリエルの澄んだ蒼い目がルルーシュを見つめる。
「お礼は我らが天司長に、ね」
「サンダルフォンが呼ばなければ、我々はここには居ないな」
あの極彩色の羽をした青年を、ルルーシュはまだ垣間見ただけだ。
「サンダルフォンという人物は、あなた方の上司、という理解で間違いないか?」
「ええ。天司という枠組みの中では」
ならば、『天司』ではなくひとつの生き物としてなら。
「…そうね。天司として生み出された最後の一人、そしてどの天司とも違う一人、かしら」
二千年を生きてきたことは同じであれど、彼は常に籠の鳥だった。
意図がなくとも、意図があっても。
「だから、ね。いろいろと教えてあげてね。天司の枠組みに囚われない自由を、不自由としか知らされなかったサンダルフォンに」
「我々は結局のところ、天司の枠組みしか知らない。そういった意味では、同じスタート地点に立っているだけだからな」
ルルーシュにはまだ理解が難しいが、彼らには人の及ばぬ苦悩があるのだろう。
(生きていれば、意思があれば…それは当然か)
「分かった。俺で良ければ、幾らでも」
返せば、ガブリエルとラファエルは嬉しそうだった。

「それじゃあ、ルルーシュ君。さっきの薬は、エウロペの水瓶の水で飲ませるようにお願いね。
治療薬が手に入ったら、彼女の水はもう使っちゃ駄目よ」
ガブリエルの後ろで控えていた女性が、にこりと微笑む。
水という輪廻を司る星晶獣の彼女は、すべてを浄化した水をその瓶に湛えさせているという。
行き過ぎた浄化は、人の身に毒だと言った。
「サンダルフォンが掴まらなければ、蒼の少女に言ってティアマトを呼ぶと良い。風が居場所を教えてくれるだろう」
ラファエルの後ろの女性はルルーシュへ黙礼すると、部屋を出ていく。
風を司る彼女は、狭い場所が苦手だそうだ。
「ありがとう。お礼はナナリーが治ったら、改めてさせてほしい」
「彼、料理上手なんですよ。ガブリエル様。そのときは、天司長に珈琲を淹れていただきましょう」
「まあ、それは楽しみだわ!」
エウロペの言葉で、ルルーシュは初めて、この世界に『珈琲』が存在することを知った。







「実は私、まだサンちゃんに珈琲を淹れていただいたこと、ないんですよね」
「ほう?」
騎空艇グランサイファーの一角に設けられた喫茶店。
ファスティバの小料理屋と同様に、そこは騎空団の者たちの憩いの場となりつつあった。
その角の席に陣取り、C.C.はルシオと共にカウンター向こうのサンダルフォンとルルーシュの様子を窺う。
「団長たちはよく飲んでいるようだが」
「そうなんですよ。あと『おこたみ』というメンバーたちも、時期が来ると淹れてもらっているようで」
「おこたみ?」
「おこたの民、でしたか。ええと、どうじんし? を作るサークル? だそうで」
(この世界にも同人誌があるのか…)
C.C.は違う方向に感心した。
「お前、嫌われてるんじゃないのか?」
「…初めは私も思いましたが。その場合、彼は私の目に映らないでしょうね」
「ああ、なるほど」
徹底的に避けられる、ということか。
「…心当たりがありそうだな?」
「ええ、まあ」
C.C.よりも余程海千山千であろうに、恋とはあらゆる種族を馬鹿に変えてしまうものだ。
「短い付き合いだが、お前が楽しそうなのは私にも解るぞ」
「ええ。とても楽しいです」
ルシオの話を半分にして聞きながら、C.C.は水着のカタログを捲る。

ナナリーの治療薬を手に入れ彼女の容態が安定したと見るや、グランは『休みを取るぞ!』と言い出した。
毎年この時期には恒例のようで、つまりはバカンス。
向かう先はアウギュステ、ファータ・グランデ空域では唯一『海』がある島だ。
基本的に依頼も受けなくなるため、この時期を利用して艇を離れる者も多いらしい。
そのまま海に向かう面子は、水着を注文して海で遊ぶ。
「今回はシェロカルテさんの伝手で、サンちゃんは海の家をひとつ任されるようで」
「なるほど? 株を上げるにはもってこいのイベントじゃないか」

密やかに盛り上がる一番遠いテーブルに、サンダルフォンは胡乱な目を向けた。
「嫌な予感しかしない…」
ルルーシュも肩を竦めた。
「同感だが、放っておくに限る。人生経験が長すぎるヤツは、人の話を訊かないからな」
強引にことを進めることがままある、とも言える。
「…それで。君は何を作っているんだ?」
「カフェラテだ。珈琲の苦味が苦手でも、これなら飲める場合が多い。ミルクと5:5で割る」
「そうなのか」
ナナリーの治療の礼代わりに喫茶店を手伝い始めたルルーシュは、『空』の世界における珈琲が発展途上の飲み物であると知った。
島を固定しなければ豆の種類はそこそこあるが、珈琲の定義は元の世界に比べると曖昧で、コクや酸味といった旨味の成分表も見ない。
(ならば先駆者となってしまえば良いのでは?)
聞けば、珈琲の木を見つけ珈琲を編み出したのは、サンダルフォンを創り出した天司だという。
しかも今の時点で、サンダルフォンの淹れる珈琲は素人ではなくプロ級だ。
(これはとても、楽しめそうだ)
元の世界で、ルルーシュはブリタニア帝国との戦いにばかり注力してきた。
平和な頭脳の使い方といえば、生徒会の突発イベントくらいで。
ルルーシュとて一般の学生、店の経営などしたことはない。
ならば当分世話になる『空』の世界の、商売を学ぶことは今後の役に立つだろう。
「出す飲食物の値段は決まっているか?」
「ああ。シェロカルテが、リゾート地の相場があると言っていたからな」
何よりサンダルフォンとの会話は、ルルーシュにとって苦痛ではなかった。
おそらくだが、彼の潜在能力は驚くほど高い。
それを活かせる場と活かせる者が、活かす意思が、存在しなかっただけで。
「リゾート地なら、ナナリーも問題なく楽しめるだろう」
だから楽しみだと告げれば、サンダルフォンはそうか、と薄っすらと笑った。


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2019.7.29
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