"はじまりの樹"がどこにあるのか、それは鎖部一族の記録には無い。
人々が目にしているのは基本的に『根』であり、幹ではないのだ。
他方、"絶園の樹"は分かりやすい。
鎖部一族の里、"はじまりの樹"を祀る祠の奥に、成長しない『芽』として鎮座していた樹。
果実を吸収し成長した樹は今、誰もが目視可能だ。
世界各国からの研究、調査要請は引きも切らないが、日本の研究者も含め、誰も目的を果たせない。
鎖部の結界により、樹とその周囲1kmは鎖部一族か魔具を持った者しか近づけないのだ。
「左門、どうだ?」
葉風の問いに、左門はスマートフォンで地図を示した。
「哲馬の報告によると、ちょうどここから真南に結界を破られた跡がありました。
結界を修復した後に周囲を調査しましたが、足跡ひとつなかったようです」
報告に葉風が手を握り締める様を見、フロイラインは空を仰ぐ。
「やっぱり、吉野くん?」
「…そうとしか思えん。念のため一族すべてに探査魔法を使ったが、他に魔具を渡した者は居らん」
葉風の与り知らぬところで、『魔法』が行き来していることは無い。
『絶園の力』以外は。
「先ほど、樹の周りの結界を三重に増やした。時間稼ぎにはなろう」
私たちの前方に張ったと続けた彼女は、後ろを振り返る。
「どうだ? 羽村。何か変化は?」
自分の手を見つめていた羽村は、やはり首を振った。
「何も無いよ…」
吉野が消える前、彼と最後に接触したのは羽村だ。
今思えば、あの"記憶が途切れたような気がした"そのときが、鍵だったのだろう。
(やっぱり、あのときに吉野くんは…)
彼が何と言ったのか、どうしても思い出せない。

「!」

それは鎖部一族にのみ聴こえた、結界の砕ける音。
一族ではない羽村やフロイラインには、葉風たちが一斉に何かに気を取られたように見えた。
葉風や左門の目には、自分たちの前方に三重に張った結界の内、外側の2つが粉々に砕けた様が映る。
「そんな…馬鹿な!」
軍用ミサイルを礎に葉風の張った結界が、こうも容易く。
葉風は"絶園の樹"に向かって駆け出した。
「左門、哲馬たちに結界の張り直しを指示しろ! 夏村は私と来い!」
走り出した葉風を追い、羽村たちも駆け出す。
そう遠くない距離だ。
最後の結界に近づくにつれ、不自然な人影が見えてくる。
あと100m、50m。
息を切らせ立ち止まり、葉風は絶望に泣きたくなった。

「よ、しの…」

滝川吉野が、そこに立っていた。
服装が違うのは、魔法探知に利用される為か。
けれど向けられた笑みは、なんら変わりなく。
「なぜだ…なぜ、なぜお前がここに居る? なぜ居られるのだ?!」
泣くまいと堪えた叫びに、吉野は困ったように微笑する。
パーカーのフードを被り翳った表情でも、それは容易に判別できた。
「葉風さんたちの推測の通りだと思いますけど」
泣かないでくださいと諭され、葉風は思い切り頭(かぶり)を振る。
「泣いてなどおらん!」
フロイラインが葉風の前へ出た。
「…吉野くん。つまり君は、自分が"絶園の魔法使い"だと言うのね?」
相対し、思う。
(同じだわ、あのときと)
彼の"彼女"が誰なのか、他の誰も知らなかったとき。
フロイラインと2人きりになったときにだけ、吉野はあんな表情を見せた。
まるで、他に何も心動かすものが無いと言うように。
「皆さん、そう言ってませんでしたっけ?」
問い返され、また頷く。
「そうね。あんまりにも羽村くんのメンタルが弱いから、能力と心が別々に宿ったんじゃないかって」
すると次は意味深な笑みが返った。
「その疑いって、どうなったんでしたっけ?」
「どうって…」
羽村が現れ、パフォーマンスも兼ね葉風も加わっての魔法戦闘劇。
そして葉風は真相を求め、過去へ飛んだ。
「不破愛花が"絶園の魔法使い"だと判明して、」
彼女の真実に近い推測として、羽村がバックアップだと判って。
…それから?
「あれ? それっておかしいよね」
吉野くんへの疑いは、全然解決されてないよね?
潤一郎の声が、やけにはっきりと耳に届いた。

不破愛花が、"絶園の魔法使い"であった。
羽村めぐむは、急遽目覚めさせられた"絶園の魔法使い"である。
不破愛花は過去において、『絶園の魔法使いは自分一人だ』と言った。
ならば…今は?

顎に手を添え考えを巡らせ、フロイラインは恐る恐る口にする。
「過去に"絶園の魔法使い"が1人であっても、今がそうとは限らない…?」
吉野を見れば、彼はやはり微笑んで。
「"今までは"そうでした。でも"今は"、」
言葉を途切れさせ、彼は葉風たちに背を向け結界に向き合う。
触れることの可能な見えぬ壁、それに片手を合わせ。

「『樹の中の樹、大樹の中の大樹。終焉に在りしはじまりの樹。我が力において共鳴せよ』」

今、彼は何と。
(『終焉に在りし"はじまりの樹"』?!)
葉風が強力な魔法を使用する際に発する詠唱、似て非なる言葉が紡がれる。
混乱しかけた葉風の思考を、吉野の元へ瞬間的に集まった力の奔流が押し留めた。

「『砕け』」

ーーービキリ
彼の一言で巨大な亀裂が走り、網目状に広がったかと思うと結界は粉々に砕け散った。

魔法など、珍しくも何ともない。
だというのに、葉風ですら言葉を失くした。
(何だ…これは)
違い過ぎる。
「な、なんか…僕が使ってた魔法とだいぶ違うんだけど…」
特に威力とか。
羽村の声に、ここで素直に言える辺り大物だな、と葉風の胸に明後日な感想が湧いた。
「そうですね。鎖部の魔法よりこちらの方が断然、扱いが難しいみたいです」
僕も使って分かりましたけど。
吉野は彼らを振り返ること無く、奥へと足を踏み入れる。
「ま、待て! 吉野!」
向かう先は"絶園の樹"。
葉風たちは慌てて彼の後を追い掛け、追いついてきた左門と哲馬、そして早川が続く。
「どういうことだ?」
「何だこれは?!」
「それが…」
フロイラインが彼らに簡単な説明をする間に、葉風が吉野の腕を捕らえる。
「待て吉野! ちゃんと説明しろ!」
弾みでパーカーのフードが落ちる。
「説明しなくても分かるでしょう?」
今までにも幾度と無く見た、困ったように微笑む吉野だ。
足を止め、掴まれた腕もそのままに、彼は葉風をただ見つめ返す。
今までと変わらない。
(変わらないのに、なぜこんなにも泣きたくなるのだ…!)
次の言葉を探す葉風に、ぽつりと呟きが聴こえる。

「愛花ちゃんに言われませんでしたか? 因果関係が狂っているのは、時間を超えたからだって」

掴んでいた腕が、するりと指先を抜けた。
「それは…それは、私が過去へ渡ったから、未来である"今"が変わったということか?!」
取り乱す葉風を、吉野は取り成した。
「いいえ。変わったのは、ほんの些細な部分だけですよ」
足場がゴツゴツとした石塊から、ややふにゃりとしたものに変わる。
(これは、"絶園の樹"の根か)
ざわり、と葉風の胸に嫌な感覚が走った。
途端にさわさわと周囲の梢が妙に音を立て、悪寒というのか、空気が肌にピリピリと刺さる。
「…姫様」
左門の声に小さく首肯し、拳を握る。
(これは、"敵意"だ)
誰のものでもない、この"敵意"を発するのは。
("絶園の樹"!)
ザッ…と、鋭い"何か"が葉風目掛けて放たれた。
葉風だけでなく、後ろを歩く左門と夏村、哲馬に対しても。
視認出来ぬ速さの"それ"に、鎖部の魔法使いたちは反射的に防御シールドを展開しようとした。

「止めろ」

ひとつ、静止の声により停止した"それ"。
1mの間もない先、シールドを張っても間に合ったかどうか。
鋭い切っ先を向けてくるのは葉か、それとも根か。
頬に沿って冷や汗が滑り落ちた。

「すみません。"絶園の樹"って、"はじまりの樹"ほど寛容じゃないみたいで」

ビタリと周囲でそのまま止まった植物に、喉が干上がる。
吉野の謝罪の言葉だけが、ただ異質に浮いていた。

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どうか良き終幕(フィナーレ)を