刀剣本丸

(1.天命)




時は2205年。
どういう絡繰か知らないが、人は過去へ旅立つことが可能になったらしい。
それがこの国に限ったことなのか否かは不明だが、中々に面白そうなことだ。
太刀『鶴丸国永』がそのとき思ったことと言えば、それに尽きた。
「しかし、なあ」
ふとごちる。
「分霊との繋がりは僅かなものだし、俺自身はトンチキな機械に囲まれて楽しくない。やれ、とんだ誤算だぜ」
よっ、と太刀の台座から降り、伸びをする。
「一期、きみはどうだい?」
少し離れた位置で同じような状況にある一期一振へ話を振れば、彼も台座から降りた。
「似たようなものですね。弟たちに会えると楽しみにしていたのですが…」
「僕も他の兄弟に会いたいです。きちんと」
さらに向こうからは一期一振の弟分である平野藤四郎が、鶯丸と共にやって来た。
「大包平はいつ来るのか、はっきりさせて欲しいものだ」
「…きみはぶれないな」
相変わらずの鶯丸だが、鬱屈していることは確かなようだ。
「たまにこの機械の様子を見に来るだけで、陰陽師もめっきり来なくなったしな」
肘掛けにしていた黒い箱をぺしぺしと叩いてみる。
安定的に分霊を行うものだと言っていたか。
「最近は、現代で失われている刀剣の具現化に忙しいらしい」
陰陽師ではなく学者が言っていた、とは鶯丸の証言だ。
鶴丸は嘆息する。
「過去に戻るだの亡いものを創るだの、最近の人の子は空恐ろしいぜ」
「…鶴丸殿がそのようなことを仰るのは、珍しいですね」
いつもは様々な機械に興味津々でしょう、と一期一振が問えば、鶴丸も否定はしなかった。
「ただなあ…これは神々の領域じゃあないか」
一同が押し黙れば、そこには機械の動く無機質な音だけが響く。

バササッ!
不意にあり得ぬ羽音が響いた。
ここはこの国でもっとも尊い方の宝物庫、あらゆる災害に備えられた建物。
その中でも奥に安置されている鶴丸たちの部屋へ、生き物が入り込むことなどないはずだ。
ないはず、だが。
『それ』を見た鶴丸と鶯丸が目を見開いた。
「八咫烏…?!」
薄暗い大部屋、鶴丸に程近い機械へ舞い降りたそれは、烏。
ただし、3本足の。
「は、初めて見ました…」
平野が兄の腕に掴まりながら『それ』を見上げる。
「ええ…私もです」
一期一振も突然のことに驚きを隠せない。

八咫烏。
遍く大地を照らす大神の神使(みつかい)。

3本足の烏はぐるんと首を回して一同を見回し、2周目に鶴丸の正面で首を止めた。
「ツルマルクニナガ。我等ガ夜ノ大神ノ御呼ビ故、早々ニ参ラレヨ」
これ以上、何に驚けというのか。
「は? 俺か?! しかも大神が呼んでるだと?!」
由々しき事態であると言わざるを得ない。
一瞬にして鶴丸の纏う空気が張り詰め、鶯丸でさえも二の句が継げない。
「禊ノ準備ハ既ニ有ル」
「そうでなくては困るぞ!」
二言三言を素早く八咫烏と交わし、鶴丸は台座に据えられた己自身たる太刀を取る。
機械に固定されているはずの太刀は、極あっさりと彼の手に戻った。
「すまんが行ってくる」
「は、はい」
「どうぞお気をつけて」
「無事に帰ってこいよ」
八咫烏の創った真っ黒な穴を潜っていった鶴丸を、皆はただ見送るしかなかった。

慌ただしく鶴丸が消え、残された彼の友人たちは誰ともなく顔を見合わせる。
「…鶯丸殿。先程の烏は『夜の大神』と言ってはおりませんでしたか?」
「僕もそう聞こえました。大神とは、天照大御神のことではないのでしょうか…?」
平野も続けて問い、そうだな、と鶯丸は鶴丸の消えた箇所を見遣った。
太刀『鶴丸国永』に繋がっていた機械は、ピーピーと甲高い音を発している。
「さすがに俺も推測しか出来んが…。天照大御神の双子神である、月読尊(つくよみのみこと)のことじゃないか?」
「月を司る天津神の方ですね」
はて、疑問は尽きない。
「その方がなぜ鶴丸殿に…?」
「なぜだろうなあ…」


*     *     *


烏に連れられた先は夜の世界。
ぬばたまの闇に星と灯が灯り、足元は音もなく水鏡のように水面が揺れる。
「禊ノ場ハコチラダ」
夜目は効かないはずだが、前を飛ぶ八咫烏は不思議とよく見えた。
先には池のように石で囲まれた水面がある。
まもなくして符で顔を覆った巫女が現れると、彼女らは音もなく鶴丸の周りへ跪いた。
「お召し物を」
鶴丸は戸惑うでもなく羽織、金鎖と外して彼女らの手に落としながら、禊の場として設けられた池へと歩む。
付喪神でありながらかなりの格を持つ身であるので、傅かれるのは慣れていた。
うっかりすると神格に相乗される神気が漏れて、一期一振や鶯丸さえ圧してしまうので普段は抑えている。
(まあ、俺の神格の要因のひとつが)
この先に居るわけで。

下着ひとつで池に身を浸すと、己の本体を抜き放つ。
リィン、と鳴った刃鳴りは強い振動を発し、池の水が触れてもないのに大きな波紋を創った。
「ーーー」
祝詞と共に刃を水に潜らせる。
現世に在れば否応なく染み着く穢れはあっという間に小削げ落ち、視界が明瞭になった気さえしてくるのが面白い。
鶴丸が太刀本体と付喪神としての身体を浄め終わった頃には、巫女たちの手により装束も念入りに祓われていた。
着付けてくる手を拒まず、衣装が整うのを待つ。

程なくして出来上がったのは、闇夜の國で星のように光輝く真白。
その目映さに、興味本意で近づいてきていた妖たちが一斉に退散する。
「おやおや。怖がらせたかな?」
くつくつと笑っていれば、どこぞへ行っていた八咫烏が戻ってきた。
「コチラダ」

そこは、扉を見るだけで格の足りないものは神性に足が竦む場所だ。
(以前に来たときは、そんなことを思う暇なく扉が開いたような…)
観音開きの扉の正面には翼を広げた鳥の形をした窪みがあり、八咫烏はカアッと一声、窪みへ身を寄せる。
八咫烏が装飾へ戻る瞬間だけ光った扉は、音もなく奥へ開いた。
導くように、灯火が眼前にボゥ、と灯る。

闇は、深淵の藍色をしている。
鶴丸には、藍という色がとても好ましい。

灯火に着いて歩けば、歩いた傍から両側に行灯が灯る。
路の行灯は道半ばから大きく扇形に幅を広げ、明白に他者の気配が濃厚となった。
ざわざわ、と気配たちが騒ぐ。
ーーーナントマア、白イコト。
ーーータカガ付喪神ガ、ナゼ此ノヨウナ場所ニ。
鶴丸はそれらに視線のひとつすらくれてやることなく、灯火に従う。
ざわめきが薄れ、個々の気配がはっきりとしてきた。

先の間で騒いでいたのは、言ってみれば鶴丸よりも格の低いこの國の住人たちだ。
ーーーおや、これは随分と久しい顔だ。
ーーーさすがは千の齢を得た者かな。
対してここは上座にあたる位置、座すことが出来るのは神霊に近しい格を持つ者のみ。
灯火が進むのを止め、くるりとその場で円を描いて3つに分かれた。
ひとつは正面、残りは左右に分かれ奥へ向かう。
…と、大きく揺らめいた灯火が篝火となり辺りを照らし出した。

【久しいなあ、鶴丸国永】

篝火の照らし出した雛壇。
その最上段から愉快げな、それでいて友を懐かしむような声音が落ちる。
鶴丸は厳かに腰を折った。
「お久しゅうございます。月読之大神(つくよみのおおかみ)」
実に、それこそ千年ぶりくらいであろうか。
【良い、面(おもて)を上げよ。其方に堅苦しゅうされると、我の肩の力が抜けぬ】
「お戯れを」
許しを得た鶴丸が笑えば、ころころと涼やかな笑い声が返る。

長い白銀の髪は7つの雛壇を下り、天の川を落とし込んだかのように白銀から星々を溢す。
その眼は生と死の象徴たる赤を宿し、もっとも高貴な隈取りの朱も鮮やかに、やや幼き女の姿で超然と笑む。

月読之大神、あるいは月読尊(つくよみのみこと)。
天照大御神と対を為す、この国の神を統べる第二柱。
その象徴は、月天。

彼女はふふふ、と笑う口許を白い狩衣の袖で隠した。
【なに、久方ぶりに会うて浮かれておるのじゃ。付喪は生き残ることが稀じゃからの】
彼女は月であるが、一方で『憑黄泉(ツクヨミ)』でもある。
常世の國を治め、時に闇に生きる者たちを窘め、現世を見守っていた。
鶴丸の付喪神としてほぼ最上位である神格は、彼女により齎されたと言える。
鶴丸の白い髪、白い装束、本体たる銀の刃とかつて在った白い拵えは、彼女の容姿と似て目を惹いた。
ゆえに彼女は『あのとき』、気紛れで見掛けた鶴丸を気に入ると同時に情けを掛けた。

ーーー【雪のように白い其方が、此の國へ来るのは早すぎよのう】

踏みしめられ汚れ切ってからか、それとも解けてからという意味か。
それは鶴丸が凶刃に倒れた主の、その墓へ副葬品として納められたときのこと。
束の間の懐古に浸り、鶴丸は改めて月読之大神を見上げた。
「して、大神。此度のお呼び出しのご用件は」
【そうじゃな。ひとまずは近う寄れ】
この雛壇を、登れと?
「……あの、」
【ふっふ、そう気後れせずとも良い。千の齢を越えた付喪を侮る者等、此処に居りはせぬ】
そういう問題ではないのだが。
何と言って断れば良いのか鶴丸が迷う内に、彼の両側へ小さな幼子…これも神霊だ…が降りていた。
『つくよみさまのおぼしめし』
『よばれたならば、よらねばそんそん』
ふわり、と鶴丸の身体が勝手に浮く。
「ちょっ…?!」
雛壇は1段の高さは低くも、幅は数間に渡る。
【誰も気にせぬと言うたのじゃが。なればこの辺りで良かろ?】
下から4段目、つまりは上からも4段目にふわりと落とされ、なぜか敷いてあった茣蓙に受け止められる。
「……驚きだぜ…」
さすがの鶴丸も、あまりのことにそれだけしか言えない。
月読之大神は、変わらずころころと微笑っている。
【では、本題へ入ろうか】
鶴丸が居住まいを正したところで、月読之大神はつと表情を改めた。

【鶴丸国永よ。其方、人の子に手を貸しておるな?】

肯定を必要としない問いであったため、鶴丸は彼女を見返すに留める。
【人の子の、政府の者は初めに許しを得るため、多くの陰陽師を使い我と天照へ繋ぎを取った】
それはそうだろう。
末席といえども付喪神も神、大神の御許にある者のひとつに変わりない。
【初めは良かった。…が、我も天照も危惧しておったことがあってな。
其方、身を削らぬ分霊と言えど、己の分霊と繋がれぬことが不思議に思わなんだか?】
思った。
分霊を通じて受肉という驚きが齎されると思ったが、まったくそのようなことは無い。
月読之大神は口元を袖で隠したまま、視線を下げた。
【繋がれぬのはな、我と天照が障壁を創っておるからじゃ。本霊と分霊が、安易に繋がらぬように】
憂いを秘めた紅き眼に、鶴丸は何を言うことも出来ない。
なぜ、と問う黄金(こがね)の瞳を、月読之大神が誤魔化すようなことはなかった。

【人の子は、間違える】

初めの内は良くても、慣れてしまえばソレは起こる。

【人の子は、忘れる】

大部分が良くても、一部が間違えるというのであれば意味が無い。
再び鶴丸を見据えた紅は、大神としての威を宿していた。

【鶴丸国永。今から其方に、其方から分かたれた分霊の記憶を還そう】

覚悟は良いかえ? と強い調子で告げられ、知らず唾を呑む。
(覚悟…)
そんなものを決めなければならない、それだけ『酷い』記憶であるというのか。
だが鶴丸は、ひとつしか答えを持ち得ない。
両手を膝上に、背筋は凛と筋を通して。
「謹んで、お引き取りいたします」
微塵の揺らぎなく返した鶴丸に、月読之大神は安堵とも呆れとも取れる息を吐いた。

【然様か。では還そう】

コロリ、と。
月読之大神の左掌から、ビー玉に似た丸い石が零れ落ちた。
それはコロコロと、雛壇を上から下へと転がってくる。
(真珠玉か…?)
間近まで転がってきたそれは真珠のように白く煌めく、美しい玉(ぎょく)。
鶴丸のすぐ傍で止まった4つの真珠玉は、彼が指先を触れると同時に強烈な輝きを放った。
「っ?!」
眩み真っ白になった視界…いや、脳裏の奥へ、凄まじい速度で映像のような『記憶』が流れ込む。

人のように物を食べ、
人のように畑を耕し馬を世話して、
人のように眠り、
人のように刀(おのれ)を振るい、
人のように傷つき、笑い、怒り、認め合う。

「ーーっ!」
あまりの容量に頭が破裂しそうだ。
背を丸め、鶴丸は米神を両手で抑える。

仲間を庇って折れ、手入れが間に合わずに折れ、仲間が折れては顕現し。
流れ込んできたそのような記憶の中、鶴丸の感情を真っ赤に染め上げたのは『屈辱』であった。
「あ、ぁあ……」
言葉にならない声が、勝手に喉を震わせる。

手入れもされず、ひたすらに戦場へ送り込まれて折れていく。
それは良い。
だって己は刀だ、武器だ、戦うことこそ本望だ。
戦場で折れるというなら誉れだろう。
…けれど。
「あああぁああ!!!」

慣れぬ身体を引き寄せられ、衣の下を探られる。
肌を、内の粘膜を好き勝手に嬲られ、あらぬ処まで散らされる。
子種を注げと強要され、稚児でもないのに深くを犯され、指先の自由まで舐られる。
あるいは何かを盾に痛めつけられ、抵抗さえも嘲笑われる。
術の心得を持つ者であれば言ノ葉までもが奪われて、『刀』ではなく『神』の尊厳を踏み躙られた。
嫌がれば、拒絶すれば、別の誰かが痛めつけられ犯されて、見せしめに誰かが折られていった。

【…良い。我が許す】

強く、強く握り締めていた両手に爪が食い込み、痛みで僅かに正気が戻る。
此処で刀を抜いてはならぬ、それだけは微かな理性で抑え込んでいた。
月読之大神の声は、そこに響く。

【怒れ、叫べ、怨め、呪え。其方の怒りで消し飛ぶ者は此処には居らぬ。
荒御魂(あらみたま)に堕ちても一向に構わぬ。我が其方を引き戻そう、鶴丸国永】

食い縛った歯に触れた舌先が、錆のような味を持つ。
許しの言霊は箍を外し、鶴丸の手は神速の如き所作で傍らの本体を抜き放った。

白い閃光が、走る。

ギィンッ! と眼前の床に突き立てられた『鶴丸国永』は、その下の御影石を見事に貫いていた。
瞬間、太刀を中心に膨れ上がった神気はカマイタチと化し周囲を突風で薙ぎ払い、それでも収まらぬ分は皓い稲妻となって鶴丸の周囲をバチバチと漂う。
…周りに在るのが人であったら、誰一人として五体満足に遺りはしなかったろう。
一ノ間に集まっていた住人たちであっても、そのほとんどが憐れにも命を奪われていただろう。

ーーー穢された。
(穢された、穢された穢された穢された…!)

人間如きに、千歳(ちとせ)を生き抜いた神の身が!
黄金の眼が鮮烈な緋色に染まる。
太刀から迸る稲妻は影を切り取った闇へと変わり、純白の髪は漆黒に染まった襟足がしゅるりと翼のように伸びた。
(…赦すものか)
人の世でもっとも尊い方へ献上されしこの身を、我欲で穢したこと。
(赦すものか)
五条の名刀『鶴丸国永』の誇りを、在り方を、人の身で折れる等と増長したこと。
(赦す、ものか…っ!)

『鶴丸国永』の番(つがい)たる太刀を、同じ我欲で穢したこと。

止める暇などあろうはずもない。
荒御魂に反転した鶴丸の姿に、月読之大神は袖口の影でにぃと笑みを敷いた。
【…美しいのう】
側仕えの者、あるいは最上段に座す神々には、それが聞こえた。
【まさしく『鶴』じゃ。斬らねば真の鶴に成れなくなった者が、鶴の名に反した荒御魂で『鶴』となるとは】
瞳の緋、伸びた髪の黒、そして装束の白。
今の鶴丸国永は、まさしく冠した名の通り『鶴』であった。
そしてよくよく似ている、月読之大神に。

眺めていたいのは山々であるが、放っておいては個々の結界に支障をきたし兼ねない。
月読之大神は右の掌を上に口元に添え、ふっと息を吹きかけた。
其れは月天の氣により撚られた旋風(つむじかぜ)、あっと思う間もなく鶴丸の身体を包み込む。
「!」
刹那、鶴丸の周囲に留まった風は上空へドッと吹き上げ、同時に荒御魂の根源たる感情の波をも奪い去る。
気づけば緋色の瞳は望月の黄金に、長くなった黒の襟足は元の通りの白銀へ。

大きく息を吐いて、鶴丸は深々と突き刺さった自身を引き抜き、鞘へ収めた。
「…お手を煩わせました」
【我が良いと言うた。して、落ち着いたか?】
「お陰様で」
一礼し、元の通り居住まいを正した。
感情の原因である分霊たちの記憶は、月読之大神の手により強制的に沈められた。
かと言って忘れた訳ではなく、その屈辱は永劫忘却されることはないだろう。
袂から扇を取り出した月読之大神が、ぱっ、とそれを開く。
…深淵の藍色に、白鳳凰。
【我らにとっては瞬きにも満たぬ時間のこと、故に此度は余りにも多過ぎる】
何が、と問うのは愚問だ。
鶴丸とて、これ以上の分霊を提供する気にはなれない。
【そこでな。我と天照で考えた】
扇の向こうでにまりと浮かべられた笑みは、驚くほどに酷薄なものであろう。

【目には目を。沙汰は其方らに下して貰おうとな】
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2016.6.25
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